第5話 セミダブルベッド
泊まるはずだった友人宅に避難指示が出た拓人さんは、店長に連れられて
「何で私まで避難所に行く必要が」
「そりゃ地形的に
この辺りは横浜と言うより横山だと
谷底の道路はすぐに冠水するし、山を背負った住宅は土砂崩れと
「今まで台風でも大雨でも大丈夫だったんですから。風呂だって入りたいし」
ぶうと膨れる私に構わず、店長は眼鏡を拭いてさっさと車に戻った。
「まあまあ。備えあれば憂いなしだから、ね」
私は油でべとべとの体が雨に打たれていくのを感じながら、拓人さんの隣に座った。
「本当にひどい雨ですね。店長の家の方は大丈夫ですか」
「大丈夫だよ拓人君。うちはマンションの上の階だから」
「タワマンのね」
避難所の中は人もまばらで、災害情報を伝えるニュースを老人がぼんやりと見ている。
「離れないで。俺と一緒にいてください。女の人が一人じゃ危ない」
「大げさだってば。大丈夫だよ」
段ボール製の簡易パーテーションを設置しながら、拓人さんがぶっきら棒に告げた。しかしながらここは、インドを一人でぐるぐる巡った日々に比べれば、母親の腕の中ぐらいに安心だ。
「大丈夫じゃないです」
とは言え、拓人さんにとっては危険地帯に見えるようだった。
私は叱られた子犬のようにしゅんとうつむくと、クッションマットに座った。
「お手洗いに行く時は俺を起こしてください」
拓人さんは私たちを段ボール製のパーテーションで取り囲むと、毛布をかぶって横になった。
時折子供のぐずる声が響く中、スマホの気象情報をぼんやりと見ている私のそばで、拓人さんが背中を丸めて寝息を立て始める。
パーテーションで区切られたセミダブルベッド一台分のスペース。そんな所に大の大人二人が押し込められている中で、随分寝つきの良い事だ――。
私は呆れ半分で彼の寝顔をちらりと見た。
長めで癖のある前髪に高すぎず低すぎぬ鼻筋。
羨ましくなるほどふっくらと血色の良い唇。
茶色の毛布は、彼の呼吸に合わせてゆるやかに上下動を繰り返している。
こんなにまじまじと彼の横顔を見たのは初めてだった。
赤ん坊の夜泣きの声で目を覚ました私は、横になってスマホを見ていた拓人さんと目が合った。
「今何時」
「四時前です」
拓人さんは持っていたスマホを私に向けた。
「うわ、こんなに酷い事になってるの」
私はうつぶせに寝ころんだまま上半身だけ少し浮かせて、スマホの画面をのぞき込んだ。
「あの、毛布。かぶらなくて寒くないですか」
「平気だよ。むしろ暑いぐらい」
スマホから拓人さんの方に視線を上げると、拓人さんは私から目をそらすように顔を少し赤らめて目を伏せた。寝乱れて、無駄に人目を惹く胸がはだけていたようだ。
「お目汚し失礼」
彼に気を使わせないようにおどけた口調で軽く謝ると、起き上がって毛布を被り手早く身なりを整えた。
「いえ、こちらこそ済みません」
初心な乙女のように拓人さんはうつむくと、再びスマホに目線を戻した。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
(2023/7/2 改稿 2024/7/12 一部改稿)
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