第35話 年上の女

「あれ、どうしたの」

 バイトを終えた私たちは、頼りない街灯に照らされた住宅街を無言で走り抜けると、側道そくどうに折れる拓人さんと別れてアパートの隣部屋に戻るのが常である。


 拓人さんの気配を感じて振り返ると、拓人さんは側道に折れずに私の真後ろで信号待ちをしていた。

「何となく」

 常になくぶっきらぼうな拓人さんの答え方に引っ掛かりを覚えながら、私は青信号に導かれた。


「お休みなさい」

 自転車のカギをしまいながら目も合わせずに告げた私に、拓人さんは意外な事を言い出した。

「今から若葉さんの部屋に行ってもいいですか」

「今から?」

 思わず私はぎょっとして振り返った。

「つくしさんの事で相談したいことがあるんです」

 私は身を固くした。


「風呂から上がってからでいい?三十分ぐらいしたらおいでよ」

「俺もシャワー浴びてから来ますから」

 何の含みもない言葉のはずなのに、私はベッドのシーツをいそいそと新品に取り換えた。

 男性と関係を持っていないに等しい自分が、拓人さんを上手に扱えるだろうか――。

 浮ついた不安を大真面目にし始めた自分にダメ出しをするように、風呂から聞きなれたお知らせ音が響いた。




 ドライヤーをかけていると、控えめなノックの音がした。

「済みません、こんな遅くに無理言って」

 玄関を開けると、乾ききっていない髪を無造作に下した拓人さんが、グレーのダッフルコートを羽織って立っていた。

「つくしさんの探し物の件?」

「ええ。それが、同じ物を別に頼んで作ろうとしてるんです。ちゃんと正直に大野に話した方が良いって説得したけど、何分なにぶん聞く耳を持たない人で」


「それで私に聞きたい事って?」

 ドッグタグのありかを知っている私は、あえて自分のペースに話を持って行こうとした。

「変な事を聞きますが、セックスをしたかどうかで『付き合ってる』認定するのが、女の子にとっての『普通』なんですか」


 私はまともに男性と『付き合った』事なんてない。

 たった一人の男性と関係を持ったことがあるが、彼は私の知人の男性が目当てで、私はただの踏み台兼隠れみのに過ぎなかった。

 都合よく扱われていた事にも気づけなかったほど恋愛慣れしていない人間に、的確な答えなど出せようはずもない。


「人によるでしょ。拓人さんはどうなの?」

「俺は高校の時にちょっとだけ同じ部活の女の子と付き合ったけれど、キスどまりだったな」

「じゃあそういう関係って持ったことないんだ」


「いや、『彼女とは』無かっただけですよ。女の人とそういう関係になった事はあるけど。俺の初体験は、オンラインゲームのパーティー組んでた十歳以上年上の女の人」

「嘘でしょ?!」

 私は思わず変な声を上げてのけ反った。


「休みの日の昼間に相手のタワマンで。こっちも私服だし背が高いから、周りからは普通に大人だと思われてて」

修羅場しゅらばにならずに終われたわけ」

「相手が札幌に転勤になっちゃって自然消滅。あとリア友のお姉さんの院生と塾講で計三人」

「私より経験多いんじゃないの」

「へえ。若葉さん絶対モテまくったと思ったのにな」

 拓人さんはからかうように笑いかけてきた。


 良いようにされてたまるかと思い、私は話の主導権を取り戻しにかかった。

「つくしさんと大野君って、この前うちに来た時も何となくぎくしゃくした感じだったよね」

「やっぱり分かります?」

 つくしさんから言われた事は伏せたまま、私はうなずいた。


「あの十四桁って、大野とつくしさんの誕生日にイニシャルなんですよ。つくしさんの誕生日に大野がバイト代から出したから、つくしさん相当焦ってるぽくて」

「あんなに可愛い子なのに、大野君は何が気に入らないんだろう」

 私は首をかしげた。

「まあ、つくしさんは見た目を裏切る超武闘派だから」

 拓人さんはあいまいに笑った。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

(2023/7/2 改稿)

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