その三 騎士とは
「団長、そろそろお時間ですよ。」
部下に声を掛けられ、それまで目を通していた書類から顔を挙げる。
「彼女、定時に来たのか?」
「報告ではそうなってますね。1時間くらい前に到着してますよ。」
「ということは、及第点だな。」
「団長、その殺し文句、彼女の前で言わないでくださいね?」
くっ、くっ、と乾いた笑みを見て、上司の冷たさを改めて感じたのは、副団長のトリニオだった。
「全く…女性相手でも本当にその乾いた笑いはけしからんです!!団長、いいですか?」
ダメ元で小言をいうのは、トリニオの役目だった。
「根回しし過ぎなんですよ。いくらなんでも!!相手は貴族を返上した家のご令嬢なんですよ!指定した時間だって、本当は明日でも良かったくらいなのに、わざわざ動向を測るために時間を夜にしちゃってさ。この時間は俺達の食事中だっつーの!いわば、休息の時間。仕事中毒で不眠不休の団長の下で働いているのが、どれだけ大変なのか、本当に分かってるんですか?」
「ああ、よく分かっているさ。」
「分かってないです!!ぜーったい、分かってないですよー!!下級騎士でも、食事時間は18時〜19時だって決まってるのに、俺達を殺す気ですか?!え?!殺す気ですよね?!」
机をバンバン叩いて、トリニオはこの数日の出来事を走馬灯のように思い返していた。
「俺達がどれだけこの時間までしごかれたと思ってるんですか?!たった、一人のご令嬢の為に、ですよ?!あの辺境を早馬で行ったり来たりして…帰って来れたと思ったら、また往復する羽目になったりして………!!」
「分かってる。ちゃんと休暇は取らせるから。」
「…絶対分かってませんよね。その顔は。」
トリニオは団長の顔が全く変わらず、乾いた笑いしかしてないのを見ていた。
次に口を開こうとしたが、その前にその団長に手で制止されてしまった。
「悪いが、小言は後だ。例の彼女が来るぞ。」
トリニオはしぶしぶ、サイアスの机の右側の位置で起立姿勢になった。
数日と言わず、この1週間、まさに地獄の生活が続いていた。
サイアスが西の領主であるオルニアン家を訪問したのはひと月前のことだった。
この国の唯一の姫であるシェリー姫の素行について、オルニアン家の領主から相談を受けたことが事の始まりだった。
随行していたトリニオは、その時の一問一答を全て覚えている。
トリニオは記憶力がずば抜けているのだ。
大まかな内容はこうだった。
シェリー姫の素行が治らない。
シェリー姫は感情的になりがちであるが、なんせまだまだ子どもの年齢である。
周囲の女中を始め、家臣達は「子どものこと」と大目を見ていた。
王家のしきたりで、3歳より教育係が付くことになっている。
姫としての礼儀作法、身だしなみ、嗜み等、それまで姫の教育は専属の教育係によってなされていた。
しかし、遂に先日その教育係が音を上げたのである。
シェリー姫の癇癪持ちに、耐えられないというのだ。
またその教育係は齢70の高齢であり、前国王の教育係をも務め上げる実績を持っていた。
そろそろ引退させてやりたい、泣きついてきた教育係に対し、国王陛下は考えあぐね、オルニアン家の当主へ話を持ちかけたのである。
そして厳命で、サイアス団長以下近衛騎士団による、新たな教育係を捜索する羽目になった。
サイアス団長は、オルニアン家の領主の元へ足繁く通うこととなった。
しかし、まさか、西の国境の果てまで行くことになる羽目になるとは、トリニオは予想だにしなかったのである。
これは大きな誤算、最大の誤算であった。
オルニアン家は国王陛下の近習を取り纏めている大貴族。
しかし、騎士というのは哀しいかな。
政治的派閥に巻き込まれることがあるのだ。
近衛騎士団と近習騎士団とは、長い間どちらが正しいかで、言い争いが続いていた。
当主はまだ話しの分かる人物である。
問題は個々にあった。
近年は特に嘗て類を見ないほど激しさを増していた。
政治的意見を聴取されるのは、いつも近習。
政治的意見を徴用されるのも、いつも近習である。
いくら近衛騎士団が声を張り上げ、自分達からの目線で意見を言った所で、近習からの意見が徴用されるのはいつものことだった。
特にこの数年は、近隣諸国との関係がきな臭くなってきており、騎士の増強を唱える近衛の意見より、今現在国が持っている兵力で、更に伸ばせる所があるという意見を論じた近衛の対立していた。
それに輪をかけて、今回の教育係着任の件について、更に揉めに揉めているのである。
終いには国内紛争に発展しかねない勢いすらある。
哀しいかな。
それが現実なのである。
だからこそ、近衛にとって、オルニアン家領主に頭を下げる行動は、侮辱にも劣る行為である。
今回の件でオルニアン家に対して、頭を下げたのは他ならぬうちの団長である。
これでは力関係は決まったようなものだ。
拗れた力関係の差は無くなることはないだろう。
更に言うなれば、この騎士団同士の蟠りの件について、国王陛下が知らないはずないのだ。
「この力関係を無くすことにあることが、この国にとって今が一番重要な局面だ。」
オルニアン家の領主とサイアスの見解は一致している。
結局事態は最悪の方向へと進んでしまった。
どうするんだよ。団長。
「オルニアン家のご令嬢」という表現であるが、オルニアン家に取ってみれば、近衛騎士団を手中に納める手っ取り早い駒が彼女である。
見え透いた政権の勢力になりかねない。
どうするんだよ。俺達まずいぞ。
彼女が市井で生活していることは事前の情報収集で知っていた。
しかし、彼女が自分の家を嵩にするような人物であるようなら、近衛騎士団の立場は一層危うい状態となる。
オルニアン家から出た貴族の女が、今後近衛騎士団の近くに存在することになる。
近習との関わりがある家柄である以上、彼女が近習の内通者である可能性は全く否定できない。
「だから、試すんだよ。」
もし、本当にオルニアン家の娘だったら、この難題に難なくクリア出来るだろう。
これは俺たち近衛騎士団の意地と張り合いである。
一部の貴族だけが跋扈する国の在り方には、近衛騎士団としては到底納得出来るものではない。
国家の騎士団は基本家柄が尊重される。
そのため、起用のほとんどは貴族出身の者が多かった。
近衛と近習の違いはさほどない。
護衛の対象が異なるのみ。
近習は国王を守り抜くこと。
近衛は国王以外の王族を守り抜くこと。
どちらも本質的には変わらないはずなのに、どこから歯車がチグハグになってしまったのだろうか。
サイアスの執務室の扉からノックする音がした。
「どうぞ。」
トリニオは嘗てないほどの緊張感を味わっていた。
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