第32話 憶 -detection-
アルバイトの最中…
「
比較的忙しさが緩む昼下がりの時間帯は、消耗品の補充に適している。
「わかりました。各席を回って補充しておきます」
店長の指示ですぐ倉庫へ向かい、倉庫に入ってドアを閉めた。
ここには朝のうちに納品されたおしぼりや、金属ドアで仕切られた冷凍庫もある。
冷凍庫にはお客さんに提供する食材も入っている。
「割り箸はどこだったかしら…」
真夏だけあって、かなり暑い。ドアの向こうは歩き入る冷凍庫だけど、今は冷凍庫に用事などない。
ちなみに事故を防ぐため、冷凍庫に入る場合は二人一組となって、一人はドアの外で待機することになっている。
頭より少し上にある窓を開けていても、風の通りが悪くて蒸してしまう。
窓の向こうは外。近くに裏口があり、たまったゴミを重ねて置く場所でもある。
『えっ!いいのっ!?』
『ああ、もちろんだ』
窓越しに誰かの声が聞こえた。
あれ…この声って…?
『ああ、俺が悪者になって君が助かるなら、お安い御用だ』
間違いない。才田くんだ。
『ほんと!?でも、もしそういうことにしたら、才田くんに危害が及ぶかもしれないけど…?』
『こう見えてもケンカは強いほうだからな、自分の身は自分で守るさ』
『わかった。そう言ってくれるなら…ありがと!助かるよ』
声の主は女の子。しかもこの声って…?
『まだバイト中だから、バイト上がったら連絡するよ』
『うん、ここまでしてくれるなんて思わなかったから嬉しいよ!バイト頑張って!』
タッタッタッと軽い足音が遠ざかっていく。
『くそっ…なんで好きな人の応援なんかしなきゃならないんだ…』
悔しそうな、焦りを含んだ声が裏口に響いた。
補充する割り箸を手に、フロアに戻ってきた。
才田くんも戻ってきていて、テーブルを拭いている。
なんで好きな人がいながら、あたしに絡んでくるんだろう…?
しかもあの時聞こえた声は…。
途中からだったから状況はよくわからないけど、何か胸騒ぎがする。
日が変わり、今日はアルバイトが午後早くに終わる。
「それじゃ彩、また明日な」
「うん。また明日ね」
てっきりこのままデートするものとばかり思っていたけど、お店の前で別行動になった。
あっ、才田くんだ。
少し先の離れた場所で、彼が四人の男と話をしている。
今日は休みのはずだけど、この辺にいるということは、近くに住んでるのかも。
見つかっても嫌だったから、物陰に隠れた。
こそっと見たら、細い路地に入っていくところだった。
あんな細い路地に何の用事だろ?
疑問に思ったあたしは、その路地を覗き込む。
「人の女に手を出すたぁいい度胸だな!?」
路地奥の資材置き場で、何やら揉め事が起きているようだった。
「ぞろぞろと人を引き連れなきゃ俺と話すらできない臆病者が何を言っても虚しいものだな」
「んだと!?その生意気な口を利けなくしてやろうかっ!?」
…どうしよう。何かすごく物騒な空気になってる!
「つけいる隙を見せる方が悪いのさ。悔しければ好きな女の一人くらい、他の男に興味が向かないくらい夢中にさせてみろよ」
まさか…昨日の…!?
そう考えると辻褄が合う。それにしても一晩でこうなるなんて展開が早い!
ドフッ!
「へっ、これで正当防衛が成立するな。第三十六条。急迫不正の侵害に対して自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。と定められているからな」
才田くんを囲む男の一人が、お腹に一撃を加えていた。
受けるつもりで備えていたのか、陵の時と違って余裕がありそう。
ガッ!
ドゴッ!
乱闘が始まってしまった。
けど数で劣る才田くんは、次第に押されていく。
ドサッ…
「でかいこと言っておきながら口ほどにもないな」
才田くんが倒れた。
あたしは怖くて、足がすくんでしまい、そこから動けない。
ここから離れて見なかったことにしてしまえば、あたしは無事でいられる。
けど…
「やめなさいよ!」
あたしは思わず飛び出して、才田くんを背にして大の字で怖そうな男三人と向かい合う。
四人のうち一人は、三人の少し後ろにいた。
黙って見なかったことにしたら、あたしはずっと自分を許せなくなる。
たまらず才田くんの元へ飛び出していた。
「なんだてめぇ」
「もしかしてこいつの女か?」
「
四人のうち後ろにいた一人が驚いた顔であたしに問いかけてくる。
声の主に目線を送った。
「なんでそんなやつをかばうんだよ!?俺よりそいつを選ぶのか!?そいつがお前にされたことを忘れたのかっ!?」
「あたしは絢菜じゃないわよ!彩。別人よ!」
「へっ…?」
顔を見合わせる後ろの二人。
「なんだ、別人か。けどよく見りゃいい女じゃねぇか」
口々に勝手なことを浴びせかけてきた。
「いいぜ。やめてやっても」
「その代わり」
「あんたが俺たちの言うことを今日一日聞いてくれりゃな」
そう言って、
あたしは一歩も引かず、その場で才田くんをかばう。
「あんたにはたっぷり愉しませてやるからよ。それでそいつには手を出さないと誓ってもいいぜ」
「ふざけるんじゃないわよ!あなたたちの言うことなんて聞く気ないから!」
精一杯の大声で一喝する。
「ひゅう、気の強い女だ」
「その気が強い女を屈服させるのも面白そうだ」
ジリ、とリーダー格と思われる男が迫ってきた。
「なあ、いいだろ?お前の彼女に似ていても別人らしいからな」
「構わない」
後ろに控えてる男が返事する。
あたしの顎に手を当てようとしたその瞬間…
「俺の女に指一本でも触れてみろ。明日の朝日は拝ませないぜ」
後ろからかかった重苦しい声に、そこにいる全員が声の主へ視線を注ぐ。
「陵!?」
「なんだ?お前の愛人か?」
「俺のことはどうでもいい」
ジャッと砂利を踏みしめて近づいてくる陵。
完全に目が据わっている。背筋が凍りそうなほどに。
「どうして…ここに?」
「話は後だ。君たち、今すぐここから消えてくれ」
「なんだ、ヤワそうなヤツが一人だけなら…」
「おっとそいつに手を出したら後悔するぜー」
陵の後ろから、新たな声の主が現れた。
「ああ、お前も来たのか」
「ヘッ、水くせぇぞー。黙って片付けようとするなんてなー」
金怒髪天の頭は、間違いなくコーくんだ。
けど今日はなぜかサングラスをかけている。
「新手かよ。けどまだ四対二だ。いくらでもやりようはある!」
「待て!こいつは…まさか…」
リーダー格と思われる男が驚いたようにすくみ上がる。
「
『何っ!?あいつがっ!!?』
「ほう、黄金棘を知ってるのかー。これから十数えるー。先に三途の川を渡りたいヤツは前に出ろー。さもなくば目の前からただちに消えろー」
「じょ…冗談じゃねぇ!これ以上は割に合わない!いくぞお前ら!!」
ガラの悪そうな男三人と
「…黄金棘って?」
「ああ、この辺じゃ有名な極道構成員だな…ってなんだその軽蔑するような目はー。言っとくが俺じゃないぞー。この
「俺は一度見たことがある。コーの奴と間違えて声かけたら冷汗かいたな。ものすごいオーラで、背筋が凍ったよ」
そんなに似てるんだ…。
「それより才田くん、怪我してる」
ハンカチを取り出して、力なく座っている才田くんの額に流れてる血を拭き取ろうとした時
「やめろ。汚れるぞ、それ」
「うるさい。黙ってて」
止める才田くんに構わず、ハンカチで流れている血を拭き取る。
「彩さんは、俺が嫌いじゃなかったのか?」
「ええ嫌いよ。才田くんは強引だし、意地悪だし、言っても聞かないし、空気読まないし、オラオラしてるし、血の気多いし、偉そうだし、幸せな日常を壊そうとしてくるし、いくら断ってもしつこくしてくるし、振り向かないと断りにくくなるよう追い詰めてくるし」
「まだ続くのかそれ?」
「言いたいことなんてまだまだ山程あるわよ。けど、わかってるんだからね」
「何をだ?」
まさか気づかれてるとは思っていないらしい。
「…自分一人が汚れ役を引き受けて、本命の人を守ろうとしていることよ!」
わずかに目を見開く才田くん。
「まさか、昨日のあれを見ていたのか!?」
「見てないわよ。聞こえただけ。あたしに瓜二つで似てる人!前にアルバイト先に来てたわよね!?」
「チッ…カッコ悪ぃな」
「本気なら、どうして真正面からぶつかっていかないのよ!?あたしはあなたの想い人代わりじゃないんだからね!?想い人が困っているからって、あなたが汚れ役を買って出たからって、あの人が振り向くとでも思っているの!?あの人のことはよくわからないけど、せいぜい引き受けてくれて助かったくらいにしか思わないよ!?」
悲しさ、寂しさ、哀れみ、憤りがまぜこぜになった顔をしているのが自分でも分かる。
ガクン、と俯く才田くん。
「わかってるさ…けど気持ちが届かないんだ」
「気持ちはしっかり伝えたの!?ハッキリ伝えないでウジウジしてるなんてもったいないよ!?あたしだってハッキリ伝えたけど、返事が怖くてずっと返事を聞かずにモヤモヤしてきたから分かる!!そのことは今も後悔してるわ!!」
「伝えなくても分かるんだよ!!俺なんて歯牙にもかけられてない!!」
「あたしだってそうだったわよ!!とても釣り合わないとも思っていた!!けど蓋を開けたら単なる思い違いだった!!傷つくことから逃げたら、ずっと何にもならないって思い知ったわ!!独り相撲して、勝手に傷ついて、大切な人を困らせた!!」
ぽん、と肩を軽く叩かれた。
「彩、もうやめるんだ」
肩に置かれた陵の手が、あたしの頭を急激に冷やしていった。
すくっと立ち上がり、ぽふっと陵の胸に体を預ける。
「才田。俺も
確かに。
最初はあたしが惚れてしまっていながらチャラ男と決めつけて嫌ったことが始まりとはいえ、利用されたことは確か。
「お互いに嫌い合ってるからこそ利用することを思いついた。けど気がついたら好きあっている者同士になっていた。気持ちが届かないなら、届くまで諦めないか、引き下がるかはお前次第だ」
「ヘッ、彼女持ちは余裕だよな」
「そう見えるか?正直、彩の前では余裕なんか無い。いつもいっぱいいっぱいだ」
意外なことを言い出す陵。
その言い分が本当かも疑問だけど。
「傍から見て余裕に見えるところが、彼女を不安にさせているんだよ。お前のそういうところが無性に腹立つんだ」
「お前にどう思われようとも構いはしない」
陵は携帯を取り出して、どこかに電話を始める。
「どこに電話かけてるんだ?」
「警察と救急を呼ぶ」
「やめろ。あの人にまで迷惑がかかる」
「なぜそこまで庇おうとするんだ?」
「いいんだよこれで。あの人が笑顔でいてくれる。それだけで俺はいいんだ」
はふ…
陵がため息をついて、あたしの手を取り才田くんに背を向ける。
「本人が納得しているなら何も言うことはないか。だが、後悔だけはするなよ」
才田くんが望んだから、あの場に置いてきて三人で街並みへ出てきた。
「陵、何か用事があったんじゃないの?」
「あったけど…彩、携帯忘れていったろ?店から俺に電話がかかってきた」
「えっ!?」
反射的にバッグの中を確認すると、どこにもなかった。
あたしのスマートフォンは陵の手に収まっている。
「ほら」
「ありがとう」
「あー!いつまでも抱えて黙ってるなんてガラじゃねー!」
黙っていたコーくんが苛立ち気味に声を上げた。
「なあ、陵の彼女ー。小学校までの記憶がないってどういうことだー?」
全身の毛穴がドッと開いた気がした。
「…何の話よ?」
極力平然を装いながら、静かに聞き返す。
「それを理由に小学校の頃仲が良かった友達に絶交宣言されたじゃねぇかー」
っ!?
バレたっ!!嘘でしょ!?
「なんでそれを!?」
「わりー。聞くつもりは無かったんだが聞こえちまってなー」
「コー、それ以上突っ込むな。彩の顔が真っ青だ。これはさすがに聞かれたくないことなんだろ」
陵はあたしを抱き寄せながら、コーくんを牽制した。
「とはいえそれを知ってしまった以上、俺もある程度は手の内を明かさないとフェアとは言い難いか。コー、あの事を彩に話すぞ。お前の頭がどうしてそうなったか」
ひた、とコーの目を見据える陵。
「…マジでその彼女に本気なんだなー。異論はねぇよー」
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