二
由紀子に褒め労われる。
「グッドよ、グット。真奈美さん、やったわね。西脇さんの名前、ばっちり聞けたし、それにちゃっかりと自分のフルネームもアピールしちゃってさ。まったく隅に置けないんだから」
茶化され照れる。
「まあね。有り難う、由紀子さん。これもあなたのおかげよ。これでしっかりゲット出来た。ああ、今夜は最高だわ。あんな素敵な男性と巡り会うことが出来たんですもの。これも由紀子さんの助けがあったから。それに今日誘われなければ、西脇さんと出会うことが出来なかったんですもの。本当に感謝します。由紀子さん、有り難うございました!」
両手を合わせ喜びを表わした。
「あら、真奈美さん。そんなことしないで。私の方こそ、忙しいあなたを無理に誘ったりしてご免なさいね」
「何をおっしゃいますか。礼を言うのは私の方なのに。お酒も美味しいし、お料理だって美味しい。それに格好いい西脇さんに出会えたんですもの。今夜は今までの人生の中で、最高の夜になりそうだわ。何だか今晩は眠れそうにない。だって、こんなに胸が騒いでいるんですもの……」
「あら、あら、真奈美さん。そんなに浮かれていいの?初めて出会った人だし、どんな性分か分からないわよ。お店の中じゃ私たち、あくまでお客様。彼は接客するための笑顔を振りまいているだけかも知れないわ。私は何度か来て、それなりに観察しているから、素振りで人柄を覗うことが出来たけどね」
講釈し、もったいぶるように付け加える。
「まあ、それなりの人と思っているわ。でも、個人的に付き合ったわけじゃないから、本心は分からない。それに客扱いは上手よね。そこが彼のいいところかしら。それにお店の中は別として、一歩外に出たらまるで別の顔になるかもしれない。けれど、あなたがひと目惚れするくらいだから、きっと素敵な人に違いないわ」
褒めつつ注意を促す。
「でも、気をつけてね。男はみんな狼だと言うわよ」
「は、はい、分かりました。一時の感情に逆上せて、先が見えなくならないようにとのご忠告、真摯に受け止めさせて頂きます!」
「そうね、それがいいわ。それに、私の助言は、あくまで参考意見ですから。あまり気になさらないでね」
そう言われ神妙な顔になる。
「でも、由紀子さんには感謝しないといけないわ。私なんかまだまだ男を見る目がないし、好きになるとすぐに逆上せ上がって周りが見えなくなってしまうんですもの。今までそれで、どれだけ泣かされてきたことか。駄目なのよね、私って。慎重さに欠けるというか一途になり周りが見えなくなるから。由紀子さんお願い。これからもいろいろ指導して下さい!」
「まあ、何言っているの。それじゃ、私がよっぽど男好きで、その道に長けているように聞こえるけど、とんでもございません!むしろ真奈美さんより初心かもしれないわ。だって、私って魅力がないから、男の人から誘われたこともないし、それに引っ込み思案だから、積極的に男性に声などかけられないわ。だから私だって、西脇さんのフルネーム知ったのは随分後になってよ。それも直接聞いたわけじゃなくて、人伝えでね。それを思えば、真奈美さんは勇気がある。むしろ私の方が、男性の口説き方を教えてもらいたいわ。ねえ、真奈美さん」
嫌味っぽく言った。すると真奈美が反論する。
「何をおっしゃいますか。私なんか足元にも及ばないわ。由紀子さんは綺麗だし、プロポーションも素敵。色気もあるから世の男性が放っておくわけないじゃない。大体西脇さんだって、由紀子さんを見る目が違います。他のお客さんに接する時も、それに喋り方だって、私に比べたら月とすっぽんだわ。数段勝っているわよ」
「そんなことない。それにあなたとの違いは、単にこのお店に多く来ているだけよ。彼にしてみれば、お金を運んでくる鴨ぐらいにしか見えないわ。現にお食事だって、一度も誘われたことありませんから!」
白々しく反論した。すると真奈美が勘ぐる。
「由紀子さん、それは違います。あなたがそうさせないように、ガードを固くしているんじゃないかしら。それに彼がアプローチしようにも、冷たく身構えているからだわ。だから一度も、そういう機会がなかっただけよ。
ううん、そうか。ひょっとして由紀子さんったら、いい人いるんじゃないかしら?西脇さんよりもっと素敵な恋人が。由紀子さんのハートを確りと捕らえていて、彼なんかつけ入る隙間がないだけなんだわ。そうよ、きっとそうに決まっているわ!」
「真奈美さん、それは間違っている。だって私、今、好きな人なんかいないもの。そりゃ昔はいたわよ。でも、随分前に別れてしまって、それ以来一人暮らしの寂しい生活を送っているのよね……」
ついと昔のを彼を脳裏に蘇らせた。そんな眉を曇らせる様を見て、真奈美は自身の過去を思い出す。
悪しき過去に舞い戻る。
確かに私にも好きな人がいた。好きで好きで四六時中彼のことが脳裏から離れなかった。在っている時は無我夢中で悦びに包まれていた。ずっと一緒に居たい。片時も離れたくない。そんな熱い気持ちで彼と接していた。受ける甘い口づけ。立っていられぬほどのぼせ上った。こんな恋愛がずっと続くんだと信じていた。それがある日突然終わった。
「もう、これきりにしよう」
そう彼から告げられた。信じ難い別れの一言だった。今でも鮮明に覚えている。辛く忘れることの出来ぬ言葉。それからの私は涙が枯れるまで泣いた。泣いて泣いて泣いた。けれどその時の辛い出来事はいまだに消せずにいる……。
はっとした。
いけないと思い、呼び戻される記憶を遮断した。
そう、思い出してはいけないんだ。絶対に……。今さら甘い口づけを懐かしんでどうするの。すでに忘れた人じゃない。それに、あれだけ苦しんだのに思い出すなんて、馬鹿な私。
頭をもたげてきた記憶に硬く蓋をしていると、急に由紀子から求められる。
「真奈美さん、誰か素敵な人を紹介してくれない?」
意外な頼みごとに戸惑う。
「ええっ、そんな冗談言われては困ります。私だって付き合っている人いないし、由紀子さんに紹介できる人なんかいません」
「誰かいないかしら?」
由紀子が冗談ぽく笑みを作った。すると、真奈美の顔が緩む。そんな時に、西脇がカクテルを持ってきた。
「お待たせ致しました」
テーブルに置き伺う。
「何だか、お二人とも楽しそうですね。何か素敵なお話でもしていらっしゃったのですか?」
「ええ、そうですの。あなたのことで持ちっきりでしたわ」と由紀子が応じ、話題を変える。
「西脇さん、二つ三つ、お伺いしても宜しいですか?」
「は、はい。何か私に?」
「いいえ、大したことではないんです。ほんのじゃれ事ですから」
「分かりました。何だか怖いですね。由紀子さんに、そのように睨まれると恐縮しちゃいます。どんなことでしょうか?」
「それでは質問します。一つ、まずは独身ですか?」
一方的に繰り出した。意外な問いに戸惑う。
「ええ、まあ、独り者ですが……」
「はい、分かりました。独身ですね。パスです。それでは第二問目です。年齢はお幾つになりますか?」
「えっ、私の歳ですか。今年で三十路近くになりました」
「三十路の一つ手前ということは、私よりも二つか、いや、三つ年上だから。ううん、二十九歳か。はい、そうですか。宜しい、これもクリヤーです。それでは第三問目。これは非常に重要且つ難問ですが、しっかりと答えて下さい。宜しいですか?」
「は、はい。結構です……」
返事をしたが、戸惑い気味に問い返す。
「いや、ちょっと待って下さい、由紀子さん。何かおっかないことを、尋ねられるんじゃないでしょうね?」
「いいえ、そうではありません。一番大切なことです。それではお聞きします。西脇純一さんは独身で二十九歳。そして色男。心して質問を聞いてお答え下さい。分かりましたね」
「あの、由紀子さん。それが今までの質問と、どのような関連にあるのでしょうか?」
不安顔で聞き返す。それを制止して続ける。
「はい、回答者は少し黙っていて下さい。ええと、それでは質問します」
「……」
「西脇さん、あなたに恋人がいますか。正直に答えなさい。嘘をついたり隠したりすると許しません。はっきりと答えて下さい」
「はい、あの……恋人がいるかどうかといわれましても……」
質問に躊躇する。そこで不安気に聞き及ぶ真奈美が、たまらず横槍を入れる。、
「えっ、いらっしゃるんですか。西脇さん!」
すると、否定し目を見張る。
「いいえ、とんでもないです。この歳になって、誰も寄り付てくれる女性なんかいません。ですから、ただ今、遅ればせながら募集中ですが……」
息苦しそうに答えた。すると由紀子が、疑惑の眼差しで尋ねる。
「本当ですか。嘘をついていませんね。もし恋人がいてばれでもしたら、どう開き直るつもりですか?」
西脇がこそばゆそうにしていると、さらに突っ込む。
「西脇純一さん、隠し事をしてはためになりませんよ!」
なおも疑う眼差しで睨む。
「は、はん。その態度、どうも怪しい。あなたは本心で答えていませんね。その落ち着のない目線。ばれたらどうしよういう手の動き。それに答える時の隠すような仕草。ううん、これは益々怪しくなってきましたね」
さらに目が疑う。
「うむ……。これは怪しい。西脇純一、正直に白状しなさい。さもないと大変な災難があなたの身に降りかかってきますぞ!」
酔ってきたのか、上目遣いとなり脅かした。
真奈美が成り行きを不安そうに覗っていたが、困惑しつつも話しかける。
「そうですよね、西脇さん。いらっしゃらないですよね……?」
すると西脇がこれ幸いにと応える。
「勿論です。真奈美さんの言われるように、一人身です。恋人なんかいません。許して下さい。由紀子さん、私を責めないで。真奈美さん助けて下さい!」
救いを求め彼女を見やると、真奈美が強くかばう。
「そうよ、西脇さんがこれだけおっしゃっているんですもの。誰もいないわよ!」
「そうかしら、そうは見えないけれど……」
なおも疑心暗鬼に由紀子が呟くと、西脇が観念する口調で告げる。
「いや、参りました。さすが由紀子さんですね。白状しましょう。由紀子さんには嘘はつけませんからね。実は……」
そこまで聞くと、真奈美ががっくりと肩を落とす。
ええ……、今、いないと言ったのに。やはり、西脇さんには素敵な恋人がいるのね……。
少々涙目になっていた。
すると、そんな彼女を横目で見ながら、由紀子が傘に掛ける。
「そうでしょ。西脇さんったら、やっぱりいるんだ。私の目に狂いはないわ。ちゃんと分かるの。さあ、西脇純一、どんな女性か白状しなさい!」
すると渋々従う。
「まったく由紀子さんは怖いんだから、白状します。います、恋人がいますよ。素敵な彼女がね」
一瞬、間を置く。
「……実はここにいる、真奈美さんです」
意外な名前を告げた。
「あら、まあ……。驚いた。そうだったの西脇さんの彼女って。真奈美さんだったの、知らなかったわ!」
由紀子が目を丸くした。
「はい、昨日まではいなかったのですが、先程お会いした時から、好きになりました。まあ俗に言う一目惚れっていうやつです。ただし、告白していない自分だけの恋人なんですけれど。ですから真奈美さんには、迷惑なことかもしれませんがね」
遠慮気味に視線を移した。
「ええっ、私……ですか!」
驚きの顔で否定する。
「何をおっしゃっているんですか、西脇さん!今日始めて会ったばかりなのに、まったく、そんな冗談を言わないで下さい!」
戸惑い涙目になっていた。その様を見た西脇が、慌てて詫びる。
「これは失礼致しました。冗談、冗談ですよ。真奈美さんを悲しませるために申したわけではありません。ご免なさい!」
すると、由紀子が毒ずく。
「あらら、彼女を泣かせてしまって。ああ、いけないんだ。これは、初めて連れてきたお客様に大変なことをしでかしましたね。どうしてくれますか、西脇さん?」
「ええ、はあ、すみません。真奈美さん本当にご免なさい。こんな馬鹿なことを言って、気分悪くなされたでしょう。お許し下さい」
恐縮し詫びた。すると由紀子が言葉尻を捕らえる。
「あれ、西脇さん。馬鹿なこととおっしゃいましたね!」
「ええ、ううん。まあ、いや。馬鹿なといいますか、つまらない冗談を言ってしまって、誠に申し訳ない……」
恐縮すると、さらに由紀子がきりっと目を向ける。
「どうします、西脇さんの失言。彼女を泣かせたうえに、さらに馬鹿呼ばわり。それに、つまらない冗談とまで言って悲しませ、大きく傷つけてしまった。困りましたね。どうなさるおつもりですか」
追い討ちをかけた。すると西脇ではなく、困り果てたように真奈美が口を挟む。
「あの……、いいんです。私なんかどうせもてないし、西脇さんが、私を恋人だなんて、冗談を言うのも分かります……。そんなこと有り得ないですし、もう大丈夫ですから。ご免なさい。涙なんか流してしまい」
詫びる真奈美を見つつ、頭に乗る。
「純一さん、初心な彼女を傷つけてしまいましたね。どう責任を取ってくれますか。詫びだけでは、とても済みませんよ」
「はあ、誠に申し訳ありません……」
「ああ、真奈美さんを悲しませてしまい、取り返しがつかないんじゃないですか。このままでは西脇さん、冗談で済むことではなくなりましたよね」
由紀子が真面目くさり脅かした。
西脇は真剣な面持ちになり、深々と頭を下げる。すると、さらに由紀子が追い討ちをかける。
「そうね、それじゃ西脇さんに責任を取ってもらいましょうか」
またもや真奈美が抑える。
「由紀子さん、もういいんです。元はと言えば、私が余計なことを言わなければ、こんなことにはならなかったんですから」
「いいえ、それでは済まないわ。そうでしょ、西脇さん!」
真奈美の言い分を聞かず、西脇を責めた。
「はあ、まあそうですが。本当に申し訳ありません……」
西脇の低身に調子づく。
「ほら見なさい真奈美さん。西脇さんだって、これだけ反省している。あなたを傷つけたことを申し訳けなく思っていらっしゃるのよ。だから責任を取ってもらいましょ」
「でも……」
躊躇う真奈美を差し置いて、ずばり告げる。
「それじゃ西脇さん、責任の取り方を伝えます。心して聞いて下さい、宜しいでしょうか?」
「……」
黙って俯いた。由紀子がおもむろに告げる。
「それでは西脇さん。悲しませた責任として、ここにいる真奈美さんを慰め、さらに元気になってもらうため、彼女を誘ってデートをし、機嫌を直してくれるよう努めてもらいます。それも、これだけ傷つけたんです。一度くらいのデートでは、完璧な回復は難しいでしょうから、機嫌が直るまで重ねて頂きます。分かりましたでしょうか?これが判決です。厳粛に受け止め実行してもらいます!」
「ええっ!」
意外な内容に西脇が驚き顔を上げると、にたりと笑う由紀子がさらに告げる。
「分かりましたか。重大な罪ですよ。償いはきちんとしてもらいますからね。いいですね、西脇さん」
その様を伺い見る真奈美は、顛末にぽかんとしていた。すぐに西脇が、由紀子の思惑に気づいたのか頷く。
「はい、分かりました。真奈美様には大変不愉快な思いをさせ、大いに反省しております。この上は事態の重大さを真摯に受け止め、誠意を持って償わせて頂く所存でございますので、何とぞご容赦の程お願い致します!」
真顔となり大きな声で詫びた。
すると、由紀子の謀りごとが飲み込めたのか、真奈美が急に顔を崩す。
「あら、嫌だ。由紀子さん、そういうことだったの。西脇さんを困らせて。何よ、私を陥れたのね。まったく、恥ずかしいじゃないですか!」
嬉しさを包み隠し照れた。
「あら、いいでしょ、真奈美さん。これで西脇さんとデートが出来るんだもの。羨ましい限りだわ!」
羨ましそうに、やったという顔を返した。すると、真奈美が恥ずかしそうに繕う。
「まったく、西脇さんまで巻き込んで私を騙すんだから。ああ、恥ずかしいったらありゃしないわ」
それでも期待するように、カクテルを口に運んだ。
「いやあ、由紀子さんって怖い方ですね。この魔性の目に睨まれたら、金縛りにあったように身体が硬直して、どうにもならなくなってしまいました。くわばら、くわばら。これ以上ここにいると、何されるか分かりませんので、退散させて頂きます」
笑顔を作り、西脇は立ち去った。
由紀子がカクテルを口に運ぶ。
「真奈美さん、よかったわね。上手く渡りつけられてさ。後はあなたの腕次第よ。煮るなり焼くなりしてね。ご馳走さま」
平然とした顔で告げた。
「まあ、嫌だ。まんまと私や西脇さんを手玉にとって。あの様子を見ていたら、私、本気で怒っているかと思ったわ。すごい勢いで言うんですもの、びっくりしちゃった。でも、あんな落ちがあるなんてすごいわね。さすがだわ由紀子さんって」
思わぬ結末に感心した。
「あら、それってどういう意味かしら。もしかして、男癖でも悪いとでも言いたいの?」
「いいえ、とんでもない。そんなこと言っていません!感心したと言っているんです。簡単に男性を手玉に取るのをね」
真奈美が反論すると、ひねくれる。
「ああ、そう。それじゃ私、男ぐせ悪くなってあなたから西脇さんを奪い、強引にデートしちゃおうかな」
すると慌てて遮る。
「ああっ、待って下さい。由紀子さんに先に踏み込まれたら、私の入る隙間がなくなってしまうじゃないですか!」
「あら、それって。どういう意味かしら?」
「だって、由紀子さんは綺麗だし、私なんか太刀打ちできないわ。勘弁して下さい!」
真奈美に止められ、仕方なさそうに頷く。
「ううん、しょうがないわね、諦めるか。分かったわ、それなら真奈美さん。積極的に、いやむしろ強引に行くのね。ぐずぐずしていたら承知しないわよ!」
「は、はい!」
二人は顔を見合わせ、くすくすと笑い出した。そして真奈美が有体を振り返る。
「それにしても、迫力ありましたね。西脇さんがまんまと引っかかってしまうんですもの。由紀子さんって、本当に芝居が上手ですね。私なんか、とてもそんな風に真似できないわ。
だって、西脇さんも。由紀子さんが本気で怒っていると思っていたんじゃないかしら。あの真剣な顔で、頭を深々と下げて謝るんですもの」
「そうね、そうだったわね。私も彼の謝る様子を見ていたら、つい、噴出してしまうところだった。けど、ぐっと堪えていたのよ」
「へっ、そうだったんですか」
「そうよ、こんなこと真剣にやらなければ、騙せないわよ。もし最初から嘘だと分かったら、面白くないでしょ」
「そうですね。でも私だって、責任を感じてしまったわ。それほど演技に迫力あったもの」
「そう、それはどうも。何だか褒められているのか、貶されているのか、妙な気分だわ」
「いいえ、本当に感心しているんです」
「そう、それじゃ真奈美さん。これから頑張ってもらうために、乾杯しましょ」
「ええ、頑張るわ……」
二人はカクテルグラスを合わせた。三人でのやり取りが真剣みを帯び興に乗っていた。真奈美は先ほど思い出しそうになった、嫌な過去を封じ込められたことに、胸の内で呟く。
これでいいんだわ……。
一時はどぎまぎする気持ちになったが、この場の楽しい雰囲気を壊すことなくいられることに、真奈美は感謝する。暖かな空気と柔らかい明に包まれると、自然に頬が緩んでくる。、。
「どうかの、真奈美さん?」
「えっ、なんのことかしら?」
「まあ、真奈美さんたら。赤い顔が随分緩んでいるわよ」
「あら、そんなことない。でも、今日は素敵な夜ですね」
「それは、ご馳走様!」
食事を取り重ねる酒に、まどろみが綿帽子のように降り注ぐ。
今の真奈美には、少しの酔いのなかで大きく膨らんで来る何かの期待が眩く見えた。それは、由紀子が道筋をつけてくれた西脇との恋愛に対する未知なる期待が、過去に経験した裏切られる辛さを凌駕しつつあることである。
今度こそ、幸せになれるかもしれない……。
淡い期待の恋心。疼くような予感が、胸の奥で沸き立つ思いがしていた。
そんな限りないお喋りのなかで、酔いと伴に時間の経つのを忘れるほど、彼女の顔に笑みがこぼれていた。
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