第67話 私の誕生日

 結局私の誕生日は仕事で潰れ、家賃三万八千円のアパートに戻る頃には日付が一つ進んでいた。

「あー疲れた」


 GoGoカナリオンの収録後に、とある女性誌のオーディションを兼ねたカメラチェック。それが終わったかと思えば事務所の先輩と共に会食という名の御接待。

 挙句の果てに終電近くの電車に揺られて午前様では、見た目が命の職業のはずが、ぼろ雑巾ぞうきんのようにくたびれる一方だ。


 数時間ぶりに覗いたスマホには、拓人さんと陽さんから誕生日おめでとうとメッセージが入っている。

 声にならないうめきを上げながら、私は年季の入ったバスタブに湯を張りつつこきこきと首を鳴らした。




 結局拓人さんと交わした約束は、どちらの誕生日にも果たされないままだった。

 拓人さんは二年になり、実験などで学校に泊まり込みになる事も増えた。

 バイトは鈴木綾瀬さんの穴埋めに土日にフルシフトで出勤する事になったので、隣同士に住みながら互いが顔を合わせられる機会がめっきり減って来た。




「引っ越し、引っ越しか」

 東京の中心地にある事務所とカナリオン関係の収録スタジオがあるみなとみらい、そして自宅のトライアングルは明らかに効率が悪い。

 スーパートレーナーとしての私は系列ヨガスタジオのどこに顔を出しても構わないので、この地にしがみつく理由は無い。


 引っ越し引っ越しと本郷ほんごうさんにせっつかれているものの返事を先延ばしにしているのは、ひとえに拓人さんと離れるのが耐えられないからだ。

 それが分かっている本郷さんは、余計に私を急がせようとする。

 本郷さんにとって拓人さんは、私の足を引っ張る旧時代の遺物いぶつにしか見えないらしい。


 急激に変化する流れにきりもみになる私がかろうじて正気を保てるのは、拓人さんの体温があるから。拓人さんの声があるから。拓人さんの――。


 ああ、私は確かに拓人さんに依存している。

 私はため息をつきながら、バスタオルで体をぬぐった。




 濡れた髪もそのままに季節外れのこたつに入り、私は誕生日プレゼントをこたつの上に広げた。

荒屋敷あらやしきさんからシステム手帳、本郷さんからハンドクリーム、GoGoカナリオンからのケーキは体内格納済み、それからこっちはスパークリングワイン」

 どれも大切なプレゼントのはずなのに、私が欲しかったプレゼントだけがこたつの上に見当たらない。


「拓人さん、会いたい」

 拓人さんへの誕生日プレゼントも探さなきゃと思いつつ、私はいつの間にか眠りに落ちていた。




「そんな寝方しちゃ風邪ひくよ」

 ずっと触れられたかった手が私の頭を撫でた。

 バイトから戻って来た拓人さんの体からは、懐かしい油の匂いが漂っていた。


「起こしちゃ悪いかなと思ったんだけど。誕生日プレゼントだけでも渡しておかないと、またすれ違いになるし」

 あー疲れたと言いながらカバンをごそごそあさる拓人さんの動きをホールドするように、私は思い切り拓人さんを抱きしめた。


「拓人さんが足りない。拓人さんをいくら補給しても間に合わない」

 ふごふごと拓人さんの胸板に頭をこすりつけると、拓人さんは俺今臭いよと言いながら私を引きはがした。

「キッチンやってる?」

「うん。まさか俺がキッチンに入る日が来るとは思わなかったわ」

 バスタブに湯を張り直している間、拓人さんはうんざりした顔で服を脱いだ。


「綾瀬さんがキッチン嫌がっちゃって、フロアじゃないと辞めるって言ったから。とりあえずレトルト系は覚えたけど、成瀬さんが時間帯変更してくれなかったらと思うとぞっとする」

「成瀬さんが!? まさかラスト?」

「さすがにご家族がいるからそこまでは。午後十時半までいてくれるようになったから何とか回ってる」


「成瀬さんにスパルタされてるでしょ」

「スパルタじゃなくて、ゴシップ探りされまくってる。ゆいさんは普通の人じゃ無くなったんだし絶対に認める訳にはいかないんだけど、相当えぐり込んで来るからキツイ」

「ごめんね」

 拓人さんに秘密を背負わせてしまっている現状を、どうする事も出来ない自分が歯がゆかった。


「ま、良いけど。俺もうすぐ辞める事になるし」

「はあっ?!」

 私が素っ頓狂な叫び声を上げると共に風呂からチャイム音が響いて来た。


 ※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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