第34話 Eternal Love
玄関を開けるとすっかり冷え切った空気が私を迎え入れ、私は震えながらエアコンとセラミックヒーターのスイッチを入れた。
「いい加減引っ越したい」
拓人さんと一緒にコロッケやハムエッグをつつく事が出来なくなるのは寂しい。
だが遠くない未来には、私たちはお互いの事を過去の人として認識する事になる。
あの子は留年などするタイプではないし、三年次からは都心のキャンパスに戻るから実家から通った方がはるかに近い。
胸の中にあるあの子への抱えるべきでない思いを捨て去るにも、一気に物事が動き始めるのに合わせて引っ越しもした方が良いかもしれない。
それに、新しい出会いがあれば、十四歳も年の離れた子供に心を動かすなどと言う不毛な営みから離れられる。離れなければならない――。
楽天的な性格でもないくせに、時折突飛な選択をしてしまう自分が嫌になる。
もしかしたら今がまさにその悪癖が出ている瞬間なのかもしれない。
三十三歳の無名の女がプロスポーツチームのPVでセンターを張るなんて、どう考えても無茶な企画だ。
それが通るといつの間にか思っていた私は、随分おめでたい頭の持ち主なのだと思う。
「忘年会行きたくないな」
大学時代の知り合いに会うと、自分が
何を話せば良いのやらも分からないしばつが悪い。
そんな風に思うぐらいならなぜ逃げ出したと言われそうだが、あの時は逃げる以外に選択肢が思いつかなかったのだ。
震えながらバスタオルで身を包み、セラミックヒーターの前に陣取って裏起毛のスウェットに着替える。
こんなみっともない姿をあの子には見せたくないなと思いながら髪をタオルドライしていると、スマホが光った。
〈夜遅くに済みません。つくしさんが若葉さんの部屋に落とし物をしたかもしれないそうです。この写真のドッグタグと同型で数字とアルファベットは『0721SOEL1012TT』です。見かけたら教えてもらえますでしょうか。よろしくお願いします〉
スマホの画面に映ったドッグタグは、陽さんの洗濯機の下から出てきたドックタグと全く同じ型と素材だった。
そして私の記憶が確かならば――。
『すももちゃん?!』
一瞬立ち尽くした、帰りの車内で心ここにあらずだった陽さん。
そして陽さんの洗濯機の下から出てきたドックタグ――。
陽さんはつくしさんの事を『すももちゃん』と呼んだ。
つくしさんが探していたドッグタグが、陽さん宅の洗濯機の下から出てきた。
つくしさんは陽さんのタイプの女性そのもの。
そしていかがわしい撮影とビストロの駐車場で、香水臭い中年男から『すもも』と呼ばれていたつくしさん――。
全てをぐるぐると矢印でつなげると、厄介な事態になっているようだった。
私は【0721SOEL1012TT】と刻印された、陽さんの洗濯機の下から出てきたドッグタグを思い起こした。
1012TTは鶴間つくしさんのイニシャルとその誕生日、0721SOは大野君のイニシャルとその誕生日だろう。となると真ん中のELはは『Eternal Love』の略か。
『何をすれば好きだって本当に思ってるって分かってもらえるのか、どこまですれば好きだって事をちゃんと伝えられるのか』
『彼氏大好きなのに四か月以上ほっぺちゅーだけとか心折れちゃいますよう』
鶴間つくしとしての、すももちゃんとしての言葉が私の脳内にこだました。
つくしさんは女としての価値を、自分以外の誰かに認めてほしいのだろう。
彼女は明らかに自分を見失っているように私には思えた。
「こんな事誰にも言えるわけない……」
成人向けのコンテンツに出演し、恐らく複数の男性と金銭を伴った形での割り切りデートをしているなどとは大野君にも拓人さんにも知られて良い訳がない。
「……さん、若葉さんっ」
はっとした私は声の主に振り向いた。
「大丈夫ですか、体調悪いなら早上がりしたほうが」
拓人さんがビールサーバーを拭く手を止めて私に声を掛けた。
昨日の夜からずっとこんな感じだ。
所属のスポーツクラブからはあやのさんの仕事を受ける許可が出たと言うのに、私の頭の中は十四桁の数字とアルファベットに占拠されている。
「大丈夫」
「そうですか。何かあればすぐに言ってください」
拓人さんには、ドッグタグは見当たらなかったと答えたきりだ。
私は拓人さんに嘘をついている。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
(2023/7/2 改稿)
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