第5話 みみっちい幽霊
セピアを出た時にはにこやかだった佐々山さんが、帰り道ではずっと黙りこくっていた。行きと帰りで別人のようになっている。すごく気にはなるけど、話しかけられるような雰囲気ではなかった。めーちゃんもびびってる。
スーパーの駐車場を抜けたところで、佐々山さんが唐突に口を開いた。
「二人とも、これからお昼ご飯でしょ?」
「あ、はい。スーパーでお弁当買って済ませようと思ったんですけど」
「わかった。午後からは時間ある?」
めーちゃんと顔を見合わせる。佐々山さんは、きっと幽霊の正体に気付いたんだと思う。でも、それをなぜすぐに言わないんだろう。
「今日は二人ともバイトがシフトから外れてるので、空いてます」
「あら。もうアルバイトをされてるのね」
「レンタルショップの店員さんですー」
めーちゃんが、わたしだってそれくらいできるのよって感じで偉そうに胸を張った。でも、佐々山さんが食いついてこない。これまでにない真剣な表情で、私たちを見比べた。
「じゃあ、午後にまた伺っていいかしら」
「お待ちしてますー」
めーちゃんに向かって浅く一礼した佐々山さんは、逃げるように屋敷に駆け込んでいった。
「どうしたんだろう?」
「うー、わかんない……けど」
めーちゃんがシェアハウスの方に振り向いて顔をしかめた。
「確実に出る……ってことなんだよね」
「出る。でも、出る意味がわからない。佐々山さんも同じところで引っかかったんじゃないかな」
「そうか」
◇ ◇ ◇
シェアハウスに一人で残るのが怖かったんだろう。お弁当の買い出しはめーちゃんが行くことになった。二人で行ってもよかったんだけど、佐々山さんがシェアハウスに来た時誰もいないのはまずいから。
しんと静まり返ったリビングで、腕を組んだままじっと考え込む。気配が……消えてないんだよね。ただし、実体を失ってしまった存在があって、私たちに気付いて欲しいのに見つけてもらえないっていう幽霊の王道とは違う気がする。逆だ。見つかりたくないって、息を殺しているような……そんな感じだ。
「うーん」
幽霊って、肉体を失って意思だけが凝ったものという風に理解してたんだよね。わざわざ残そうとする意思なら、ものすごく強くなければならない。さらに、強いだけでなく何かメッセージ性を伴っているはずなんだ。でも、ここの気配からは強い意思や意図の発露が感じ取れない。
お? 帰ってきたな。怖気を振り払おうとするみたいに、ドアの開閉アクションが大きくなってる。
「お待たせー」
「ありがとう。混んでた?」
「いや、がらがら。平日の昼間だとこんなものなんだね」
拍子抜けしたという表情で、それでも恐る恐るリビングに入ってきた。
エコバッグを受け取ってお弁当を取り出し、電子レンジでチン。その間にお湯を沸かしてカップスープを作る準備をする。これからもずっとこんなお手軽食事ばかりなのはまずいんだろうけど、今日はいいよね。
「でさあ」
口いっぱいに頬張った巨大シュウマイに手を焼きながら、めーちゃんが身を乗り出した。
「なに?」
「ルイは、見当がついてるの?」
「ぼんやりとは、ね。ただ、イミフなの」
「イミフ?」
「そ」
さっきから考え続けていたことをきちんと文章にして、めーちゃんの前にずらっと並べてみる。
「幽霊の定番のセリフは『うらめしや』。されたことが恨めしいってアピールしてるんだよね」
「うん」
「ここの気配からは、何かを訴えかけようっていう意図を全く感じないの」
「あ……」
ぽかんと開けた口からシュウマイが転げ落ちそうになって、慌ててもぐもぐごくんしたな。ははは。
「そっか。だから最初は全然気づかなかったんだ」
「あまりに存在感が希薄なの。これまで入居した人たちもそうだったんじゃない? 引っ越し直後はばたばたしてる。弱い気配だとわかんないんだ。でも、入居してしばらくすると落ち着いてくるでしょ?」
「そこで初めてあれーと思うってわけね」
「なの。最初は、誰かが幽霊の真似をして入居者を追い出そうとしてるのかなあと思ったんだけど。違うなあ」
上目遣いになっためーちゃんが、慎重に確かめる。
「どして?」
「追い出すつもりなら、真っ先にそれぞれの居室に来る。逆じゃん」
「あ! 確かに!」
おいしそうにカップスープをすすっためーちゃんが、ほっと一息ついてから首を傾げた。
「なんか、座敷わらしっぽいかも。古い家に棲んでて、家を守ってくれる小さな神様って感じ?」
「そんなありがたみはないなあ。神様は、勝手に冷蔵庫開けてプリン食べたりしないよ」
げほげほっ。スープが気管に入ったのか、めーちゃんがひとしきりむせた。
「うう、確かにそうだー」
「存在感も微弱だけど、することもみみっちい。なんだそれって感じで」
「ニンゲンとしてもユウレイとしても存在感が薄すぎるってことね」
「幽霊の線はないと思うな。間違いなく人。でも……」
続きを話そうと思ったところで呼び鈴が鳴った。
「佐々山さん、来たね。一緒に考えようよ。佐々山さんも私と同じところで引っかかってると思うの」
「わかったー」
◇ ◇ ◇
「ごめんなさいね。何度も押しかけちゃって」
「いえー、佐々山さんには早々に相談に乗ってもらってるので。すごく助かります」
「ありがたいですー」
「あら。それはお互い様よ。こうやって話のできるご近所さんができたのはうれしいわ」
まだ緊張で顔を強張らせていた佐々山さんが、やっと表情を緩めた。
さっき挨拶の時に持っていったお菓子がそのまま戻ってきたので、三人で食べることにする。緑茶を淹れて……と。お客さんの佐々山さんより先にプチまんじゅうに手を出して、もぐもぐ食べ始めためーちゃん。あーあと思うけど。まあ、いいか。佐々山さんも気にしてないし。
佐々山さんはお茶を口に含みながら、さっと話を切り出した。表情がまた厳しくなっている。
「でね」
「はい」
「わたしには、ここに出る幽霊の正体が一つしか思いつかないの」
「前に住んでいた三村さん、ですよね」
私が先に答えたのを聞いて、佐々山さんがにやっと笑った。
「一致、ね」
「ええーっ? だって、スーパーでよく見かけるって……」
「そうなの。だから、幽霊ではなく人。本人」
と、ここまではよかったんだ。でも、佐々山さんの顔つきがさっきよりもっと険しくなった。
「三村さんまではすぐにたどり着ける。でもその先がまるっきり分からないのよ」
やっぱりか。
「私もです。転居したのになぜここにこだわっているのか。そして、どうやってここに出入りしているのかがちっともわからないんです」
「そう」
めーちゃんが、すぐフォローした。
「ホワイとハウ、ですね」
「うふふ。推理小説の根幹だからね」
「はい!」
「でも、現実は小説のようにはいかないわ。わたしも横溝正史や松本清張の著作はいっぱい読んだけど、名探偵の頭まではもらえなかったから」
「佐々山さんに分からないことは、私たちには無理ですよう」
「あら。若いんだから柔軟な思考でいろいろと」
ちぇー。三村さんイコールみみっちい幽霊……そこまではいいんだけど、その先がなあ。佐々山さんでもよくわからない人のことが、私たちにわかるわけないし。
「そうか」
え? めーちゃんが、何か気づいたって顔をしてる。
「なんとなく……わかったかも」
「どっちの方?」
すかさず佐々山さんが食いついた。
「ホワイの方ですー」
「なぜここに、ってことね」
「はい。ヒントはプリンとバスルーム」
「うん」
「お金に困ってるんじゃないでしょうか」
あっ! そ、そうか。
「どうしても空腹に耐えられなくて、こっそりプリンを食べた。銭湯に使うお金がなくて、ここのを使った……ってことね」
「はい。そう考えたら、みみっちい意味がわかります」
「……ちょっと待って。わたしも考える」
ぎゅうっと固く目をつぶった佐々山さんが、数分間ずっと沈黙を保ったあとで唐突に答えを披露した。
「絶対に人間だとばれるわけにはいかない。どうしても幽霊でなければならないってことね」
「はい! 幽霊だとしても、どういう幽霊かがわかったらダメなんです。なんとなくの存在じゃないと」
「そうね。岡田さんに怪しまれてがっちがちにガードされたら、ここを使えなくなってしまう」
「ですです。そこまでは思いついたんですけど、どうやって中に入ったか……ハウのところが」
ううう、だよなあ。
「もう一度家の周りを確認してみましょ」
佐々山さんが勢いよく立ち上がった。私たちも現場撮影用のスマホを持って、歩き出した佐々山さんの後に続く。まだ……何もわかっていない。もっと判断材料が欲しい。
◇ ◇ ◇
最初の巡検はさっとだけだった。佐々山さんがまだ興味本位だったし、私たちにもそれほどの危機感がなかったから。でも、今度は違う。念入りに戸締りを確認し、シェアハウスの周辺に異変がないかをぎっちりチェックした。
出入り自由の幽霊の方がずっとましだよ。勝手に入り込んでいるのが面識のない他人だと、最悪警察沙汰になってしまう。ホンネを言えば、まだ落ち着かない今の段階で大騒ぎにはしたくない。親にまで跳ねちゃったらここを出ろと言われかねないから、どうしても落とし所を考える必要がある。
「うーん、幽霊は映らないって言った岡田さんのセリフそのものだなあ」
「だよねえ」
めーちゃんと顔を見合わせてがっくり肩を落とす。異常らしい異常はどこからも見つからなかった。
窓の施錠は全く異常なし。玄関ドアの鍵は新式のディンプルキーに替わってるから、マスターキーがないと合鍵は作れないって聞いてる。かつて勝手口があったかもしれない場所は、今はしっかり壁で塞がれている。外から開けられそうなドアや隙間はなかった。
収穫があったとすれば、まるっきり別のことだった。メモ帳に何か書き込んでいた佐々山さんに聞かれたんだ。
「ねえ、二人とも。洗濯物をどこに干してるの?」
「あ、不用心だから外に干したらだめって言われてるんですよ。今はユニットバスのドライ機能で少し乾かして、あとは各自の部屋で部屋干しなんです」
「電気代かかるわねえ。お部屋が湿気っちゃうし」
ううう、その通りです。でも、どう考えても外には干せない。前の人たちもどうしてたんだか。と、そこに天の声が。
「じゃあ、うちに干しに来ない?」
「えええっ? いいんですかあ」
めーちゃんが飛び上がって喜んでる。やっぱ、外に干したい派なんだろなあ。もちろん、私もそうしたい。
佐々山さんは、干し場の融通は単なる厚意だけじゃないのって、説明を足した。
「年寄りの一人暮らしは不用心なの。洗濯物の干し方で、独居老人だってことがバレちゃう。ダミーの洗濯物をぶら下げてたんだけど、着ないものを洗って干すのは馬鹿馬鹿しいし結局ばれちゃうから」
「そうかあ。たかが洗濯物、されど洗濯物なんですねー」
「もちろんよ。外から見えるように下着干してる女の子がいるけど、信じられない。肉食獣に餌やってるようなものよ。下着泥棒ならまだしも、狼だってうろうろしてるんだから」
めーちゃんが、ひょっと首をすくめた。何も考えてなかったんだろう。マンションの高層階だと、防犯上の心配はしなくてもいいもんね。てか、めーちゃんの洗濯物を丈二さんが洗っていたのかもしれないし。それも……なあ。
それにしても。佐々山さんと知り合えたことで、ゴミや洗濯干しの生活上のモンダイが続々解決しつつあるのに、厄介な幽霊だけが追い払えない。ううむむむ。
「ねえ、二人とも。何かおかしいと思わない?」
「おかしい……ですか?」
めーちゃんが、目をくりくり回した。
「うん。幽霊ならともかく、人間なら必ず何かしらの痕跡が残るはずなの。足跡とか埃についた手の跡とか。でも、ここまで痕跡がないってのは……あまりにクリーンすぎる気がするの」
「確かに!」
ぶんぶんと派手に頷いためーちゃんは、座敷わらしに続いて見事な大ボケをかました。
「どらえもんのどこでもドアがあるみたい!」
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