第2話 過去への散歩

「うーん、まだ二時間もあるのかー」


 ハンバーガーショップから出ると、途端に手詰まりになってしまった。自分の時間を何にどう使うかも、私に課せられた新しい訓練だ。この前の五日間みたいに、しなければならないことが自ずと見えていればどんなにヘビーでも淡々とこなせる。でも、あんな綱渡りは本来あっちゃいけないんだ。普段の生活にどう色形を与えるかを、自分で道筋を作って能動的に組み立てないとならない。


「そこがなあ」


 思わずぼやく。鶏小屋の中では時間は山のようにあったけど、したいことが何もできなかった。鶏小屋脱出後は生きるためだけに……バイトと受験勉強に全ての時間をぶち込み、他のことに配分できる時間もしたいことを考える余裕もなかった。今までは、使える時間としたいことのバランスがまるっきり合わなかったんだ。したいことを決めて自分の時間と能力を思う存分注ぎ込むという経験がそもそもない。だから、自分自身がものすごく薄っぺらに感じられてしまう。

 トムは自分自身のことをしょうもないぼっちのオタクだって自嘲しているけど、しっかり好きなことがあって自分のエネルギーを惜しみなく注ぎ込んでいる。私にはまだトムみたいな『好きなこと』がないんだ。対象はなんでもいいけど、自分の抱えているエネルギーに流れをつけて動かすという訓練をそろそろ本格的にやらないとだめだなあ……。

 まずは今できることからやるしかないよね。荷出しまでの時間を適当に潰すんじゃなく、ちゃんと有効利用しよう。


「あ、そうだ。久しぶりに川沿いを歩こうかな」


 で、結局散歩かあ。なんとまあ年寄り臭い。がっかりするけど、今は散歩が一番しっくり来る。めーちゃんほどの爆裂感はないにせよ、これまで知らなかったものを探し歩いて心を動かすのは文句なしに楽しいんだ。


 まっすぐレンタルショップに戻らず、橋を渡って川向こうに出る。それから、かつての散歩道……堤防の上をてこてこ後ろ手に歩く。今日は肌寒いせいか、河原や堤防を歩く人の姿は少ない。時折り中高生のちゃりに追い越され、のんびり堤防を歩いているお年寄りを追い越す。

 支流との合流地点で立ち止まって河原を見下ろし、ざああっと賑やかな水音に耳を傾けた。ゆったり流れる本流とは違う水の勢いと色をしばらく見つめる。細く早い流れが本流に飲み込まれ、いつの間にか均されてしまう様を。吸収合併のイメージが鶏小屋を出た私に一瞬重なり、慌ててそこを離れる。


 堤防の周辺には桜が列状に植えられているところが多い。すでに花がほころび始めていて、そこだけ景色がほの赤い。満開になれば見事な桜並木になるんだろう。花見にはぴったりのシチュエーションだけど、駅からのアクセスがいいからものすごく混み合いそうだ。ゆったり花を見上げたい私にはちょっと……な。

 冷たい川風に吹き戻されて足を止める。このまま歩き続けていれば、ほどなくかつての鶏小屋……実家が見えてくるはず。父さんが家を畳むと言ってたから、もうあの家に戻ることは二度とないだろう。当然、あの家に幽閉される恐れもない。とんでもない黒歴史だったにせよ、私の二十年が染み付いている家だ。見納めになるから拝んでおいた方がいいのかなと思いつつ。


 私の足は、立ち止まった先にぴくりとも動かなかった。


◇ ◇ ◇


 実家がある側ではなく、反対の河原の方に降りて、若葉よりも枯れ草の方が圧倒的に多い草むらに腰を下ろす。そのままばたんと身体を後ろに倒して仰向けになった。

 薄い青空を拭うようにしてあるかないかの筋雲がゆっくりと通り過ぎる。見上げている雲が綿雲に変われば、いよいよ大学生活が始まるんだよな。新生活を心から楽しみにしているのは間違いない。ただ……漠然とした期待感だけで過去の全てをちゃらにすることはできない。

 失われた二十年。私がずっと意識のない植物人間だったならば、その二十年は仕方なかったと諦めがつく。でも、そうじゃないんだ。二十年、私はとても狭い世界に押し込められ、限られた時空間の中で時をひたすら食いつないできた。私の意思とは全く関係なく、ね。


 家に閉じ込められなければならない明確な理由……たとえば無性であるがゆえに生活できないほどの差別を受けるとか命に関わる迫害を受けるとか、私に納得できる理由があれば幽閉を無批判に受け入れたかもしれない。でも、今私は普通の人たちとなんら変わらない毎日を過ごしている。私の世界を強制的に狭める必要なんかどこにもなかったんじゃないかと思う。……今の私は、だけど。


 私は子供だった。最初から自分の意思で何もかもを決めることができない子供だった。植田さんの誘導によって、私の意思は母の保護のために巧妙に丸め込まれたんだ。植田さんが、悪意をもって私に接していたとは決して思わない。植田さんが、本来ケアする義務のない母子を丸抱えして献身的にサポートしてくれたことは紛れもない事実だから。

 だけど植田さんの意識は、私より母のケアにより多く振り向けられた。私が自我を抑えて丸くなればなるほど植田さんと母との距離が縮まり、植田さんが仕事で不在時の母の囲い込みが極端になって家から出られなくなった。私は……もっと早くに自我を爆発させた方がよかったんだろうか? いや、それは無理だろう。母と植田さんに見捨てられればどこにも行き場がなくなる私は、自分を窮屈に折り曲げるしかなかった。

 自我の発露が穏やかでのんびりした子? 私はそんなキャラじゃないよ。だけど天使のような性格だと母や植田さんに印象付けないと、私だけじゃなくて全員が破滅してしまう。望んでもいない天使キャラは、私にとって苦渋の選択だったんだ。

 一度受け入れてしまった封鎖は容易に解けない。家の外に出してもらえない私は、自分の中に自由空間を作ることにした。自由空間は夢想や都合のいい想像じゃない。将来自力で未来を築くための大事な下地だ。鶏小屋を出れば叶う諸々のことをきちんと探し出し、整理して並べ、独立後の生活に備える。本当にこどもだった最初の十年と違い、十代になってからの十年は無駄にしなかったと思っている。


 それでも。母、植田さん、前沢先生という極めて限られた人で固められていた鶏小屋の壁は、思った以上に強固で難物だった。予定調和の上に乗っている、もしくは乗せている会話なんか、会話とは言わないよ。それは自動音声のガイドと何も変わらない。たとえ植田さんのカウンセリングであってもね。

 でもうっかり私がぼろを出して自我を激しく主張すれば、植田さんは私の制御を強化せざるを得なくなる。実際、禁じ手である暗示や薬剤を使うところまで強い抑制がエスカレートしていたんだ。鶏小屋の壁をこれでもかと強化され、分厚くされると脱出のチャンスがなくなってしまう。


 植田さんが、自立に向けて私の外出を容認してくれる流れになるまで五年以上かかったのは、本当に想定外だった。もし前沢先生の離脱がなければ、もっと長い間囲い込まれていたかもしれない。

 前沢先生がリタイアしたことによって植田さんの負担がどっと増え、私の制御がかなり手抜きになった。安定している私より不安定な母のケアを優先しなければならないからね。私は猫を被り続けることによって、植田さんの意識を母だけに集中させようとした。その試みは成功したけれど、私に全依存している母を私から切り離すのは時期尚早という判断を覆すことまではできなかった。成人という転機があったにせよ、母と植田さんが油断した隙を突いてワンチャンスをものにできたのは幸運以外の何物でもない。


 ただ……植田さんの危惧はもっともだった。私が自力でこさえた馴化プログラムは急拵えのやっつけで、出たとこ勝負のリスキーな代物なんだ。植田さんが言っていたように、もっと時間をかけて、事情を理解しているサポートスタッフとやり取りしながら少しずつ外の空気や水に意識を馴らしていった方がよかったんだろう。

 今になって強く実感する。鶏小屋に幽閉されていた間に小さく縮んでしまったコミュニケーション能力を一般の人たちに近づけるのは容易なことじゃないって。だってそうでしょ? 私が意識の浅いところで出し入れしている言葉は、私でなくても吐ける。それが自動音声であっても構わない。そのくらいの深さしかないし、当然返ってくる言葉も同じ深さしかないんだ。


 脱出したばかりの頃に比べれば、ずいぶんましになっとるで。店長はきっとそう言ってくれるだろう。でも、私の言葉には店長や岡田さんほどの熱がない。意思に駆動させる強い言葉。下手に触ると自他を焼いてしまうほど熱量のある言葉。そういう言葉が出てこない。

 コミュニケーションの基礎部分が大きく欠けている私は、まだ自分の中のものだけでうまく会話を組み立てられないんだ。当然、そこに乗せられる自分の意思や感情も限定されてしまう。言葉を焼けるほどの確固たる自我や自意識が全然足りない。


 私の訓練はまだまだ始まったばかりなんだろう。


「ふうっ」


 草むらから体を起こして、河原を見渡す。冬枯れの寂しい景色は、着実に春の装いへと切り替わりつつある。河原を埋め尽くす草花は好きなことがあって装いを変えるわけじゃないよね。青々と変身するのは生きるため。生き抜くためだ。己の全てを注ぎ込んで自分の成り立ちを変え、競争に打ち勝とうとする。ただ生きるだけという段階を脱して好きなこと探しに自分を使える私は、すごく恵まれているんだろう。そう……考えよう。


「さて、と」


 立ち上がって枯れ草の破片を払い落とし、両腕を突き上げてぐんと伸びをする。いつの間にか光輪つきになった淡い太陽を目を細めて見上げ、それからまだ淡い桜並木の彩りを確かめる。


「あっという間なんだろなあ……」


 ぐずぐずしていると、どんどん時が過ぎ去ってしまう。いくら私の性格がのんびりにできていると言っても、これ以上呆けて世の中の流れに置いてきぼりを食らうわけにはいかない。

 桜の花が散る前にしなければならないこと、したいことはいっぱいあるし、それらは鶏小屋の中で想像していたこととはまるっきり違うだろう。何が起こるかわからないことに不安を感じないと言えば嘘になるけど。その不安を蹴散らしてしまうほど刺激的でわくわくする日々が来るはず。私は、疑いなくそう信じている。

 きっと。その刺激やわくわく感が、少しずつ私の熱をおこしてくれるだろう。いきなり出力マックスにはならないよ。燃料が全然足らないんだし。でも、いつまでもウォーミングアップのままにしておくつもりはない。取り込んだエネルギーをすぐ行動に繋げること。私が馴化を加速するなら、それしかないと思う。


 振り返って、背後の堤防を見上げる。堤防を登れば、かつての鶏小屋が間近に見下ろせるはずだ。これまで何があったのかを克明に振り返ることはできるし、負の遺産を何もかも捨て去ることはできない。

 でも、私の後ろに行ってしまったものを幾つ数え上げても駆動エネルギーにはならない。会話のネタとしてすらまともに使えないから。


 堤防には上がらないで、河原の水際をゆっくり歩く。全天を覆っていた薄雲がいつの間にか消えて、太陽の光輪が外れた。途端にきらめき始める水面。河原のところどころに固まって咲いている菜の花の黄色が、桜の開花を促しているように感じる。さあ、そろそろだよ。競演の時は限られてる。わたしたちはあと少ししか待てないよ。早く起きて、と。

 そんな風に。目で見て、耳で聞いて、肌で感じて。自由自在に心を動かすのが散歩の醍醐味なんだろう。だったら、私は今まで本当の散歩をしたことがなかったのかもしれない。これからは、しっかり散歩を楽しまないとね。


「過去への散歩ってのは、意味がないよなあ。発見が何もないし、楽しくもないから」


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