第15話 間違われたライシャ

「ダークエルフがどんな間違いをされたと」

「それはお前が一番よく知っているだろう。内務調査局」

「ギルドの関係者か!」

「正解だ。最も私は間違われた方だがな」


 影を読みたいか? 彼女はにやりと微笑むと、その手をキースの上に掲げた。

 天井の灯りが、彼女の影を小さく照らし出す。

 知りたい情報が彼の中に流れ込んできた。


 西の大陸エゼアの片隅に端を発した長い旅路の末に、ライシャが東の大陸エベルングの田舎にあるこのロンギヌス王国にたどり着いたのが、つい一週間前のこと。


 彼女は古代の魔獣の生態系を研究する学者だという。

 六十年に近い歳月をこれまで過ごし、永遠に近い不老不死の肉体を持って、世界各地を旅していた。


「六十うぅ?」


 意外な情報にキースは訝しげな眼でライシャを見た。

 年齢を当てられたことが不快なのか、彼女は壁に立て掛けてあった剣の鞘で、キースの足を思いっきりどついてきた。


「そこは関係ないはずだ。女の年齢を言葉にするなど、失礼の極み」

「すいません……」

「さっさと次に行け、次に!」


 鈍い一撃に、影使いは顔をしかめる。

 急かされてサクサクと影の記録を詠んだ。


 地下迷宮『禍福のフランメル』には、まだまだ前人未到の階層があり、そこにはハイレベルな上位魔獣が生息すると聞いて、魔獣生物学者の心は踊った。


 早速、迷宮を案内してくれるという冒険者ギルドに連絡を取り、案内人を手配してもらったのはそれから三日後。


 つまり今より四日前のこと。


 地下に降りてきた彼女は、滞在するホテルのバーでその案内人と落ち合う手はずになっていた。ところが――。


「やってきたのは無粋な私の同族だった。つまりダークエルフだ」

「ギルドの内務調査局?」

「管理官のバクスターと名乗っていた。エルフが使う名前じゃない。多分偽名だろうな」

「そこまでは分かりましたけど。そっから先が……いや、そこより前も詠めないのはどういうことかな?」


 こんなことは初めてだ。

 これまでどんなに強力な魔獣の影でも。


 どんなに難解な魔法を練り込んだ罠でも。

 その影にアクセスすれば、ありとあらゆることが手に取るように理解できたのに。


 今回だけ、なぜかそうはできない。

 猛烈な不信感と猜疑心を心に覚えてしまう。


 ダークエルフはふふん、と得意げな顔をして、キースをじろじろと眺めてきた。

 まるで経験不足のお子様だな、そう言われているような気がして不愉快な気分になる。


 苛立ちを感じて視線を反らすと、彼女はさらに顔を覗きこんできた。

 挑発するように。


 どうしてかな、と再度問いかけて来る。

 それはまさしく、神様が出す意地悪な難問だった。


 くそっ、とキースは諦めの顔を彼女に向ける。答えがどうしても見えないのが悔しかった。


「さて、なぜかな? 影に関する魔法を扱える存在にこれまで出会ったことがないだけだろうな」

「……俺以外にもこの能力を持つ者が?」

「私もそうだし。闇属性とか馬鹿なことをこの王国は口走っているが、属性なんてものはない」

「いやちょっと待ってくれ。言ってる意味が、俺にはよくわからない」

「とにかく今は、そんなことどうでもいいだろう?」


 ライシャはボトルでやってきた赤ワインをなみなみとグラスに注ぐ。

 その一杯をようやくキースにも分けてくれた。


 今までアルコールがなく、食事だけでこの席にいたのだ。

 ようやくやってきた酒を口にして、キースは生き返った気分になる。


「うまい!」


 そんな喜ぶ彼に、ライシャは呆れた顔をする。

 つい数時間前、酒の問題で苦しむ親子の一人と揉めたばかりだというのに。


「私がやった呪いのこと覚えているか」

「呪い?」


 心がどきりと跳ね上がった。

 思い出す。飲むたびに過去のうやむやにしたい物事に立ち向かわなくてはいけなくなる。


 というより、なぜ?


「酔えない?」

「そういう体質にした、と言っただろう」


 手が震えた。酔えないだと。過去に立ち向かえだと。

 見たくもない思い出したくもないことが、いきなり脳裏に湧き上がる。


 秋の小麦畑のようなにぶい灰色の大海が脳裏にちらついた。

 薄い透明な湖のようなアイスブルーの瞳が、こちらを見つめている。


 出かけて来る。そう言って、あの日。妹は消えた。

 キースもその日のうちに、地下へと送られた。


「オフィーリア……」

「おっと。待て待て。今はその話じゃない。違うか?」

「お前がなぜ、あいつのことを知っている?」

「影が使える。お前と同じことも私にはできる」


 細くしなやかな指先。

 紫色のマニキュアが塗られた爪が艶めかしいそれで、手の甲をゆっくりとなぞられる。


 他人の影を詠むことができるものは、いつか自分の影も詠まれる。

 その事実に急に恐怖が沸いた。


 自分のすべてを他人に握られる恐怖だ。

 生きるか死ぬかの選択を、相手の手に委ねたような気分になる。


「俺に何を望むんだ」

「別に。話を戻そうか。バクスターはまだ若い男だ。とはいってもダークエルフ。見た目と中身は多分相当違うな」


 それはそうだろう。

 妖精族は人よりも成長速度が遅い。そして長命だ。

 人間と同じように考えるのは、矛盾が出てしまう。

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