第4話 茶論セピア
私たちより確かな足取りでさっさと歩き出した佐々山さんの後ろを、必死についていく。歩くっていうより、走るに近いスピードだ。本当に八十過ぎてるんだろうか? 私たちの方が年寄りに感じちゃう。とほほ。
スーパーの駐車場を抜けて幹線通りに出た佐々山さんは、駅とは反対方向、大学のある山王の方に向かって歩き始めた。通りに面した店は、私たちが最初に探検した時に結構チェックしてる。まだばたばたしてるから、実際に入ってみた店は限られてるけど。
「佐々山さん。聞き込みって、どこでやるんですか?」
「すぐそこよ」
すぐそこ? めーちゃんと顔を見合わせていたら、三分も歩かないうちに一軒の煤ぼけた家の前で足をとめた。
「ここって……」
一般の家みたいだけど、表札が出ていない。佐々山さんは呼び鈴を押すでもなく、ドアをノックするでもなく、古びた木製のドアを勢いよく引き開けた。
「こんにちは!」
「いらっしゃあい……」
ぱりっとした佐々山さんの声とは対照的な、眠そうでにょろんとした男の人の声が。
「ああ、はっちゃんか。久しぶりだね」
「おひさです」
灯りはついてるけど、薄暗い。目が慣れなくて、中の様子がすぐにはわからなかった。喫茶店……なのかなあ。でも、カウンターみたいのがない。しゃれっけのない木の丸テーブルが五つ。その四つに椅子が四脚。椅子が置かれてない手前のテーブルには、ポットとティーカップ、紅茶と緑茶のティーパックが乗ってる。一番奥のテーブルの真ん中には、大きめの白い招き猫が鎮座している。
で、眠そうな顔のおじさんが、招き猫の横であくびを何度もぶちかましながら雑誌を読んでいた。年は店長や岡田さんより上っぽい。五十は越してそう。着ているのはよれっよれの黒いスウェット上下。足はサンダル。それも煮しまった茶色の年季ものだ。四角い顔で目がぎょろっと大きいけど、それを半分以上閉じてる感じ。無精髭だらけで、どうにもむさ苦しい。めーちゃんが一番警戒しそうな、こってこてのおじさんに見える。そして、ヘアスタイルがぶっ飛んでいた。髪が硬くて長いらしく、下ろすと制御できないから上行けよおまえ……ってな感じで真っ赤なバンダナで真上におっ立ててる。なんか、どこかで見たことのある形だ。
「パイナップルみたい」
背後でこそっとめーちゃんの声がした。そうそう! それそれ! って、普通なら笑うところだけど、今は警戒心の方が上を行っていた。
何かを探すようにきょろきょろ店内を見渡していた佐々山さんは、がっかりしたように男の人に話しかけた。
「ツインは今日はいないのかあ」
「そのうち来るだろ。日課だからな。まあ、座ったら?」
「そうね」
「そっちは?」
おじさんが私たちを見比べる。
「もうすぐ大学に通い始める学生さんよ。うちのすぐ側に越してきたの」
「ありゃりゃ。さてはアパート探しに出遅れたか」
う……。一発で見抜かれた。正直に答えるしかないな。
「はいー。全滅で」
「ああ、だからシェアってことだね」
「はい」
佐々山さんと違って、おじさんは特にリアクションしない。乾いてるっていうより、枯れてる感じがする。
「山王だろ?」
「はい」
「あすこは、町全体が学生向けにリニューアルされてる。おしゃれだが家賃は全体に高めなんだよ。
「まあまあ、座って話をしましょ」
佐々山さんは、おじさんが陣取っているテーブルの招き猫の頭に硬貨をぽとんと落とし入れた。な、なんだあ?
「ああ、説明してなかったな。ここは
「へ? 違う……んですか」
初めて喫茶店に入るーって期待感がもくもく沸き始めていたらしいめーちゃんの声がぺしゃっと潰れる。
「俺はマスターって言われるけど、この店のオーナーってだけで何もしない。口以外は動かさない」
なんじゃそりゃ……。
「俺がやってるのは場所の提供さ。五百円は場所貸し料だな。食い物はない。飲み物はそこにティーパックがあるから自由に淹れて飲んでいい。お湯の入ったポットは、そこな。飲む食べる系の持ち込みはご自由に。ゴミだけは持ち帰って。あとは特に制限なし。好きなだけしゃべり倒していってくれ」
唖然。そういう商売の仕方で成り立つんだろうか。佐々山さんがにやにやしてる。
「おもしろいでしょ?」
「おもしろいですけど、お客さん、来るんですか?」
「来るぜ。いっぱいではないけどな」
もう一回大きなあくびをぶちかましたマスターが、半開きだった目をぽんと開いた。
「看板上げてないのは店が狭いからだよ。芋洗いじゃ場として機能しなくなるんだ。知ってるやつだけ来ればいい。ここはそういうところにしてる」
「そうか。サロンていうのはそういう意味なんですね」
「お茶の茶の字に議論の論だが、茶ぁしばくってのは言い訳だ。本筋は論の方。好きなだけくっちゃべってくれていい」
すでにおじさんがいっぱいしゃべってるから、雰囲気がだんだんわかってきた。私もめーちゃんも五百円玉を招き猫のてっぺんからぽとんと落として、近くの椅子に座った。
「お? ほら、来なすった」
マスターが扉を指差す。わいわい賑やかな女性の声がしたなと思う間もなく、ばたんとドアが開いて、おばあちゃんが二人なだれ込んできた。
「マスター、おはようさん……てあれ? はっちゃんじゃないの。久しぶりねえ」
「はあい」
「しかも、若いの二人連れてぇ。やるぅ」
「やるぅって、なによそれ」
「ぎゃははははっ!」
の、のりが違う。いきなり全開だ。あわわわわ。そうか。この二人がさっき言ってたツインなのかな。双子にはとても見えないから、いつも二人で行動してるってことなんだろう。
「そうそう、あんたたちに聞きたいことがあるのよ」
勢いに飲まれて雑談に走りそうになっていた空気をさっと引き戻した佐々山さんが、肝心な話を切り出した。
「なになに? おもしろそうなこと?」
「間違いなくおもしろいわ。三村さんが住んでた平屋、知ってる?」
「ああ、空きになってたとこね。陰気ねーさんが出てからは、入れ替わり立ち替わりでごちゃごちゃ出入りしてたみたいだけど」
陰気ねーさんて。言いたい放題だなあ。でも、あの家に興味がなかった佐々山さんと違って、ちゃんと人の出入りはチェックしてるんだ。なるほど……。
「この子たちはそこに入ったの。シェアで」
「へえー」
無遠慮な視線がぶっすぶす突き刺さる。きっと妄想が爆裂してるんだろなあ。とほほ……。
「でね」
「うん」
「出るっていうのよ。これが」
佐々山さんが幽霊の真似をする。
「へえー。まあ、あたしたち以上に老いぼれたぼろ家だからねえ。何が出てもおかしくはなさそうだけど」
「そういう話、聞いたことある?」
「ない」
おばあさんたちは、口を揃えて速攻否定した。
「ないないない。そんなおもしろそうな話をあたしたちが聞き逃すわけないでしょ。今まで、そんな話は一つも聞いたことない」
なるほどなあ。このおばあさんたちは、荻野の各種ネタをくまなく拾ってここで思う存分しゃべり倒してるんだ。
マスターも変だなあという顔で、首を傾げた。
「俺も聞いたことないなあ」
ぐんと頷いた佐々山さんが、私たちの方に向き直った。
「ということね。つまり、三村さんが住んでいた頃には出ていなかった。三村さんが退去してから出始めた」
「鍵は三村さんにあるってこと、ですね」
「あたり。でね」
佐々山さんが追加でツインに確かめる。
「わたしの気のせいかもしれないけど、三村さんをスーパーでたまあに見かけるのよ」
「ああ、来てるよ。毎日ではないけど、ちょくちょく。店に来る時間帯がはっちゃんとずれてるだけじゃない?」
「あ、そうか……」
「陰気ねーさんは、こてこての間際族だからね」
なんか、初めて聞いたコトバが……。
「あの、間際族ってなんですかー?」
話のテンポに置いていかれそうになっていためーちゃんが、慌てて口を挟んだ。
「べっぴんさんねえ」
「あたしたちの若い頃みたいだ」
「嘘おっしゃい!」
「ぎゃははははっ!」
ここまで真正面からイジられると、リアクションのしようがないよね。でも、諦め顔のめーちゃんを置き去りにして、話はだだあっと進んでいく。
「間際族っていうのは、閉店間際の値引きを狙う老人の群れよ。もちろん、あたしたちも間際族ー」
どてっ。めーちゃんがずっこける。
「あんたたちも値引き狙いかい?」
「あのスーパーのお惣菜はおいしいので」
「でしょでしょ? あたしたちが、味が濃すぎる、油がきつすぎる、量が多すぎる、なんとかせーと連日連夜文句を言い続けた甲斐があったわー」
す、すご……。そのお惣菜を値引き後に買うってか。おそるべし、ばあちゃんパワー。
「で、陰気ねーさんなんだけどさ。ちょっと謎なんだよねえ」
「ほ?」
おばあちゃんの一人が、シワだらけの口をすぼめる。佐々山さんが、ほら来た、ヤマが当たったという表情ですかさず突っ込む。
「謎……って?」
「あの家を追ん出されたら、住める場所なんてアパートしかないでしょ。必死に見切りあさってるくらいだから、家とかマンションとか買う甲斐性はまるっきりなさそうだし」
「うんうん」
「でもさあ。荻野にはアパートが一つもないよ。道路挟んで向いの里宮もおんなじ。再開発して建てるには土地区画が小さすぎるからねえ」
佐々山さんがメモ帳にペンを走らせた。
「もっと山王寄り、駅寄りでアパート借りるなら、あのスーパーより近くに買い物できる店があるってことか」
「そう。特売狙いとかなら、はっちゃんが言ったみたいにたまあにしか出くわさないよ。でも、あたしたちはよく見かける」
「どういうこと?」
「さあ、あたしらにはわかんないわ」
そうか。ツインにとっては、話のネタになるかどうかが最重要で、佐々山さんみたいにとことん突っ込むつもりはないんだ。噂話との区別をつけない浅さは、同時にどろどろには足を突っ込まないよという用心にも見える。がらっぱちになんでも話をしているようでいて、ちゃんと線引きをしてあるんだろうな。
佐々山さんが欲しかった情報はゲットできたんだろう。さっとメモ帳をポケットにねじ込んで、席を立とうとしたけど。
「あら、はっちゃん、もう行くの?」
「散歩の時間なのよ」
「何言ってんの。五百円分元を取らなきゃ」
と言ったツインに引きずり下ろされてしまった。マイペースの佐々山さんにとって、だらだら無駄話で時間を食い潰されるのは苦痛なんだろなあ。
やっとあくびの連発が止まったらしいマスターが、まだ眠そうな声で私たちに聞いた。
「二人とも、必要なものは揃ったかい?」
佐々山さんがツインにいじられる前に先手を打ったんだろう。マスターは手慣れてるな。
「だいたいは。やってみないと過不足がわからないところもあるので」
「あ、そうだ」
めーちゃんが、さっとスマホを出して画面をいくつかスワイプした。
「こんな感じのローテーブルを探してますー」
「ああ、自室で使うってことだね」
「はいー。リビングのは食事専用にするつもりですー」
「どれどれどれどれ」
マスターと佐々山さんを押しのけて、ツインが顔を突っ込んできた。
「ああ、普通の座卓はやめといた方がいいよ。場所食ってしょうがないから」
「そうなんですか?」
「畳める安いのは足がちゃちでぐらぐら。高いのは大きすぎて置き場に困る。ちょうどいいってのはなかなかねえ」
私も欲しいと思ってたから、思わず腕を組んでうなってしまった。
「うー。どうすべ」
「うん……」
「ああ、あんたたちが欲しいなら、孫の使ってたのをあげるよ。変わった折り畳みのがあるんだ」
「いいんですか?」
めーちゃんが変わったのところに反応した。
「ちょっと、その家具屋のを見せてくれるかい?」
スマホを受け取ったツインの一人が、老眼鏡をかけて画面を器用にスワイプしてる。
「ほら、こんなのだよ」
足がZ型の、おしゃれな折り畳みサイドテーブルだ。げ……二万もするの? すっごく高級なやつじゃん。さすがのめーちゃんもずうずうしいと思ったのか、もう一度確かめた。
「あの……ほんとうにいいんですか?」
「孫はねえ、かっこいいからって買ったのに、結局一回も使ってないんだ」
「うそお!」
「勉強嫌いだからねえ」
どてっ。二人してずっこけてしまった。
「はっはっは。まあ、そんなもんさ。勉強漬けでダイガク入って、ああやれやれっていう気持ちもわかる。ただ、手付かずでぽいはもったいないじゃないの」
「うわあ、じゃあ、ぜひ!」
「机だって、べっぴんさんに使ってもらった方が嬉しいでしょ。マスターに頼んでここに運んでもらうから、持ってきなさい」
「ありがとうございます!」
ほくほく顔のめーちゃんを見て、ちびっと落胆する。ちぇ。やっぱレディファーストだよなあ。私だけでなくマスターも苦笑いしてて、ひょいと口を挟んだ。
「君のは俺が融通してやるよ。知り合いにセコ扱ってるやつがいる。フォールディングタイプは学生時代にしか使わないから、出物はあるはずだ」
「やりぃ! すごく助かります!」
にこにこ顔でやり取りを見ていた佐々山さんが、さらっと言った。
「サロンていうのはこういうところなの。ここに来たら捨ててっちゃだめよ。五百円分、ちゃんと拾わなきゃ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます