第7話 内覧と怪談
店長がたぶんオールだって言ってたけど、丈二さんの沈没と同時に客間が静かになった。客間からそっと出てきためーちゃんは目を真っ赤に泣き腫らしていたし、紗枝さんの目も赤かった。
もう二度と会えないというわけではなくても、これまでの生活スタイルはがらりと変わる。変化の受け入れに強い痛みが伴うのは仕方がないんだろう。
私から予想外の反撃を食らった松橋さんは、電車があるうちに帰ると言い残してさっと離脱した。話し合いの場を整えるのが松橋さんの役だったから、あとはあんたたちでやんなさいってことなのかもしれない。突き放したから、気分を害しちゃったかな。だけど私はもともと部外者なの。めーちゃんのためにあんたは我慢しなさいっていうリクエストは断固拒否する。
松橋さんのしんどさはよくわかるよ。めーちゃんちの謎が深過ぎたからね。三人それぞれに知らなかった部分があって、しかもそれが激しくズレてたなんてさ。誰かをくっきり悪者にできれば仕切りやすかったんだろうけど、誰も責めることができないっていうのはなあ。すでにこの世の人でない章さんに文句言うわけにもいかないし、章さんもいい人そうだし……。
そういうフクザツな事情があったにしても、一方的な譲歩はできない。松橋さん筆頭にサポーターがいっぱいいるめーちゃんと違って、私は自力で自分を守らなければならないのだから。
なにはともあれ。店長、岡田さん、丈二さんは揃って酔い潰れ、客間でそのままダウン。紗枝さんとめーちゃんは寝室と自室へ。私はリビングのソファーで仮眠を取るということになった。もっとも、私はぴかっと目が冴えてしまってなかなか寝付けなかったけど。
「……」
岡田さんが親身になって整えてくれたシェアハウスだ。私は大学在学中の四年間、シェアメイトの有無に関係なくあの家を離脱するつもりはない。父が在学中は下宿代を出すと明言しているから、めーちゃんが出ても残っても私は住み続けるつもり。ただ……めーちゃん以外のシェアメイトと一緒に暮らしているイメージがちっとも湧かないんだよね。
幽閉、もしくは半幽閉の過去が共通だと言っても、私とめーちゃんのバックグラウンドは天と地ほど違う。私たちが順当に家を離れていれば、出会っても接点ができなかったかもしれない。でも、暗い過去が似通っているから繋がったという感じはしないんだ。もっとポジティブ。もっとアクティブ。
ああ、そうだ。めーちゃんの部屋で紗枝さんに言った通りだ。私もめーちゃんもこれから始まる宝探しにわくわくしている。その期待感が私とめーちゃんを自然につないでいるんだろう。
「まあ、やってみるしかないか」
宝探しに出かけるなら背負う荷物は軽い方がいい。めーちゃんの荷物は今日少しだけ軽くなったはず。私も、少しずつでいいからがらくたを整理していこう。そのためにも、小さな目標があった方がいいかな。
「まずはお花見だよね」
昼に堤防で見た桜並木は、うっすらと紅を装い始めていた。一日か二日好天が続けば一気に満開になってしまう。できれば、そのピークに花見をしたい。生まれて初めて見る桜花爛漫を満喫したい。
私は夢見る。抜けるような青空をふわりと彩る桜花の綾を。これまでは画像でしか得られなかった『知識』としての桜はもうバックパックにしまって、心に降りかかる薄紅を無心に受け止めたい。至福の時は、もうすぐそこまで来ている。
「楽しみだなあ……」
目をつぶって花の雲を思い浮かべようとしたら。いつの間にか沈没してしまった。
「ぐー」
◇ ◇ ◇
翌朝、店長、岡田さん、丈二さんは激しい二日酔いでうぷうぷ言ってたけど。今日は荷出しとシェアハウスの内覧がある。丈二さんの仕事に差し障るので、朝一で済ませることにしたみたい。
紗枝さんが用意してくれた朝食をささっと食べて、一同慌ただしく身支度を整えた。
「忘れ物はないか? 出発するぞ」
「おっけーです」
昨日の店長の運転があまりに恐ろしかったので、岡田さんの軽トラに乗せてもらうことにした。
店長の箱バンに矢口家の面々が乗るということで、分乗がすっきり決まる。丈二さんはマンションの駐車場で店長の車の取り回しを見て、ヤバいってことをすぐ覚ったみたいだ。店長と入れ替わってドライバーになってる。さもありなん。まともな神経の人なら、あの神をも恐れぬ傍若無人な運転には絶対耐えられないと思う。
めーちゃんがパッキングした段ボール箱はたったの六箱。部屋をこれから百パーセント自分色に染めたいという意向は微塵も変えていない。
ただ私と違って、あとは全部処分してとか過激なことは言わなかったらしい。もし必要なものがあれば取りに行くから……リップサービスだとは思うけど丈二さんの顔を立てた。丈二さんの度を超えた執着を遠ざけるなら、ばつっと関係を断つより少しずつ距離を置いた方がいいと考えたんだろう。私もその方が無難だと思う。
私の意識が新居でのこれからに切り替わったとたん、ずっと気になっていた懸案を思い出した。早めに聞いとかなきゃ。
「そうそう、岡田さんに聞きたいことがあるんです」
まだ酒が残っているのか、けだるそうな岡田さんが生返事をした。
「なんだい」
「シェアハウス近くのゴミステーションて、どこにあるんですか? だいぶ探したんですけど、どうしても見つけられなくて」
「あ、そうか。すまん。その話をしていなかったな」
「はい。分別方法とかは、ネットで市の広報を調べたから分かったんですけど」
「おお、しっかりしてるな」
「前のシェアハウスの地区は、分別やゴミ収集日に出すってことにすごくうるさかったんです」
「普通はそうだよ」
岡田さんが露骨に顔をしかめた。
「萩野二丁目は、旧荻野町の中でも一番古い街区でね」
「へえー」
「一番古いということは、一番寂れているということでもあるんだよ」
「確かに。空き家ばかりですものね」
「空洞化が進んでしまっているから、自治会が全く機能していない。ゴミステーションの管理は自治会マターなんだが、誰も管理できないのさ」
「げ……」
それは困った。ゴミ、どうしよう。だいぶ溜まっちゃってるんだよなあ。
「前は中通り奥の角にゴミステーションがあったんだが、不法投棄がひどくてね。市が撤去してしまったんだ」
「うわあ」
「今は、五丁目のステーションまで行かないとゴミが捨てられない」
「五丁目! かなり距離がありますよ?」
「そう。だから賃貸で家を借りてる連中は、スーパーのゴミ箱にこっそり捨ててるらしい。家庭ゴミを人んちに捨てるなんざ、ルール違反もいいとこだ」
それは……したくないなあ。でも、五丁目だと気軽にゴミ出しに行くわけにいかない。どうしよう。うーん……。
腕組みして考え込んでいたら、岡田さんがぼそっと言った。
「いや、二丁目のゴミステーションが完全になくなったわけじゃないのさ。二丁目は変則なんだよ」
「変則、ですか」
「そう」
それから岡田さんが話してくれたいきさつは、確かになんだかなあ……だった。
◇ ◇ ◇
スーパーの駐車場を突っ切って中通りに入るところに、一軒のお屋敷がある。古いけど、しっかりした作りで敷地も広い。その家で、佐々山さんという八十過ぎのおばあちゃんが一人暮らししている。背筋のしゃんと伸びた元気な人だけど、ものすごくうるさ型だそうだ。
佐々山家はかつて荻野一帯の大地主で、戦後に土地の大半を売り払ったあとも地区の顔役だった。町内会長を何期も務めているし、自治会の活動にも積極的に参加していた。おばあちゃんは高慢ちきな人じゃなく、二丁目の初期住人とはとても親密な近所付き合いをしていたらしい。
でも、時の流れが町を歪めていった。縦にひょろ長いマッチ箱住宅は住人の老齢化に伴って次々に売りに出され、敷地の狭さとそれに見合わない土地価格の高さが嫌がられてどんどん空き家に。たまに住人が来てもほとんどが賃貸で、地区のためにどうのという概念が最初からない。自治会できちんと諸事を管理していたおばあちゃんは、筋を通しているだけなのに見事に孤立してしまった。
自治会が名ばかりになった悪影響が一番強く出たのがゴミステーションの掃除と立ち当番だった。自治会当番を一人でこなさなければならないおばあちゃんは、ゴミ出しのルールをまるっきり守らないヨソモノに業を煮やしたんだ。不法投棄がひどいから二丁目のゴミステーションを撤去してほしいと市に陳情。代わりに、個別のゴミ収集をお願いしているそうな。
おばあちゃんはきちんとルールを守るから、ゴミ収集車が通る時には分別されたゴミが出来てて、それをおばあちゃんから受け取って収集車に放り込むだけ。ゴミの量だって知れてるから市は何も困らない。
ルールなんか知ったことかって好き勝手にゴミを捨てていた賃貸の人たちは、自分で自分の首を絞めたんだ。
「うーん。じゃあ、私たちのゴミを一緒に持っていってもらうなら、おばあちゃんに直接交渉するしかないんですね」
「そういうことになるな」
岡田さんが、ハンドルをぽんと平手で叩いた。
「自治会っていう組織は性善説の相互扶助思想に基づいている。無関心層が増えたらそもそも機能しないんだ。古い街区ほど崩壊の反動が大きくなってしまうんだよ。佐々山さんも気の毒だ」
「岡田さんはその方と面識があるんですか?」
「もちろんさ。俺は不道徳なやつに家や部屋を貸したくない。不動産屋はどこでもそうだと思うが、訳あり物件専門のうちは特にだ。だから、キーパーソンには必ず筋を通しておく」
思わずうなってしまう。うーん……さすがだなあ。
「小賀野さんは常識的だから、佐々山さんには気に入られると思うぞ」
「そうだといいんですけどね……」
背に腹は代えられない。荷入れが済んだらめーちゃんと一緒に挨拶に行ってこなきゃな。
◇ ◇ ◇
おんぼろの軽自動車二台が門の前に並んで停車し、開いたドアからわらわらと人が降り立った。私が先に行って鍵を開ける。岡田さん力作の『第二梅花寮』の看板は、外さずそのまま残すことにした。防犯効果があるからその方がいいという岡田さんの判断は、私も妥当だと思う。
丈二さんは何度も来ているけれど、紗枝さんは初見だ。建物の古さとサイボーグ感に絶句していたものの、リビングに入ってすぐに声を上げた。丈二さんも、家の中は初めてだから驚いただろう。
「あらあ! 外見とは全然違う。きれいねえ。思ったよりずっと明るいし」
「そりゃそうだよ。きちんとリフォームしないと誰も借りてくれん」
岡田さんが、ふうっと大きく息をついた。
「小賀野さんが借りてくれたからよかったが、これまではなかなかうまくいかなくてな」
「これだけきれいなら、住んでくれる人がいそうだけど」
「ちっとも長続きせんのだ。もって一ヶ月」
そうそう、それも聞きたかったんだ。
「あの、岡田さん。訳ありの中に『これもん』の話がありましたよね」
両手を胸の前でだらりと下げる。
「ああ。出たか?」
「出るかなあと思ったんですけど、一度も。気配すら感じません」
めーちゃんにも確かめる。
「そういうの、感じた?」
「ううん」
私と岡田さんのヤバい話を聞いて、紗枝さんが引きつってる。そんな話は聞いてないぞ、と丈二さんも口をあんぐり。めーちゃんは、けろっとしてるけど。
「あいつらは人を選ぶのかね」
「さあ。ただ」
「ただ、なんだ?」
「私は、最初から幽霊だと決めつけない方がいいと思うんです」
「ふむ……」
岡田さんと最初に話をした時のやり取りを、改めて繰り返す。
「一番怖いのは、人、です」
「なるほど、そういうのも想定しておかないとだめってことだな」
「はい。もう一度シェアハウスの内外をしっかりチェックしますけど、岡田さんにもその辺りを考慮していただけると」
「わかった。外した裏の防犯カメラはもう一度設置しとく。幽霊は映らんと思うが、それ以外は記録に残るはずだからな」
「ええ」
まあ、そこはおいおい……ということで、不安げな紗枝さんと丈二さんに私たちそれぞれの部屋を見せる。まだどっちの部屋を使うか固めてないから、二室とももがらんどうの真四角の部屋だ。丈二さんが鍵はつかないのかとしきりに気にしていた。気持ちは……わかる。どうするかはめーちゃんの意向次第にしよう。
少なくとも、私はつけない。家の鍵だけで十分。自分を閉じ込めるイメージのものはできるだけ遠ざけたい。
ここまでは普通の内覧だったんだけど。共用スペースに案内したところで思わぬ展開になった。
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