第3話 はっちゃんチェック
私たちが挨拶に行くまで、シェアハウスは佐々山さんの意識の中で「なかった家」だったんだろう。サイボーグ感のあるぼろ家だから変な顔をされるかと思ったら、いきなりがつっと腕組みしてうなった。
「ううーん。岡田さん、いい腕ねえ」
「へ?」
「いや、正直言って、ここいつ倒壊するかなあって心配だったのよ。見事に修復されたわね」
そっか……今でも十分おんぼろなんだけど、それ以上に悲惨だったんだな。
「岡田さんは、本当にものを無駄にしないんです。私たちも家電や家具をずいぶん融通してもらいました」
「わたしたちの若い頃はみんなそうだったの。今が贅沢すぎるのよ」
さらっと言った佐々山さんは、玄関前に立つなり、例の看板を見て大きく頷いた。笑わない……な。
「これも岡田さん?」
「はい、そうです」
「防犯用ね」
わ! すごい。一発で意図を当てた。
ぐるりと家の周囲を見回した佐々山さんが、ぴっと何かを指差す。
「防犯カメラが二台。ダミーじゃなく、本物か」
「どうしてわかるんですか?」
「セットしたのが岡田さんだからよ。彼は楽観論には立たない。起こりうる最悪の事態から逆算してしっかり備えるの。とても慎重な人よ」
そうか。仕事上大事だからというだけじゃない。佐々山さんとしっかりコミュニケーションを取ってることがよくわかる。
「わたしは自治会の防犯部長を長くやってたの。その頃ご近所さんは全て顔なじみ。だから泥棒とか押し売りとかに地区としてどう対処するかを考えればよかったの。でも、今は近隣とのリンクが切れてしまってるでしょ?」
「はい……」
「だったら自力で備えるしかないわ。できる対策は全てしないとね。岡田さんは、そこがすごくしっかりしてるの」
「そう思います。いろいろ考えてくれるので、本当に頼りになります」
「当然よ」
佐々山さんが不似合いにごつい玄関扉を拳でこつこつ叩いた。
「彼は……自分の社から絶対に事故物件を出したくないのよ。だからこそ、これでもかと先回りする。慎重すぎるほど備えるの」
そうか……。
「でもね、人目に勝る防犯効果なしなの。あなた方が来てくれて、わたしとリンクをつないでくれて、本当に嬉しいわ。物騒なご時世だからね」
「こちらこそ!」
「じゃあ、早速調査しましょ。事件はゲンバで起きてるんだ!」
めーちゃんは必死に堪えていたけど、とうとう堪え切れなくなってげらげら笑い出した。
ギャグが受けてえへん顔してる佐々山さんを見て、なるほどなと思う。何事にも筋を通そうとする怖そうなおばあさんというイメージとはまるっきり違っていたけど。だからと言って適当に話したり、いい加減にふるまっている感じはしない。好奇心が強くて、物事の根源をどこまでも突き詰めようとする。そういう筋の通し方なんだ。ちょっとだけ父……植田さんに近い匂いがするかも。
「どうぞ、お入りください」
「お邪魔しますね」
靴を揃えて邪魔にならないところにどかした佐々山さんの所作が、とても優雅だ。見習わないとなあ……。
「ふうん」
外見とは違う、きれいに改装された廊下や各室をさっと見て回った佐々山さんは、これまで内覧で来た誰とも違う感想を切り出した。
「岡田さんもいい腕だわ。しっかり見極めた上で手を入れてる。この古家は築五十年以上経ってるわね」
「うそお!」
めーちゃんが慌てて室内を見渡す。
「とてもそんな風には……」
「でしょ? 化粧をすれば見てくれはきれいにできるの。でも骨格はそうはいかない。いかに平屋だって言っても、土台がイってたら危なくて住めない」
「……」
視線が足元に釘付けになってしまった。
「岡田さんがずっとここの大家さんだっていうなら別だけど、三村さんが借りてた頃は違うはず。つまり、これまでの大家さんがこの家をとても大事にされてて、防蟻、防黴、防腐といった家を長持ちさせるための手当てをちゃんとしていたんでしょう」
「なるほど」
「それが確かめられたから、岡田さんがリフォームすることを決めたんじゃないかな」
確かに。ぞんざいに扱われていた本当のぼろ家なら、いかに岡田さんでも諦めていたかもしれない。でも、この家はまだ生きていたんだろう。
最初に岡田さんに見せてもらった時、なんか気配を感じたんだよね。ユウレイのではなく、ちゃんと人が住んで暮らしていたんだっていう歴史の気配を。
リビングから廊下に出た佐々山さんがすたすたと再奥に歩いていって、カーゴスペースをチェックする。今はゴミ袋が山積みになってて恥ずかしい。
「やるわねえ。分別してるだけでなく、かさを減らしてるし、出しやすいように梱包もしてある」
「私が前に住んでいたところが、すっごく厳しかったんですよ」
「うん、そういう経験はちゃんと生きるよね」
佐々山さんはそれ以上は突っ込まず、壁をすうっとさすってからこんこんと叩いた。
「ここだけ後付け……か」
「前に縁側があったところじゃないかって、岡田さんが言ってました」
「そうね。背後の家やスーパーが建つまでは畑か空き地で、庭のスペースがなくても和める空間だったんでしょ」
「なるほどー」
ぐるっと周囲を見渡した佐々山さんが、うんうんと何か納得している。
「うちの履歴に近いのかもしれないわ」
「え?」
「この家ね、最初はもっと広かったはずよ。大邸宅ではないけど、あと二間くらいはあったと思う」
「どうしてわかるんですか?」
めーちゃんが直に聞いた。
「窓がおかしいのよ。リビングの窓は道に面した側にしかない。本来ならキッチンの反対側、側面にもあったはずなの」
あっ! 言われてみれば。
「隣との距離が狭いから窓はつけないってことなら、私たちの部屋にも窓がないはずですよね」
「そう。おかしいでしょ? つまりキッチンの反対側にはふすまで仕切られた客間と寝室があったはず。それをあとから切り取ったんだと思う」
「奥と同じで、壁で塞いだんですねー」
「ええ」
うーん……。
「どうしてそんな風にしたんでしょう?」
「わからないわ。ただ、わたしがオーナーならそうするかもしれない。実際、うちも同じように改築してるし」
「は?」
めーちゃんはよくわからないという顔をしている。でも、私にはなんとなく理由がわかってきた。
「住んでいる人が減ったから……でしょうか」
「いい勘ね。そう思う」
くるっと振り返った佐々山さんは両手を腰に当てて、ゆっくり天井を見上げた。
「わたしが今住んでいる家は、以前主人の両親が住んでいたところなの。主人が成長して家を出るまではまだ祖父母が生きていたから賑やかだったでしょうね。昔は当たり前だった、三世代同居の生活スタイル」
「……」
めーちゃんがつられたように天井を見上げる。低い、でも包まれ感のあるクラシックな天井を。
「祖父母が亡くなり、主人が就職して家を出た。主人の両親だけがぽつりと大きなお屋敷に住む。寂しくない?」
「そうですね……」
私もめーちゃんも俯いてしまう。
「義両親はおおらかで明るい人だったの。わたしはここに遊びに来るのが大好きだった。東京ではずっと狭い社宅暮らしで、子供を遊ばせる場所を探すのに苦労していたからね」
「え? ずっとあのお屋敷で暮らしていたんじゃないんですか?」
この地区の顔だって聞いてたから、てっきり先祖代々ずっとなんだと思ってた。
「違うの。私と主人は職場結婚でね。ずっと都内の社宅暮らしよ。ここからだと通うのが……ね」
「あ、そうかあ。ラッシュとか」
「ええ」
ふわっと柔らかく微笑んだ佐々山さんが、話を続ける。
「主人が定年退職して、住むなら都内でない方がいいとここに戻ることにしたの。息子たちはもう独立してたから、じじばばだけってことね」
ぱちんとウインクされて、返事に困る。
「でも、わたしたちの入居は義両親の施設入居とほぼ同時になったの。義両親揃って要介護になってしまって。わたしはお世話するつもりだったんだけどね。固辞された。あんたたちはもうのんびりなさい。そう言われて」
「賑やかになると思ったのに、ご主人と二人になってしまったんですね」
「それも、たった三年よ。主人がばたんきゅー」
いきなり忿怒の形相になった佐々山さんが、ぺっと文句を吐き出した。
「ったく、根性なしが!」
うう、そこまで言うか。
「立て続けに三つお葬式を出す羽目になっちゃった。そうしたら、あんな広いところは一人じゃ住み切れないわ」
「売ろうとは……思わなかったんですか?」
おずおずとめーちゃんが確かめる。
「わたしがもし主人だったら。直系の相続人だったら、そうしたかもね。でも、わたしは嫁よ。できないわ。息子や孫に選択を任せるしかない。その代わり、居住空間を絞ってコンパクトにさせてもらったの」
真っ直ぐ前に伸ばされた右手の人差し指が、ぐるうっと回って私たちの前に戻って来た。
「話がわたしのことに遠回りしちゃったけど、ここもそうじゃないかと思ったのよ。最初は家族で住んでいた家。でも、子供の独立で一人減り、二人減り、年寄り夫婦のどちらかが逝けば、最後は一人になる。広さが虚しさを連れてきてしまう」
「そうか。それで、ぎりぎりまでコンパクトに」
「節税とか、財産確保とか、他に理由があったかもしれないけどね」
そのあと、目を瞑ってじっと考え込んでる。
「長く住んでいた三村さんは、この家とも大家さんとも相性がよかったんでしょう。一人住まいには広いけど、二部屋の一つを寝室、一つを物置代わりに使えばぴったり。女性だから丁寧に使っていたんでしょうし、大家さんが独りなら、同じ独りの三村さんとは心情的に響き合ったはず」
「じゃあ……なんで退去したんでしょう?」
「それも、三村さん本人に聞かないとわからないわ。ただ、大家さんが亡くなって他の不動産屋さんが扱うようになれば、家賃交渉が難しくなる。そこらへんじゃないかと思うけどね」
なるほど……。贅沢さえ言わなければ、家賃五万円台のアパートがあるはず。でも一軒家だと、いかにぼろ家でも六桁近くになっちゃうもんなあ。
「ということで。わたしには、ここに幽霊が出る理由が何も思いつかないの。出るとすれば、見るからに気が小さい三村さんが我慢できるわけないもの。でも、岡田さんは出ると言ってるわけね」
「岡田さん本人が見たわけじゃなく、三村さんのあとにここを借りようとした人たちが……ですけど」
「そうか。小賀野さんの見解は?」
「岡田さんとも意見が一致したんですが、幽霊よりも人に用心した方がいいかなと」
考え込む様子を見せた佐々山さんが、慎重に探りを入れてきた。
「何か……兆候が?」
めーちゃんをびくつかせたくなかったから伏せてたんだけど、そろそろオープンにしておこう。
「大したことではないです。冷蔵庫のプリンが一つ消えた。それと、私や彼女が使っていないのに、早朝バスルームの床が濡れてる」
「えええーっ?」
めーちゃんの顔から血の気が引いた。
「そ、そんな……」
「でもね、人だとしてもおかしい。泥棒なら必ず家探ししますよ。金目のものがあるかどうか」
「ええ、そうね」
「少なくとも、私は自室で異変を感じたことはないんです。めーちゃんは?」
こわごわ首を横に振ってる。
「つまり、人の気配があったのはリビングとバストイレユニット。そこだけってことね」
「はい。それに、監視カメラは常時回りっぱなしなんですけど、不審者が映っていたことは一度もないんです」
「……だから幽霊、か」
佐々山さんが、ほとんど目をつぶったまま小さく呟いた。
「泥棒の線はないわ。泥棒ならもっと立派な家を狙うはずよ。変質者だとしてもおかしい。だって、あなたたちの前にも出没してるってことでしょ? 幽霊と勘違いしてこれまで入居した人が逃げ出しているのなら、実害らしいものは何もなかったはず」
「はい。気配だけってことですよね」
「そう。そこだけは幽霊なの。半分人間で、半分幽霊? そんなのありえないわ」
気分はすっかり名探偵なんだろう。佐々山さんが、ぱかっと目を見開くなり大声で言った。
「ゲンバのチェックはこれくらいにして、聞き込みに行きましょ」
き、聞き込みーっ?
「どこに……ですか?」
「そりゃあ、情報屋が集まるところよ。ついといで」
ううう、すっかり佐々山さんのペースに巻き込まれてしまった。でも、この辺りの経緯と状況を知ってる佐々山さんが、現時点では一番頼りになるんだ。腹を括った方がいいな。
おもしろいおばさんネタで盛り上がってた気分がいきなり幽霊ネタでぺしゃんこになっためーちゃん。泣きそうな顔で私の背後に張り付いてる。気持ちは……わかる。
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