第11話 花見弁当の仕込み

 明けて翌日。朝からぴーかんだ。気温がぐんぐん上がってるから、間違いなく今日一気に満開になるだろう。午後にのんびりお花見をするには、午前中のスケジュールをさくさくこなさなければならない。

 時間ぴったりに荻野駅の改札を出てきたユウちゃんと合流して、そのまま開店直後のスーパーに直行。三人できゃいきゃい大はしゃぎしながら、どっさりの食材を仕入れた。やっぱり和食より洋食系になるんだよね。私はめっちゃ嬉しい。


 シェアハウスに案内したら、ユウちゃんは岡田さん力作の看板を見て大受け、ばか笑いしていた。女の子二人が看板を指差してにっこりっていうポーズをスマホで撮って、ユウちゃんのスマホに転送する。


「画像をご両親に見せてね。勉強教えてくれるのは、このお姉さんだよーって」

「はい!」


 女子寮の看板があれば、大人の信用度がぐんと上がるだろう。私は懸念材料を一つ減らせる。


「さ、入って」

「おじゃましまーす」


 興味深そうにリビングを見ていたユウちゃんは、普通の家みたいだあとヘンなことを言ってる。いや、間違いなく普通の家なんだけど。くす。

 ナマモノ系の食材を冷蔵庫に格納してから、ユウちゃんの期末試験結果をチェックする。そんなのあとでいいようってぶーたれてたユウちゃんに、しっかり釘を刺しておく。


「楽しいことと楽しくないことがある時には、楽しくない方を先にこなす。原則だよ。いやいややることを残しちゃうと、せっかくのはっぴぃ気分が台無しになるでしょ」

「う……そうですね」

「これから勉強ってわけじゃなくて、弱点チェックだけだからすぐ終わるよ」

「はあい」


 ところが。見せてもらった答案用紙を見て、私とめーちゃんそろって目がテンになってしまった。


「ちょっと! みんな85点以上じゃん! 平均90点超してるんじゃない?」

「うわ。ユウちゃん、頭いいんだあ」


 喜ぶかと思ったユウちゃんは、しゅんとなっちゃった。ああそうか。なんとなく……わかってしまった。思わず天を仰ぐ。


「なるほどー。だから友達ができにくいってことなんだね」

「……」


 ユウちゃんが小さく頷く。


「どういうこと?」


 わからないという風にめーちゃんが聞いたから、勉強ではない例をあげることにする。


「学校に行けなかった私。学校までしか外に出られなかっためーちゃん。学校に行ってるけど友達ができないユウちゃん。似てるように見えて、実は全然違う。事実としてね」

「事実?」

「そう。二人とも学校には行けてた。私は学校に行けなかった。だから私はユウちゃんやめーちゃんがうらやましいの。行けた人に嫉妬しちゃう。あんたはいいよねえって」

「……」


 二人がこそっと顔を見合わせた。


「あくまでも例えだよ。で、『学校に行ける』のところを『頭がいい』に置き換えてみて」

「あっ!」


 めーちゃんは呆然としてる。ユウちゃんは泣きそう。


「……ってことなの。でも勉強ができるってのは、ものすごい能力だよ。得にはなっても、損することなんか絶対にない」

「そう……ですか?」

「そりゃそうだよ。将来の選択肢がすごーく広がるもん」


 お医者さんになりたいとか弁護士になりたいとか、なりたいものはあっても、資格を取る学力がないと実現できない。たくさんある選択肢の中から自分にぴったりのものを選ぼうとするなら、頭が良くて困るってことはないんだ。

 学歴でハンデを背負ってる私が、知能でもハンデを背負うと選択肢がまるっきりなくなる。私は……必死だったの。凡才でいいけど、人並みではありたいってね。


「あのね、ユウちゃん。私は店長に言われたの。ものじゃなく、ものことでネタを作れって」

「あるもの、できること……ですか?」

「そう。勇気が。前に出られ。自分を推せ。そういう『ない』をどれだけ積み重ねてもおいしいネタにはならないの。暗くなっちゃうからね」

「うう……」

「たまに自虐ネタかますくらいはいいけど、そればかりになったら自分も聞いてる方も辛くなるでって、がっつり警告されたの」


 ユウちゃんの自己肯定感の低さには年季が入ってるんだろう。なかなか顔が上がらない。じゃあ、もうひと押し。


「勉強できることをネタにしたくないなら、他に推せるものをネタにしようよ。わたし、これならできるよって。たとえば料理とかさ」

「えええっ?」


 私がむふふ顔をしたのを見て、ユウちゃんがひきつってる。


「ユウちゃんくらいの年頃だったら、スイーツ一択でしょ。めーちゃん巻き込んで一緒に腕磨いたらいいよ。めーちゃん、食いしん坊だし」

「ちょっと、なによそれっ!」


 ぷうっとむくれためーちゃんの猛抗議を柳に風と受け流す。トラットリア・リドでの豪快な食べっぷりは、のちのちまで語り草になると思うよー。いひひのひ。

 ユウちゃんも、今までは食事系メインだったと思う。スイーツは別腹……いや別口でしょ。


「スイーツかあ。確かにあんまりやったことなかったかも」

「でしょ? それにスイーツだったら、友達に配るとかいろいろ応用効くんじゃないかなあ」

「あ、そうですね!」


 ユウちゃんの学力が予想以上に高レベルだったから、めーちゃんの役割は変わってくるね。本番までユウちゃんのモチベーションが落ちないよう、精神的なサポートをすることが優先になる。具体的には話し相手かな。なんでも話ができるお姉さんでいいと思う。

 学力を上げてあげなきゃっていうプレッシャーが減れば、めーちゃんも気楽に絡めるでしょ。年の離れたトモダチって感覚かな。


 へこみかけてたユウちゃんをよいしょで浮上させたところで、勉強絡みの話はもうおしまい。さあ、いよいよお弁当の仕込みだっ!


◇ ◇ ◇


 おみそれしました……。いやあ、すごいわ。ユウちゃんが料理得意ですって言ってたのは誇張でもなんでもなかった。親が共働きで早くから料理の手伝いをしているせいか、人数分の食事を作ることには慣れているんだろう。手際の良さが半端ない。


 分量が適当じゃなくて、全部アタマの中に入ってる。包丁さばきもお見事そのもの。切り方もきれいに形が揃ってて、ぶきっちょな私やめーちゃんは恥じ入るばかりだ。ネットのレシピをチェックして同じように作るにしても、段取りと手際によってかかる時間と出来栄えがまるっきり違っちゃうんだろなあ。

 あと、すごく合理的なんだよね。下味つけるのにお皿やボウルを使わないで、ビニール袋や肉魚のトレイで済ませちゃう。片付けや洗い物の手間が最小になるようにちゃんと考えてるんだ。奥が深いなあ……。

 春巻きやフリッター、フライみたいに油を使う料理でもユウちゃんは一切物怖じしない。こわごわ覗き込んでためーちゃんが小声で確かめた。


「ユウちゃん、油、怖くない?」

「お兄ちゃんもお父さんも揚げ物系大好きなんです。怖いとか言ってられません」

「うひぃ」

「でもぉ、IHってすっごい楽ですよー。火加減一定だし、鍋に火が入る心配ないし、でこぼこなくて後片付け楽だし。うちも欲しいなあ……」


 ひええ。もう完全に主婦だよ。料理の腕前もすごいなあと思ったけど、食材を使い切るセンスがまたすごい。人参や大根の皮はカレー粉を使って洋風きんぴらに、剥いたジャガイモの皮は素揚げしてチップスに、ブロッコリーの茎はレンチンしてサラダの付け合わせに。玉ねぎの皮とかのくず野菜まで、スープの出汁取りに無駄なく使ってる。だから、生ゴミが最小限しか出ない。

 思わずぼやいてしまった。


「とんでもなく甘かったなー」

「えー? なんですかー?」

「いや、店長にがっつり鍛えられて、だいぶ倹約思考を鍛えたつもりだったけど、甘々だあ。ユウちゃんの主婦力、おそるべし」

「自慢にならないですー」

「いや、自慢した方がいいよ」


 すかさず、横からめーちゃんが口を挟んだ。


「女子校の調理実習でも、やらない子は最後までやらないの。包丁おっかないとか火傷こわいーとか、いろいろ言い訳するけど、本当は面倒臭いだけなんだよね。最初からやる気ないんだ」

「めーちゃんは?」

「面倒臭い」


 これだよ。


「でも、料理できる子はできるからやるんじゃないんだよね。作るのが本当に楽しいみたいなの」

「ふうん。そうなのか」

「うん。わたしは料理めんどいなあと思うけど、生き生きと楽しそうに作ってる姿を見て、すごくうらやましかったの」


 揚げたての芋皮チップスをひょいとつまみ食いしためーちゃんが、はふはふうまうま言いながらながらもう一度強調した。


「楽しいことは楽しいって言った方がいいよ。わたしも楽しくなる。さっきルイが言ったみたいに、楽しいことを増やさないとネタができないもん」

「そうですよねっ!」


 嬉しそうにえへんと胸を張ったユウちゃんを見て、ほっとする。出来たことを誰かに高く評価してもらえると、自分を褒めてあげられるんだ。よくやったってね。そうすると、もうちょい頑張ろうかなっていう意欲が湧く。


 レンタルショップ店員としての働きぶりを店長に高評価してもらえたことが、私とめーちゃんのステップアップ第一歩だった。

 店長は仕事に関してすごく厳しい。しっかりダメを出すし、コスパの悪いバイトはあっさり切る。その店長に戦力として認められたことは本当に自信になった。これまで順調に馴化をこなせてこれたのは、店長が私を高く評価してくれたからなんだ。


 ユウちゃんだって、出来て当たり前だと思っていたことが実はすごい能力だとわかれば、自己評価が上がる。お兄さんの囲い込みのせいで縮こまっていた自分推しが、少しずつ出来るようになるはずだよ。


◇ ◇ ◇


 三人で食べるには量が多いかもしれないと思ったけど、もし余ったら夕食や翌日の朝食に回せる。百均で買った透明プラスチックの容器に料理をばんばん詰めて、野菜スープは二リットルのペットボトルに移し替えた。余ったらそのまま冷蔵庫に入れられるから後が楽なんだ。生活の知恵、だよね。


 お弁当のパッキングが終わったらすぐ出発じゃない。お弁当作りで出たゴミの始末、食器の片付け、シンク周りの掃除を出発前に全部済ませてしまう。もちろん、ユウちゃんの指導だ。

 確かに、疲れて帰ってきてから洗い物やゴミ処理に追われるとせっかくのはっぴー気分が目減りする。最初にできる掃除や洗い物は済ませておいた方がいいってことか。


 せっせと手を動かしているうちに、シンクが元のぴかぴか状態に戻った。対照的に、今まで生活臭のなかったリビングにはまだおいしそうな匂いが充満している。

 私とめーちゃんが暮らし始めたと言っても、この家には人が住んでいる気配がなかった。家としての実態がまだ全然整っていなかったんだ。幽霊が住んでいてもおかしくない、うら寂しい家のまま。

 でも炊事っていうプロセスが動き出すと、途端に家らしくなる。誰かが住んでいて、暮らしていて、動き回っているという家本来の姿になる。そう実感させてくれたのは、間違いなくユウちゃんだ。ああ、本当に思うよ。ユウちゃんと知り合えてよかったなあってね。


「さあ、準備万端整いましたっ! お弁当持ったし、天気は上々、桜はきっと満開でしょう。力一杯お花見を楽しんできましょう。レッツゴーっ!」

「いえーい!」


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