第4話 繭
サポーターがいっぱいいると言っても、ずっと半幽閉状態にされていた家に戻るのは強烈なストレスだったんだろう。ここのところずっと表情が明るかっためーちゃんは、車内できゅっと口を結んだまま黙りこくっていた。もっとも、私は店長の運転が怖くてめーちゃんの様子を気にする余裕がなかったけど。
いかにも運転慣れしている岡田さんと違って、滅多に車に乗らないらしい店長の運転は乱暴かつスリリング。運転しているというより、車と格闘しているみたいな。なんとか無事にめーちゃんの実家に辿り着いた時、私はほとんど燃え尽きていた。よれよれ。
「ぐえー、ハードだあ」
「え?」
きょとんとするめーちゃん。
「店長の運転、怖くなかった?」
「そう?」
ううう、めーちゃんも繊細なんだか図太いんだかわかんないね。私はちょっと耐えられなかった。帰りは岡田さんの方に乗せてもらおう。
マンションの来客用駐車場に箱バンを停めて施錠した店長は、私たちを引き連れてエントランス近くまでのしのし歩いていくと、高級そうなマンションをゆっくり見回した。
「丈二のやつ、ええとこに住んどるのう」
「なんか、グレード高そうですね」
「ルイの家もそうなんちゃうのか」
「うちは普通の戸建てです。建て売りのマッチ箱ですよ」
「ふうん。親父さんの稼業やと、もっとええとこ住めそうやけどな」
「母はあの家にしか拠り所がなかったので、一択なんです」
「ああ、そういうことやったか」
店長が、げんなりした顔で吐き捨てた。
「よく、家を巣に例えるやつがおんねや」
「巣、ですか」
「せや。巣っちゅうのはこどもぉ育てるための容れもん。こどもが巣立ったら空になるやろ」
「……はい」
「それえ、めっちゃ残酷やと思うで」
組んだ指をぽきぽきと鳴らしながら、各階の廊下灯をにらみつけてる。
「家は巣とちゃうねん。単に人が住むとこや。それ以上の重石ぃ乗せたらあかんがな」
ああ……店長の言葉を母に聞かせてやりたい。私を育てると言いながら、母は私に全力で寄りかかってきた。私一人しか入らない巣に自分も入り込もうとしてのし掛かられたら、まだ固まっていない私は潰れてしまう。父の……植田さんの
父が家を売ってマンションに移ることにしたのは、店長が言ったみたいに家の意味をうんと軽くするためだと思う。実父や私と直結している家を母から切り離し、過去への執着を減らそうってこと。ただ、そのチャレンジが実を結ぶかどうかは正直わからない。私は……効果が薄いんじゃないかと思ってる。両親の住み替えには過大な期待をしていない。
「さて、行こか。松ちゃんと岡田は先に着いとるはずや」
あ、そうなんだ。私もほっとしたけど、めーちゃんが一番安堵したんじゃないかと思う。緊張でこわばっていた顔が少しだけ緩んだ。
セキュリティパネルの部屋番号を押した店長が、紗枝さんの「今開けます」の声にすかさず被せた。
「丈二下ろしてんか? 持って上がる荷物があんねや、手伝え言うたって」
うう、さすが店長だ。人使いが荒いよなあと思ったら。くるっと振り返った店長が、めーちゃんにこそっと耳打ちした。
「今はまだ気まずいやろ。俺が丈二押さえとくから、その間にルイと先に上がりぃ。鍵持っとるやろ」
「はい!」
ほっとしたのか、めーちゃんの声が弾んだ。
すごいなあ……。ほんのわずかな時間でも、丈二さんと対面になる状況はまだ避けた方がいい。そういう気配りだ。段取りっていうのはここまで細かくやるのか。
コンシェルジュのすぐ横に来客用応接スペースがあって、エントランスホールからは直に見えないんだそうだ。私とめーちゃんはそこに移動して丈二さんが出てくるのを待った。
いくらもしないうちに、ぶすくれた顔の丈二さんが駐車場の方に駆けて行った。
「なんかスパイ映画みたいだなあ」
「うん」
自分の部屋に行くのにこそこそするのもどうかと思うけど、店長の心遣いは汲まないとならない。さっと来客用スペースを出ためーちゃんが鍵で二番目のセキュリティゲートを開け、エレベーターに乗る。十九階かあ。自宅の二階でも高いなあと思っていたから、高層階で暮らすっていう雰囲気がよくわからない。ただ……ラプンツェルみたいだなとは、ふと思った。
上昇圧が緩んで、エレベーターが止まった。出て左手すぐが、めーちゃんの住んでいた家か。めーちゃんが呼び鈴を押したら、紗枝さんじゃなくて松橋さんがひょいとドアを開けた。
「ああ、来たね。入って」
「あの……お母さんは?」
「今ちょっとばたばたしててね。手が離せないの」
そういう松橋さんもスーツの上にエプロンという実に微妙な格好をしていて、思わず吹き出しそうになる。私のむふふ顔を見て、松橋さんがぷっと膨れた。
「しょうがないでしょ。いきなり宴会だなんて、聞いてないわよ!」
「え、えんかいー?」
めーちゃんが目を白黒させてる。あ、そうか。私は店長から今日はオールになるよって聞いてたけど、めーちゃんはずっとバイトだったからな。
「萌絵さんは、部屋で出す荷物作っといて。で、ええと」
じろじろと私を上から下までねめつけた松橋さんが、困ったなという表情で腕を組んだ。
「類さんはどうしようねえ」
「あ、私は言われた通りにしますよ。お手伝いでもいいですし、どこか邪魔にならない隅っこに置いといてもいいし」
「いや、わたしの部屋に来て」
めーちゃんが、さっと私の腕を引っ張った。
「今のうちに話したいことがあるの」
「私はかまわないけど。いいの?」
「うん」
今回はめーちゃんの意向が最優先だ。私は素直に誘導に従うことにする。どうにも解せないという顔で、松橋さんがふうっと大きく息をついた。たぶん……誤解してるんだろなあ。まあ、いいけどさ。
◇ ◇ ◇
「おじゃまします」
おっかなびっくり部屋に足を踏み入れる。女の子の部屋がどうのこうの以前に、私には他人の居室に入った経験がないんだ。
前沢先生とのシェアでもそれぞれの部屋は聖域で、私が先生の部屋に入ったことは一度もなかった。誰とシェアするかによるんだろうけど、互いのプライベート空間の確保は同居を維持する上で絶対必要なんだろう。
私は、まだがらんどう状態の自分の部屋をどうするかとっても悩んでる。で、思わずじろじろと無遠慮に部屋を見回してしまった。
「なにか変わったものがある?」
「いや、私の部屋はどうしようもなく空っぽだからさ。何をどうしていいのかよくわからないの。参考にさせてもらおうと思って」
「ふうん」
見られて恥ずかしいとか、人のプライベートをじろじろ見るなとか、そういう羞恥や嫌悪の視線を感じない。
ふんと鼻を鳴らしためーちゃんは、興味なさそうに否定形の言葉を放り投げた。
「わたしのはたぶん参考にならないよ」
「え?」
「ここね、パパの認めたものしかないの」
「げ……」
世間一般に言えば、結構女の子路線の部屋なのかなあと思ったんだけど。そうか。めーちゃんの好みとはくっきりズレてるんだ。
「うーん、じゃあ、ここから持ち出す荷物はすっごい少ないってことか」
「てか、全部置いてきたい」
「ぐげ……」
「シェアハウスの部屋はここより狭いもん。これからお気に入りで組み立てたいから、ここのは持ち込まない」
「じゃあ、衣類くらいかあ」
「服もほとんど置いてく。わたしの好みには合わないし」
さもありなん。きっと、丈二さんはこてこての美少女路線に合わせて衣類をあてがっていたんだろう。でもめーちゃんはシンプル系やユニセックス系の方が好みっぽい。パジャマがその系統だからなあ。
ベッドにどすんと腰を下ろしためーちゃんが、考え込んだ私に突っ込みを入れ始めた。
「ルイは、部屋のものどうしたの?」
「え? 何も持ち出さなかったけど。使ってたノートパソコンと衣類や身の回りのものが少し。それだけかな。前沢先生とシェアしてた時と今と、何も変わらない」
「へー、じゃあ実家の部屋はそのまま?」
「私の部屋のものは全部捨てていいって言ってある」
「うわ!」
目をまん丸にしてる。そこまでとは思わなかったんだろな。
「そりゃそうでしょ。めーちゃんもだと思うけど、欲しいものは全部籠の外にあるんだもん。取りに行くなら余計なものは何もいらない。身一つでいい」
「わたしと同じかあ。断捨離どころの話じゃないね」
「あはは。でも私自身が処分したわけじゃないから、今部屋がどうなっているかはわかんない。おそらく、私が出て行った時のままだろなあ」
「……どうして?」
「でないと母が保たないから。父が苦労してる」
「そっかあ」
二人して、ばふっと溜息をついた。新居の部屋をどうするかっていうのはすごく夢のある楽しいことのはずなのに、最初っから強いバイアスがかかってるというのはなあ。
「あ、そうだ。話ってなに?」
「うん」
さっきまでのしらっとした態度が一変した。なんか、ばつが悪そう。
「いや……無我夢中だったからだだっとここまで来ちゃったけど、ほんとにそれでよかったのかなあって反省」
「へ?」
「ルイを、うちのごたごたに一方的に巻き込んじゃったから。ありがとうは言ったけど、ごめんなさいを言ってなかったなあって」
「あはは。私も切羽詰まってたから、気にしなくていいよ」
「それなんだけどさ」
「うん?」
めーちゃんが、首を垂れてほっと息をついた。
「ルイもわたしも、スポンサーの状況が好転したでしょ。……いいの?」
なるほど、なんとなく見えてきた。松橋さんが何か言ったんだな。松橋さんは必ずしもめーちゃんの味方ってわけじゃない。めーちゃんと両親との仲介者であり、めーちゃんだけの肩を持つとは限らないんだ。めーちゃんのご両親の心配にもちゃんと配慮してる。
知り合って間もない、得体の知れない「オトコ」との共同生活を心配してるんだろなあ。本当の女子寮や女性用宿舎を勧めたのかもしれない。確かになあ。常識的に考えたら、とても「いいよいいよ」とは言えないよね。
「松橋さんに何か言われた?」
「……」
ほんのわずかだけど、頷いた。今はアドレナリンが出まくっているから気にならないかもしれないけど、そのうち意識してぎごちなくなっちゃうよ。きっとそう忠告したんだろう。
「そうだなあ。私はどっちでもいいんだ。新しい居場所は確保しないとならなかったから。あとはめーちゃん次第なの」
「わたし次第、かあ」
「そりゃそうでしょ。私の意向でめーちゃんがシェアを飲むか飲まないかを決めたら、考えを押し付ける人が丈二さんから私に変わるだけ。それ、いやじゃない?」
「あ……」
ぽんと顔が上がった。
「そっか。そうだよね」
「もうこどもじゃないんだからさ。自分でどうしたいかを決めた方がいいと思う」
「うん!」
もう一度ゆっくりと部屋を見回す。
「さっき下で店長が、家は巣じゃないって言ったでしょ」
「うん」
「でも、私たちがこどもの間はやっぱ巣なんだよね。自分一人ではどうにもならない期間が幼虫。で、そろそろ巣を出ようかなっていう準備期間が
「すごーい! そっか、繭かあ」
「でしょ? そしてシェアハウスだって繭だよ。家にはならない。繭にしかならない」
「……」
「あそこにずっといるわけにはいかないから」
「うん」
店長が、あんたらはまだ仮免やでと警告したのを思い出す。そうなんだよね。私たちは閉じ込められていた分、他の子たちよりもずっとハンデが大きい。
店長や岡田さんから示唆や警告をもらえるから、世の中の冷たい水に体を慣らすのはそれほど難しくないと思う。問題は……コミュニケーション能力のひ弱さだ。私は絶対的に会話ネタの素材と経験量が足りない。守られすぎと容姿の悪影響をもろにかぶってしまっためーちゃんは、外界との接点があったにも関わらずトモダチがいない。
私たちはまだ繭の中の蛹だ。中身は溶けてどろどろ。ちっともオトナとして固まっていない。自分自身をちゃんと再構築できるまでは、繭を出られないんだ。
「シェアハウスの契約者は私だから、あとはめーちゃん次第だよ」
「わたしが決めたことなの。シェアは通す」
めーちゃんがきっぱり言い切った。正直、ほっとする。
「うん。助かる。私はまだ馴化が全然進んでないの。会話の練習相手がどうしても欲しいんだ」
「前のシェアの時は?」
「コミュ障の先生はそもそも会話が苦手なの。最小限しかやり取り出来なかった。受験勉強で忙しかったから気にならなかったけど、これからは……ね」
「うん」
溜息混じりに愚痴をこぼす。
「店長とやり取りしてると、自分の寸足らずに気づかないの。それって私のスキルが上がったんじゃなく、店長の調整がうまいんだよね。店長の引き出しの中身がとんでもなく多いんだ。さすが元ホストだと思うもん」
「岡田さんは?」
「岡田さんはぶっきらぼうだけど、相手の心をしっかり読んでる。だから言葉の一つ一つに芯があって心遣いがちゃんと滲み出るの。ああいうのは……まだ全然できないなあ」
「そうかあ」
まあ、まだ繭の中でいいよね。繭の中で何もしないわけじゃない。自分の再構築を着実に進めて、繭を出る準備を整えればいいんだ。
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