8  来訪者は

(どういう、こと……!?)


 クリフトンから告げられた言葉に、エステルはふらつきそうになった。


 ランドルフが、やってきた。しかも、「自分の妻」のエステルを出せと言っている。


 頭の奥がガンガン鳴り響き、吐きそうになる。

 同時に、急に肌によみがえってきたのは――【あの未来】で無理矢理ランドルフに抱かれたときに与えられた痛みと、苦しみの記憶。


(まさか、あの人も、記憶が……!?)


 一瞬目の前がチカチカと光り、エステルはふらついてしまった。クリフトンが「エステル様!?」と叫ぶ声がして、すぐにエステルはアーサーの腕に抱きとめられた。


「アーサー……」

「くっ……! まさか、あいつまで記憶を取り戻したのか……!」


 ぎっと歯を噛みしめたアーサーは慰めるようにエステルの背中を撫でながら、クリフトンに言う。


「クリフトン! エステルをそいつに渡すことはできない! すぐに本邸に帰り、そいつらを足止めしてくれ! 僕が、エステルを連れて逃げる!」

「か、かしこまりました……あっ」


 わけが分からない様子ながらクリフトンは応じて振り返った――が、遅かった。

 彼の背後には既に、ゆらゆら揺れながら近づく光――ランタンの明かりが見えており、見覚えのある男によってクリフトンが突き飛ばされてしまった。


「ぐあっ……!」

「クリフ――」

「エステル」


 アーサーの声は、ぞっとするような男の声にかき消される。


 どくん、どくん、とエステルの耳の奥で、血潮が激しく流れている。

 頭痛がひどくなり、アーサーのシャツにぎゅっとしがみついていないと倒れるどころか、意識まで飛んでしまいそうになる。


 なぜなら、ドアの前には――エステルが一生顔を見たくないと思っていた人が、いたから。

 しかもその人は、【あの未来】でエステルを見てきたときと同じ、酔ったような狂ったような笑みを浮かべていたから。


「ランドルフ・ハリソン……!」


 アーサーが絞り出すような声で言い、エステルを廊下の奥に押しやってその前に立ち塞がるようにランドルフと対峙した。


「何をしに来たのですか。ここは、僕たちの家です」

「……ほう? たかが平民風情が、私に盾突こうというのか? 私の妻を穢し、誘拐した犯罪者の分際で?」


 ランドルフは薄く笑うと、腰から下げていた剣を抜いた。それをぴっとアーサーの喉元に向けたため、エステルは思わず悲鳴を上げてしまう。


「アーサー!」

「ああ、あのときと同じ、可愛い声だね、エステル。大丈夫、この男を始末して連れて帰ってあげよう、我が妻よ」

「っ……私はもう、あなたの妻じゃない! 私はアーサーと結婚したのよ!」

「エステルっ」


 アーサーがたしなめたが、遅い。

 ランドルフは目を瞬かせた後に、薄い笑みを浮かべた。


「……なるほど。エステルにも、あの記憶があるんだね。そこの男に記憶があるのだろうとは予想していたが……まさか、エステルにもあったとは」

「っ……おまえも、なんだな」

「ああ、つい先日思い出した。最愛のエステルを妻にした、あの美しい記憶をな。君もだろう、エステル?」


 そう言うランドルフは本気らしくて、エステルはぞっとした。


(この人……本気で、【あの未来】を美しいと思っているの……!?)


「ふ、ふざけないで! あんなっ……! 監禁同然で縛り付けられていたのが、美しい記憶なわけないでしょう!」

「エステル、こいつに正論を言っても無駄だ。逃げて――」

「大丈夫だ、エステル。君に甘言を吹き込む愚かな男は、また私が成敗してやるからな」


 アーサーの言うとおり逃げようと立ち上がったエステルだが、ふと、ランドルフの言葉に引っかかりを覚えた。


(…………?)


 ぐわん、と頭が痛む。


 何かが、頭の奥でつっかえている。

 霧の向こうに何かが、見え隠れしている気がする。


「……また、って、どういうこと……?」

「エステル! 聞かなくていいっ……!」

「なんだ。てっきり全て思い出していると思ったのだが……そうではないのだな」


 ランドルフはちらとアーサーを見て、薄く笑った。


「さてはおまえ、自分に都合の悪いところは隠していたな? 何も知らないエステルを誑かし、言葉巧みに言いくるめ、前回から続く自分の片想いを叶えようとしたのだな? はっ……愚かなことだ」

「おまえっ……!」


 アーサーが唸る声が、遠くから聞こえるようだ。


 何か、何かをエステルは忘れている。

 それは、無意識のうちに蓋をしていたもの。


 それは――


「聞きなさい、エステル」

「黙れっ……!」

「君は……かつて、そこにいる男に騙されたのだよ。だから私は、その男を――殺した」


 ランドルフがそう言って笑った、瞬間。


 ぱりん、とエステルの頭の奥で、何かが壊れる音がした。

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