第30話 -背- resentment
夏休みは残り三週間ちょっと。
宿題は全部終わったから、あとは時間が過ぎるのを待つだけ。
アルバイトに集中できるけど…。
「やあ、
無視。
けど呼び捨てされた時は無視している。
「彩さん」
「何よ?」
「返事くらいしてくれてもいいだろ?」
「何度も言わせないで。呼び捨てを許してるのは家族と彼氏だけよ」
「だったら俺が彼氏になれば呼び捨ててもいいんだな?」
これは直感だけど、この人に心を開いちゃいけない気がする。
「いくら頑張っても無駄よ。それより仕事しなさい」
ずっと塩対応してるけど、めげる気配がない。
「もちろん仕事はするよ。スムーズな仕事のために親睦を…」
「プライベートな事には踏み込ませないわよ。それじゃあたしはオーダー聞きに行くから」
ちょうど呼び出しベルが鳴り、呼び出されたテーブルへ足早に向かう。
ほんと、才田くんは苦手。
こんなに冷たくしてもあたしを構おうとする熱量が下がっていかない。
意図した結果を期待して接してきたのに、期待と異なる態度を取られるから不愉快になる。
「そのヘアクリップ、似合ってるね」
「ありが…」
「彩」
言いかけて、呼び捨てされたから返事の途中でも無視した。
これは陵がプレゼントしてくれたバレッタ。
ワンコインショップで全く同じものを見かけたけど、金額なんて問題ではない。
当時は陵が本気で付き合ってるつもりだけど、あたしは偽カノのままというお互いの意識だった。
それでも初めての彼氏が彼女として初めてくれたもの。
偽カノ時代に買ってくれたスケッチブックはノーカンにしておくとして。
大切なものという事実に変わりはない。
ワンコインのアイテムだから、あまり長持ちせず壊れてしまうと思う。
その時は続けて使わないまでも、飾っておくことにしている。
「さて、テーブル拭きつつグランドメニューの状態をチェックしておきますか」
才田くんは無視して、あたしは仕事に戻る。
『10時になりました。開店します』
録音された声で、天井のスピーカーから開店のアナウンスが流れた。
暑い上に夏休みということもあって、開店と同時に一度目のラッシュがやってくる。
「いらっしゃいませ。3名様でしょうか?」
アナウンスと同時に出入り口に移動したあたしは、本日最初のお客様をご案内に入った。
開店直後のラッシュは10分から20分くらいで収まる。
二度目のラッシュは11時半あたりから始まって、13時ごろに落ち着き始める。
席への案内を終えて、呼び出しボタンの音が響き渡る。
「彩、3番テーブル頼む。20番はこっちでやっておく」
「………」
今、呼び捨てしたのは才田くん。
言われた対応自体を無視するわけにもいかず、返事しないであたしは3番テーブルへ向かった。
ほんと不愉快!
「どうしたんだ彩?」
あたしの眉間を指先でグリグリしながら声をかけられた。
「陵…後で話すわ」
自分の顔を洗う時のような動きで、自分の顔をほぐす。
接客なんだから、笑顔でいなきゃ。
「お待たせしました。ご用件をお伺いします」
3番テーブルに到着して、笑顔で対応を始める。
「かしこまりました。注文を繰り返します」
オーダーを受けて3番テーブルから離れた。
店内を見渡すとすでにお店を出た空席を見つけて、置いてある食器を片付けに向かった。
えっ!?
一瞬、ドッペルギャンガーかと思うほどにあたしと似ている女性客を見つけて、動きが固まってしまう。
「やだー、才田くんってここで働いてたんだ?」
「遊ぶにしてもとりあえず金いるからな。夏休みの間だけでも稼いでおこうと思ったんだよ」
才田くんは楽しげにその女性客と会話している。
「そっかぁ。才田くんがいるなら足繁く通おうかしら」
「来る者拒まずだから、歓迎するよ」
ふと我に返り、あたしは空いた席の食器を片付ける。
キッチンに食器を置いて、次の呼び出しに応じるためテーブル番号を確認する。
呼び出されたテーブルへ着いてオーダーを取る。
あたしに似た女性客が気になって視線を送ると、まだ話し込んでいた。
この忙しい時に何をやってるのよ!
さすがに放っておけなくなり、注意しに行こうと足を進めた瞬間。
「11番テーブルの対応を頼む」
陵が才田くんに声をかけていた。
「恐れ入ります。代わりにご用件を承ります」
名残惜しそうに才田くんは仕事に戻る。
オーダーを受けた陵はキッチンへ布巾を取りに行き、出てきた。
「陵、ありがとう」
「驚いたよ。まるで彩の生き写しみたいな人だったな」
「うん、あたしも驚いちゃった」
「けど話をしてみると全然違う」
「それはそうでしょ。性格まで似ていたら気持ち悪いわよ。あたしは入店者の案内に入るわ」
「頼む」
「やっと落ち着いてきたわね」
夜のラッシュが来る前に才田くんは上がって帰った。
閉店時間が迫り、あたしたちも上がり時間になったから、お客様に混じってまかないをレジカウンター近くの席で食べている。
「それにしてもあたしに似ていてびっくりしたわ」
「どうやら才田と関わりのある人らしいな」
それはあたしも気になっていた。
「かなり話し込んでいたものね」
仕事中という自覚があるのかないのか、それはわからないけどオーダーを取るにしては長すぎた。
何より会話が弾んでいた様子だった。
「どういう関係か、聞いてみようか?」
「いいわよ別に。彼はあまり関わりたくないし」
「そうだな。必要以上に彩へ絡んできてるから、できれば関わらせたくないな」
食べ終わって、自分で食器をキッチンへ下げてからお店を出る。
「あれから才田にちょっかいを出されてないか?」
「今のところ体の接触はないかな。呼び捨てばかりしてくるから無視してるけど」
「…一度シメてやらないとダメか」
陵の目にメラメラと燃える何かを見えた気がした。
「手荒なことはやめてね」
「本当なら今頃ボコボコにしてるはずだったが、何とか抑えてる」
そんなこと考えてたんだ…?
「あいつの真意がわからないことには、対策も立てにくい。いずれその辺も探る必要がありそうだな」
「まともに聞いても答えてくれなさそうだけど?」
「なら答えざるを得ないようにしてやればいいだけだ」
彼に正攻法が利かなさそうなことは、何となくカンとして察している。
「どうするの?」
「考えがある」
翌日のランチタイム前。
陵と才田くんは一緒に昼休憩へ入っていった。
「なんだ。君と一緒の昼休憩か。彩の方がよかったな」
あえて返事をせず、休憩室の椅子に腰を掛けて才田を睨みつける。
「お前に話がある」
「なんだい?」
向かいに腰を掛けた。
「なぜ彩に近づく?理由を話せ」
「話す理由がない」
「以前、彩に無理やりキスしたのは知っている。職場におけるセクハラで今、裁判へ向けて調整している」
もちろん嘘である。しかし脅迫材料としては十分な効果が期待できる。
「取り下げて欲しければ話せ、と?」
「それはお前の態度次第だ」
「証拠はないし、裁判しても負けるのはそっちだろ」
陵は天井を指差した。
「休憩室は非常口がある。だから防犯カメラが仕掛けられているんだ。同様に、バックヤードは要所に防犯カメラがある。すでに店長の許可を貰ってその写真を確保してある」
そう言って、前もって懐に忍ばせておいたスマートフォンの画面に写真を表示して見せた。
「これはすでにクラウドと、あるメールアドレス宛に送っている。この端末を奪って壊したところで無駄だ」
おちゃらけた顔の才田から笑みが消えた。
「へっ、話せばいいんだろ?前から狙ってたんだよ。一目惚れってやつだ。そんなある日、お前と手を繋いで店を後にした姿を見て決めたんだよ。奪ってしまえばそれでいい、とな」
「だから強引な手段で横取りしようと?」
「そうだよ。超優良物件のお前相手じゃ流石に分が悪いけど、その分だけ燃えるってものだ」
「言っておくが彩は俺の素性を知らない。知っても、多分動じないだろう」
「つまりお前自身を気に入ってる、と?」
「そう捉えていいだろう」
「となるとハードルがかなり下がったかもしれない」
「燃えないと感じたなら、今すぐ手を引け」
キッと鋭い目線を向ける陵。
「いや、むしろ手応えがありそうだな…っと、あまり刺激すると裁判起こされてしまうかな」
「ハッキリ言おう。お前は本当の事を話していない。少なくとも俺はそう感じている」
「何を根拠に?」
「その返事で確信した。本当の事を話せ」
「そういうお前こそ、彼女に本当の事を話さないのか?」
「今そんな話はしていない。吐け」
一層キツイ目線を送る陵に、怯む様子すら無く余裕の構えをしている才田。
「本当の事を話しても信じてもらえないんじゃ…そうだ。だったらこうしよう。小さい頃から彩が好きだったんだ」
「あくまで茶化すなら、容赦しないが?」
起訴するのはハッタリとしても、態度次第で行動を起こそうという考えが、脳裏に芽生え始めていた。
「だったらどうしろってんだ!?どう答えれば納得するんだよ?」
陵の目線は変わらず刺さるような鋭さは変わらない。
「…今週いっぱい猶予をやる。その間に本当の事を話せ。そうすれば裁判は取り下げると約束する」
「おー、怖い怖い。けど本当の事は話したから、裁判は回避できなくなるわけだ」
「あくまでもカンだが、お前は本心を隠している」
「それならあんたのカンは全く機能していない」
睨みつける陵の目線に怯むことなく、目線を送り返す才田。
「まあいい。よく考えておくんだな。昼食にするか」
陵は用意されていた昼食に手を付けるものの、話し込んでいたからだいぶ冷めてしまっていた。
「言っておくが、本心を聞けたとは思っていない。吐露しないなら、脅しではなく法廷に引きずり出してやる」
「ふう、今日も夜は結構ハードだったわ」
女子更衣室で制服を脱いで、キレイに畳んでバッグに詰め込む。
私服に着替えて、うなじに手を当てて服の中に入り込んでいる髪を服の外に掻き出す。
風になびいたカーテンのように、髪がサラリと背中にまとまっていく。
後ろに流した髪を手で束ねて、バレッタで髪を後ろにまとめた。
バッグを手にして更衣室を出たところで、お手洗いに行きたくなって足を向ける。
ジャバジャバ…
お手洗いを出てすぐの洗面台で手を洗いながら、鏡に映る自分を見る。
後ろにまとめた髪の座りが少し落ち着かなく、バレッタを外して洗面台横の棚に置いた。
明日は陵も休みだけど、家の用事があるらしくデートの予定はない。
「明日は
宿題は終わったし、後はゆっくりと過ごせる。
瑠帆は宿題が終わってなさそうだけど。
髪を横に流したり、クルクルと巻いて頭頂部に乗せたりして髪型アレンジの姿を映し出す。
頭から出た汗が髪についてギシとひっかかる指が気になって、軽く手を洗う。
水を止めて、手を拭こうとハンカチを取り出した瞬間…
あっ
手がポケットの端にひっかかり、ハンカチを落としてしまった。
床に落ちたハンカチを拾い上げて広げた後で、パンパンと軽く振り下ろして汚れを落とす。
手を拭いた後にパタパタ畳んでポケットにしまう。
「あまり陵を待たせるわけにもいかないわね」
バッグを手にして洗面台を後にする。
「ふいー、疲れたな」
入れ替わるようにして才田は洗面台へ立った。
「ん?これは…」
洗面台横の棚に置いてあった物に気づく。
「探しものはこれかい?彩」
才田くんの声で呼び捨てされたから、無視しようとした瞬間…
あっ!
探していたバレッタが才田くんの手に収まっていた。
無視したい気持ちと、無視できない状況の板挟みになってしまい、体が固まってしまう。
散々悩んだ末、スッと手のひらを見せて差し出した。
「返してってか。どうしようかな。見つけて確保しておいたお礼くらい言ってほしいものだけどな。彩」
卑怯な!
無視できない状況下で呼び捨てしまくってくる彼に憤りしかない。
けどそのバレッタだけは返してもらわないと困る!
ツカツカと近づいて、手にしているバレッタに手を伸ばす。
「おっと」
バレッタを持つ手を引っ込めて上に翳されてしまう。
ピョンピョンと飛んで取り返そうとするも、あたしの身長では届かない!
「返してもいいけど、条件がある」
その笑みに、嫌な予感しかしない。
「明日は彩も休みだったよな。明日10時に一人で駅改札へ来てくれ。明日一日付き合ってくれたら返す」
眉を逆ハの字にして睨むも、才田くんは怯む様子すら無い。
「それじゃ明日待ってるよ。彩」
今すぐその顔を引っ掻き乱したい衝動に駆られながら、憎たらしい背中を見送った。
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