第8話 人に戻す
喫緊の問題になっているゴミ処理。先々どうするかはともかく、今は急いで片付けなければならない現物がある。で、岡田さんが助け舟を出してくれた。
「ここのゴミやがらくたをまとめて処分することになるから、生ゴミ以外は持ってきていいぞ。その代わり、魚住さんの引っ越しゴミを運んでやってくれ」
「もちろんです!」
「助かりますー」
魚住さんはほっとしたみたいだ。何か事情があって越してきたのなら、私たちが岡田さんに手伝ってもらったみたいに、私たちも手伝ってあげなきゃね。
極め付けのトラブルメーカーが荻野からいなくなることを知った佐々山さんも、やれやれという安堵の表情を浮かべていた。
さて、そろそろ戻らなきゃ……と思ったら。手に手にゴミ袋を持った人たちがわらわらと集まってきた。賃貸で入ってる人たちが、市の収集が来ていると思って便乗しに来たんだろう。岡田さんが、ぶっきらぼうに問いただす。
「当社になんの御用でしょうか」
「え?」
中年のおばさんが、大きなゴミ袋を持ったままじりっと後ずさる。
「ここをゴミ屋敷にしていたろくでなしの
ばっさり袈裟斬りだ。集まっている人たちはいろいろ。お年寄りもいれば、おばさんや若い女性もいる。冷ややかに彼らを見渡した岡田さんが、きっぱり引導を渡した。
「当社は、私費でゴミを処理いたします。みなさんの分はみなさんで処理なさってください」
「少しくらい、いいじゃないか!」
少しとはとても言えない大きなゴミ袋を二つ持っていた乱れ髪のおばあさんが、ずけずけ言い放った。
「それが少しですか? 分別もしてませんよね」
びしっ。奥野っていうおっさん同様、佐々山さんの天敵の一人なんだろう。佐々山さんがおばあさんを容赦なく糾弾する。
「自分は何もしないで権利だけを主張する。そんなわがままが通るほど世の中は甘くありません」
「他のとこは集めてくれてるじゃないか!」
必死に食い下がるおばあさんは、きっちり突き放された。
「そりゃそうですよ。四班も五班も、自治会さんがゴミステーションをちゃんと管理してます。ここ二丁目だけですよ。だあれも自治会に入らない。それだけならともかく、ゴミステーションの利用ルールをだあれも守らない。分別もせず、回収日を守らず、掃除もせず、好き勝手にぽいぽい捨てる。違いますか?」
佐々山さんは、ずっと同じことを言っていると思う。正論をみんなが無視していただけだよね。
「あのね、市はルール違反のゴミを回収してくれないの。違反ゴミがどんどん積み重なると、不法投棄の巣窟になってしまう。だから二丁目のゴミステーションが撤去になったんですよ。今ゴミが出せないのは自業自得なんです」
岡田さんが、さっと話を引き取った。
「ゴミは各自で始末してください。今行っている作業はゴミ屋敷の片付けであって、収集ではありませんので」
怒り狂ってる人。がっかりしている人。ぶつくさ文句を言ってる人。いろいろなリアクションがあったけど、相手が市ならともかく、岡田さんはゴミ収集と無関係だ。持っていってくれと言えないことは誰にでもわかるだろう。
ほとんどの人は、ゴミ袋を持ったままとぼとぼと引き上げていった。だけど、若そうな女性が三人残った。
「あなたたちは?」
佐々山さんが尋ねる。女の人の一人が思い詰めた様子で答えた。
「ここに越してきた時、最初からゴミステーションがなかったので困ってたんです。あの、さっきの話……」
「自治会の?」
「はい。わたしたち、入れるんですか?」
「二丁目の住人なら誰でも入れるわよ。昔の町内会みたいなうるさい決まりやしきたりはなにもないわ。ゴミステーションの立ち当番とお掃除。防犯、防災の話し合い、子供の登下校の見守り。それくらいかしらね」
「会合とかは……」
「班長さんが月に一回集まるの。市からの配布物をさばくくらいかな。三十分もかからずに終わります。非加入者には配布しなくていいから楽よ」
佐々山さんが、私たちと魚住さんを指差す。
「彼らも賃貸で住み始めたんだけど、自治会に入ってくれるって言ってるの。だからわたしが市に掛け合って、ゴミステーションを復活させてもらおうと思ってる。当番を持ち回りにできるからね」
三人の女の人たちは互いに顔を見合わせていたけど、一番若そうな茶髪の女性がさっと手を挙げた。
「わたしも入らせてもらっていいですか?」
それを聞いて、魚住さんがすごく嬉しそうな顔をした。佐々山さんがにこやかに応じる。
「助かるわ。ただね……さっきのおばあさんみたいな俺様が、捨てさせろって因縁つけてくる。それを押し返さないとならないの。ゴミステーションは、他の班が使ってるような籠型になると思う。当番が鍵を預かる形になるから断るのは難しくないけど」
「他の班は、ゴミ袋に名前を書いて出す方式ですよね」
佐々山さんを補佐する。頷いた佐々山さんが、私たちを見回した。
「それは不法投棄を防ぐ自衛策であって、決まりじゃないの。でも、うちもそうしましょ。その方がすっきりするでしょ」
「じゃあ、最初のうちは私が立ち当番に付き添います。四班は男の人が立ってるっていうから」
にやっと笑った岡田さんに、背中をばしんと叩かれる。
「やるじゃないか」
「自治、ですから。自分のことは自分で、ですよね」
「そうだな」
「でも、夜中にこっそり来たりしそう」
めーちゃんが、大丈夫かなあという顔で通りの奥を見る。年配の人たちが文句を吐き散らしながら帰っていった方向だ。賃貸でも古株の人たちなんだろうな。確かに面倒くさそう。
「ああ、対応策があるんだ。ゴミステーションが復活するようなら、私がオートライト付きの防犯カメラをセットしてあげよう。偉そうなことを言ってるやつでも、警察が絡めば大人しくなる。貸借契約を切られたら死活問題になるからね」
岡田さんが真面目な顔できっぱり言い切る。
「契約はほとんどの場合、一年更新だよ。貸主の都合で契約更新しないと言われれば、借りている方は文句を言えない」
「実際に打ち切られることがあるんですか?」
借りた方が強いんやでって店長が言ってたような……。
「珍しくはないよ。不動産屋がオーナーから依頼を受けて貸してる場合とか、建て直すからどいてくれ、とかね」
「そうかあ」
「だから無理難題にびびることはない。ダメなものはダメ。そう言って押し返せばいい。小賀野さんがサポートしてくれるなら気楽だろ」
「はあい、小賀野ですぅ」
私がぱっと手を挙げたのを見て、まだ腰が引けていた残りの女の人も決心がついたんだろう。
「じゃあ……わたしも入ります」
「わたしもー」
「お名前を教えてくださる?」
佐々山さんがメモ帳を出して書き控える体勢を取った。
「ええと、久保田です」
「嵯峨です」
「井上ですー」
さらさらと書き取った佐々山さんが、にっこり笑った。
「わたしは佐々山です。うるさいばあさんだと思ったでしょ?」
そうだとは言えないよね。三人が曖昧な笑いでごまかした。
「わたしは八十過ぎの独居老人です。お節介はできないわ。自分のことで精一杯」
「えええーっ?」
信じられないという顔で三人がどよめく。
「うそお! 六十くらいかと」
「とっても、そんなお年には見えません!」
佐々山さんが、苦笑いしながら手をぱたぱた顔の前で振った。
「若く見てもらえるのはいいんだけどね。だからこそ、なんでもかんでもわたしがやれっていう話になっちゃうの。目の前にいるのが杖をついたよぼよぼの人なら、誰もそんな無理を言わないでしょ?」
「あ、そうかあ……」
「わたしは自分の生活を守るだけで精一杯。ゴミのこともそうよ。わたしが困るから、はっきり正論を唱えてきたの。それをわたしたちにしてくれるとうれしいかな」
それ以上ごちゃごちゃ言わないで、佐々山さんが話の範囲を少し広げた。
「わたしはここが長いから、わからないこととか聞きたいことがあったら何でも聞いてください。小賀野さんや矢口さんは、とても上手にわたしを使ってる。今も三人で知恵を絞ってるところなのよ。一人でできることは限られているから」
顔を見合わせていた三人が、こそっと佐々山さんに打診した。
「あの……わたしたち以外の人も自治会に誘っていいですか?」
「もちろんよ。ただ、人となりはよく確かめてね。形だけ入って、義務を果たさないのは論外。
「もちろんですー」
佐々山さんの表情がどんどん柔和になっていくのを見て、しみじみ思う。これまで佐々山さんはどれだけ孤立に悩まされてきたのだろうと。奥野っていう人みたいに何かやらかして居場所がなくなるならともかく、義務を果たして真っ当に暮らしてきた自分一人が浮いてしまうという現実は、どうしても受け入れられないよね。
話し合いを見守っていた岡田さんが、三人の女の人に声をかけた。
「みなさんのゴミはどのくらい溜まってますか」
嵯峨さんという少し太めの女の人が、恥ずかしそうに白状した。
「部屋が二つ、ゴミで塞がっています。生ゴミだけはコンポスターで処理してたんですけど」
「あ、うちも生ゴミは困って、熱風処理の機械を買いました。痛い出費でした」
「わたしは冷凍して、保冷バッグで実家に」
「あらあら、みなさん苦労されてたのね」
でも、スーパーに捨てに行ってた人はいないんだな。そりゃあ、後ろめたいもんね。見つかったら利用できなくなっちゃうし。
「分別は済まされてますか」
岡田さんの問いかけはまだ続いた。三人はそれぞれに頷いた。
「それでは、私が有料で引き取りましょう。回収業者に頼むと、おそらく万単位になります」
「はい。見積もりを取ったんですけど、かなり高額で……」
井上さんという細い女の人が、力なく溜息をついた。眉をひそめて、岡田さんが通りの奥にある伏魔殿を見据える。
「そうでしょう? 行政サービスの受益者は規則を守る人に限られます。意図してルールを無視する人はサービスを受けられません。自分がゴミ処理をする立場になったらわかりますよ。人の出した有象無象のゴミを仕分けろと言われたら、やりますか?」
そんなの絶対にやりたくない。みんなぶるぶる首を振った。
「さっきのしょうもない連中は、受益対象から外された怖さがまだわかってない。私費でのゴミ処理はとんでもなく高くつくんです。さっきみたいに文句を言えるうちは序の口で、そのうちゴミに圧迫されて生活空間がなくなりますよ。ここみたいにね」
岡田さんが口の端だけで笑った。たった数日なのにもうゴミに悩まされている私たちなんか、まだまだマシってことか。ううう。
「一軒につき五千円でお引き取りしましょう。無料にすると、さっきの連中がまたろくでもないことを言い出すんでね。いくらかかったか聞かれたら、十万だと言っといてください」
笑いながら言えば冗談だろうけど、岡田さんは真顔だった。彼は常に最悪のケースを想定してプランを動かすのよ……佐々山さんの言っていたことがよく理解できた。
◇ ◇ ◇
有言即実行。奥野というおっさんのゴミ処理に合わせて、一気に終わらせなければならない。
新しく自治会に入ってくれることになった三人のお宅からのゴミ出しを手伝い、さっと完了させる。さっき食ってかかってきたおばあさんが気配を察知してすかさず出てきたけど、ゴミ処理十万という説明を聞いて、このごうつく野郎めとっととくたばっちまえと雑言を吐きながら帰っていった。あーあ、あんな風にはなりたくないなあ。
三人の女の人が手伝ってくれたから、魚住さんの家からの引っ越しゴミの搬出もすぐに終わった。これで四軒分のゴミ処理が完了。私たちのゴミは魚住さんたちのに比べたら微々たるものだけど、シェアハウスが狭いから処理できないとすぐに居住空間が圧迫される。本当に助かった。
佐々山さんの粗大ゴミも持っていくよと岡田さんが気を利かせて、全員のゴミ問題が無事に解決した。
私たちがばたばたと動き回っている間に、佐々山さんが市の担当者の人と話をつけたらしい。以前と同じ場所にゴミステーションを再開させることになったそうだ。
「四班、五班で使ってる籠はわたしが手配します。今五班に入ってる一班の人たちも使わせて欲しいと言ってくるはず。向こうは付き合いの長い人たちばかりだから構わないよね?」
念のために確認しよう。
「自治会の人たちなんですよね」
「ええ。班によるくくりの組み替えということになるかな」
「いろいろ教えてもらえそうだから、ありがたいです」
「そう考えてくれるとうれしいわ」
すっかり表情が明るくなった佐々山さんが、ぱんと胸を張って深呼吸した。
「ふううっ。やっぱり春ねえ。いい風が吹いてる。運が向いてきたわ」
「幽霊が人に戻りましたね」
「ふふ。そうね」
「ただ……まだ残ってるんですよ。厄介な幽霊が」
シェアハウスを指差す。ゴミのことで後回しになってしまったシェアハウスの幽霊探しは、私たちにとって大問題のままなんだ。佐々山さんが、ぎっと表情を引き締めた。
「ええ。できるだけ早く人に……戻さないとね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます