第35話 遭 -father-

 季節は進み、夜はイルミネーションが煌めいている。

 アルバイト先では季節イベントとして、12月1日から12月25日までサンタコスが採用された。

 店内は小さいモミの木にクリスマスのキラキラした飾り付けがされていて、クリスマス気分が否が応でも高まる。

 クリスマスメニューも期間限定で追加されていて、いつもと勝手が違う。

 グランドメニュー以外に特別メニューが差し込まれて、注文端末が少し見た目に変化がある。

 ハロウィンシーズンにも同じことがあったから、こういうところで季節を感じている。

 アルバイトは無事に終わり、陵と一緒に帰る。

 あれからずっと記憶喪失について触れてくる様子はない。

 怖くて聞けないまま今に至る。

 やっぱり、何もなしというのは気持ちが悪い。

「ねえ、陵」

「なんだ?」

「あたしの…記憶喪失、どうして触れてこないの?」

「触れてほしくないことなんだろ?自分から言いたくなるまで待つよ。コーの奴には二度と触れないよう言ってある」


 きゅう…


 胸が締め付けられる思いに駆られる。

 あたしを気遣って、あえて触れないんだ。

「そうだったんだ…それじゃ、少しだけ聞いてて」

「ああ」

「…小学校卒業式一日後の春休みに家族旅行へ出かけたんだけど、その直後に交通事故で両親を亡くしてしまったの。あたしと姉の記憶は、事故後の病院からしかないの」

「それじゃ…」

「今は祖父母のところでお世話になってるわ。でもその事故が原因でそれより過去の記憶がないから、実感が湧かないんだけどね」

「それで、コーに聞かれたであろう話に心当たりは?」

 コーくんは一学期に社会見学へ出かけたあの日に影で聞いていたはず。

「多分、社会見学で行った先ね。小学校の同級生とばったり会った時のことだと思う。その友達…のはずだった人は、記憶喪失は誰にも言わないほうがいい、と助言してくれたの。それと同時に覚えてないことを利用して不利益を被らないように、その友達は絶縁を宣言してきたのよ」

「それは、よほど良好な関係だったんだな」

「え?」

「だって、その場で彩の立場を悪くすることを言っても、彩は反論する根拠が無いんだろ?」

 そう…だよね。

「うん」

「そこで絶縁宣言されるなんて、彩のことを深く思ってなければとても言い出せることじゃない。彩に不利益を押し付けないための素晴らしい気遣いだ」

「あ…」

 言われてみれば、そうかもしれない。

 何を言われても、小学校卒業時点以前のことを引き合いに出されても反論する材料が確かにない。

 目の前の人が誰なのか覚えてない人から絶好宣言されたことばかり印象に残っていて、そこまで思い浮かばなかった。

 小学校時代のあたしを知ってる人と会えたと思ったら、拒絶されたのは結構後まで引きずっていた。

 少なくとも、そこまで思ってくれるほど良好な関係だったんだ。

 陵とこうして話をしてみて、失った記憶の内容がとても気になり始めている。

 いつか、思い出せる日が来るのかな。

 絶好宣言されたあの人とも、笑って話せる日がくるといいな。

 キラキラと輝くイルミネーションの街並みを過ぎて、暗い夜道を二人で進む。

 身を切られるような寒風も、つないだ手から伝わる暖かさがかき消してくれる。

「もうすぐ二学期も終わりね」

「来週に終業式だったな」

「その前に試験があるわよ」

「彩は自信あるか?」

「手を抜いたつもりはないわ」

 成績が明らかに下がった場合はアルバイトを辞めさせられてしまう。

 自分の小遣いくらい自分で何とかすると決めた以上、試験勉強は怠っていない。

「また勉強会するか?」

「やめておくわ。集中できなくなりそうだし」

 まだ陵との関係はキス止まり。

 学校に部活とアルバイト。何かと忙しい日が続いていて、なかなか二人きりの時間が取れないでいる。

 何度かそうなりそうな空気にはなったけど、なぜか寸前で邪魔が入ってしまう。

 陵はやっぱり、テストの結果も学年上位なんだろうな。

 あたしは時間をかけて勉強してやっとの思いで学級上位に食いつけている。

 けど彼は天才というわけではなく、幼少の頃から叩き込まれた英才教育の賜物として成績上位に入っていることを教えてもらった。

 その英才教育が原因でグレる寸前だったことを聞いて、陵は完璧超人なんかではなく、小さい頃から叩き込まれて詰め込まれた努力の天才というだけだった。

 陵はどこかいいところの家らしいけど、そんなの全く興味ない。

 付き合い始めて四ヶ月くらいになった今も、陵の家柄については何も知らない。

「そういえば陵のお父さんはあたしのことを何て言ってるの?」

「気にはしてるみたいだけど、特にツッコまれてはいないな」

「そうなんだ」

 好きな人と一緒にいられるなら、家柄なんてどうでもいい。

 けどいずれは知ることになるんだろうな。

 お互いの両親に挨拶も必要だろうし。

「そうだ、彩はクリスマスイブの日って空いてるか?」

「うん。空いてるよ」

「それなら、一緒に過ごそう」

「だから陵はイブの日にシフト入れなかったんだ?」

 あたしは基本的に陵と全く同じシフトで組んでもらっている。

「クリスマスの夜は家族と過ごすのが通例になってるから、彩と過ごせるのはイブってわけだ」

 欧米か。

「嬉しい。そこまで考えてくれてるなんて。クリスマスの夜に家族と過ごすのはいつからやってるの?」

「中学からだな。一度渡米したことがあってね」

「アメリカ!?英語喋れるの?」

「ああ。前に話した親によるスパルタ教育の賜物というか」

 そっか。それがあったんだ。

「それは何をしに行ったの?」

「親の用事についていっただけだよ」

 親…たぶん陵パパだよね。

 アメリカに用事ってなんだったんだろう?

「日本の催しはまさにガラパゴスのように独自の変化を遂げていることを思い知ったんだ」

「例えば?」

「クリスマスはイエス・キリストを偲ぶ夜だし、バレンタインはお菓子やメッセージカードを男女問わず渡し合ってて、ハロウィンは街中を巻き込んで仮装してキャンディを配ったり集めている」

「へー、日本とはぜんぜん違うんだね」

 会話を楽しみながら、家が近づいてくる。

「それじゃ、おやすみ」

「うん、陵も気をつけて帰ってね」

「ああ」

 帰ったあたしは、アルバイトを辞めさせられないよう勉強をしてお風呂に入って寝ることにした。


 翌日

 胸につかえていた記憶喪失のことを陵に打ち明けることができて、どこかスッキリした気分になっている。

 過去を振り返らない。

 それをあたしの信条にしてるけど、陵に話をしたことで急に失ってしまった記憶が気になって仕方なくなった。

 今日は学校が休みで、アルバイトは昼前から夕方まで。

「ねえ彩、今日は夜に帰ってくるんだっけ?」

「そうよ。お昼は作っておくけど、夜は帰ってから作るわ」

「お願いね。ところでそのバレッタ、最近よく使ってるよね?」

「うん。彼氏がくれた大切なものよ。あまり使いすぎて壊れちゃっても嫌だけど、彼氏に髪を触ってもらってるような気分になって心地いいから」

 一瞬、姉の表情が険しくなったと思ったら、微笑みに戻る。

「そう、どちらも大切にしてね」

「ええ。わかってるわ」

 これまでも、姉に彼氏の話をするたび一瞬だけ顔が曇るのは気になっている。

 そういえば以前、彼氏について敵意を覗かせたことがあったっけ。

 もしかしてここに来てから、姉は陵とどこかで会ってたのかな。

 何かカンに障ったか、嫌になる何かをされたかな。

 けど初めて連れてきた時、歓迎ムードを出してたっけ。

 そうなるとそれ以後に何かあったと考えるのが妥当か。

 前に何があったか聞いたこともあったけど、今のあたしにはわからないと言われたんだっけ。

 モヤモヤするけど、教えてくれそうにもないから、聞いても無駄か。


 お昼を作って、アルバイト先に出かける。

「寒っ!」

 風が強い外に出ると、一気に体温が奪われてしまう。

 マフラーを巻いて手袋を着けて防寒策をしっかりしなきゃ。


「おはようございます」

「ああ、おはよう」

 お店の中は寒さを避けるためか、お昼前なのにかなりの来客数だった。

「すぐフロアに出てくれ。一人がインフルで休んでしまって手が足りないんだ」

「急いで戻ってきます」

 インフルということは、向こう一週間は出てこられない。

 少し大変な一週間になるかもしれない。

 更衣室から出て

「あ、陵。おはよう」

「おはよう、彩。休みが出てしまったようだからすぐフロアへ行こう」

「うん」

 あたしたちがフロアに出ると、お昼前でもほどなく満席になってしまった。


「やっぱりクリスマスメニューが売れるわね」

「期間限定というのに弱いのかもな」

 陵と二人で遅昼にしている。

 バックヤードの休憩室で二人きり。

「ところで彩は例の事故、いつだったんだ?」

「…うん、小学校の卒業式翌日よ。家族水入らずで旅行に行こうって話になって、その行きだったみたい」

「そうか」

「陵のアメリカ行きはいつだったの?」

「卒業式が終わってすぐ」

「準備、大変じゃなかった?」

「荷物は前日までにまとめておいて、車で迎えに来てくれたからそうでもなかったよ」

 ということは、春休みを目一杯使ったのかな。

「不安は無かったの?」

「そりゃ不安だったさ。けどめったにないチャンスだったのと、家族と一緒にいられることが嬉しくてね」

「あ…」

 小学校の頃は親と過ごせる機会があまりなかったんだっけ。

「そうだよね。あたしは今、祖父母のところにいて親の顔もわからない状態だけどね」

「こうして話してみると、お互い結構厳しい状況だな」

「そうかも」

 幼少の頃にたっぷりの愛情を注がれていながら、親の愛というニンジンをぶら下げられてスパルタ教育された陵と、事故で両親と記憶を失ったあたしと姉。

 二人ともあまり恵まれた境遇とは言い難い。

 幸せな気分で過ごしてるから忘れてたけど、陵はどこかいいところの家柄なんだっけ。

 周囲からはあたしがあまりよく思われてないと瑠帆るほに聞いたけど、陵の本気度を見た人達がそっとしておいてくれている。

 陵ってどんな家なんだろう。少なくとも学校の女子が騒ぐほどの優良物件らしいけど。

 名前からして明先みょうせんではないし、月都美つづみの名前と関係のある会社ではないだろうし。

 陵パパはどこかの中小企業で役員を勤めてるのかもしれない。

 まあ、どんな境遇でもあたしには関係ない。陵さえいてくれるならそれで十分。

 もし持て余すようなら…。

 仮に嫁入りしたら、嫌でも関わることになっちゃうわね。

 ということは、婿入りしてもらえば…。

 って、気が早いわよっ!

 ぐるぐると考えながら、お昼休みが終わる。


「お先に失礼します」

「お疲れ様でした」

 夕方上がりだから、まかないは遠慮した。

 帰ったら夕食作って家族で食べるんだし。

「行こ。陵」

「明るい内に帰るのは何か新鮮だな」

 言われてみればそうだった。

 学校がある日は部活に行ってから夕食時に入るから、夜は遅くなってしまう。

 それがあって陵と一緒に帰ることになったんだっけ。当時は偽カップルだったけど。

「彩、悪いけど寄って買う物があるから、ここまででいいか?」

 そう言ってきたのは、住宅街へ差し掛かるあたりだった。

「ええ、いいわよ」

 陵の後ろ姿を見送る。


 夕方とはいえ冬だから暗くなるのが早い。

 はぁっ

 冷える手に息をかけてかすかな暖を取る。

「ほんと、寒いわね」

 一人で家路に着いたあたしの横に、黒塗りの大きな車が忍び寄った。


 ウイイイイン


 あたしのすぐそばにある窓が開いた。

 思わず体が強ばる。

 もしかして誘拐!?窓から拳銃を持った手が伸びて撃たれる!?

「陵と一緒ではないのか?」

 聞き覚えのある声と、知っている人の名を出されて、緊張が解ける。

 この声、陵パパだ!

「陵くんは買い物があると言って数分前に離れたわ」

「そうか。夜道に女の子を一人歩かせるなんて無用心なやつだ」

 そういえば、買い物の内容を聞いてなかったけど、何を買いに行ったんだろう?

「ところで蝶名林嬢、夕食は摂ったかな?」

「いえ、まだです。帰ってから作ります」

「そうか。では蝶名林嬢、一緒に食事でもしながら話でもしないかね?」

「お誘いありがとうございます。でも、夕食はあたしが料理しないと…」

「その心配はない。君の家族には出前を取って向かわせよう」

「え?」

 陵パパは電話を始めて

「儂だ。出前を頼む。特上寿司…」

 マイク部分を抑えて

「蝶名林嬢、家にいるのは何人かな」

「あ、はい。三人です」

「三人前。場所は…」

「蝶名林嬢、住所を教えてくれるかな」

 と、強引に話を進められてしまった。

 この済し崩しにするやり方は、やっぱり陵の親なんだなと思う。

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