第12話 月の終りに

「十月の売り上げ目標はぎりぎり未達だったけど、とりあえずお疲れちゃーんだよっ」

「お疲れーっ」

 ああ、今日で十月も終わりだ――。

 常連のセクハラ美容師たちの乾杯の声で、改めて月日の流れを思い知る。

 拓人さんは入口に彼女たちの姿が見えるや、田奈さんによって彼女たちセクハラ客から隔離され、冷凍庫でひたすら棚卸たなおろし作業に勤しんでいる。

 フロアを田奈さんに任せた私は、カウンター台前で補充作業などをしていた。


「おじちゃんレモンチューハイ三つと梅サワー三つ。あとたっくん一つお持ち帰り」

「レモンチューハイ三つと梅サワー三つ! ご注文ありがとうございまああっす」

 田奈さんは語尾を拡声器のように張り上げて『お持ち帰り』注文をかき消すと、カウンター前に戻ってきた。


「拓人君ってば、相変わらずあの色ボケどもから大人気ですよ。参っちゃうねもう」

 両指を器用に使って六個のジョッキを持ち上げると、起き上がり小法師のような体に似合わぬ軽快そのものの足取りで、再度フロアに向かった。

「レモンチューハイ三つと梅サワー三つお待たせしやっしたあーっ」

 田奈さんは合戦場の名乗りのような大音声で彼女達をひるませると、唐揚げとフライドポテトにおしんこの注文を手堅く取る。


 私は無人のキッチンに戻ると、手早く唐揚げとポテトをフライヤーに投入する。

 フロア側の冷蔵庫からおしんこ皿を取り出した田奈たなさんは、樽のような体で戦場におもむくコマンドーの如く彼女たちへと突撃していった。

「いらっっしゃっいまっせー」

 独特な田奈さんの節回しが店中に響く。

 

 平日午後十時過ぎはキッチンへのオーダーは余り入らないが、ドリンクオーダーで意外と忙しくなる時がある。

 立て続けの入店に、拓人さん目当てで追加オーダーが多い常連セクハラ美容師四名様。田奈さんだけでは限界だと悟って、冷凍庫に拓人さんを呼びに行った。


「ごめん、レジとフロアのヘルプを頼む。あの四人は田奈さんが何とか交わすから」

「俺スルー耐性あるから。心配しないで下さい」

「いやいや、聞いてる他のお客さんにも嫌な思いさせちゃうから」

「それもそうですね」

 防寒コートと軍手を脱いだ拓人さんは、やべえ寒いと言いながらレジ前に立った。


「たっくーん、今日は何時上がりなの」

 焼酎のお湯割りに移行したピンクの髪の美容師が、ぶんぶんとレジの拓人さんに手を振る。

「秘密です」

 拓人さんは子供をあやすように笑って答えると、単身赴任者のような雰囲気のスース姿の男性の会計を済ませて席を片付けに行った。


 フライヤーのアラーム音が響く中、立て続けにオーダー用紙が入ってきた。

 デザート台では拓人さんがフルーツパフェをマニュアル頼りに用意していたが、この状態では手伝いに行くのは不可能だ。

「グリルサンドパストラミワンオーダーサンキュー」

 約十五分にわたる修羅場を終えて最後のオーダーをアップすると、拓人さんはグリルサンドパストラミを運んでいった。


「とりあえず今のところオーダー待ち無し。オーダーはすべてアップ済み。お疲れ様です」

 カウンター台に戻ってきた拓人さんが、にっこりと笑って小首をかしげた。

 どうやら何か確認する事や伝えたい事がある際に、笑って小首をかしげるのは拓人さんの癖のようだ。

 私にもキッチンの成瀬さんにもあの酔っ払い四人組にも同じような仕草をするものだから、まったくもって手に負えない。


「パフェ大丈夫だった」

「綾さんが辞める前に特訓してくれたから、まあ何とか」

「そう」

 本日付けで退職となった鈴木綾瀬さんには、戻ってきて欲しいような、顔を合わせにくいような複雑な心境だ。


 一気に入ったオーダーで乱れたキッチンをきれいに立て直した頃には、午後十一時を過ぎていた。

「たっくん愛してるう、お休みーっ」 

 会計を終えたセクハラ美容師達が、拓人さんに声を掛けているのが聞こえた。  


 席の片付けを手伝いにフロアに出た私の目に、四人掛けの席を拭く拓人さんの姿が映った。


 磨き上げられた窓に映る、長めの前髪から見え隠れする黒目がちの瞳。

 長身に映える派手な顔貌がんぼうは、ハイビスカスやノウゼンカズラのような夏の花を思わせる。

 表情豊かな彼は、私が普段美しいと思う冷涼で無機質なタイプとは対極の存在だった。


「どうかしましたか、若葉さん」

 窓に映る私の姿に気が付いたらしく、拓人さんが上半身だけ私に向けた。

「いや、何でもない」

 私は彼の姿を飽きず見つめていた自分に気が付いた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

(2023/7/2 改稿)

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