第13話 大木陽さん
「冷えますね」
風除け室前のごみ箱の中身を回収してきた拓人さんは、首と広い肩をすくめた。
「時計の針が重なればもう十一月だものね」
拓人さんがフロアスタッフになってからまだ二か月半しか経っていない。
そのくせ、ずっと前から彼と一緒にいる気がするのは、二人きりで過ごす時間の長さゆえだろうか。
その割には、彼の事をよく知らない。
私が知っているのは、拓人さんが私が受験に失敗した大学の建築科に通っている事と、松戸駅から大学まで二時間掛けて通ってきていた事。
それから、大野君と鶴間つくしさんと言う同級生がいる事、後は――。
「どうしました?」
拓人さんが私を黒目がちの大きな瞳で見つめてきた。
「最近しゃべってないなと思って。自転車で帰るようになってから、しゃべる時間ってないじゃない」
自転車を押しながら歩いて帰っていた頃より、隣に住んでいる今の方が二人きりで過ごす時間が少ない。その事に心の奥がちりちりと反応しているのが厭わしかった。
拓人さんは少しうつむいて微笑むと、大してごみの入っていないゴミ袋をバックヤードに運んで行った。
他に彼の事で知っているのは何だろう。
結構な猫舌な事と、幽霊やおばけが苦手なこと。
それからフライドポテトをつまむ長い指先に――。
「今日もお客さんがもう来ないかもしれませんね」
ゴミ出しから戻ってきた拓人さんが話しかけてきた事で、私のとりとめもない思考が一時停止した。
「そうね。来てもあと一組か二組ぐらいじゃないの」
そのまま会話は途切れ、私たちはそれぞれ黙々と作業を進めていった。
「いらっしゃいませ」
レジのジャーナルに目を落としていた私は、拓人さんの声で入り口へと目を向けた。
「ゆいっぺ?!」
グレーの秋物コートを着た中肉中背のサラリーマン風の男性客は、大学時代と変わらぬ風貌で目を見開いて私を見据える。
「
私たちを、拓人さんが困惑したように見た。
「インドに行ってたんじゃないの」
「随分前に戻ってきていましたよ」
「そうなんだ。まさかこんな所で会うとは」
私たちは中高大学と、同じ電車で通学していた仲だ。
彼はボタン飛び散り事件の目撃者でもあり、当時の私のあだ名―『乳』―も知っている。
彼とは中高時代は他校生で話す機会は殆ど無かったのだが、大学の歴史サークルで期せずして再会する事となったのだ。
彼―
「ゆいっぺに呼ばれたのかな。電車を乗り過ごして、歩いて家に帰る所だったのよ」
陽さんは細いシルバーフレームの眼鏡をくいっと上げると、メニューをぱらぱらとめくった。
「仕事は何時まで」
「ラストまでいますよ」
「二時ごろだっけ。流石に明日も仕事だからキツイなあ。金曜か土曜の夜に飲もうよ」
「仕事明けに一緒に飲めと言いますか。さすがにもうそこまで若くないですよ」
「もうお互いいい年だもんなあ」
私が苦笑いをすると、陽さんは頭を掻いた。
チョコケーキをばくばくと食べると、また来るねと言って陽さんは私に名刺を渡して立ち上がった。
「気が向いたら連絡ちょうだい。史跡探訪ブログと動画をやってるから見てね」
「仕事しながらそんなの大変でしょう」
「それが息抜きって感じだからいいのよ」
「今度からちょくちょくここに来るよ。あんな若くて細い子と二人っきりだなんて、強盗が来たら危ないよ」
会計を済ませた陽さんは、ふいに声を潜める。
「縁起でもない事を言わないでくださいよ」
私が苦笑しながら言うと、陽さんはからかうような表情を作った。
「それともお邪魔虫だったかな。かっこ可愛い系イケメン君って感じの子だね。タイプ」
「あの子はまだ大学一年。論外ですよ」
「へえ大学一年か。それにしちゃ落ち着いてるね」
「ちなみに私たちが落ちた大学の理工学部」
「嘘だろ。あんなにイケメンのくせにずるいっ」
苦笑しながら、陽さんは風除け室のドアに手を掛けた。
晩秋の空気をまとった陽さんは、渋谷方面へと遠ざかって行った。
「ご友人ですか」
「大学の先輩で
中高時代の黒歴史には触れたくなかった。嘘はついていない。
「若葉さんの大学時代か。ちょっと興味あるかも」
拓人さんはいたずらそうに笑った。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
(2023/7/2 2024/7/21 改稿)
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