第38話 憶 -remember-

 今日から春休み。

 高校生活の一年が終了した。

 勉強の手は抜かなかったし、出席日数も十分だったから、問題なく進級試験はクリアしている。

 いろいろあった一年だったな。

 りょうと出会って、偽カノにされて、すれ違いながら夏休みに付き合い始めた。

 彼氏ができて感じたのは、毎日が華やかに色づいたこと。

 自分が変わっていったこと。

 どれだけ変わるまい、と心に決めても強烈に引きずられて変わってしまう。

 さらに言えば、陵がTDMを継ぐとして、あたしは絶対反対だった。

 けど秘書として陵のそばで過ごすのも悪くないとさえ思えてきている。

 恋の力って、すごい。


 あたしが通っていた小学校の卒業した日は、今通っている高校の春休みと同じらしい。

 記憶がないから実感は湧かないけど、あたしたち姉妹の両親が亡くなった日は、明日に迫っている。

 毎年、姉と一緒に形だけお墓参りはしている。

 けど彼氏ができた今は、姉が気を利かせて陵と行くよう勧めてくれた。

 アルバイトもほぼ一年続けたことになるけど、アルバイト代はあまり使わないよう気をつけてるから、少しずつ貯まり始めている。

 とても学費を賄えるほどではないけど、せめて自分の小遣いくらいは自分で何とかするため、勉強も手を抜けない。

 祖父母は、生前に両親と良好な関係を築いていて、かつ保険の受取人に指定されていたらしく、あたしたち姉妹の学費は問題ないそう。

 そこから小遣いを出すことも提案されたけど、何もかも甘えるのは違うと思って、高校に上がりアルバイトができるようになったところで小遣いは断った。

 夏にアルバイト先が閉業するという話が出た時はさすがに小遣いのことを心配してしまった。

 休みの日にはもちろん部活動があるものの、部活動に出るとアルバイトの時間がなくなってしまうので、平日以外はほとんど参加できていない。


 先週のこと。

「春休みだけど、終業式の翌日はシフト入れてないよな?」

「うん。お墓参りに行くから」

「ああ、事故に見舞われた両親のか」

「記憶がないから、ピンとこないけど、いつも姉と一緒に行ってるわ」

「そうか。家族水入らずなら、俺は邪魔になるな」

 去年も姉と一緒にお墓参りに行ったけど、今年は事情が違う。

 でも特に何も言われてないから、今年も姉と行くことになる。

「ごめんね」

「いいさ。終わってからでも逢えるか?」

「いいわよ」

 こうして話をしながら、アルバイト先から帰る道を陵に送ってもらった。

「彩、おかえり」

 姉は玄関から見えるところで背を向けて歩いていた。

 振り向いて、こちらにやってくる。

「ただいま」

「そういえば来週お墓参りよね」

「うん。行くときは学生服でいいかな?」

「それだけど、今年は彼氏と一緒に行ってきなさい。わたしは朝早く出て済ませておくから」

 あたしはわずかに一瞬だけ目を見開いた。

「そういえばお姉ちゃんは彼氏いないの?」

「いるわよ」

 そう答えたけど、あたしから見ると嘘に見える。

「高校卒業後に遠距離だけどね。彼氏が遠くの大学に行っちゃったから」

「そう、だったんだ」

 遠距離恋愛だったのか。

 そういえば高校の頃、休みの日はよく出かけてたっけ。

「彼氏は記憶喪失のこと、知ってるの?」

「ううん、知らないわ。遠距離になっちゃったし、タイミング逃しちゃったから」

 あたしは陵の事を信じられるから教えたけど、付け込むような素振りすらない。

 コーくんもどうやら秘密にしてくれているらしい。

 あたしが記憶喪失を知っている人は限られている。

 祖父母と姉。陵とコーくん。それと瑠帆るほに小学校時代の友達だったと思われる遠くの女子同窓生。他にはあたしが事故で入院した病院の一部関係者くらい。


「それじゃ、先に行ってくるわね」

「いってらっしゃい」

 お墓参り用の服を纏って、先に出るお姉ちゃん。

 あたしは一時間後に出る予定。

 陵が玄関まで迎えに来てくれることになっている。

 自分の部屋に戻り、二年用の教科書を開く。

「成績を落とすわけにはいかないから、春休みで宿題も無いし、予習しておこう」

 学校の授業は、ほとんどの場合で教科書をなぞっているだけだから、自分で先に勧めていても問題はない。

 そういえば陵は、もう高校の授業課程すら全部終わってるんだっけ。

 大学はたしか専門的になるから、進路が決まるまでは勉強範囲が散らかってしまうけど、陵パパは経営学前提で課題を出してたのかも。


 ジャッ

 黒いスーツに身を包み、小石を敷き詰めた通路を進むゆう

 墓石の前にたどり着いて、手提げ桶と柄杓を地面に置く。


 パシャッ


 祈りを捧げた後、水をかけて手にしたブラシで墓石に積もった砂を洗い流す。

 花を飾って線香を炊き、再び祈りを捧げる。

「お父さん、お母さん。今年も来ました…」


 さわ…


 風が吹き抜け、夕の髪と服を揺らす。

「この後、彩と彼氏が来ます。どうか、荒ぶることなく彩の彼氏を帰してあげてください。彼を憎んで許さないのは、今ここで足を地に着けているわたしだけで十分です。変わらず彩の記憶はまだありませんが、彩の記憶が戻ったら…」

 夕は目を開き、言葉を飲み込む。

 スッと立ち上がって、半歩だけ後ろに下がる。

月都美つづみりょうくん、あなたは何を思ってわたし達に近づいたのよ…もし彩の記憶が戻ったら、きっと…苦しむよね。その時は、わたしが彩を守らないと…」


 予習を終えて、学生服に着替える。

 喪服ではないけど、正装ということで代用している。

 姉も高校時代は学生服でお墓参りしていたけど、今は大学に上がった際に入学式で着るために買ったスーツを着ている。

 主に来客用に使っている和室の仏壇に視線を送った。

 父と母二人の写真が飾られている。

 記憶が無いから、写真を見ても全く実感がわかない。


 ピンポーン


 呼び鈴に気づいて、玄関に向かう。

「おはよう、陵」

「ああ、おはよう。彩」

「準備できてるよ。早速だけど行こう」

「そうか。けどその前に」


 陵は家に上がって、和室の仏壇前で正座する。

「この二人が、彩の両親か」

「うん。全然覚えてないんだけど」

 ぱん

 両手を合わせて目を閉じて祈りを捧げる。

「これから、ご挨拶に伺います」

 小さく呟いて、目を開ける。

「彩、行こうか」

「そうだね」


 両親のお墓は、歩いて20分程度のところにある。

 祖父母の家から近くて、駅からも近めのところを選んだ結果。

 恋人つなぎで歩いていく。

 あれ?そういえば姉とすれ違わない。

「お姉さんはどうしてるんだ?」

「先に行ったはずだけど…」

「会わない、か」

「うん」

「墓参りは行く時と違う道を選んだほうがいいと言われてるから、それを守ってるんじゃないのか?」

 言われてみると、これまで行ったお墓参りは、行きと帰りでなぜか違う道を連れられた気がする。


 彩が家を出てまもなく、夕は家にたどり着いていた。

「もう出かけたみたいね」

 自分の部屋に入り、黒いスーツを脱いで部屋着に着替える。

 夕はベランダに出て空を見上げる。

 雲ひとつない青い空を見上げていると、記憶を取り戻した時のことを思い出す。

 彩が彼氏を連れてきたあの日から少しだけ経ったある日。


「お待たせぇ」

 大学で作った女友達との待ち合わせ。

 花火大会が終わって数日が経ったある日、前に美味しいもの話で盛り上がったお店へ行くことになった。

「時間どおりよ。それにしても暑いわね」

 毎日快晴続きで、夜もあまり気温が下がらなくて暑苦しい。

「ほんと暑いよねぇ。寝苦しくてたまらないわぁ」

「早く行って涼みましょう」

「そうねぇ」

 行き先は評判のかき氷屋。

 香料と着色料だけで差をつけたシロップではなく、本物の果実をすり下ろした本格シロップを使っているのが他と違うところ。

 純水にその果実を絞った生シロップを混ぜて、氷自体に味が着いているところも他とは一線を画す特徴で、行列ができるほどの人気がある。


「うあぁ、すごい行列だねぇ」

「こんなのまだマシよ。バイト行く時に見ることがあるけど、いつもは向こうの交差点まで並んでるわ」

 話題のかき氷屋にたどり着いたけど、予想どおりの行列だった。

 ジリジリと照りつける日差しを日傘で遮りながら、行列の一番後ろに二人で並ぶ。

 友達と何気ない会話をしながら、一人また一人とお店から外に出ては並んでる人たちが入っていく。

「もうすぐだねぇ」

「席はそこそこあるから、回転率がいいんでしょうね」

 三十分かからず、もうお店の軒下へ到達している。


「ねぇ夕ぅ。どれにするぅ?」

 暑い中の行列に耐えて、やっとお店の席に座ることができた。

「いちごにするわ」

「あっいいねぇ。それじゃわたしはマンゴーにしよっとぉ」

 メニューは10種類あって、制覇するには10回こなくてはならない。

 けどこうして二人でシェアするなら5回で済む。

 もっとも、そこまで足繁く行けるものではないけど。

 待っている間もひっきりなしにガリガリと氷を削る音が店内を駆け巡る。

 見ていると、待っている間も3組ほどのお客さんが席を立ってお店を出ていく。

「こうして眺めてると、思ったよりは行列で待たなくていいみたいねぇ」

「でも多分、お店を出る頃には行列がもっと伸びてると思うわよ。行列が交差点まで行くと流石に並ぶ気は無くなるわ」

「言えてるぅ」

 交差点まで伸びると、おそらく一時間は待つことになる。

「おまたせしました。いちごのお客様は?」

「はい」

「こちら、いちご氷でございます」

 コトっと置かれた容器は涼し気な透明なすりガラスに赤い氷が山盛りになっている。山のてっぺんには真っ赤ないちごが添えられていた。

「ありがとうございます」

 軽く会釈しつつお礼する。

「マンゴー氷でございます」

 友達の側には橙の氷が置かれる。てっぺんには四角いマンゴーが乗っている。

「フルーツが乗ってるよぉ。すごいねぇ」

「これは意外だったわね」

 まずは器の際あたりを軽く掬って氷を味わう。

 暑さに参った体に染み渡る冷たい氷が口の中で溶けて、すぐ甘い果実の味が押しかけてくる。

「美味っしい!」

「至福ぅ」

 評判の氷に幸せを感じつつ、お互い無言でスプーンを器に運んだ。


「美味しかったねぇ」

「行列に並んだ甲斐があったわね」

 爽やかな甘味が残る口の余韻に浸りながら、お店を出た。

 ギュギ----ッ!!

 突如アスファルトがタイヤを削る音が響いたと思ったら

 ゴシャッ!!

 重い金属同士がひしゃげるような鈍い音が続く。

 反射的に音がした方を振り向くと、トラックと乗用車が正面衝突していた。

「ぶつかったぞ!!」

 静寂が訪れたと思いきや、一気にざわつき始める。


 ズキン…

 事故の発生したその光景に、体中鳥肌が立って、頭痛が襲いかかってくる。

「何…これ…」

 ズキン…ズキンと頭の痛みが強くなり、立っていられなくなって思わずうずくまる。

 これは…失った記憶…?

 脳裏に浮かんでは消えるそのビジョンは、小学校に通っていた頃の彩もあった。

 事故が起きた当日のビジョンが浮かんで消えて、頭痛が治まった。

「夕ぅ!?どうしたのぉ!?」

「…いえ、何でも無いわ。食べた氷とこの温度差でめまいが起きたのかも」

「そぉ?無理しないでねぇ」


「ここか…」

「ええ。今日が両親の命日なのよ」

 蝶名林家之墓ちょうなばやしけのはか、と墓石に書かれている。

 けど、あたしには両親の記憶が無くて実感がわかない。

 見ると、墓石はきれいに掃除されていて、数輪の花が添えられ、線香の壺も置かれている。

 姉が先に来たことを物語っていた。

「あたしが記憶を失ったのは、四年前弱の命日から二日後なの」

「交通事故、だったか。原因はわからないんだよな?」

 アルバイト代で買った花をお墓に添えて

「うん」

 と応える。

「お医者さんが言うには、心因性らしいんだけど…」

 陵もしゃがんで膝を着き

「初めまして。蝶名林彩さんのお父さんとお母さん。今、俺は彩さんとお付き合いをさせてもらっています」

 と続ける。

「叶うことならば、お二人にこの姿を見せたかったです」


 ズキン


「っ!!」

 頭痛がする。


 ズキン…ズキン…!


 段々と頭痛が強くなってくる。

「どうした!?彩!!」

「な…なんでも…ない!!」


 ズキン、ズキン、ズキン!!!


 頭が割れそうなほど、強い頭痛が襲いかかってくる。

「う…ああああああっ!!!」

 耐えきれず、その場でうずくまってしまう。

「彩!!しっかりしろ!!どうしたんだ!?」

「頭が…頭が…痛いっ!!!」

 刹那、まるで走馬灯のようにイメージが脳裏に浮かんでは消える。

 これはまさか…失われた記憶!?

「ああああああああああああああああっ!!!!」

 ツヅミ…リョウ…。

 あたし…記憶を失う前に、陵と…会ったことが…あるっ!!?

 プツンと糸が切れるような音が頭を駆け抜けて、意識が途絶えた。

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