6  穏やかな日々

 リミテア共和国アシュリー地方を治めるのは、オブライエン家の領主一家たち。領土のほとんどがのどかな草原地帯であるここに住む人々は、領主たちを始めとして温和で戦いを嫌う者が多い。


 特産品はクリスタルフラワーという透明な花びらを持つ珍しい花で、これらを栽培して加工したものや苗を都に出荷していた。

 そういうこともありオブライエン家の家紋はクリスタルフラワーを象っており、領主たちも自ら花の世話をしたりアレンジメントをしたりする能力を求められていた。


 そんなアシュリー地方の中心都市には最近、少し珍しい店ができていた。クリスタルフラワーに囲まれた小さな可愛らしい店は、いわゆる喫茶店だ。


 そこで主に働くのは若い女性で、彼女らには店主により徹底的な教育が施されている。

 読み書き計算はもちろん、客を迎える際の礼儀作法や美しい所作、化粧方法などを教え込まれた彼女らはほぼ全員、この地方出身の町娘たちだ。


 リミテア共和国では、女性の社会進出が進んでいる。だがそれでも、「女に学問は不要」などと言う者はおり、オブライエン家の者たちも頭を悩ませていた。


 そこに現れたのは、オブライエン家の養子であるアーサーが妻として連れて帰った、エステル。隣国の男爵令嬢である彼女はアーサーと出会い恋に落ちて、リミテア共和国に渡ってきたのだった。


 アーサーは家族に妻を紹介してから、クリスタルフラワー栽培の仕事を再開した。そしてそんな夫を支える傍ら、エステルが始めたのがこの喫茶店の経営だった。


 彼女が鍛えた少女たちは才覚を身につけ、「平民でありながら美しい所作の麗しい女性たちがいる店」ということで、共和国の貴族も関心を持つようになった。店が始まって一年半ほどだが、つい最近都の若い貴族が店員の一人を見初め、結婚することになった。


 店主エステルによって鍛えられた少女たちはその才能を花開かせ、広い世界へを羽ばたいていく。

 そういう噂も広まり、店はますます繁盛していっていた。












「エステル様! バーバラから手紙です!」


 喫茶店の奥にて。


 店主用の仕事部屋にいたエステルのもとに、若い従業員がやってきた。嬉々とした彼女が差し出してきたのは、かつてここで働いていた少女からの手紙。


「バーバラ、都でも活躍しているみたいですよ」

「みたいね。都に行くと決まって心配そうな顔をしていたけれど……背中を押してよかったわ」


 帳簿を書いていたエステルは手を止めて、バーバラからの手紙を受け取った。

 そこには、都の高級服飾店の店員として日々頑張っていること、最初は田舎娘と侮られたけれどエステルから教わったことを生かすとすぐに皆に認めてもらえたことなどが書かれていた。


「これなら、バーバラのお父様にもよい報告ができるわね」


 エステルがそう言うと、手紙を持ってきた従業員はぷうっと怒った顔になった。


「本当にそうですよね! あの父親が最初にエステル様に言ったこと、私は忘れていません! 『娘に教養なんて、必要ない! うちの娘を見世物にするつもりか!』とか言っていたくせに、いざバーバラが都で活躍すると手のひらを返してすり寄ってくるのですもの!」

「まあ、認めてもらえたのだからそれでいいわ」


 エステルは感情豊かな従業員をなだめ、店の方を手で示した。


「手紙、ありがとう。あなたはホールに戻りなさい。……でもその前に、完璧な笑顔になってからね?」

「ふふ、もちろんですよ」


 そう言うなり、それまでは少し子どもっぽく怒っていた彼女はすうっと慎ましい笑顔になり、ピンと背筋を伸ばして店の方に戻っていった。


(……私がここに来て、一年半ね)


 バーバラと彼女の父親に宛てた手紙を書こうと便せんを出しながら、エステルはこれまでの日々に思いを馳せていた。


 今から、約一年半前。


 エステルはアーサーと共に最後の作戦を成功させて、この共和国に渡った。既に二人は王国の教会に結婚宣誓書を提出していたので、その時点でエステルは「エステル・オブライエン」になっていた。


 アーサーの両親はエステルを歓迎して、新婚夫婦のために小さな屋敷を与え、アーサーは「好きにしていいよ」と言ってくれた。


 最初は新居での生活に慣れるので手一杯だったエステルだが、すぐに「何か、新しいことを始めたい」と思うようになった。アーサーとも相談した結果、「この地方の女性の社会進出の手伝いをする」と決めた。


 エステルは木っ端貴族の娘ではあるが、令嬢としての教養は身についていた。だから自分が持つ知識や技能を若い少女たちに伝授し、彼女らが親の決めた結婚、出産、子育て以外の道にも歩けるように支援するようにした。


 そうして、この喫茶店を始めた。働いているのは全て、十代半ばから後半の少女。

 まずは一期生となる最初の従業員たちに言葉遣いや読み書き計算、所作などを教える。彼女らが調理場を回してホールで働けるようになったら少しずつ二期生、三期生を取り入れ、先輩が後輩に教える形で仕事と知識を受け継がせている。


 この喫茶店にはアーサーが育てた花をふんだんに飾り、まだオブライエン家の支援もあり早くに広まり、有名どころとなった。

「美しい花とおいしいお茶と菓子、そして麗しい女性たちが出迎えてくれる店」には、老若男女問わず多くの人が訪れ、今では都の貴族や王国の人間まで噂を聞いて来店するようになっていた。


 一期生の半分ほどは、既にこの店を離れている。バーバラのように都で働いている者やはたまた貴族に見初められて正妻として迎えられた者もおり、今では「あの店に娘を修行に出させると、大出世する」ということで、自分の娘を積極的に送り出してくるくる親も増えた。

 娘が父親の言いなりになっていた過去からすると大変革で、アーサーの養父母である領主たちも喜んでいるそうだ。


 手紙を書き終えて帳簿も仕上げ、ホールの様子でも見に行こうと立ち上がったエステルだが、ちょうどホールの方から別の従業員がやってきた。


「あっ、エステル様。今ちょうど、アーサー様がいらっしゃっています」

「まあ、そうなの? もしかして、お花を?」

「はい。麗しのアーサー様のお越しで、従業員だけでなくてお客様も盛り上がっていますよ」


 彼女ににこにこ笑顔で言われて、エステルは微笑んだ。ホールに向かうと確かに、入り口のところに立つ青年が皆に囲まれていた。


 結婚して一年半経ち、エステルは二十一歳、アーサーは二十二歳になっていた。

 エステルが長かった髪を肩甲骨までの長さに切ったのとは逆に、アーサーは髪を伸ばしているようで柔らかい金髪を首筋で結わえていた。


 簡素なジャケットにスラックスという出で立ちだし、両手の手袋には泥汚れが付いている。だが彼の清廉で穏やかな容姿は美しいし、彼が両腕に抱えているクリスタルフラワーがいっそう、彼を魅力的に映えさせていた。


「おおっ、アーサー様じゃないか!」

「まあ、あの方、本当に平民なの?」

「こんにちは、アーサー様!」


 店員や従業員たちが口々に挨拶する中、花を抱えたアーサーは少し困ったように笑っていた。

 彼は元々シャイで「僕は、接客なんて一生無理だ」と断言している。昔よりは人間関係作りも上手になったようだがそれでも、こうして多くの人が寄ってきたり見つめられたりすると困ってしまうそうだ。


 そんな彼だが、店の奥からやってきたエステルを見ると「あっ」と小さな声を上げ、明らかに安堵したように顔をほころばせた。


「エステル。店に飾る用の花、持ってきたよ」

「ありがとう、アーサー。そこに置いてくれる?」

「了解」


 アーサーはよいしょ、と空いているテーブルに花を置いた。

 クリスタルフラワーはガラスのように透明な花びらを持っているが、手触りは他の花と同じく柔らかくて、ふにふにつるつるとしている。リミテア共和国の他の土地でも栽培されるがどうやら土地の質によって成長の具合が異なるそうで、他の地域だといまひとつ花びらに透明感が出なかったり、すぐに枯れたりするそうだ。


 アーサーが手ずから育てたクリスタルフラワーは美しく、しかもかなり長持ちする。そのまま出荷してもいいし、丁寧に加工してドライフラワーにしたりもできる。

 また、栽培時に色の付いた水を含ませることで花びらにほんのり色が付くのだが、アーサーは花びらの色にグラデーションを入れるという繊細な技術を身につけていた。


 今回彼が持ってきてくれたクリスタルフラワーはほとんどが無色透明だが、あえていくつか淡いピンク色や水色のものが混じっている。こういうものを作って卸してほしい、とエステルの方から注文したのだ。


 アーサーは従業員たちに花の説明をしてから、ふとエステルの方を見てきた。


「エステル。これ、どうぞ」


 そう言って彼が差し出したのは、彼が胸ポケットに入れていた白い小さな花。これはクリスタルフラワーではないので、店の商品ではない。


「いいの?」

「うん。これは商品じゃなくて、僕から君への贈り物だから」


 アーサーはエステルの前に立つと、持っていた花をそっとエステルの髪に挿した。

 周りから「おおっ!」「きゃあっ!」という茶色かったり黄色かったりする声が上がり、ボッとエステルの頬が熱くなる。


「も、もう! 皆の前で……」

「ごめん。でも、すごくきれいに咲いたから、すぐにエステルに見せたくて」


 一応形だけの抵抗を見せたエステルに、アーサーは涼しげに返した。

 彼の本職はクリスタルフラワー栽培だが、それとは別の花も育てている。その中でも彼は、「エステル用」というこの白い花を丁寧に手入れしており、花が咲くとこうしてエステルに贈ってくれるのだ。


(【あの未来】で、私がおねだりしたからよね)


 彼はあの約束を叶えられなかったことをかなり気にしていたようで、今ではこうして頻繁に花を贈ってくれていた。

 おかげで二人が暮らす屋敷も花まみれで、使用人からは「旦那様から奥様への愛情が感じられますね」と笑われていた。

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