あの子のことー世界は君が思うより、ずっと優しいはずだからー

第7話 宿泊先募集中

　いつも通りにレジ締めをし終わると、時計は午前一時四十八分を指していた。

　私は女子更衣室に入ると、手早く油まみれのコックコートを脱ぐ。

「クールビューティー系爆乳美脚（ばくにゅうびきゃく）……」

　しばしば言われるそれは誉（ほ）め言葉のつもりかもしれない。

　だが、私と言う人間そのものではなく体ばかりに注目されて来た側としては、結構なコンプレックスになっている。とは言えこの体形は、ヨガインストラクターとしては絶大な武器となっているのは確かだった。

　私のような体形になりたいと、何年もクラスに通い続けてくれる常連さん達がいるのもとてもありがたい。

　私の体は金の卵を生む鶏のようなものかも知れない。それでも――。

　私は体形隠しに持って来いの、サージのジャケットとカーゴパンツでコンプレックスの元を覆った。

「待たせてごめんね」

　薄茶色と水色のチェックのネルシャツを着こんだ拓人さんは、首を緩く横に振った。

「今日はいつもの道でいいの。それとも他の子の家に泊まるの」

「いつもの道でいいです」

　それだけ言うと、拓人さんは何事も無かったかのように無言で歩き始める。　

　いや、実際に何も無かった。

　拓人さんの身になれば、不可抗力（ふかこうりょく）で十四歳も年上の女の乳房を見たのは、当たり屋に遭ったようなものだろう。　　

「大野、つくしさんと同棲（どうせい）するかも」

　ややあって拓人さんが口を開いた。

「つくしさんのお姉さんがマンションに彼氏を連れ込むから、家に居られないそうで」

　インドのシェアハウスで同じような目に何度もあった私は、我が事のようにうんざりとした。

「彼氏が来る日だけ泊まりに来ても良いとは言ったものの、結局ほぼ毎日彼氏が来るから」

「となると、拓人さんは今後は大野君の家に泊まれなさそうなの」

「今日はたまたまセーフでしたが、さすがに邪魔は出来ないですからね」

　拓人さんはふうと大きなため息をついた。

「大雨の日に泊まる予定だった子は」

「それが、崖から水が滝みたいにアパートに落ちてきて危ないから、ちょっと離れた所に引っ越すそうで」

　拓人さんの足取りがふと緩（ゆる）まった。

「もしかしたら、ここを辞めなきゃならないかも」

「他に泊まるあてはないの」

　ここで辞められては採用から新人教育から全部やり直しだ。辞められるのは困る。

　私は食い下がるようにたずねた。

「後一年半近くも、週三日も泊まり場所を探し続けるのは難しいし」

「もし週三日泊まるあてがあるなら、辞めなくて済みそうなの」

「もちろん、泊まり先さえあれば続けたいです。松戸から二時間かけて一限必修に出るなんて地獄だし。バイトも無いのに友達の家に泊まり続けるのは気がとがめるし、親も納得しないし」

「彼女は。一人暮らしの彼女の家に転がり込むとか」

「ヒモじゃないんだから」

　常連の逆セクハラ美容師達に中山さんや成瀬さんなら、諸手（もろて）を挙げて拓人さんを泊める事だろう。但し朝まで寝かせてもらえないのは間違いないが。

「もしお金の都合がつくなら……」

　言いよどんだ私に、拓人さんが怪訝そうな目を向けた。

「うちの隣と上の部屋が空いているの。築三十年以上の古アパートで、一年近く入居者が見つからない物件。家賃も値切れるんじゃないかと思って」

　私は橙（だいだい）色の街灯に照らされた拓人さんを見つめた。

「１LDKで三万八千円。バストイレ別でフローリング。松戸からの定期代が浮くと考えれば、土日フルシフトで週五勤務にすれば何とかなるんじゃない」

「悪くないですね、ちょっと考えてみます。引っ越すなら親にも相談しなきゃだし」

　足を止めていた拓人さんが再び歩き出した。

※本作品はいかなる団体個人とも関係のないフィクションです。

（2024/7/12　改稿）