第4章 蜃気楼



一週間は、あっという間に過ぎた。三浦半島へ行く日が近づいてくると、真奈美は心弾み思い悩むことが多くなっていた。それは、今までの負の悩みではない。

彼に会える喜びの中に生じた、いわば女性特有の贅沢なものである。一人の女性として、身だしなみもそうであるが、一番頭を悩ませたのが弁当作りだった。好きな男性に食べてもらう。それは悩みと悦びの交じる複雑なものである。

どうしよう。どんな服を着てゆけば、彼に喜ばれるだろうか。そして、私を見て綺麗だと言ってくれるだろうか……。

出掛ける時の服装一つとっても悩んだ。それ故、弁当作りとなると、さらに頭を悩ませ、要らぬことまで考え手間取った。

純一さんって、嫌いなものってなんだっけ。どうしよう、聞いておけばよかった。それに私の作ったものを食べてくれるだろうか。とは言え、コンビニのお弁当じゃ味気ないし。そんなものを持っていったら、嫌われてしまうかもしれない。やっぱり真心込めて作らなければいけないわ。ああ、どうしよう。何を作れば、彼が喜んでくれるだろうか……。

それでも、悩む中にも心が躍った。

あれこれ考え出すと、何だかどきどきしてきちゃうわ。でも、一生懸命作ったものを美味いと言ってくれたら、作り甲斐があるし嬉しいものね。

今までに弁当を作る機会がなかったわけではない。勤務先で食べる昼食用の弁当は、それなりの経験をしているが、今回ばかりはそうはいかなかった。

二人して出掛けることになれば、愛する男性のために手作りの弁当を作ろうとするであろう。彼女の場合も例外ではない。純一の好物が何であるか知らないうえ、どのようなものを作ったらいいのか大いに悩んだ。結局、八月七日。そう、出掛ける前日の夜になってようやく決めた。

そして熟睡する間もなく、出発当日の八日の朝を迎えていた。目覚ましは午前四時にセットしておいたが、その前に起きていた。それから弁当作りの格闘が始まる。

おかかや梅干、それにたらこの入ったおにぎり。前日にセットしておいた炊き立てのご飯を、愛情込めて握った。熱いご飯に息をかけ握り、美味そうに食べる彼の様子を想像しては、笑みがこぼれていた。

それに定番の玉子焼き、たこ形のウインナーと、その他数種類の添えものを懸命に作った。

それでも作りながら、つい不安になる。

美味しいと言ってくれるだろうか。沢山食べてもらえるだろうか。そして、おにぎりではがっかりしないだろうか……。

悦び満るなか、心配の種は尽きなかった。

時間はあっという間に過ぎ、大方出来上がったところで一息つく。気がつくと時間は午前七時半を廻っていた。これは大変と、化粧をし身支度を整え、手作り弁当をバスケットに入れ出掛ける準備が整った。勿論、その間に紅茶を沸かし冷まして、氷とともに魔法瓶へと詰めていた。

バスケットを持ち、気忙しく自宅を出る。

上気していたせいか、せっかく用意した紅茶入りの魔法瓶を持ち忘れていることに気がつかなかった。

霞ヶ関駅に着いたのが八時五分前である。大急ぎでホームへ入ると、ちょうど池袋行きの通勤急行電車がホームに滑り込んで来た。

「やっと間に合った。それにしても、混んでいるわね」と、ついと漏らすも、バスケットを小脇にしっかりと抱え乗り込んだ。

これで大丈夫。待ち合わせ時間には間に合う。よかったわ。

安堵する気持ちで息を整えながら、確認すべく池袋につく時間を目算で計算する。混み具合から満員の乗客に目を見張る。

そうだったわ、今日は水曜日よね。どうりで混んでいると思ったわ。それにちょうど通勤時間帯だものね。

心内で納得し頷く。

そうよきっと、この車内では私だけがお休みなの。それに今日は、彼と一日だけの楽しい旅行だわ。

車内は混雑していたが、気持ちは晴れやかだった。この電車に乗って池袋に行けば、彼に会えると思うと心が弾んだ。混む車内で荷物をかばいながら、込み上げてくる笑みを懸命に抑えていた。

少し経てば、愛しい純一さんに会えるんだ。

湧き立つ気持ちで、ふと窓の外を見る。

あら、どうしたんでしょう。のろのろと走っているわ。こんなにゆっくりと走っていたら約束時間に遅れるじゃない。早く走って、お願い、もっと速く。

どぎまぎしながら、そう祈った。すると、願いが通じたのか電車が急にスピードを上げた。

そう、その調子よ。ああよかった。4

会える喜びに胸が高鳴っていた。

人目を気にしてか、湧き出る笑みを無理に胸の奥へと押し込む。

成増駅を過ぎていた。

あと一〇分程ね……。心の内で確認する。

池袋駅に近づくにつれ、じきに会える喜びが膨らんでゆき、それに伴い高まる期待から鼓動が一層早くなる。

すると、また不安が募ってきた。

早く会いたいという気持ちと、いざ彼に会った時、澱みなく話すことが出来るのだろうか、という思いが交差し揺れ動いていた。それでも、早く会えればと願う。

つらつら思っているうちに、電車が池袋駅に滑り込んでいた。扉が開くと同時に乗客がホームに押され出てゆく。バスケットを抱えながら、真奈美もその波とともに車外に出た。進む人波に合わせ、約束の場所へと急ぎ足で向かった。

約束時間には少し早かったが、彼が来ているか辺りを見るも、まだ姿はなかった。ほっとする気持ちと、少々がっかりする思いが絡み合い、胸の中で躍っていた。と同時に、直に会えると思うと緊張し鼓動は高なるばかりだった。

すると、どこからともなく、もう一人の真奈美が話しかけてくる。

「真奈美さん、落ち着きなさい。直に好きな彼に会えるじゃない。ほら、しかめっ面していないで、笑顔を作って」

まだ時間前だと気を取り直し、大きく息を吸い込んだ時、携帯電話の着信音が鳴った。取り出し耳にあてると、彼の声が飛び込んできた。

「真奈美さん、今どこいらへん?」

「あっ、純一さん。私、もう来ちゃった」

「え、来たって。もう池袋に来ているの?」

「ええ、遅れてはいけないと思い、少し早めに出てきたの」

「ああ、そうか。僕も近くまで来ているんだ。もう少しで待合せ場所に着けるよ。急いでゆくから待っていてね」

「ええ分かった。あっ、けれど急がなくてもいいわ。慌てて事故でも起こしたら大変だから」

「ううん、有り難う。気をつけて運転するよ。すぐに行くから。それじゃね」

「ええ、気をつけて……」

そんなやり取りをして待った。

すると一〇分もしないうちに、彼の乗った車がやってきた。純一を確認すると、真奈美の胸は激しく高鳴る。

「いや!」

運転席から声をかけてきた。すぐに返事が出来なかった。バスケットを抱え、戸惑い気味に頭を下げる。すると、純一が車から降り近づいてきて、笑顔を振りまく。

「久しぶりだね。真奈美さん、元気になったかい?」

純一自身は、そのように優しく言ったつもりだったが、実際はぎこちない笑い顔になっていた。

真奈美も懸命に笑顔を作ろうとしたが、出来なかった。喜びに感極まるのか、彼の顔がぼやけて見えるほど、目が潤んできた。 目頭をそっと押さえる。その仕草を見て、優しく咎める。

「真奈美さん、泣く奴があるか」

「ええ、ご免なさい。つい嬉しくて涙が出てしまったの」

目頭をハンカチで押さえた。

「さあ、真奈美さん。行こう!」

車のドアを開け、車内に導き入れる。

言われるままに助手席へと導かれ、バスケットを抱え座った。運転席に座った純一が、彼女の持ち物を見て尋ねる。

「真奈美さん、それ何だい?」

「あっ、これ。私、お弁当作ってきたの。あなたのお口に合うかどうか心配だけど、心込めて作ってきたわ」

「ええっ、本当かい!それは嬉しいな。君の愛情がいっぱい詰まったお弁当だね」

「まあ、そんなこと言って。恥ずかしいわ」

「何が恥ずかしい。俺は嬉しいんだ。君がそこまでしてくれるなんて、本当に嬉しいな。感謝している。有り難う」

「あなたがそう言ってくれるだけで、私、作り甲斐があったわ。でも、あなたの好物が分からなくて。中身を見たらがっかりするかもしれないわね」

「いや、俺の好物なんてどうでもいい。君が作ってくれたものなら何でも好きだ」

「私、いろいろ考えたけれど、頑張っておかかや梅干の入ったおにぎりを作ってみたの。おにぎり嫌い?」

「嫌いかなんて、とんでもない。君の愛情のこもるおにぎりなら、君と同じくらい好きさ」

「まあ、そんなこと。おせいじみたいなこと言って。でも、そう言われるだけで、作ってきてよかったわ。後は純一さんに食べて頂き、その感想を聞かせてもらいたいな。でも、お口に合わなかったらどうしよう」

「いいや、そんなことはない。絶対に美味いよ。今からだって、そう言えるぞ!」

「あら、まだ食べてもいないのに、おかしいわ」

照れはにかむ。だが、素直に自分の気持ちが出ていた。

ふと気がつくと、高鳴っていた鼓動が穏やかになっていた。と同時に、真奈美の胸は、すっきりとした晴れやかなものに変わっていた。

純一さんの気遣う言葉使いが、そうさせてくれてるんだわ。

内心そう思っていると、純一が話を続ける。

「そうだ、君の手作りの愛情こもった弁当を、早く食いてえな」

「あら、まだ駄目よ。お昼になってから」

「ああ、それは残念だ。それじゃ、お昼まで我慢するよ。さあ、行こうか」

純一がアクセルを踏むと、二人を乗せた車は三浦半島へと向かって走り出していた。

二人にとって、久しぶりの再会だった。

和んでいるように見える車中ではあるが、いざ、二人っきりになると意識し出したのか、緊張感の漂うものになっていた。

車内は微かなエンジン音が響き、スピーカーからは軽やかな音楽が流れていた。互いに相手を意識するのか、会話が途切れがちになる。

緊張のあまり言葉数が少なかった。真奈美にとって、会う前はあれほど話したいことが有ったはずなのに、いざこうして二人っきりになると、何を話していいのか口ごもった。意識すると胸が震え、容易に言葉が出て来ない。

すると、和ませようと気遣うのか、純一が説明し出す。

「これから行く三浦海岸への道のりなんだけれど……」

そんな純一の一声を待っていたのか、真奈美が口を開く。

「ええ、それでどうやって行くの」

「ああ、ここからだと。そうだな、まずは、ほら、あそこに見えるサンシャインシティビルの横にある、首都高速の入口から高速道路に入るんだ」

「ええっ、もう高速道路にはいるの。すごいわね!」

高ぶる気持ちが、驚きの心持ちに変わっていた。純一の気持ちも高ぶる。

男として彼女をリードしなればならない……。

そう思うと、何を話ていいのか迷った。そこにちょうどタイミングよく、真奈美から道順を聞かれる。

純一は二、三日前の夜から、道路マップに行き順の行程を記した短冊を、各該当ページに挟み込んでおいた。そうして池袋から三浦海岸までの道程を頭に叩き込んだ。

その短冊ページにそって説明し出していると、真奈美の反応が、その場の雰囲気を変える。一挙に張り詰めた空気が消え、垣根が取れたようになる。勿論、意識してそうなったわけではない。自然とそのようになっていた。純一が指差す。

「ああ、あれが首都高速の高速五号池袋線というやつでね。そこへ乗り込む。ほら見えてきただろう」

和み、純一の指先を見て頷く。

「へえ、あの背高のっぽのビルね」

「そうさ、あのサンシャインシティのところの横に、首都高速の入口があるんだ」

「ううん、そうなの。そんなところから、あの頭上の道路に入れるわけね」

感心し、車窓から仰ぎ見る。

「そうだよ」

純一は運転しながら、諭すように頷く。

二人の乗る車が首都高に入った。

「わあっ、都内で高速道路に乗るのって始めて。すごいわね!」

驚きと共に声を上げた。頷きつつ説明を続ける。

「そうなのか。都内を走る首都高速は、ビルの間を抜けるように走るんだよ。大きいビルや小さなビルと、様々なビル群の間を、すり抜けて走っているんだ」

「まあ、そうなの!」

感嘆し応えた。

「それに、この時間帯なら混んでいないが、もう少し経つと一斉に乗り付けてくるぞ。するとたちまち渋滞して、スムーズに走れなくなるんだよ」

「ふうん、そうなの。こんな高いところで渋滞したら、急いでいる人は困るでしょうね。だって、途中で別の道に行けないもの。純一さん、そんな時はどうするの?」

「いや、それは困っちゃうな。一層のことこの道路から、下の一般道路へジャンプして飛び降りてしまおうか」

「まあ、純一さんったら、そんなこと出来ないわ。もし下の道路に、誰かがいたら危ないでしょ」

「それはそうだな。危ないから出来ないな。でも今回は大丈夫。そんなことしなくてすみそうだ」

笑いながら言うと、彼女の目元が緩む。

「よかったわ、空いていて」

「そうさ、二人の日頃の行いがいいから、他の車が遠慮して高速道路に入ってこないんだよ」

「まあ、そんなこと言って……」

真奈美は嬉しかった。冗談ぽく説明してくれる心遣いが胸に染みてきた。それに応え笑顔を返す。

「でも純一さんって、面白いこと言うのね」

「そうかい……」

短く応じる。

「さあ、ビルの谷間の首都高速を突っ走るか!」

元気に告げた。すると尋ねる。

「ねえ、純一さん。ビルの谷間みたいなところを走ったら、どんな気分になるのかしら。さぞかし気持ちいいでしょうね」

「まあね、最高じゃないか。でも、何度も走っているけど、それはあまり考えたことはなかったな……」

「それで、後はどうなの。どのような行程で行くの?」

真奈美が話題を変える。

「ああそうか。これから高速五号池袋線に入ったら、目白から後楽園を通り……」

そこまで告げると、急に口を挟む。

「ええっ、後楽園って。後楽園遊園地や東京ドーム球場のあるところね!」

「ああ、そうだよ。ビックエッグのたまご型ドームが見えるかもしれないな……」

「そうなの、早く見たいわ!」

真奈美の心は躍っていた。

「まあまあ、そう焦るなよ。そのうち近くを通れば、じっくり見られるからさ。それで五号池袋線をさらに走り続けると、皇居のそばを半周くらい沿うように通過するんだ」

「ええっ、皇居の傍を通るの?」

「ああ、そうだよ。それでな、次は竹橋で都心環状外回りに入るんだ」

「待って、純一さん。私、めったに皇居なんて見る機会がないわ。その傍を半周も見ながら走れるなんて、これは大変なことよね。だって、そうでしょ。単なるビルの谷間だけじゃないんだもの!」

目を丸くし、運転する純一を見つつはしゃぐ。

「真奈美さん、まだ驚くのは早いよ。もっとびっくりすることを話てあげようか」

「ええっ、どんなこと。あまり驚かさないで。今までの話だけでも、私、びっくりしているんだから」

頷きつつ説明する。

「都心環状外回りに入ったら、皇居を半周し走り、その後国会議事堂や財務省、それに霞ヶ関ビルを見ながら走る。すごいだろ。そしてアークヒルズビルの谷町のところで、今度は高速三号渋谷線へと乗り換えるんだ」

あっけに取られ、横顔を見つつ目を輝かし聞いていた。そうとも知らず、一昨日から考えていた、三浦海岸までの行程を思い出しながら続ける。

「まあ、皇居を見れたり、国会議事堂や霞ヶ関ビルを眺められるなんて。こんな近くを首都高速道路って走っているのね。すごいわね!」

真奈美の目がさらに輝く。

「これから走っていくから、充分眺めることが出来るさ。すごいだろ、東京の首都高速というのは」

「ええ、純一さんから聞いて、今、驚いているの。でも、そんなすごいところを通るなんて、何だかわくわくしてくるわ」

車窓から情景を見つつ漏らした。

すると純一が、少々得意げな顔をする。

「この高速三号渋谷線は、名前の通り渋谷を通り抜ける首都高速道路なんだ。それで用賀で首都高とさよならして、いよいよ東名高速道路へと入ってゆく。ちょっと遠回りになるが、こっちを通ることにしたんだ」

「何だか余計、胸がどきどきしてきちゃうわ。私って、初めてなんだもの」

「びっくりしたようだね。でも、大丈夫さ。近づいてきたら一つずつ教えてあげるから」

「ええ、お願い」

「ああ……」

また真奈美の質問が出る。

「それでこの首都高速から、三浦半島へはどうやっていくの?」

「そう、東京を抜けていくには、日本の大動脈の東名高速に乗り継ぎ、そして川崎を経て横浜までノンストップで行くんだ」

「そうなの、私にはよく分からないけど、純一さんが決めた行程だから、スムーズにいけるといいわね。それにしても、純一さんってすごいわ。よく知っているんだもの」

「いや、そんなことはないさ……」

照れるが、少々口調が鈍る。

「ええと、それで横浜まで来たら、たしか横浜町田というところで保土ヶ谷バイパスに乗り換えて横浜横須賀道路に入るんだったけなあ……」

不安になったのか、援助を求める。

「あの、真奈美さん。この車カーナビが付いていないんで、すまんが後ろの座席にある道路マップを取ってくれないか」

「え、はい。道路マップね。あ、あった」

振り返り手を伸ばし取り、純一に尋ねる。

「これですね」

すると、目を少し移して頷く。

「あ、それそれ、申し訳ないけど真奈美さん、俺のナビゲーターになってくれないか。運転しながら見れないから」

「えっ、そのナビゲーターってなに?」

「ううん、簡単に言うと道案内人ということかな」

純一の説明に、心配そうな視線を漂わす。

「それって難しいんでしょ。私に出来るかな、そのナビゲーターっていうの……」

すると純一が、優しく返す。

「大丈夫さ。君は立派な俺のパートナーだもの」

「でも、どうやってやればいいのかしら?」

「いや、簡単さ。ちょっと聞いてくれるか。ほら、必要な箇所のページに短冊を挟んであるだろ。その頭のところに、横浜、町田って書いてあるよな。そこをめくってくれないか」

「ええ、ちょっと待って……」

道路マップの頭に飛び出ている数枚の短冊の中から、横浜、町田と書かれたものを見つける。

「あっ、あるある、横浜、町田があるわ。ここを開けばいいのね」

「そうだよ。そこに赤ペンで印がついているだろう。保土ヶ谷バイパスの方向に。どうだい?」

「ええ、載っているわ。これね。ううん、これだわ」

「その先をなぞってゆくと、どこへ行く?」

「ちょっと待って、ええと、ここをと……、あっ、あった。横浜横須賀道路というのがあったわ!」

目を輝かせ、大発見でもしたような声で告げる。それを聞き、確認できたのか胸を張る。

「うん、ここでいいんだ、間違いないな」

さらに真奈美が、横浜横須賀道路の矢印を、指でたどっていく。

「あっ、あった。三浦半島の方へ向かっているわ!」

感嘆の声を上げた。

「ううん、これで間違いないわ」

純一の横顔を見ながら、嬉しそうに目を輝かせた。

「いやあ、真奈美さん。立派なナビゲーターじゃないか。その調子で、この後も三浦海岸までの道案内、宜しく頼むよ」

「ええ、どうかしら。今みたいな方法で、お手伝いできるかしら。私、少し心配だわ。だって、間違えてしまったら、三浦海岸に着けなくなってしまうもの」

不安を覗かせる。すると、それを払拭ように励ます。

「大丈夫だよ。そのために道路マップに印つけて来たんだ。いちいち確認するのに、車を止めて見るわけにいかないし、大体の道筋は覚えてきたけど、再確認する意味で君の手が必要なんだ。今の調子でやればきっと上手くいくよ」

「こんな頼りないお手伝いでいいなら、私、頑張るけど、それでいい?」

「ああ充分さ。君の手伝いが、最高のカーナビだよ」

「それなら分かったわ、頑張るからね」

「頼むよ。僕の可愛いナビゲーターさん」

「はい、任して下さい。頼もしい運転手さん」

「よしっ、頑張るぞ!」

「純一さんといると、すごく楽しいわ。それに感心するの。純一さんって、こうやってどこへでも行ってしまうのね」

「ばれたか。道路マップと格闘しながらでないと、迷子になってどこへも行かれないんだよ」

とぼけると、二人の笑い声が弾けた。

そこには、今まで積ったわだかまりが綺麗に無くなっていた。さらに、つい先ほどまでぎこちなく気を揉んだことが、嘘のように弾け飛んでいた。

「それじゃ、純一運転手さん。私がナビゲーターをやりますわ。しっかりと運転して下さいね!」

「おおう、了解。真奈美さん、いや、ナビゲーターさん宜しく!」

ハンドルから片手を離し、真奈美に敬礼する。それを見て諌める。

「あら、駄目よ。ハンドルから手を離しちゃ、危ないでしょ!」

「ああ、ご免、ご免。ナビゲーターさん、申し訳ない」

ぺこりと頭を下げた。

車は順調に高速道路を走り、距離を稼いでいた。

「まあ、すごいわ。大きなビルばっかりね」

首都高速が少し混んできたが、渋滞にはならずスムーズに流れていた。

道路マップと車窓の景色を見比べ真奈美が呟く。

「あら、あれがさっき説明してくれた皇居ね。ほら、ここに頭だしで皇居があるわ」

「そうだよ。あんなに樹木があるだろう。昔の江戸城さ」

「ふうん、そうなの。それにしても立派ね……。地図上だって、こんなに広いもの」

感心しているうちに皇居傍を通過し、高速道路はビル群へ入ってくる。

「ほら、見てみて。あれが霞ヶ関ビルね。それにもう少し先にホテルオークラもあるわ」

「あれ、真奈美さん。よく分かるな?」

「そうよ。私、ナビゲーターだもの」

「へえ、大したもんだ。そこまで分かっちゃうんだから」

感心していると、真奈美が遠慮気味に告げる。

「ご免なさい。短冊が挟んであるところと、外の景色を見くらべて言っただけなの。ほら、ここの短冊の頭に書いてあるところを開けば、印がついているわ」

「何だそうか。それですらすら説明できたんだな」

「そうなの。純一さんがこうして短冊を作っていなければ、私には皆目分からないわ。種明かしをすると、そう言うことなんです」

「それにしてもすごい。俺にとっては、実に頼もしいパートナーだ。俺の目に狂いはないな」

運転しつつ頼もしげに頷いた。

「何を関心しているの?」

「いや、何でもない。こっちの話さ」

さらに車は進み、高速三号渋谷線へと入っていた。六本木から西麻布、そして南青山を経由して渋谷駅の上を通過して行く。

「ほら、ここいら辺が有名なところさ。見えるだろ標識が」

真奈美の瞳がさらに輝く。

「ええ、見えるわ。六本木に西麻布……。すごいわね!」

「うん、まあ俺たちが住むには、関係のないところだけれどね」

「そうね、私もそう思うわ。でも、是非一度は遊びにでも来てみたいな。あなたと二人でね……」

「そうだな。今度、来てみようか?」

「ええ、約束よ」

「分かった。必ず連れてくるから」

二人の会話が弾んでいた。

そうこうしていると、東急田園都市線と平行して走り、三軒茶屋を通過していた。

「ほら、真奈美さん。見てみな。いよいよ首都高速三号渋谷線ともお別れだ」

「どうしてなの。どうしてさよならするわけ?」

「うん、用賀パーキングエリアがあるから、そこでひと休みしようか。説明すると、それは三号渋谷線から東名高速道路に入るためなんだ」

地図帳を見つつ呟く。

「そうか、それでここいら辺、ええと……、そう、用賀で三号渋谷線とさよならするわけね」

すぐに用賀パーキングエリアに入ってきた。ウイークデーのせいか、人影がまばらだった。二人はトイレタイムとばかりに、休憩所へと歩いてゆく。ひと休みした後、ふたたび車に乗り込み、東名高速道路へと足を踏み入れていった。

「まあ、さき走ってきた高速道路よりも広い道路なのね」

感心し目を見張る。

「それはそうさ。何っと言っても日本の大動脈だものな。だからこんなに道幅が広いんだ。それにしても、大したもんだよ。どの車もスピードをあげているもん。こっちも、ちょいと早く走るか」

ハンドルを握り直し気負う。すぐに真奈美が抑える。

「駄目、駄目よ。制限速度があるでしょ。たしか先ほど時速八十キロという標識があったわ」

「まあ、たしかに制限速度はあるが、どの車も守っている奴はいないさ。高速道路というのは、巡航速度があって、他の車のスピードに合わせて走らないと、変なところで事故を引き起こしかねないんだ」

「でも、そんなこと言ったって、万が一、事故を起こしたら、私、悲しくなっちゃうもの。お願い、純一さん。それは分かったから、スピードだし過ぎないように、せめてその巡航速度というのを守ってね」

「ああ、分かったよ。大切な真奈美さんを乗せているんだ。それに君の頼みじゃ、聞かないわけにはいかないな」

「有り難う。純一さんって優しいのね」

真奈美は、ハンドルを握る彼の腕にそっと触れ、感謝の意を表した。

そんな仕草を肌で感じた純一は、真奈美に対する愛しさをさらに増していた。前方に配る視線を彼女へ移し軽く笑う。

「真奈美さん、三浦海岸はまだまだ先だ。しっかりナビゲーターを頼むよ。頼りにしているから」

「うん、分かったわ。その代わり、しっかり運転してね。それに、前方をよく見て運転するのよ。私の美貌に負けて、よそ見運転しちゃいけないから」

「はい、はい。分かりました。運転している時は見ないように我慢します。けれど今度パーキングに入ったら、穴が開くほど見つめてやるからな」

「まあ、何ていうこと言うの。人前でそんなことされたら恥ずかしいわ。純一さんの馬鹿……」

すねるように微笑む真奈美を垣間見て、すぐにでも抱き締めたい衝動が駆抜けるのだった。

                                     完



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