第36話 潔癖症

「つくしさんって、楚々としてかわいらしい見た目なのに。そんなに気が強いのね」

 確かに拓人さんからじゃがいもを分けてもらった日の会話で、最短距離を走りたがる子だは思った。

 あのいかがわしい撮影上がりにも、監督らしき男に『顔出しNG』をしっかりと主張してはいた。

 とは言え、『超武闘派』とまで言われるとどうにもピンと来ない。

 

「大野にも問題はありますが。大野はもはや潔癖症けっぺきしょうの域なんですよ。あれは奥手とか言うレベルじゃない」

「手をつなぐだけとか」

 私はとぼけた顔で拓人さんにたずねた。


「頬にキスまでは何とか許されたけれど、その先がNGだって。その上に誕生日プレゼントを失くした事がばれたら、今度こそおしまいだって。つくしさんはかなり焦っています」

 つくしさんが何をしているかを知っている私は、いっそすべてがバレる前に、二人の関係をおしまいにした方が良いのではと思った。


「大野は大野なりにつくしさんの事は大切に思ってるみたい。けれど、一緒のベッドで寝るのも拒否しているんです」

「それはちょっとひどい。でも、相手に関係なく大野君の反応は同じだと思う」

 私の言葉に拓人さんがふっと顔を上げた。


「大野君は触られたり近寄られる事自体を嫌がる何かが、過去にあったと思う。だからつくしさんが求めるほど、怖くなって拒否するのかな」

「だとしたらつくしさんは今後もこのまま」

 私はうなずいた。


「つくしさんは大野君以外の男性の所に行けば良いけれど、大変なのは大野君の方だよね。仮に触られたりする事自体が嫌なら、別の女の子と付き合っても同じ所でつまづいちゃうんだもの」

「それは外野の出る幕じゃないから、二人で向き合うしかないけれど」

 とは言いつつも、拓人さんはどこかもどかし気な表情である。


「若葉さん。つくしさんの事で、俺に隠している事がありますね」

 しばらくの沈黙の後、拓人さんが言いにくそうに、しかしはっきりと私に告げた。

 私は思わずはっと息を呑んで、拓人さんから目を反らした。


「若葉さんがつくしさんの事を『デリの子』って呼んで、俺がその呼び方を止めた事がありましたよね」

 あのゲリラ雷雨の夜だ。つくしさんが大野君と一緒に初めて店に来た時だ――。

 私は、はだけた胸を拓人さんに見られた瞬間の事を思い出して、わずかに体をほてらせた。

「『デリ』って隠語があるんです。その、性的なサービスを客先で行うものでして。つくしさんは自分のマンションに帰れない日に、『デリ』の上客じょうきゃくの家やホテルに男と泊まってるみたいで」

 陽さんの家もその一つと言うわけか。私は内心で舌打ちをした。


「つくしさんはこのエリアで活動をしていて、出会い系にも登録しているらしい。デリの送迎バイトをしている法学部の先輩からの情報だから、学内にもかなり広まっていて」

「それで良く大野君の耳に入ってないよね」


「時間の問題でしょう。そもそも大野がつくしさんを泊めて一緒に寝てあげれば良かった。だって付き合っているんですよ。そうすれば寝場所のために男の家やホテルを渡り歩く必要もないわけで」

「お姉さんは彼氏と別れたんじゃないっけ。まだ彼氏が居座っていて家に戻れないの」

「どうもそれが、お姉さんと同居できなくなったらしくて」

 つくしさんは直情的で思い込みの強い人ですからね、と拓人さんがため息をついた。


「女友達の家に泊まるって選択肢は」

「女友達がいないから」

 私はさもありなんとうなずいた。

「若葉さんが見た『アレ』は、『セクシー女優』のお仕事風景だったって事で」

 こたつにもぐり込むと、拓人さんは背中を丸めて顔を天板に軽く乗せた。


「実は、つくしさんから泊めてくれないかって頼まれた事がありまして。断ったけど、こんな事になるぐらいなら、泊めれば良かったと。かなり責任も感じていて」

「そんなの拓人さんに責任なんてないよ。お姉さんの彼氏だって、妹がいるのに家に泊り込む時点でデリカシーが無い。大野君だってつくしさんの要求にどうしても答えられないなら、つくしさんを解放するのが筋だし」

「大野は一回別れ話をしたらしいんだけど、泊りに行かないから一緒にいさせてほしいって」

 そこまで良い男かな――。

 私は一昔前のB-boyのような大野君の風貌ふうぼうを思い起こしながら、首をひねった。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

(2023/7/2 改題及び改稿 2024/7/11 パラグラフ最後部を37話に移動。および一部改稿)

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