第37話 夜 -christmas-
「え?親父と食事に行った!?」
「うん」
「どんな話になった?」
今日はクリスマス前日。
終業式は昨日終わり冬休みに突入していて、今日はアルバイトも休み。
「いろいろあったけど、陵をよろしくって」
「…あの親父が?」
「そうよ」
「ということは、親の仕事についても聞いたんだな?」
もらった名刺には、TDMのCEOとなっていたけど、最高責任者に変わりはない。
その名刺をチラッと陵に見せた。
「あのTDMホールディングスグループ代表なんでしょ。けどあたしは全く興味ないって態度してたら、気に入られちゃった」
実際、あのやり取りした内容は本音だし、陵パパが後を継いであたしに嫁入りしろって迫ってきたら本当に駆け落ちするつもりでいる。
けど陵がどう思っているか。
「そうなんだ。もしTDMと知って食い気味で話をしてたら、今頃俺は海外に飛ばされたかもしれない」
「…陵パパ、確かにそう言ってた」
「やはりか」
「それで、陵はお父さんの後を継ぐの?」
「継ぐよ」
っ!?
「…あの、あたしは…継いでほしくない」
「どうして?」
「だって、あたしには荷が勝ちすぎると思う」
「彩が嫌なら、彩をTDMには関わらせない。それでいいんじゃないか?」
「そういうわけにはいかないでしょ?」
「ならば別々の仕事をすればいい。彩は自分で仕事を見つければ解決だ」
「それだと、一緒にいられる時間が少なくなっちゃうでしょ」
あたしは陵さえいてくれるだけで十分。
「ずっと一緒にいたいなら、明先の若代表みたいに秘書でもやってみるか?」
「だからあたしはTDMと関わりたくないの」
「それならテレワークをメインにでもするか」
「できるの?」
「TDM本社近くに居を構えておけばできるかも」
………。
結局TDMを切り離すのは難しそう。
「まだ時間はある。落とし所はいずれ見つけよう」
「そうね」
今になって考えてみる。
夏休みの宿題をやるため陵の部屋に行った時のこと。
陵パパはやけに親しげに興味津々な態度でいたけど、あれは多分あたしを油断させるため。
油断したあたしから、ディナーに誘って二人で話をしている間に本音を引き出すためだったんじゃないかと思う。
ディナーで話をしていて思ったのは、これまで多分TDMという財産ゆえに孤独な思いをしてきたのだろう。
陵パパはやけにTDMの財産をチラつかせて煽ってきたけど、食いついかせるための罠に過ぎなかった。
罠とも気づかず本心で拒否した結果、とても気に入られた。
もし陵と知り合う前から彼がTDM関係と知っていたら、むしろあたしは遠ざけて身を引いたと思う。
それと、あのディナーをいただきながら話をしていた。
「仮にだ、
「だからあたしはTDMと関わるがありません。できれば
まっすぐ視線を返しながらキッパリと言う。
「だから仮に、だ」
「仮にでも、関わりません」
陵パパがフフッと小さく笑う。
「君とは会話していて楽しい。さすが陵の選んだ相手だ」
「恐れ入ります」
最初の一皿が運ばれてくる。
「こちらはアミューズでございます。サクサクに焼き上げた薄いパンへ三元豚のリエットを添えております。そのままつまんでお召し上がりください」
見ると、スプーンの先ほどもないくらい小さな料理が出てきた。
「陵くんの
アミューズを食べ終わってから質問を投げかける。
「あるが、論外だ」
「お眼鏡に適わなかったんですか?」
「自分の道は自分で切り開くのが経営だ。家族とはいえ自分以外の要因で安易に事を進めようとする政略結婚を持ちかける怠惰な無能経営者に用はない。そんな愚か者は会社まるごと取引停止にしてやるだけだ」
背筋が凍るような思いに駆られる。
この人、すごいやり手だ。
経営のことはわからないけど、決して折れることのないものすごく太い芯の通ったその決意に、あたしは圧されてしまう。
「今だから言うけど、実際のところは彩にTDM関係者と知られたくなかった」
「どうして?」
「もしそれで目の色が変わってすり寄ってきたら…」
「今頃、陵はどことも知れない海外へ、か」
「あの高校に通う人の間でほぼ周知の事実だから、知ろうと思えばいつでも知れたんだろうけど、やはり怖いものは怖い」
思い起こせば、あたしは全く知らなかった。
とても優れた家柄ということは知っていたけど、まず女子を周りに侍らせていた…というよりも勝手に女子がすり寄ってきていたんだけど、たくさんの女子を従えていたあの姿に、まず嫌悪した。
多分裏では陵を巡って壮絶な取り合いが繰り広げられていたんだろうけど、そこにあたしが陵の女子避け、露払いとして選ばれてしまった。
「仮に、あの中で誰かに心惹かれて引き返せなくなってしまったら、俺は学生のうちに今の学生生活を続けることはできなかっただろう」
「なるほど」
「だからこそ、俺を見て一瞬嫌な顔をした彩だったら、親父の目に適う可能性が高いと思った。けど誤算もあった」
「誤算?どんな?」
「家業のことを知らなかったという、不確定要素だ」
陵は、つなぐ手にキュッと力が入る。
「もし、あたしがTDMの名を聞いて目を輝かせたら?」
「俺から別れを選ぶか、親父に別れさせられるかの二択というわけだ」
うわ、それはキツイ。
「けど、彩はすべてクリアしてくれた。TDMではなく、俺を選んでくれてありがとう」
ふわっと優しい微笑みを向けてきた。
「そんな…あたしは心から資産や財産でなんて人を選ばないだけよ」
「おかげで全部、懸念が消えた。これで将来を約束されたようなものだ」
将来。陵パパと話をしていて思ったことでもある。
TDMを継いでほしくないけど、陵とは一緒にいたい。
何となく色々な施設がある駅の方へ足が向き、駅が見えてくるに従ってイルミネーションの飾り付けコードで彩られた街路樹やお店が増えてくる。
まだ明るいから、イルミネーションは点灯していない。
「彩はどこに行きたい?」
「まだ行ってないところ」
「一人で行ったところがあったらわからないな」
「二人で行ったことがないところよ」
「そういうことか」
陵はすぐそこの雑貨屋を選んで入っていく。
「わぁ、これ可愛い」
デフォルメされた猫の小さな置物を手に取る。
「ほんとだ、可愛いな」
見回すと置物が中心になっていて、典型的な雑貨屋。
「何か欲しいものはあるか?」
「ううん、ここのはいいや」
気に入ったものではあるものの、自分の部屋に置きたいわけではない。
内装はぬくもりを感じる木むきだしの壁に、木の棚。
置いてあるものはどれも目を引くもので、店主のセンスを感じる。
カウンターを見ると女性店員さんがいる。
けど声をかけてくるでもなく、聞き耳を立てているようだった。
圧迫感を与えない配慮だろうか。
「こんなの、いいんじゃないか?」
そう言って陵はあたしの両肩に腕を回してきた。
首の後ろでモゾモゾして、腕を引いた。
「素敵なネックレスね」
細いチェーンに、小さな輝石があしらわれているものだった。
「似合ってるよ」
「ありがとう」
「気に入ったなら、クリスマスプレゼントにするよ」
「うーん、どうするかは考えておくわ」
結局、あまりピンとこなくて何も買わずにお店を出た。
「ところで、どうして俺がTDMを継ぐのを嫌がるんだ?」
「絶対に忙しくなるでしょ。一緒にいられる時間が無くなるのは嫌」
あたしは別にTDMに恨みがあるわけでも、因縁があるでもない。
単純に忙しい毎日が待っていると容易に想像できるから。
「社会人の知り合いがいるけど、一般社員でも仕事に忙殺されてる人もいるし、役員で余暇を楽しんでいる人もいる。継がなかったとして、俺が忙殺されてる立場になったらどうするんだ?」
………そうか。そんなこともあるんだ。
会話しつつ、寒さを避けるため全国どこにでもあるカフェに入る。
「試しに数年だけ役員として働いてみて、どうなるか見たい」
「役員まで行けば安々と辞めることもできない。TDMの従業員数は国内最大級だからな。責任は重くて大きい」
「………」
だめだ。
考えても答えが出ない。
「
「………そうなると、他に関わる人や会社が増えるでしょ?あたしには荷が重いのよ」
「どこか自分で就職したとしても、関わる人や会社は多いだろうし、なおさら彩にかかる責任は重くなるぞ。隣にいれば俺が彩のフォローもできる」
「そんなの、秘書失格じゃないの」
「立ち居振る舞いは覚えればいい。その場で立ち止まっているよりも、一歩ずつでも進む方がよほどいいんじゃないか?」
また陵のペースに巻き込まれてる。
このままじゃ丸め込まれて掌の上で転がされてしまう。
「そう言われても、すぐには答えが出せないわよ」
あたしにできるのは、話を打ち切って続けさせないことくらいだった。
それにしても、あたしがTDMの秘書か…。
確かに秘書ならずっと一緒にいられることは間違いない。
悪くない…かも。
「うわぁ、きれい…」
日が落ちて、夜闇が空を支配している。
あちこちに飾られているイルミネーションの光が、夜闇を切り裂く。
キラキラと瞬く色とりどりの光は体温を奪う寒さに抗う力になっているかのようだった。
「あっちの駅前あたりがよさそうだな」
大きな木に飾られていたり、街灯柱同士を渡って垂れ下げているもの。
普段は設置されてない門状の建材に絡ませてトンネルになっているもの。
しずくが滴り落ちるように流れるもの。
様々な光が周囲を照らす。
周りを見ると、男女のカップルがたくさんいる。
あたしたちも、その一組だったっけ。
陵の顔を見ると、わずかな光に照らされて、その輪郭が映し出される。
つなぐ手から伝わる温もり。
恋人たちがこうしてイルミネーションを観に来る気持ちがよくわかる。
普段と違う非日常。
季節が限られているこの空気は、ロマンティックな気分が盛り上がってくる。
離れたくない。陵と。
今日はどうなってもいいように、夕食まで作っておいたから遅くなっても問題はないし、門限も言われていない。
「ねえ、二人きりで…夜景を……すごく遠くまで見たい」
「夜景か。それもいいな。それじゃ近くの…」
言いかけて、陵は口を止めた。
条件に当てはまる場所がほぼないから。
あるとすれば、陵の住んでる高層マンション。
他の高い場所は二人きりになれない。
高くて二人きりとなれば、選択肢は事実上一つだけになる。
「二人きりかどうかはわからないぞ?」
「うん…」
手を引かれるまま、あたしは遥か高くそびえ立つ高層マンションへ足を運ぶ。
「おじゃまします」
「って、誰もいないのか」
玄関を見ると、見事に靴が一足もない。
「二人きりになれそうだな」
「…そうだね」
覚悟してきたけど、いざとなったら…少し怖い。
「うわぁ…すごい…」
地方都市だから、地上で輝く明かりはそれほどでもない。
けど窓越しに多くの明かりがキラキラと瞬き、心を満たしていく。
「部屋の照明落とすぞ。足元に気をつけて」
「うん」
背中を照らす光が消えて、星空のような夜景の光が一層強く感じる。
そりっ
真っ暗闇の中で、陵が隣まで来た。
床を擦る布連れの音がいつもより大きく感じる。
「きれい…」
「ああ、きれいだな。あの光一つひとつが、人の活動を支えていると考えたら、命の光に見えてくる」
「そう…だね」
言われてみればそうだ。
道行く街灯でも、車の光でも、家の電灯でも、人がいるからこそ点いているもの。
夜景は、だからキレイに見えるのかもしれない。
だいぶ目が慣れてきて、陵の横顔が見分けられる程度になってきた。
「どうした?」
「ん…」
あたしは陵にもたれかかって、しなだれる。
やがて、どちらからともなく、引き寄せられるようにして唇を重ねた。
夜景が見えるリビングから離れて、陵の部屋にいる。
かろうじて輪郭が分かる程度の明かりが支配する中で、二人は貪るようにお互いを求めあった。
これまでずっとお預けされてきた分を取り戻すように。
時間と共に、触れ合う素肌の面積が増えてくる。
「陵…あたし…初めて…だから…」
「俺もだよ」
愛する人と肌を重ねる幸せを噛み締めつつ、自分の中に迎える痛みに耐えて陵の体に必死でしがみついた。
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