その四 第一ラウンド
全く、何なの。
フェルリナはため息つくのを必死で堪えた。
指定された執務室は、フェルリナの居室から更に3階下の1室だった。
ノックして足を1歩踏み入れた途端、部屋から殺気が漂ってきた。
私が何したって言うのよ!!
フェルリナはオルニアン家の娘である。
貴族を返上したとはいえ、オルニアン家の実情と騎士団同士の蟠りについては、以前より知っていた。
カンパネラさえも殺気を隠すような素振りは見せない。
執務室の机に一人の男が座っており、男の左側に仏頂面した男が一人立っている。
とはいえ、フェルリナには切り札がいくつかあった。
絶対こっちに有利に働くカードである。
清潔なワンピースをわざと選んだ理由がここにある。
フェルリナは部屋中に溢れる殺気(後ろから付いてきた女中からも只ならぬ殺気を感じている)に負けじと礼を尽くす。
「お初にお目にかかります。フェルリナ・オルニアンと申します。この度は、面会のお時間を頂き感謝申し上げます。」
ワンピースの端を持って最大級の会釈する。
フェルリナは平民だ。
近衛騎士団への礼は、国王陛下と同等である。
最上級の礼を尽くすのみ。
考えてきた口上を述べる。
「この度はご採用賜りまして、有難うございます。恐れ多いことですが、不遜な身を持って、姫様への教育係として努めて参ります。どうぞ、宜しくお願いします。」
口上は終わった。
あとは、向こうからの反応を読み取るのみ。
実は、フェルリナは後方に座するカンパネラの反応も気にしている。
場合によったら、彼女はアウト。
渡したネックレスを偽物と入れ替える算段を講じなくてはならない。
先に動いたのは、正面に位置する男だった。
「いつまで頭を垂れるつもりだ。」
顔を上げると、なんと目の前の男がはーっ、と長いため息をついた。
顔を半分手で覆い隠している。
まずいわ。
フェルリナは顔をあげて、男の様子を伺った。
私、何か仕出かしたかしら?
暫く沈黙が続いた。
疑問に思っていると、横から不意に冷たい声がした。
「団長、言いたいこと言ってやりましょうよ。」
やっぱりかー。
この人達は私の敵ってところね。
頭の片隅でフェルリナはメモした。
すると今度は背後から声がした。
「あら?グレール団長の言いたいことって、何ですの?わざわざここへ呼び出しておいて、無言だなんて…それはないんじゃないんですの?」
半分敵だと思っていたが、カンパネラはどちらかというとフェルリナの味方のようだ。
カンパネラの言葉を受けてかっ、となったのは、どうやら左側の男のようだった。
「おい!それはこちらのセリフだ!!状況的に考えて、そっちが俺達を呼ぶ方だろうが!!何考えてるのか分からんのはそちらだろう?!」
「いいえ!!何を申し上げているのか、さっぱりピーマンですが、あなたがたこそ、何か勘違いされておられるのではなくって?若しくは違う人物とお会いする予定だったとでも言いたげな感じね!!」
「誰もそんなこと言ってないだろう!!!
大体『さっぱりピーマン』って何のことだよっ!!」
「んまっっ!!そーんなことも知らないで、騎士団やってらっしゃるの?『王族を守る』騎士団が聞いて呆れるわ!!!」
「お前………俺を馬鹿にしてるだろう………!!」
なんだかよく分からないが、リングの音が既に鳴ったような気がした。
フェルリナは一言も口を発せず、状況を整理しようと頭を回転させていた。
一方、団長(恐らくこの人がグレールという人だろう)と呼ばれた男はまだ顔を半分手で隠していて、表情が全く読めないが、肩が落胆していて、絶望しているようにも見える。
どうやらこの状況、グレール団長すら意図してなかった状況だったらしかった。
カンパネラと騎士団の男は互いに激しい口論と互いの侮蔑を言い合っている。
そのうち、フェルリナはひとつの可能性に思い至った。
この状況、グレール団長が意図してないものだとしたら、時間や場所を執務室と指定してきた本当の理由は何だったんだろうか?
カンパネラは先程「団長にお会いすれば私の事は分かります」と暗に揶揄していた。
とすると、グレール団長とカンパネラは顔見知り…否、知り合いということになる。
もし、仮にカンパネラが近習側の人間だったとしたら?
この部屋に来ること次第予想出来ない筈。
それがこれから「団長と会う」ことを事前に知っていたとすれば…。
なんだ。私、はめられたのか。
フェルリナは途端不機嫌になった。
フェルリナは不機嫌になると、頰を膨らませる癖がある。
父親譲りの癖であることは重々承知しているし、貴族として(今は平民であるが)あまり良い作法とは言い難いことも十二分に理解している。
しかし、この状況。
気分が悪い。
試されていたのかと自覚して。
であれば、少しくらい素の自分を出してもいいではないか。
すると、さっと動いたのは正面に座っている団長だった。
「おい、お前達、いい加減にしないか!!客人の前だぞ!!」
二人はピタッ、と口論を止めた。
これでフェルリナは納得がいった。
カンパネラも近衛騎士団だったのだ─
それに、サイアスがフェルリナに対して、敵意を持ってないことがこの一言ではっきりした。
サイアスは顔を上げた。
「すまない。部下のことは知り尽くしているつもりだったんだが、この二人を引き合わせてしまったのは、私の判断ミスだった。二人は仲がいいと思っていたんだが…」
「良くない!!」
「良くありませんわ!!」
二人が同時に開口した。
「………と、言うわけだ。君を試すようなことをした。本当に申し訳ない。」
机から深々とサイアスが頭を下げる。
「話を聞いていたより、君は頭がいいんだな。君のこの判断は間違っていない。本当に済まなかった。」
「…私、怒っていません。それに、試されていたのは分かっておりましたし。」
「君の、その服装だね。」
「そうです。」
「文面には『正装』と書いたと思ったんだが。」
「私にとって、これが『正装』です。」
「……なるほど。市民の出というのは、あながち嘘ではないようだね。」
サイアスは深いため息を付いて、左側にいる男に顔を向けた。
「こちらは、トリニオ。私の副団長をやってもらっている。気心のしれた仲で、同期なんだ。」
トリニオはむっつりとしていたが、フェルリナの前に進み出てきた。
「お初にお目にかかります。トリニオ・グラウンです。」
「グラウン家の出とは、中々よいお育ちのようですわね。」
グラウン家とは、オルニアン家と並べて国王の信認の篤い家柄である。家は代々近習騎士団を輩出しており、首都の統治を預かる家である。
そのグラウン家のご子息が、近衛騎士団の副団長となったのは、どういう経緯かはフェルリナには検討がつかない。
「そして、君の後ろに座しているカンパネラ。彼女も近衛騎士団だ。…系統は、少し異なるが、一応近衛騎士団に所属している身だな。」
「一応って、何ですの?
改めまして、カンパネラ・ア・デ・モードと申します。」
女中の服装で、優雅に腰を低くし、頭を垂れたカンパネラが、正規の名前を読み上げる。
ア・デ・モード家の出身のカンパネラの家柄は、南部に位置する海を所有する家柄である。その家から女性の騎士が誕生するとは、フェルリナは目を丸くした。
「私、元を正せばオルニアン家に仕えていた家柄なのです。」
にこっと屈託なく微笑むカンパネラに、フェルリナは目を見開いた。
ア・デ・モード家は、オルニアン家に仕えていた執事を輩出していたが、この50年間男児が生まれずオルニアン家の執事は現在、別の家から雇っている。
実質、オルニアン家より解雇されたのに等しい存在の家柄であった。
カンパネラがフェルリナへ好意を剥き出しにしていたのは、このことだったのだ。
彼女は今でもオルニアン家に仕えていた家を誇りに思っている。
そして、オルニアン家の執事といえば聞こえがいいが、実は裏の顔も存在している。
このことが他の家に広まってしまったために、50年間男児しか生まれていないという設定にしているのか、それとも本当に男児しか生まれていないのかは、疑問の余地がある。
「それから、申し遅れました。私が近衛騎士団団長のサイアス・グレールと申します。」
執事室の机からフェルリナの前に出て、サイアスは最敬礼をした。
「あなたの部屋のクローゼットの中身、実はいくつか見繕って全て自分がご用意させて頂きました。お気に召されたものが御座いましたら、使って頂ければ幸いです。」
「あれは貴方が用意したものでしたの?」
サイアスは申し訳無さそうな顔をした。
「ええ。君が本当にオルニアン家の者で、貴族として何不自由なく過ごされていらっしゃるのであれば、あの中にある『正装』の意味が全く変わってきますからね。本当に顔に泥を塗りつけるような真似を致しまして、なんとお詫びをすれば宜しいかと…。」
フェルリナはにっこり微笑んだ。
「私は全然気にしておりませんよ。」
勝った!勝ったわ!!
すべて私の思い通りよ!!!
まあ、サイアス殿と仲良くさせて頂くことができれば、この先姫様のことで何かあった時、相談しやすくなるだろうし、私としては全く政治や貴族奪還に興味がないということを示すことが出来れば上出来よ!!
とどのつまり、フェルリナの真の敵は自分の父親なのである。
フェルリナは父のフォークスベルトがなぜ、貴族を返上したのかを知っている。
今更貴族返上を撤回するのは良くない、というのが娘の心情である。
フォークスベルトは、何故、どのようにして伯父から今回の教育係の受諾したのかは謎である。
フォークスベルトがフェルリナの腕を単純に買っているのであれば、今回の話は頷けるのだが、フェルリナにとっては急な話であり、今までとは全く別次元の問題なのである。
王族への教育方法は全く知らない。
王族の教育課程がどのようなものであるのかも分からない。
つまり、無知の状態で王宮へ行くことになってしまった。
敵を作るのは良くない、というのが昨日の出立前にフェルリナが決めたことだった。
騎士団の確執については、随分前から知っていた。
伯父から、小さい頃から何度も話を聞かされて育ったのだ。
伯父は野心家だ。
父はそんな野心を持つことは出来なかった。
政治や国の内情にはどうしても野心が必要なのだ。
亡くなった祖父の判断は正しかった。
フォークスベルトは政治に向いてない性格なのである。
だから、静かな余生を望み、孤児院を開こうと思い至ったのである。
そんなフォークスベルトが、高望みして貴族としての地位を再び得ようとしているのだろうか。
得られた所で何の利益も得もない。
寧ろ目の敵にされるか、標的にされるのがオチである。
孤児院の存在は公然の秘密だから、フォークスベルトが孤児院という存在を隠れ蓑にして、ほそぼそと暮らしていくのに、貴族という地位はあまりにも大き過ぎた。
そしてなぜ、孤児院が公然の秘密としての存在なのか。
それは後日談としよう。
さてさて、各自自己紹介が終わったところで、今回の戦争は幕を閉じたのであるが、第二ラウンドが起こるのは、それからすぐのことであった。
姫様の教育係は超ドSでした 花もも @ho_sia023
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