第3話 自己犠牲
少し早かったけどレンタルショップに戻って、店長とわいわい雑談している間に荷出しの時間近くになった。事務所を出る前に段取りを確かめる。
「店長、車はどうするんですか?」
「岡田が軽トラレンタルする言うとった。家具とか電化製品はないからな。箱ものだけならそれで間に合うやろ」
ああ、私が前のところを引き払う時みたいなものか。って、あれ?
「軽トラックの座席って、二つしかなかったような。もう一台は?」
「ああ、俺は自分の車で行く」
「えっ? 店長、車を持ってたんですか?」
「滅多に乗らへんけどな。今回はどうしても二台車が要るから、しゃあないわ」
運転が嫌いなのか、店長が顔をしかめた。レンタル品の仕入れとかで車使うことがあるから、嫌いでも運転しないってわけにはいかないんだろうな。
「どんな車なんですか?」
「ああ、軽の箱バンや。レンタル品の仕入れや運び出しならそれで十分間に合うからな」
やっぱりー。徹底してどけちの店長なら当然だよなあ。それに引き換え……。思わずぶつくさ言ってしまう。
「店長のはぴったりだけど、岡田さんの乗ってるクルマは反則ですよねえ」
「メタグレのごっついベンツやろ?」
「はい。ぎょっとしました」
「あれぇ岡田のやないで。預かりもんや」
「えええっ? 預かりもの?」
店長は、茶化さずに大真面目な顔で話を続ける。
「あいつが扱ってる物件は事故物件ばかりやろ」
「そう聞いてます」
「箱にしてん中にあったもんにしてん、住んでたやつのごちゃごちゃとは何も関係ないやんか。住人になにがあってん、ものはものや。そいつらに何の責任も悪いとこもないで」
あ……。
「せやから、あいつは扱う物件の残されもんを無駄にせえへん」
「すごいなあと思いました。今回もいろいろ融通してもらいましたし」
「せやな。あいつは本当に苦労しとる。孤児院を出たあと、ずうっと一人で身ぃ立ててきたからな」
ええっ? それは知らなかった!
「岡田さん、孤児だったんですか」
「せや。あいつは親を知らん。今時珍しい、こってこての捨て子やな。あいつの家は生まれつき施設で、施設しか知らん。贅沢なんか匂い嗅いだことすらあらへんやろ。合理的な生き方が骨の髄まで染みついとるんや」
「でも……」
「うん?」
「確かに合理的だとは思うんですけど、その割には乾いてないっていうか、よく気がつくっていうか」
「ははは。まあな」
目を伏せた店長が、細く紫煙を吹いた。
「あいつは一番愛してくれるはずの親から捨てられとる。せやから、無闇にぽいぽい捨てるやつは絶対に受け入れへん。逆に、ものを大事にするやつは認める。そいつにはごっつ肩入れするんや」
「あ、そうかあ」
「事故物件ばっか扱ってるのもそうやな。なにかやらかしたやつのせいで割ぃ食った部屋はかわいそうやと考える。あいつは、自分が物件扱って浄めぇすることで部屋を生き返らすんや」
「すごいですね」
「ああ。ただな……」
店長がゆるゆると首を振る。
「浄めぇするいうんは、自分を削ることでもあるんや。俺はあいつのやり方を褒めたない」
自分を削る……か。
「奉仕はええねん。それは自分にもいい形で返ってくるからな。せやけど自己犠牲はほどほどにせんと、最後は自分が潰れてまう」
店長はくわえていたタバコを吸い殻の山に無理やり押し込んでぐりぐり回した。じっと短い音がして……煙が絶えた。
「あのベンツな、元はやの字が
「げ……」
ぞっと……する。呪われた車ってこと? そんな車に乗っちゃったよ。ひいい。店長が顔の前で苛立たしげに手をぱたぱた振った。あかんあかん、そんな風に。
「見るからに怨念まみれのヤバいクルマですら、あいつにはカワイソウに見えるんや。俺も岡田も、やの字はぎょうさんおってんユウレイなんか一つもおらん思うとるけどな。それでん」
「は……い」
「乗ったらあかんクルマっちゅうのはあるんや」
新しいタバコを胸ポケットから引っ張り出した店長が、それで宙に字を書く。ど・あ・ほ・め……か。
「シルバーグレイにオールペンして、ノーマル仕様にグレードダウンして、やの字車の位置から下ろせばばまた息を吹き返す。あいつはそう言った。確かにそうかもしれへん。それでも」
「はい」
「俺は、岡田にあのクルマには乗ってほしないんや」
車が祟られているからじゃない。岡田さんが自分を損ねるリスクを負ってまで浄めをする意味はないって……店長はものすごく心配してるんだろう。
くわえたタバコに火をつけようとした店長が、ふっと手を止めた。
「なあ、ルイ。岡田がいちばん捨ててほしない思うとるもん、なんかわかるか?」
「……」
いつまでもある、いつでも簡単に手に入ると思っているものは粗末に扱われる。でも、本当はいつまでも手に入るなんてことはない。それはたぶんモノじゃないな。じゃあ……。
「縁、ですか」
ひゅー! 口笛を鳴らした店長が、タバコをくわえたままにっと笑った。
「さっすがルイやな。その通りや。ルイもめーちゃんも親にひどい目に遭わされとる。せやけど、親を恨んでへんやろ?」
「あっ!」
シェアハウスでの丈二さんとの対決シーンがぱっとフラッシュバックした。あの時、店長と岡田さんは丈二さんを叩きのめさなかった。
めーちゃんに最上の愛情を注いでいながら、なぜそれを無にしようとするんだ。親子の縁を切るな! 壊すな! 考え直せ! 店長も岡田さんも同じことを言ったけど、岡田さんの諌めは血を吐くようだったんだ。
「ルイは、自分を守るための幽閉やったとおかんをかばった。めーちゃんも、丈二に大嫌いだとか許さんとかは一度も言うてへん。話し合いの時も、章さんとごっちゃにすんなぁ言うただけやな。松ちゃんからそう聞いた。絶縁を口にすることが丈二にとってどれほど残酷か、よーくわかってる」
「……」
「親にはうまくできてへんことを、あんたらはほんまに上手にこなした。岡田はほっとしたんよ。一番壊れてほしないものが守られたってな」
「親子の……縁ですね」
「ああ。せやから、今日は俺らが一緒に行くねん」
え? ど、どういうこと?
「荷出しなんかあっちゅう間や。人数にしてんそんなに要らへんやろ。ルイがおればすぐに終わってまう」
「あ……」
「でもな。ルイにはめーちゃんと丈二の仲立ちができひんねや。他人やからな。めーちゃんに、ルイとおかんとの仲立ちができひんのと同じや」
「そうですね」
「せやから、そこは俺らがやらなあかん。これからの荷出しが今生の別れにならんようにせんと、めーちゃんが家を出る意味がなくなる」
知らなかった。店長と岡田さんが来るのは丈二さんの暴発防止のためだと思ったんだけど、丈二さんのケアをするためだったのか。店長も岡田さんも深いなあ。いや、それだけ私たちの知らないたくさんのこと……辛いことも耐え難いことも経験しているからなんだろう。
ずっと閉じ込められていたっていう私やめーちゃんの辛さは、私たちにしか理解できないと思う。でも同じように、私やめーちゃんには店長や岡田さんの味わってきた辛さや傷がどれほど深刻なのかわからないんだ。
自分を納得させるように何度か頷いた店長が、持っていたタバコで私を指した。
「ルイ、今日は帰れん思うとって」
「え?」
「たぶん
「うげー」
「いや、めーちゃんは未成年やしルイも酒飲みには見えへん。飲ませるわけにはいかんわ」
ほっ。さすがに、修羅場でいきなり酒の初体験は避けたい。
「せやけど俺ら三人はとことんげろを吐かなあかんねん。そうせんと丈二が浮いてまう」
「あの、紗枝さんは?」
「紗枝ちゃんはいける口やと思うで。せやけど、今夜はきっと一滴も飲まんやろ。俺らの間の橋渡しをせなあかんからな」
すごい……な。店長の頭の中ではちゃんと段取りが整っているんだ。
「車ぁ二台にしたのも、ちゃんと意味がある。荷出しだけなら俺とルイとめーちゃんが乗れればええねん。箱バン一台で間に合うやろ」
「はい。そう思ったんですけど」
「それやと、めーちゃんが家ぇ出たところでもうバイバイや。丈二にはきっついで」
確かにそうだ。再会につなげる布石が必要だってことか。
「みんなで一緒に行って、丈二と紗枝ちゃんに新居をきちんと見せたらなあかん。普通はそうするもんやで。ルイかて、親父さんには見せたんやろ?」
「あっ! そうかあ」
「ルイの親にだけ見せて、めーちゃんの親に見せへんのは不公平や。あの二人にもきちんと内覧させな」
「ううう、それだと舎監がいないことがばれちゃいますよう」
ぽんと胸を張った店長が、楽しそうに笑った。
「はっはっはっ! 岡田が全部ばらすやろ。酒ぇかますってのはそういうことや」
「うわわ」
ちゃりっ。ガラステーブルの上に無造作に置いてあった事務所と車の鍵束を握り取り、店長が勢いよく立ち上がった。
「なんにしてん、隠し事はせえへん方がいい。揉め事のもとや。もう松ちゃんが入っとるんやし、ぜんぶオープンで行けるやろ」
「それもそうですね」
「ルイの方は、親御さんに全部話通したんか?」
「父と食事に行った時に意見をすり合わせました」
「懐の深い、ええ親父さんやな」
「今は、ね」
たとえ店長の前でも「いい親父だ」とはまだ言えない。父は、私にしたことを謝罪してくれたけど、なぜ私をずっと閉じ込めていたのかを明かしてくれたわけじゃないんだ。
想像はつく。私を安全弁にして母を守るためだ。もしそれが幽閉の真相なら、父が私に理由を言えるわけがない。私と母とを天秤にかけ、母のレスキューを優先したということを……私の前では絶対に口にしないだろう。私が親に「おまえなんか嫌いだ、二度と顔なんか見たくない」とは口が裂けても言えないように。
おそらくめーちゃんも同じだと思うんだ。どれほど丈二さんに愛されてきたと言っても、一番多感で活動的になれる貴重な十代の大半を家に封印されてしまった恨みは絶対になくならないよ。今更親に恨みつらみをぶつけても、心のつながりを失うばかりで誰も得をしない。それがわかってるからナイフのような言葉を飲み込んだだけ。
ああ、そうだね。私たちも岡田さんと同じだ。自分を削って親を助けてしまっている。悲劇的な自己犠牲の積み重ねの上に今の私たちがある。
失ってしまった時間と、得られなかった同年代の人との絆。私たちは幽閉に耐えるためにずっと自分自身を削り続け、途方もないハンデを背負ってしまった。これからハンデの分を取り返そうとするなら、もう自分を削ることはできない。だって、削れる自分なんかこれっぽっちも残っていないんだもの。その徒労感を、しんどさを、やりきれなさを。私たちの親は本当にわかっているのだろうか。
私の視線が急に尖ったのを感じ取ったんだろう。ひょいと肩をすくめて見せた店長が短く言い切った。
「さ、出るで」
「はい」
◇ ◇ ◇
「店の戸締りおっけーかあ」
「はあい。シャッターと通用口の施錠確認しましたー」
「よっしゃ。ほんなら行こか」
「明日は臨時閉店にするんですかー?」
めーちゃんと掛け合いをしていた店長が、苦笑とともにぼそっと言った。
「閉めなしゃあないやろ。一日で何もかもようなることなんかないわ。せやけど一日分でもないよりましや。昨日よりましにする。それぇひたすら繰り返すしかあらへん」
めーちゃんに対して言ったように見えるけど、めーちゃんにはわけがわからないだろうな。私の「今は、ね」への返答だ。私は店長に溜息で応える。
確かに鶏小屋からの脱出は成功した。でも、鶏小屋をぶっ壊して出たわけでも、鍵をゲットして出たわけでもない。私が鶏小屋の檻の隙間を通り抜けられるほど痩せ細ったから出られたんだ。めーちゃんだってそうさ。
店長が岡田さんを気遣っていたみたいに、自己犠牲はメリットよりも弊害の方がずっと大きいと思う。だって奉仕の結果は目に見えるけど、一度削れてしまった自我を取り戻す困難さは誰にもわかってもらえないから。
望んでいなかった自我欠損の悪影響は……これからもずっと私とめーちゃんのハンデになり続けるだろう。私はそう確信している。
「ルイ、さっさと来んかい。遅れるで」
「あ、すみません」
陽が落ちて、寒気が足元を洗い始めた。
ちっ。私はこっそりと小さな舌打ちの音を薄闇に忍ばせた。
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