第11話 『そういう』関係

 

「あれ、自転車買ったの」 

 仕事を終えて通用口を出ると、拓人さんは私が欲しかったタイプの電動自転車に鍵を差し込んだ。

「無いと不便なんで」

 私が自転車に乗るのを見計らうと拓人さんは自転車をぎだした。


 東京と横浜の境界線上の幹線道路で彼と別れる事が無くなった代わりに、暗く静まり返った住宅街を、彼の背中を頼りに歩く時間が失われた事を少しばかり切なく思う。


 いや、何故切なくなど思うのか。

 この気持ちは恋じゃない。共に過ごす時間が長い若い男に体が反応しているだけなのだ。

 私はこの気持ちは恋じゃないとつぶやいて、遠くなっていく彼の背中を見ながらゆっくりとペダルを漕いだ。


「若葉さん。俺コンビニ寄るんで先に帰ってください」

「分かった」

 幹線道路沿いのベーカリーの手前で私を待っていた拓人さんはそう言い残すと、アパートとは反対側の通りへと向かっていった。

 いつもこの道を拓人さんを置いてきぼりにしてアパートへ急いだはずなのに、いざ電動自転車を漕ぐ彼の姿が遠くなると妙に心細くなった。




 先にアパートにたどり着いた私が油まみれの髪を解くと、遠慮がちに私の部屋をノックする音が響いた。

「どうしたの」

「ちょっとだけお時間を頂けませんか」

 チェーンを掛けたままドアを開けた私の前で、拓人さんが軽く頭を下げた。


「明日はスポーツクラブの休みの日だから大丈夫だけど拓人さんは」

「明日一限休講なので」

「じゃ、中に入って。こんな夜中に立ち話も落ち着かないから」

「済みません。すぐに終わるんです」

 おずおずとこたつに入った拓人さんは切り出しにくそうにしていたが、私がちらりとキッチンのデジタル時計を見たのをきっかけに口を開いた。


「成瀬さんに何を言われたんですか」

 私の下手な嘘はバレバレだったらしい。

 私は嘘に嘘を重ねると余計にややこしい事態を引き起こすだけだと思い、こたつの電源を入れて彼と差し向いで座った。


「成瀬さん、私と拓人さんが『そういう』関係なんじゃないかって疑ってるみたい」

 拓人さんがやっぱりとため息をついた。


「綾さん、俺たちがベーカリー前で待ち合わせしてたのを見てたそうで」

「告白されたんじゃないの」

「その方がマシでしたよ。綾さんの家はベーカリーの反対側のマンションで、部屋から俺たちが一緒に帰ってるのを時々見てたって」

「それでコンビニに寄ったの」

「この辺りに住んでる人は綾さんだけじゃないかもしれないし。綾さんは俺たちが同棲してると思い込んでるらしくて」

 事実無根の疑いを知らぬ間に掛けられていた私は、思わずこたつの天板に突っ伏した。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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