第9話 なぜ、を掘り下げれば

「うーむむむ」


 敵情視察とゴミ処理を終えてシェアハウスに戻ってきた私とめーちゃん、佐々山さんの三人は、全く同じ腕組みスタイルでずっと考え込んでいる。

 ご近所さんが増え、洗濯物の干し場を確保でき、ゴミ問題が解決する見通しがつき、自治会への参加も決まった。佐々山さんが言ったみたいに、確かに素晴らしい追い風が吹いてる。でも、肝腎要の幽霊探しだけがまるっきり進展していないんだ。


 シェアハウスの幽霊はどうにもみみっちい。正体を隠したいのに尻尾がはみ出てるみたいな情けなさが漂っていて、幽霊なんかじゃないのは明らかだ。この家にこだわる理由があるのは長く住んでいた三村さんしかいないから、幽霊イコール三村さんでほぼ確定している。経済的に困窮しているというめーちゃんの推理も外れていないと思う。

 ただ三人揃って首を傾げてしまったように、『ホワイ』の見当はついても『ハウ』のところが全くわからない。どうやってシェアハウスに出入りしているのかが、ね。


 幽霊には住民登録も居住権も関係ないから、私たちの対処的にはむしろ本物の幽霊の方がありがたいんだ。せいぜいおふだを貼ったり塩を盛ったりするくらいでいい。実害がない限り、私たちの気持ちの問題で済んじゃうもの。

 でも、出入りしているのが人間だとすれば途端にややこしくなる。奥野っていうおっさんほど図々しくはないにせよ、家に勝手に出入りされると不愉快だけでは済まされない。正当に住んでいる私たちは、あらゆる悪い事態を想定しなければならなくなる。泥棒や盗聴、性犯罪までいろいろね。


「捕物……か」


 佐々山さんが重々しく呟いた。


「奥野っていうおっさんはともかく、私はここの幽霊に関しては捕物にしたくないです」

「そうね。でも、今のうちに片をつけておかないと、あなたたちにとっても彼女にとっても不幸なことになる。どうしてもわたしたちで身柄を確保しないと。逃げられるわけにはいかないわ」


 きっぱり言われて、返す言葉がなくなる。とっ捕まえて警察に突き出すなんてことにならないのはわかるけど、どうやってカクホするの? 大声を出されたり暴れたりされると、穏便に済ませることができなくなる。逃げられてしまったら幽霊のままだし。


「ふううっ」


 佐々山さんがお手上げという表情で天井を見上げた。


「どうしてここに執着してるのかしらね。慣れ親しんだ家と言っても、ここにはすでに他の住人がいる。いつかは必ず見つかるし、見つかったらただでは済まないのに」

「うーん……」

「ううー」


 めーちゃんもテーブルの上に突っ伏してのびちゃった。思考力が飽和したんだろう。私のどたまの中もたいして変わらない。

 どうしてここに? どうして……。


「あ」

「なになになにっ?」


 私の出した声にめーちゃんが速攻で反応した。


「そうか。逆に考えればいいのか」

「え? どういうこと?」

「小賀野さん、何か気づいたの?」

「気づいたと言うか、ホワイをもうちょっと掘り下げたら、ここへの執着に合理性があるなあと思ったんです」

「合理性、ねえ……」


 考えついたことをもう一度脳内で整理してから、二人に話してみる。


「収入が少ししかないなら、徹底的に支出を減らすしかありません。三村さんがものすごく困窮しているなら、まず食費確保が最優先になります。そのためには住居費と光熱水道費を徹底的に削る必要がありますよね」

「あっ!」


 二人が同時に立ち上がった。


「そうか。ここに執着しているのはそういうことなのね」

「ええ。アパートを借りるお金すらないなら、奥野っていうおっさんみたいに空き家を不法占拠するしかありません。でも空き家だと、雨風はしのげても生活に必要な水や電気が手に入らないんです」

「そっかあ。止められてるもんね」

「なの」


 時系列を確かめながら、推論を組み立てて行く。


「三年前に退職された時、この家のオーナーはすでに最初の方ではなかったと思います。オーナーが変わっていないなら、退職後も前の契約条件で住み続けられたはずですから」

「確かに。家賃改定のあと、お給料をもらっていた間は辛うじて住めたけど、年金暮らしではとても払えないってことね」

「はい。本当はオーナーが代わった時点でもっと安いところに移らなければならなかった。でも、三村さんはどうしてもここを離れたくなかったんでしょう。貯金を取り崩さなければならないほど家賃が家計を圧迫してしまった」

「うーん、どうも解せないけどなあ」


 めーちゃんが首を傾げる。


「いずれ破綻するよねえ」

「働いていた時と同じ生活を続けようとすれば、ね」

「え? どういうこと?」


 私のことを例にするとわかりやすいかな。


「さっき岡田さんと話をした時オープンにしましたけど、私は二十年家に幽閉されていました。檻に入れられていたわけじゃないんですが、無収入で社会への馴化訓練もできていなければ、脱出しても野垂れ死するか連れ戻されるだけです」


 佐々山さんがぎごちなく頷く。


「ですから、私の脱出計画には年季が入っています。独立に必要な情報の収集を行い、脱出の手順を考え、脱出後のライフプランを立てておく。そこまできっちり組み立てたんです。外界に出たことがない分、出たとこ勝負のところはどうしてもありましたけど、発作的に脱出したわけじゃないんです」

「そうだったんだ……」

「あはは。めーちゃんもある程度は計画を立ててたでしょ?」

「うー、わたしは結局我慢できなくてぷっつんしちゃったからなー」

「でも、ある日突然決めた、ではないよね」

「それはそう。進学先を選んだり、脱出用の装備を整えたり、決行日に向けての準備はしてた」

「だったら、三村さんもそうだと思わない?」

「あっ!」


 この時点で、二人が同時に気づいた。佐々山さんが急くように確かめる。


「そうか。家賃を払っている間は、ここに居続けるための準備をすることができるってことね」

「私はそう考えました。三村さんの実体が確認されているのはスーパーだけ。そして、三村さんの気配はここにしかありません。つまり、三村さんの世界はほとんどこことスーパーだけで完結していると考えられるんです」

「でも、スーパーには住めないよね?」

「無理だよ。向こうには警備員さんがいるし、店舗は施錠されちゃうでしょ」

「うん」

「でも、スーパーの敷地には店舗の他に、倉庫や物置があるの。そこは店舗ほど厳重に管理されてないと思う。出入り口や隠れ場所としては使えるんだよね」

「くううっ!」


 悔しそうな佐々山さん。


「だめだー。わたしは名探偵になれそうもないわ」

「でもさー、ルイ。それなら、三村さんはどこに住んでるの? スーパーだと見つかるリスクが大きすぎるよね」

「私もそう考えたの。だから、ここ、だと思うよ」


 足元を指差す。


「ええー? 向こうでは生身で、ここでは幽霊になるわけ?」

「んなわけないじゃん」


 苦笑まじりに、前にめーちゃんがぶちかました大ぼけを引っ張り出す。


「どこでもドア……って言ってたよね?」

「ううー」

「そんなものは現実にはない。つまり固定されているドアは必ずあるわけ。ただし、一箇所ではなく二箇所に」


 ぱん! 両手でテーブルを叩いて、興奮した佐々山さんがばっと立ち上がった。


「わかったあっ!」

「わかりました?」

「そうか。地下ね」

「私はそう考えました」

「あ……」


 めーちゃんが、そろそろと視線を足元に落とす。


「佐々山さんの最初の説明がヒントになったんですよ。ここは家の基礎がしっかりしてるって。他のお宅よりも床下が深いんじゃないでしょうか」

「……」


 何かを思い返すように考え込んでいた佐々山さんが、ふっと顔を上げた。


「そう言えば、義両親に昔のことを聞いたことがあったの。この辺りは戦時中空襲に見舞われてる。しっかりした防空壕があったからうちは助かったって言ってたの。三村さんも、前のオーナーとそういう話をしていたのかもしれないわ」


 防空壕! 知らなかった……。


「今どうなっているのかわからないけれど、もし残っていたら。そしてスーパーの敷地にも繋がっていたら。三村さんが何もかも自分で準備しなくても済む。時間をかけて床下の居住空間だけを確保したのかもしれないわね」

「ええ。床下から床板を持ち上げて室内に出られる小さなドアが一番奥にあるはず。それだと、跡が残らないんです」

「で、もう一方のドアはスーパーの敷地内のどこかにつけられているということね」

「はい。ごく限られた範囲で生活が完結しているから、気配を最小にできるんじゃないかな」


 めーちゃんがエアコンを見上げた。


「そっか。スーパーが開いている間は冷暖房完備だー」

「うん。でも、洗濯とお風呂だけはどうしようもない。洗濯は溜めるだけ溜めてコインランドリーでなんとかするにしても、お風呂は……ね。佐々山さん、この近くに銭湯ってあるんですか?」

「知らないわねえ。スパみたいなところは隣町にあったような気がするけど、入湯料が高いわよ」

「だから、シャワーを使いに来てたってことかあ」

「そう思う」


 気配を消すのは、バレないようにするためだけじゃないと思う。気配が消えるくらい日常生活を切り詰めないと、暮らしていけないからだ。


「洗濯とシャワーを除外できれば、大量の水は要りません。トイレはスーパーで済ませればいい。出来合いのお惣菜を買えば料理しないで済むし、ゴミも少ししか出ません。飲み物はペット茶とかで間に合ってしまいます」


 佐々山さんがさらにまとめる。


「電気も、どこかのコンセントから床下に引き込むだけで済むわね。電気を食う家電がないなら、使用量も微々たるものってことか」

「でも冷蔵庫はなさそう。だからついつい冷蔵庫のプリンに手が伸びちゃったのかな」

「ありえるわ。それにしても……地下は盲点だったわねえ」


 しばらくじっと考え込んでいためーちゃんが、ぐりぐりと首を振りながら聞いた。


「で、結局どうするわけ?」

「最小限の生活環境で暮らしているなら、三村さんにここ以外の居場所はないと思う。どこにも逃げられないですよね」

「ええ」

「三村さんを足止めして、もうその生活はできないよって直接言い渡すしかないです」

「天の岩戸からどうやって引っ張り出すの?」


 佐々山さんの問いかけに、一呼吸置いて答える。


「私と矢口さんがここで暮らし始めてから今までの間に、バスルームが使われていたことが二回あったんです。どちらも同じ曜日でした。水曜日の深夜」

「水曜……今日じゃん」

「そう。灯りが消えてリビングに人の気配がなくなったのを確かめてから、こっそりシャワーを使いに来るんだと思う。そこを押さえます。三村さんがバスルームを使っている間は、逃げ道を完全に封じられますから」

「もし今日じゃなかったら……」


 めーちゃんが怖がってる。仕方ないね。めーちゃんは、たった二回の一致なんか単なる偶然だと思ってるかも。

 だけど三村さんは、私たちの行動パターンが定まっていないのに同じ曜日、時間で動いているんだ。潜伏がばれないように細心の注意を払っているという感じがしない。だからこそ、ここに誰が住んでいても姿を現してるんだろう。この家の正当な住人として自分の生活リズムを守っているみたいに。

 私には、今日お出ましになるっていう確信みたいなものがあった。


「私が単独で張り込みます。もし今日何もなかったら、岡田さんに頼んで人感センサーをつけてもらうしかないかな」

「あ、そうか。夜中に誰かバスルームに入ったら携帯に知らせるみたいな……」

「うん。ただ、そこまでしなくても片がつくと思う」

「夜通し見張るの?」


 佐々山さんに聞かれたから、否定する。


「たぶん、日付が変わるか変わらないかくらいの時間に来るんじゃないかな。三村さん、宵っ張りじゃないと思うんですよ」

「どうしてわかるの?」

「長くお勤めされていたから。それに、生活の中心がスーパーにあるからです」

「そうね。昼勤型ということか……」

「はい。それなら二時、三時にはならないと思うので」


 しばらく考え込んだ佐々山さんが、私にリクエストした。


「小賀野さん。遅くなってもいいから、三村さんを押さえたら連絡をくれない? 小賀野さんだけだと結局騒ぎになってしまうわ」

「助かります。サポートをお願いできれば」

「ええ。のことを考えておかないと」


 そのあと佐々山さんがついた溜息は、ものすごく深かった。


「はあああっ。たぶん、の中身は生活のことだけじゃないと思う。もっと掘り下げないと、また同じことを繰り返すわ。いつでも幽霊に戻ってしまう」


 ……うん。

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