第27話 ひび割れたダムに降り注ぐ雨

「正直実家のコロッケより旨いんだけど、隠し味とか使ってますか」

 拓人さんはしげしげとコロッケを見つめた。

「何の変哲もない作り方のはずなんだけどな。それにしてもこのハム美味しいね。趣味の店だけあって高そうなハム使ってる」

「ですよね」

「いっそ今度からそこに転職するか。余り貰えるし」


 笑いながら食べ進めると、拓人さんは早速ご飯とコロッケのお替りに向かった。

 細身の体のどこにそれだけ入るのかと思うが、細そうに見えて筋肉のついた成長期の体には、それだけのエネルギーが必要なのだろう。

 結局コロッケ四個とご飯三杯を平らげた拓人さんは、皿洗いを済ませると伸びをした。


「陽さんのチャンネル結構人気あるんです。ここは近場ですよ」

 拓人さんがスマホを差し出した。

 典型的な郊外住宅地でしかないその光景は、城好きにとってはたまらなくロマンをそそるものらしかった。


「陽さんのSNSを見た事はありますか。結構マニアックで面白いですよ」

「それで陽さんと連絡を取り合ってるんだ」

「若葉さんの若いころの写真とか見せてもらったりして」

「ああもう止めてそれ。本当に黒歴史なんだから」

 思わず床に仰向けになって天井を仰いだ私を、拓人さんが見下ろした。


「若葉さんの写真は本当に素敵でしたよ。ただ、若葉さんにその言葉を聞く気がないんじゃ届きようがない」

 それきり拓人さんは押し黙った。




 軽快な無料BGMのような音楽をバックに、住宅地近くの廃城はいじょうを紹介する陽さんの声だけが嫌に耳についた。

 目が赤く充血しているのを悟られたくなくて、私は目を腕で隠したままそれを聞いていた。

「陽さんは若葉さんの事を心配しています」

「知ってる」

 会社を辞めてインドに行った後、大学の知り合いを通じて陽さんはインドまで飛んで来た。


 祖母の七回忌後に全てを投げ出すようにインドに飛び立った私を、事情を知っている陽さんはひどく心配していた。

 語学留学のつもりで来たのだと、半分嘘で半分本当の事を言って陽さんを日本に帰したのだが、再会した私がバイトを二つ掛け持ちする生活を送っているのを見て、世話を焼きたくなっているのだろう。

 陽さんはそう言う人だ。

 愛情の泉が大きすぎて、周りに分け与えないと洪水になってしまう。

 心のひび割れた私には、まぶしく明るく暖かすぎる人だった。


「陽さんって素敵な人ですよね。俺は子供だからあの人には叶いっこない」

 私は何も言えないまま、拓人さんに背を向けた。

「もう少し陽さんを頼って良いんじゃないかな。多分、陽さんは若葉さんの事が」

「陽さんには本当に幸せになって欲しいんだ。陽さんにぴったりな人を見つけて欲しいんだ」

 ひとしきり拓人さんに背を向けて泣くと、私はよろよろと起き上がって座り涙を拭いた。


「ごめん、変な所を見せて」

 いつもの口調に戻したはずなのに、どこかまだ湿気っぽい自分に嫌気が差した。

 拓人さんは何も言わず、私の背をとんとんと軽く叩いた。


 この手を振り払わなくなったのは大進歩なのかもしれない。

 だが私は、この幼いのか達観しているのか分からない子供を、利用しているだけかもしれないと思った。


「もう大丈夫だから」

 しばらくしてから放った私の言葉に、拓人さんは私の背から手を離した。

「またご飯を食べさせてもらっていいですか。俺、料理は余り得意じゃないし、若葉さんと一緒に食べるほうが美味しいし。大野から差し入れもらったらまた渡しますから」

 私は思わずうなずいた。

「そろそろ戻ります。バイト行かなきゃ」

 空の炊飯器と差し入れのパンの袋を下げた拓人さんを見送ると、私は玄関ドアの前にしゃがみこんで泣いた。




『夢のフラット35へようこそ』

 念願の子供の親権を取られて、一人ぼっちでファミリーサイズのマンションに住んでいる陽さんの自虐的な笑みが、脳裏から飛び出した。


『ゆいっぺともっと早く会っていたら良かったかもね』

 もしかして拓人さんの言う通り、かつて陽さんは、私に対して友達以上の感情を抱えていたのだろうか。

 だとしたら、大学のミスコンに出そうとした時に、見世物か笑い物にでもするつもりかと突っぱねた私の態度を見て、私を男友達扱いする事にしたのだろうか。


 それにしても親しい相手に、『見世物か笑い物にするつもりか』とは随分な言い草だ。

 やはり私には祖母の血が流れているのだと、改めて実感した。


 祖母の血が流れる私が母になれば、気づかぬうちに、自らの子供に祖母と同じ仕打ちをする可能性がある。 

 まだ見ぬ夫と最愛の子供を守るには、一人で生きて死ぬ以外に術はない――。

 そんな信念を頑なに持っていた私が、子供が欲しい一心で結婚した陽さんと結ばれる事などなかっただろうし、これからもないだろう。


 私は陽さんには心を開いたと思ってはいたが、根っこの部分では誰に対しても心を開くことなどなかった。


 結局私以外に自分の救世主はいない。 

 だが、大人に成長する時期に徹底的に人格否定をされた私は、自分を救う方法どころか、自分が生きていても良いのかすら分からなくなっていた。


 当然の帰結として、不安や恐怖から逃れ逃れて生き延びてきた私は、陽さんのような『まとも』な人から見ると心配になってしまうのは当然だろう。

 その上、長い間人を好きになることなどなかった三十代の女が心惹こころひかれるのが十九歳の少年と来れば、冷笑されるのがオチだ。


 私はひび割れたダムだ。

 ひび割れたダムに降り注ぐ雨は、ダムを満たすことが無い。

 それでもこんな人間にすら愛と言う慈雨を降らせる人達がいる――。

 その事を、小平の家でおびえ苦しみ続けるかつての私に伝えたかった。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

(2023/7/2 改稿)

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