刑事前川の事件ファイル

織田 伽久

第1話 1分30秒の殺人

「夜中でもこんなに暑いと参っちゃうよ。」

ハンカチを片手に、前川がつぶやいた。


深夜の山下公園はしんとしていて人もおらず、街灯の灯りだけが存在感を見せている。


公園通りに面した「ホテル・シーサイド」のロビーに前川が入ると、そこにはすでに現場入りした警察官たちがいた。


「あ、前川警部、お疲れ様です。お待ちしてましたよ。」

部下の鳥海が声をかけ、前川を11階まで連れていく。


エレベーターを出ると、左右両側に廊下が伸びており、右の奥の部屋に案内された。


部屋は、左手に浴室があり、奥に2つのシングルベッドが並んでいる。男性と見られる被害者は、スーツ姿で床に仰向けで倒れていた。


「首に、絞められた跡があるねえ。」前川が遺体のそばでそう言うと、

「凶器はどうやらこの、ランプのコードのようです。」と鳥海が遺体の頭側に落ちていたテーブルランプを指差しながら答えた。このランプは、2つのベッドの間にある、チェストの上にあったもののようだ。


少しすると、後ろから声がした。

「警部、こちらが第一発見者の方です。」と別の刑事が、女性を一人連れて入ってきた。

スーツ姿で、胸に「佐藤」と書かれたネームタグをつけている。ホテルの従業員のようだ。


「発見したときのことを、詳しくお聞かせいただけますか。」

前川の問いかけに、女性は震える声で答えた。

「お部屋からフロントに連絡があったんです・・。バ、バスタオルを1枚持ってきてくれないかと、そうおっしゃったので、エ、エレベーターでこちらに向かったんです。扉をノックしても、お出にならないので、持っていたマスターキーで開けたら・・・こんなことに・・・。」

「なるほど・・。電話の声は、男性でしたか。」

「ええ、た、確かに男性のお客様の声でした。」

「こちらにきて、さぞ驚かれたことでしょう。最後に一つだけ。この部屋に来るまでに、誰かとすれ違いませんでしたか。」

「いや、だ、誰とも会いませんでした。」

「教えてくれてありがとう。もう大丈夫ですよ。」


女性が刑事と部屋を後にすると、鳥海が話しかけた。

「驚きましたね。つまり、フロントに電話があってからここにくるまでの間に、被害者は殺されたと言うことでしょうか。」

前川は何も反応しない。ただ、被害者を見つめひたすら持ち物がないかを探しているようだった。



2つのベッドを左手に部屋の奥まで進み、カーテンを開けると、目の前には横浜港が広がる。公園の灯りで海がほのかに輝いて見える。


窓のそばのベッドに、どうやら被害者が寝ていたようだ。ベッドがひとつだけ乱れており、その上に、スーツケースが広げてある。中にはTシャツや下着類などが乱雑に入っていた。ただ、荷物類はこれ以外に部屋では特に見当たらなかった。


「なあ、通報があったのは、何時頃だった。」

「えっと、確か、2時頃だったと思います。」

「通報したのは、さっきの女性かい?」

「いえ、別の従業員でした。見つけてすぐに、女性が部屋の受話器でフロントに連絡をして、通報となったようです。」

「なるほどねえ・・」

と、言いながら部屋の時計を見る。時計は2時15分を指している。



そこに、別の刑事がやってくる。

「前川警部、被害者の身元が判明しました。名前は、佐田義郎。東京都在住の会社員です。宿泊者名簿に書かれていました。」

「宿泊者名簿・・・」

そう呟いた途端、前川は部屋を飛び出していった。

鳥海が後を追い、エレベーターに乗ろうとしたところを、駆け足で飛び乗った。

「急にどうしたんですか、警部。」

何も言わず、1階に着いたところで、急いで降りる前川。

「あのお、すみません。どなたか。」

フロントの奥から、1人の男性が出てきた。

「お客さま、いかがなさいましたか。」

「いや、私は刑事なんだけども、ちょっと宿泊者名簿見せてもらえないかな。」

「先ほど、刑事さんにお見せしましたが・・。かしこまりました。」

というと、手元にあった名簿を差し出す。


前川は、受け取った名簿を急いでめくる。

「これだ、佐田義郎。」

名簿には、佐田の名前と住所、職種などが書かれている。直筆のものだ。

「一つ伺いますがね・・佐田さんはお一人でこちらに来てましたか。」

「はい、確かに、お一人でした。」

「一人なのに、ベッドが2つの部屋を予約したのですか。」

「はい、確か、後ほど友人が来るんだと、そうおっしゃっていました。」

「その友人は、来ましたか。」

「いえ、いらっしゃいませんでした。」

「なるほど・・。ちなみに、事件以降、ロビーから外へ出た人はいましたかね。」

「いいえ、見ておりません。深夜帯は、扉に鍵をかけますので、原則外へは出られません。出るときはフロントに声をかけてもらうことになっております。」

「よくわかりました。どうもありがとう。」


前川は、フロントを離れ、再びエレベーターに向かう。

「け、警部・・、何かわかったんですか。」と後ろから鳥海が尋ねる。

前川は何も答えない。2人は、エレベーターに乗り11階へ向かう。


「なあ、ずいぶんゆっくりじゃないか、このエレベーター。」

「確かに、ずいぶん古いエレベーターですもんね。」

「鳥海君、ロビーから部屋まで、どれくらいかかる。」

「そうですね・・。このエレベーターの速さからして、大体1分半といったところでしょうか。」

「1分半・・・。あの女性、誰ともすれ違っていないんだろう。1分半で人を殺して、誰にも見つからずに、逃げられるもんかねえ。」

「確かに、そうですね・・。」


11階に着く。出てすぐ、前川はあたりを見渡す。ふと、左手の奥にある非常扉に目が向いた。前川は歩き出した。

非常口の前に着くと、前川は扉をチェックし始めた。鍵はかけられたまま、開けられた形跡がないことを確認した。

「ここから逃げたわけでもないんだなあ。」

「だとすると、エレベーターじゃないでしょうか。2機ありましたよね。」

「いや、もう1機は故障中だったよ。電気が通っていなかった。」

「だとすると、犯人はどうやって・・・。」うーんと唸りながら鳥海は首をかしげた。


「なあ、鳥海君。佐田さんが待っていた『友人』はなんでこなかったと思う。」

「さて・・急用で来れなくなったんじゃないですかね。・・・あっ。」

鳥海が突然大声を出した。

「もしかして、従業員の女性が犯人なのではないですか。あの・・佐藤さんって人。その友人ってのが、女性だとすると、つじつまが合いますよ。」

「そうかねえ。あんなに震えていたんだよ。あの人に人が殺せるとでも思うかい。」

「確かに、出来なさそうですね。」


「鳥海君、すまんが、さっきのフロントの男性を、現場に呼んでもらえないかな。ちょっと見えてきたんだよ。」

「え、本当ですか。分かりました。」

そういうと、鳥海はエレベーターに乗り、1階へ向かった。前川は、確信した表情で現場に戻り、ベッドの上に置かれていた荷物を探った。

「間違いない。」


鳥海がフロントの男性を連れて部屋に来た。

「警部、フロントの男性です。」

「呼び出してすみません。ちょっと驚くかもしれませんが、この男性を見てもらえませんか。」

と、前川は布をかけてある遺体の顔を従業員に見せた。


「佐田様、本当に亡くなられているのですね。・・・あれ。」従業員が首をかしげた。

「どうされました。」と鳥海が尋ねると、

「おかしいですね。この方、佐田様ではないです。」

「えっ、なんとおっしゃいましたか。」と鳥海は驚きを隠せずにいる。

「この方は田崎様です。確か・・1102号室の。佐田様ではありませんよ。」

「やはり。そうでしたか。どうもありがとうございました。」

前川は従業員に伝え、退出を促した。

「警部、一体どう言うことですか。この方は、佐田さんですよね。」

「そう、間違いなく佐田さんだよ。」

「では、佐田さんじゃないってどう言うことですか。」

鳥海が焦るかのように尋ねると、前川は落ち着いた様子で話し出した。


「このスーツケースを見てごらん。服が入っているだろう。Tシャツやズボン、下着など。おそらくホテルまでに着てきたものなのだろうねえ。でもおかしくないかい。佐田さんはスーツを着ているんだよ。靴も革靴だ。もしこの私服を着てきたのだとしたら、Tシャツなどにあう靴があるはずだろう。スニーカーだとか、おしゃれな靴だとかがね。でもここには入っていない。」

「と言うことはつまり・・。」

「このスーツケースは、佐田さんのものではない、と言うことだ。」

「あ・・・、なるほどそう言うことでしたか。」鳥海が呆気に取られた様子で答えた。


「誰かが、佐田さんになりすましてチェックインをし、荷物を持ってこの部屋に入った。遅れて被害者の佐田さんがこの部屋に到着し、なんらかの理由で殺害へと至ったと言うわけだよ。おそらくその「誰か」と言うのが・・」

「田崎、ってことですね。」すかさず鳥海が答える。「とすると、犯人は佐田さんになりすまし、佐田さんは逆に田崎という人物になりすまして、1102号室を取ったということですよね。・・ということはつまり、犯人は・・。」


前川は部屋を出て、隣の部屋をノックした。中から、私服姿の男が出てきた。


「あなた、田崎さんですね。ちょっと部屋、調べさせてもらうよ。」

男は、堪忍した様子でじっと扉の前で立ち尽くしていた。部屋からは、犯行現場の部屋の鍵と、佐田の免許証などが見つかった。



警察に連れて行かれた田崎は、犯行を自供した。佐田とは知り合いだったが、とあることで意見が合わず、犯行を決意したという。佐田が自分の名前で隣の部屋を予約していたことを知らず、殺害後持ち物を奪おうとした際、隣の部屋の鍵が出てきたことから、この犯行を思いついた。深夜帯だったため、外には出られないことから、あえて遺体を発見させることで、明け方に隙を見て逃げるつもりだったとのことだった。



「前川警部、なんで佐田さんは田崎の名で隣の部屋を予約したんでしょうか。」

ホテルを後にし、公園通りを歩きながら鳥海が尋ねる。

「佐田さんもきっと、田崎と同じ考えだったのだろうねえ。」

「つまり、田崎を殺すつもりだったということでしょうか。」

前川が無言で頷く。

「にしても、暑いねえ。朝日まで出てきちまったよ。」

明け方の横浜港は、今度は太陽の光で輝いていた。

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