第7話 幽霊がいっぱい
問題になっている奥野という人が住んでいる家は、私たちや佐々山さんの家からは少し離れた四丁目に近いところだった。四丁目のゴミステーションががっちりガードを固めているのは当然かもしれない。
全体に、私たちのシェアハウス並みに古い家が多いんだけど、おっさんが借りているという家はほとんど廃屋。そして、家の周囲に作業服を着た人たちがたくさんうろうろしていた。その中に見知った顔を見つけて思わず声をかける。
「岡田さん! 今日はどうしたんですか?」
「ああ、小賀野さんか。いや、夜逃げ跡の片付けだよ」
「あら、逃げたの?」
佐々山さんも驚いている。にやっと笑った岡田さんは、チャイルドバギーを押してる魚住さんを見るなり深々とお辞儀をした。
「どうですか? 落ち着きましたか?」
「なんとか……。佐々山さんや小賀野さんたちにご挨拶できて、ほっとしました」
「私も、この件が片付けば相談に乗れます。気軽にお問い合わせください」
「ありがとうございます」
ええー? 私たちの時とは態度が違うなあ。半人前の私たちと大人との違いってこと? ううーん。
「で。小賀野さんの方は進展あったか?」
「それなんですけど」
「うん」
「私には、出没しているのが以前住まれていた三村さんだとしか思えないんですよ」
「……」
途端に、岡田さんが苦々しい顔になった。
「まいったな」
「ええ。佐々山さんにも調査を手伝ってもらったんですけど、戸締りや警備には異常がないんです。どこから入り込んでいるのかがさっぱり……」
「どうするか、だな」
「はい。だけど、三村さんの生活が相当苦しいってことはわかります」
「ほう?」
「冷蔵庫のプリンを一つだけ食べる。私たちの就寝中にシャワーを使う。背に腹は変えられないっていう感じで」
「君たちの居室にはタッチしてないってことか」
「してないですね」
腕組みして、ずっと疑問に思っていることを投げかけて見た。
「幽霊って、認知してもらいたいから出てくるんですよね」
「だろうな」
「でも、うちの幽霊は逆。どうしても見つかりたくない。存在をぎりぎりまで薄めようとするから、人間が幽霊に見えてしまう」
「……」
じっと考え込んでいた岡田さんが、うんと一つ頷いた。
「幽霊を人間に戻すのは難しくないってことだな」
「そう思うんです。見つければいいだけ」
「その後どうするか、だけか」
「私たちは三村さんには面識がありませんし、佐々山さんも直接関わったことがないって伺ってます。というか」
「うむ」
「三村さん、ずっと幽霊だったんじゃないですかね」
「どういう意味?」
佐々山さんがすっと疑問を挟んだ。
「佐々山さんや今日お会いした魚住さん以外の二丁目の人たちは、私や矢口さんにとって全員幽霊なんですよ。誰がどこにどんな風に住んでいるのかがちっともわからない。いてもいなくても、私たちには認知できない。それって、幽霊そのものだと思いません?」
「いい表現だな」
岡田さんが、目の前の荒れ果てた家を見上げる。
「だとすれば、こいつは最低最悪の幽霊だ」
「え? どうして?」
めーちゃんのはてな顔を見て、岡田さんが苦笑いを浮かべた。
「
作業服を着た人の中に黄色い腕章をつけた年配の人がいて、その人が岡田さんに話しかけた。
「岡田さん、始めていいですか?」
「ああ、ゴミとがらくたしかないはずだ。全部四トン車に載せてくれ。そのまま処理場に持って行こう」
「わかりました」
岡田さんが、ふうっと大きく息をついた。
「さあて。ゴーストバスターと行くか」
◇ ◇ ◇
賑やかにゴミやがらくたが運び出されている間、岡田さんがとつとつとこれまでの経緯を説明してくれた。
奥野というおっさんは三年間家賃を払っていないだけでなく、ガス、電気、水道の料金を全部不動産屋にツケていたそうな。おっさんに家を貸していた不動産屋さんは、幽霊どころか悪魔に家を貸しちゃったみたいなもの。
もちろん支払いの督促に応じるつもりはこれっぽっちもなく、電話には出ないし訪問しても居留守使って出てこない。不動産屋さんにとっては大損害だった。
で、岡田さんがこの物件を引き取ってすぐに法的対抗策を発動させた。ゴミ処理に困ってうろうろしているから、本人を直接キャッチすることはできる。この辺りの悪い意味での有名人だから、俺は奥野なんてやつじゃないっていう言い訳は一切通じない。
本人に口頭と通知書の形で遵守条項違反による契約解除を通知。さらに滞納分家賃とツケられていた光熱水道費の全額支払いを求め、期日までに支払わなければ警察に被害届を出すとプレッシャーをかけた。家賃の未払いは民事だけど、非契約者が勝手に居座るのは不退去罪という刑事罰になるそうな。
「幽霊が銭を払うわけないよ。すぐに逃げる。それも永遠にではなく、ほとぼりが冷めるまでな」
「げ……戻ってくるってことですか」
「そう睨んでる。この家だけでなく、家の周りの空き家の敷地に、ゴミを山のように投げ込んでるんだよ。今回、それも合わせて撤去するから、奥野にしてみれば厄介ごとが全部片付いてはっぴーはっぴーってとこだろ。そうは行くか」
けっ。岡田さんが鼻で笑った。
「鍵は換えたし、警報装置はぎっちり仕込んである。こっそりと侵入するってのはできないな。幽霊なら別だが」
「じゃあ……」
「突然ヤサを取り上げられたから、すぐに戻ってくるはずだ。やらかしたところを、警察官に住居侵入の現行犯でしょっぴいてもらう」
さすがだなあ。全部段取りが済んでるってことか。
岡田さんが、ぎゅうっと顔をしかめた。
「払える金なんざあるわけないよ。あいつは無職だからな」
「調べたんですか?」
「当然だよ。契約した不動産屋にはちゃんと個人情報が揃ってる。家賃不払いの場合は、給与を差し押さえるのが鉄則さ。だが、あいつは前職をクビになってる。そのあとどうやって今まで食いつないできたんだかな」
「げ……」
「叩けば埃がなんていう生易しいものじゃないかもしれん。幽霊なら悪さをせんが、犯罪で稼ぎを得ていたなんてことになったらしゃれにならん。警察できっちり絞ってもらうしかないよ」
佐々山さんが、何度も首を傾げている。
「確かにしょうもない人だったけど、犯罪にまで手を突っ込んでるようには見えなかったねえ」
「日雇いとか、その辺りかもしれん。ただ、私は甘い見通しを立てたくない。腐ったリンゴのたとえじゃないが、倫理観ぐずぐずのやつが一人いると、周りがそいつに引きずられるんだ」
「ゴミでわかるわね」
「そう」
大きな溜息をついた岡田さんが、ぼそっと漏らした。
「せめて、二桁。それくらいの人数を集められれば自治会の班が再結成できる。ゴミステーションの再配置を市に頼めるんだがな」
切羽詰まっている魚住さんが声を絞り出した。
「あの……わたしからお近くの方に声をかけてみます」
「無理をなさらないようにね」
佐々山さんの賃貸組に対するアレルギーは半端なさそうだ。厳しい表情の佐々山さんは、いるのかいないのかわからない幽霊に話しかけるようにして自治会の役割を話し始めた。
◇ ◇ ◇
「どうもひどく誤解されているように思うの」
「なにがだい?」
「自治会を町内会と混同している人が多い」
「ん? 違うのかい?」
岡田さんが、初めて聞いたという顔をしている。
「違うわ。町内会っていうのは地域を束ねること自体が目的なの。担う役割は後付けなのよ。お祭りとか冠婚葬祭とか近所付き合いとか、そういうものをスムーズに動かすための容れ物ね」
「ほう」
「自治会は違うわ。行政が率先してやってくれない部分を自分たちでどうにかする。だから『自治』なのよ。目的が先なの」
「あ、わかります」
魚住さんが頷いた。
「マンションなんかの自治会がそうですよね。必要に応じて結成されるっていうか」
「そう。問題解決が先。ゴミ処理や防犯・防災、子供たちの見守り。みんなそう。言わなきゃ行政は動かないし、なんでも行政がやってくれるわけでもない。自治会に入らない人は、すごく勘違いしてるの」
「当番なんか面倒ばかりってことだな」
「ばかじゃない?」
佐々山さんが強い口調で吐き捨てる。
「掟や組織に縛られる時代なんか、とっくの間に終わってるわ。荻野の町内会だって、ずいぶん前に自治会に改組してるの。旗を振れる人がいなくなったからね」
「なるほど。簡素化したってことか」
「ええ。どうしても必要だから自治会があるのよ。需要もないのに面倒臭いものをこしらえるわけないでしょう」
うん。今回のゴミステーションの件でよーくわかった。納得顔の私を見た岡田さんが意向を確かめる。
「班の再結成ってことになったら、二人は自治会に入るかい?」
「もちろんですよ。私たちにとっては死活問題ですし、いつまでも佐々山さんの厚意に甘えっぱなしというわけにはいきませんから」
佐々山さんがはあっと溜息。
「こんな若い人ですら、ちゃんと考えられるのにねえ」
「私たちはちょっと特殊だと思いますけどね」
「え?」
きょとんとした顔の佐々山さんと魚住さんに、苦笑を向ける。私もめーちゃんも、今まで大きなへまがないというだけで、これから何かやらかす素地はたっぷりあるんだ。事情が事情だから免責してくれというつもりはないけど、背景は明かしておきたい。
めーちゃんをちらっと見て、アイコンタクト。めーちゃんが、うんと頷いたので、オープン。
「さっき私は、二丁目の賃貸の人たちが幽霊みたいだって言いましたよね」
「ええ」
「その人たちは、面倒を避けるために望んで幽霊になってる。贅沢だなあと思います」
「贅沢?」
面食らっている佐々山さんの前で、ほっと息をつく。
「私も彼女も、無理やり幽霊にさせられていたんですよ」
「あの……どういう意味ですか?」
魚住さんがこわごわ尋ねた。
「私は二十年、彼女も十年以上は親の監視下におかれ、幽閉されてたんです。家に、ね」
「う……そ」
佐々山さんと魚住さんが揃って絶句した。
「彼女は学校との行き来以外は家に缶詰。親しい友人が作れませんでした」
「なぜ?」
「容姿です」
めーちゃんが、ぎゅっと唇を噛む。やっと絆創膏が外れた頬。かすかに残っているスラッシュの跡が、莫大な怨嗟を象徴している。
「心配は、いいですけど。だからと言って幽閉はやりすぎです。彼女は窒息しそうになったんです」
「はい」
めーちゃんがぐんと頷いた。
「で、私は」
一つ。深呼吸をして。笑顔で。
「実家に二十年幽閉されていました。私には学校に行った記憶がありません。少なくとも物心ついた頃から、実家しか世界がなかったんです。私の存在は実家の外にはなかった。彼女以上の幽霊だったんですよ」
「信じられないわ。なぜ?」
「私の場合は障がいです。母がそれを過剰に心配したんですよ。学校に行かせれば、必ずいじめられると」
店長は、岡田さんに私の無性を明かしていないはずだ。つまり、ここにいる四人の誰もが、私の抱えている障がいの中身を知らない。
「うーん……とても障がいがあるようには見えないんだが」
岡田さんが何度も首を傾げる。
「そうですね。少なくとも、私自身は障がいだと思っていないんです。だから特殊な状況にならない限り、気づかれることはありません」
目を伏せて考え込んでいた佐々山さんが、慎重に尋ねた。
「小賀野さんは……障がいを隠してるの?」
「いいえ。知ってる人はもう知ってますし、それで私とのやり取りが変わったわけでもありません。その程度のことです。ただ、自分からおおっぴらに宣伝することでもないので」
「なるほどねえ」
そう。無性であるかどうかは大したことじゃない。それより、幽閉によって奪われた二十年の弊害の方がずっと深刻なんだ。
「閉じ込められていた家を脱出するまで、私には集団の中で自分の位置や意味を考えるという経験がなかったんです。今は馴化訓練中。彼女も私ほどではないにしても、やはり訓練中です」
「はい。そうです」
めーちゃんが素直に認めた。
「つまり、私たちはまだ幽霊のまま。人間になれたって胸を張って言える状況じゃないんですよ」
ぐるりを見渡す。面倒ごとを避けようとして幽霊の真似をしているカワイソウな人たち。そのうち、本当に幽霊になっちゃうよ。
私たちは絶対にそうはなりたくない。自分を置ける集団があるなら、その中で貪欲にコミュニケーション向上にトライしたい。今もそう。セピアでもそう。そして、これからの大学生活でも。
「人間のくせに幽霊になろうとするのはばかばかしいと思うんですけどね。幽霊は、こんなにいっぱい要らないです」
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