第1話 追放

 黒曜石のように艶やかで寛容な美しさの墨色のドレスは、妹の透き通るような白い肌に、とてもよく似合うだろう。


 銀月の光を絞り込み織りあげた白銀の帯、色とりどりに染め抜かれた紋様が鮮やかなベール。


 幼いころに貧乏生活をしていた彼女は、その扱いに気疲れするかもしれない。

 汚してしまったらどうしよう、と困惑しながら喜んでいそうだ。


 親戚もいない家族は自分と二人だけの兄妹。

 生き別れた二人だが、ようやく再会を果たせるというのに、自分の身分が邪魔をする。


 あの子は、誰かの妻になる時、幸せな笑顔をするだろうか?

 長い間、その存在を忘れかけていた自分には、あまりにも勿体ないものだ。


 常日頃から地下迷宮で命のやりとりをしてきた俺のような人間には、受け取る価値がない立派なものだ。


 誰よりも優しいあいつは、神によって聖女に選ばれた今でさえ、離れていてもこうして、温もりを与えてくれる。

 兄は他者の命を散らすような真逆の行為をしているというのに。


 叶うならば、お前に降りかかる困難の全てを背負ってやりたい。



 ◇


 その日、担当していた冒険者パーティ『冒険の書架』を無事に地上に生還させたキースが、ギルドの迷宮探索課に戻ってきたのは昼過ぎだった。


 地下世界に朝も夜もないだろうと思われがちだが、地下迷宮には昼も夜もある。

 ただ、魔石ライトが放つその光の明るさは、地上の太陽に比べて幾分だけ薄いだけだ。


「さて、今日も終わった。明日の予定は……」

「おい、キース。課長が呼んでいるぞ。今すぐに課長室に来いって叫んでた」

「またかよ。今度はなんなんだ」


 迷宮探索課は数十人で回っている、ギルドの中でも比較的大きな部署だ。

 その片隅にあるデスクに腰を落ち着けたと思ったら、いきなり上司に呼び出しをくらった。


 課長のラモスはいつも怒鳴り散らすいけ好かない中年の中間管理職。

 またおしかりか、と思ったら戻ってすぐに待っていたのは、課長の拳だった。


「この役立たずがっ――! また無事に生還させてきただと? 課の目標を全然理解してないじゃねーか! 無能か? 無能なのか? どういうつもりだテメーッ!」


 盛大な怒りを込めた叫び声とともにボスの鉄拳が、キースの頬を襲う。

 ガツンガツンと二度ほど頭の中に大きく音が響いた。


 鈍い音、骨と骨とがぶつかる音。

 顎の骨が軋み、頬の骨が悲鳴を上げる。


 歴戦の冒険者である彼の拳はまるで鉄のように硬かった。

 隻腕のラモス。それが課長の二つ名。


 左腕しかないそんな体で、ラモスはキースの左側面を、容赦なく殴りつけた。


「――ッグ……っ」


 うめき声が口から漏れた。

 自分の体が宙を舞うのを感じる。


 キースの大柄な肉体は、後ろにあったソファーの上に飛び込んで沈んだ。

 その上に、ラモスの怒声が覆いかぶさる。


「おいてめえッ、キース! これまで十年以上も雇ってやったというのにその礼がこれか?」

「……十年? いや、十五年じゃなかったかな……」

「減らず口だけは叩けるようだな、能無しが。俺がなんども言いつけたことをどうして守れねえんだ!」

「……お客様の安全のため?」


 こぶしのせいで切れてしまった頬の内側を舌先で舐め取りながら、鉛の味のする暖かなそれを口に含む。


 ぺっ、と勢いよく吐き出し、青年は床上のカーペットに赤いシミを作ってやった。

 

「くそがっ!」


 それを目にしたラモスは今まで以上に、激昂する。


「このろくでなしの死に損ないが! 行き場がなく野垂れ死にしそうになっていたお前を助けてやったのは――どこの誰だと思ってる!」


 キースはおぼろげな、幼少期の記憶を探ってみることにした。


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