第16話 思い出の君


「だから、どうしたと? それは普通だろ?」

「普通でも人を殺してきた経験が多いのは異常だ。それほどあいつからは他の人間の血の匂いがした。生臭い匂いだ。ひとりじゃない、数十人かそれとも百人を超えてるかもしれない。そんな香りだった」


 危険なダークエルフ。

 その言葉はキースの背筋を凍らせた。

 

「それで。そいつはなんて言ったんだ」

「お前を殺せと。バクスターの影を私も見た。迷宮の中で随分とたくさんの隠し部屋を知っているらしいな? 不正を疑われたとか。そんなことで職場をクビになるなんて愚かしい」

「俺は俺の職務を果たしただけだ」


 ふっと、ライシャはそれを鼻先で笑った。


「会社が望むことをしないのに、自分が好きなことをするのはお前のエゴだろう」

「だが生還率は高い」

「そうだな。戻る命は多ければ多いほど良い。無事ならば無事なほどに。そうでなければあの娘……ケリーのような親子が増える」


 いきなり出た生徒の名前に、キースの瞳が険しくなる。

 教師という立場に立ち返った彼は、もう恐怖を忘れかけていた。


「あいつの影も、詠んだのか?」

「私は見た、と称するが、詠んだ。けれど忘れた、どうでもいいことの忘れるに限る。その方が人生は長く楽しめる」

「ギルドは生還率よりも達成率を選んだ。生きることより、死ぬリスクの高いルートを冒険者たちに提供した。俺にとってそれは許せないことだ」

「まあ。もう辞めた。人間の社会ではクビになった、というのが正しいのか? それになったのだから今更こだわることもないだろう。お前がしたいことをすればいい」

「昨日の話か。酒に溺れると余計なことを話す」

「私は好きだ」

「は?」


 ライシャは真っ直ぐな視線で、キースの瞳の奥をのぞき込むように、じっと見つめて来る。


 好き。その言葉が表すものは、彼が数週間前から経営を始めた冒険者養成学校ことだろう。


「資金がない。金を手に入れようとしても日雇いでしか働けない、大した賃金にはならない。理想と現実があまりにもかけ離れている。だから引き受けた」

「その話は、ここではしたくない」

「昨日大声で喋ってたのをもう忘れたのか? まあ、あの」


 と、カウンター奥のバーテンダーを見遣る。

 視線を戻して、気にする必要はない、とライシャは言った。


「どういうことだ?」

「昨夜我々がここにいた間の会話を知る者の記憶、ほとんど全て消したからな。どこに滞在した時間だけ」

「また無茶なことをする……。人間の脳はそうそう都合よくできてないんだぞ」

「そんなことはない。うまく帳尻を合わせてやればいいだけだ。酒に酔ってしまったと思えば、大抵の人間は納得する」

「なんて失礼なダークエルフだ」

「褒め言葉だと受け取っておこう。私に感謝の言葉はないのか?」


 一般的に闇の妖精と呼ばれている彼らは、邪悪な存在だとも言われている。

 ライシャの口角が上がったのを見て、キースはその表現もまんざら間違っていないな、と感じた。


「どんな感謝をしたらいいんだ。今酒おごってもらっていることか? 酔えない体質にされたことか? それとも?」

「ダークスターの影を見て、彼が本当に待っていた人物になりすまし、その依頼を受けたことにして、本来の刺客を無力化してやったことだ」

「無力化って」

「探し出すのに三日ほどかかった。だからお前に会いに行くのが昨日になった。何、心配はいらん。その女ダークエルフも、随分と人を殺しすぎていた。それらの怨念を寝ている間にしがみつかせてやっただけだ。心の中にな。恐怖と狂気に錯乱して、自分から飛び降りた。確か彼女のアパートは四階だったか」

「何て酷いことを」

「通行人のふりをして生きているかどうかを確かめた。死んでいた。お前はそれで助かった」

「だけど」


 声を潜めてキースは言う。

 一度失敗したからといって、二度目がないとは限らない。


「二度目はない」

「なぜそう言い切れるんだ」

「昨日お前が言っていたではないか。新しい仕事が決まった。これを達成すれば、棄民から抜け出ることができると」

「……勇者パーティの案内か」

「そうだ。もっともそれは私が手配したものじゃない。私も昨日お前に聞いて初めて知った。こんなこともあろうかと、バクスターには監視の妖精を張り付けておいた」

「ギルドが命令を取り消した?」

「一時的に停止したようなものだ。だが、任務を達成すればそれは永久に凍結される。そういうことだと言っていた」


 ラモスとバクスターが。

 思いもしなかった人物の名前が飛び出して、キースはワインを吹き出しそうになる。


 俺を追い出した元上司と刺客の手配人が繋がっていた。

 二度とあそこには戻れない。


 そんな気がした。

 肩を落とすキースに追い打ちをかけるように、ライシャは言う。


「キース。とりあえず就職おめでとう。戻ってきたら、私をそこに案内してくれ。私はそれまでゆっくりとこの地下世界を堪能することにしよう。ああ、それから」

「なんだよ!」

「もう少し、影を操ることを覚えた方がいい。他人に考える読まれるなんて愚の骨頂だ」

「もう帰れ! お前だけ酔っ払ってるんじゃないか!」

「ははは。かもな? 今夜の酒はうまい。他人と交わす杯なんて数年ぶりだ」


 酔っ払って上機嫌になったダークエルフはそう言うとバシバシと手のひらでキースの背中を叩きまくった。

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