第26話 『大好き』の伝え方

 拓人さんと私で夕食を摂る予定にしていた日に、私は臨時インストラクターの仕事帰りに例の公園近くを再び歩いていた。

 鶴間つくしさんに似た女の人をその公園で見かける事は、あれ以来一度も無かった。

 厚底ブーツに張り付く落ち葉の量も少なくなり、代わりにさえぎる葉のない落葉樹の間を強い北風が吹き抜けていく。

   

「拓人さんにじゃがいものお礼をしなきゃ」

 緑道沿いのブーランジェリーでデニッシュなどを買い込むと、緑道沿いのベンチに掛けた私はシュガートーストを食べ始めた。


「何だあれ?」

 瞬く間に空が焼けたような朱色になる中、緑道沿いの駐車場で不自然に揺れているフルスモークのワンボックスワゴンが目に留まった。

 ナンバープレートを念のために暗記する。

 工事や警備の休憩の人たちが使っているのだろうとは思うが、若い頃に同じような車に後をつけられた事のある身としては少し気がかりなところもある。

 もう少しだけ様子を見ようと思いながら、私は冷めかかったコーヒーに口を付けた。


 コーヒーがすっかりアイスコーヒーになった頃に、バックドアが開いた。

 日が落ちたせいで、照明に照らされた車内が良く見えた。

 妙にガーリーな内装が施された車内は、ピンク色のマットレスに毛布とヘッドレストが乱雑に配置されていた。

「クロージングトークを撮って終了ね」

 甲高い男の声に呼応して、年若い男と小柄な女性がもぞもぞとワンボックスワゴンから降りてきた。

 男に手を振りながら暮れなずむ公園に消えていく彼女を、カメラが追っている。


「はい撮影終了お疲れ様っしたあ! すももちゃん今日も最高。今年のセクシーハニー新人賞はすももちゃんで決まりだあっ」

 甲高い声の主は、瘦せぎすでばさっばさの茶髪の男だった。


「顔出しNGだし新人賞もいりません。事務所から聞いてませんか」

「大丈夫大丈夫。ちゃんと顔も修正入れるしパケは徹底的にいじるし、映り込み対策でメイクも変えてるでしょ。うちはモザイクだってしっかり掛けるし、顔出しNGの素人さんでも数字出して実績積んでる優良制作会社だから安心してって」


「本当にNGなんですってば」

「分かってるよすももちゃん。ちゃんと書類も交わしたでしょ。それはそうと、あの後彼氏は?」

 ヘアメイクは確かにいつもの彼女では無かったが、話し方と言い声と言いまぎれもない鶴間つくしさんだった。


「もう全然ダメっだめのダメ。すももの事が大切すぎて何も出来ないとか言って。本当にすももの事が好きかどうか不安になってきて」

「まつねえ究極秘奥義きゅうきょくひおうぎは? 頑張って練習したじゃないの前作で」

「無理ですって。四か月以上ほっぺちゅー以上許してもらえないのに」


 私はつくしさんに姿を見られないようにマフラーを頬まで引き上げると、ふらふらとベンチから立ち上がった。

「じゃあさ、いっそ彼氏連れておいでよ」

「でもすもも彼氏にこれ内緒だし」

 目の前の光景を誰にも言えるはずもなく、私は重い荷物を背負ったような足取りで拓人さんの待つ家へと向かった。




 鶴間つくしと言う人格とすももちゃんと言うアバターを上手に使い分けているつもりなのかもしれないが、結局は同じ人間のする事だからどこかで破綻はたんするだろう。

 大野君に求められなくて辛いなら、大野君と向き合って話し合うしかないのだ。

 他人の事になるとすいすいと答えが出るくせに自分自身の事になると答えが出ないのはきっと誰しも一緒で――。


〈何時ごろ戻られますか。ご飯はこちらで炊いておきますね。大野からハムを貰ったんでハムエッグも出来ますよ〉


 メッセージにあと一時間弱で帰ると返すと、私は乗り換え駅のホームに降り立った。


 改札を通ると電車がホームに滑り込んでくるところだった。

 陽さんの暮らす街で降りれば後はバスで十五分ほどだ。




「お帰りなさい。早かったですね」

 玄関のドアが開く音に反応して、すぐに拓人さんが訪れた。

「どうぞ、いらっしゃい。上がって」

 拓人さんは手にハムと卵の入った袋を下げていた。


「米は家で炊いている所です」

「ありがとう。これ、じゃがいものお返し」

「良いんですか。ご飯も作ってもらうのに」

「良いよ。コロッケなんて一人じゃ作る気にならないから食べてくれてうれしい」

 寒っと言いながらこたつにもぐりこむ拓人さんを見ながら、私はエアコンのスイッチを入れた。


「十二月はさすがに冷え込みが違いますね。この辺りって松戸より冷える」

「ここは横浜じゃなくて横山だもの」

 アールグレイのミルクティーを青い広口マグカップに入れて渡すと、拓人さんはかじかんだ手を温めるようにマグカップを包み込んだ。




 冷蔵庫から下ごしらえしたコロッケ種を取り出し室温に慣らす間に、キャベツをざくざくと刻んでいく。

 店のようにキャベツスライサーを使えるわけではないので、千切りが太目なのはご愛敬だ。

「じゃがいもをつぶしましょうか」

「今日はもうそこまで終わってる。後は揚げるだけ」

 千切りにしたキャベツを氷水にさらして揚げ衣を用意すると、私も黄色い広口マグカップを抱えてこたつに入った。


「ご飯の炊きあがりまであとどの位だろう」

「むらし時間込みで三十分ぐらいじゃないかな」

「じゃあ十五分経ったら揚げ始めよう。それにしても大野君がくれたハムってずいぶん立派ね。ハムエッグどころかハムステーキになりそう」

「バイト先のオーナーが余った食材をくれるみたいで、ちょくちょく俺に分けてくれるんですよ」

「へえ、居酒屋だっけ」

「オーナーが趣味でやってる個人店らしいです。相模大野の方に店があるみたい」

「そっか。二十歳になったら陽さんも連れて皆で行こうか」

 拓人さんはうれしそうにこくりとうなずいた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。


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