第25話 叩 -kiss-
夕方の日差しに照らされて地面に落ちる二人の影が顔だけ重なる。
「んむっ…」
陵の唇があたしの唇に触れた。
昨夜のこと。
玄関のドアを締めて、ドアにもたれかかる。
まだドキドキしてる…。
抱きしめられた感覚がまだ残ってる。
もっと抱きしめてほしかった。
でも、あたしの基準ではアウト。ハグは偽カノ相手にやることじゃない。
アウトなのに、嬉しくて拒否できなかった。
本物の恋人になれた気がして、嬉しかった。
けれどもそれとこれとは話が別。
偽カノは偽カノなりのあり方をあたしなりに持ってる。それを踏み越えてくるならいくら陵でも許すわけにはいかない。
いや、許してしまった。
今、陵とあたしをつなぎとめるものは、利害関係が一致しただけの偽カップルという、脆くて崩れやすい約束のみ。
いつでもあっけなく崩壊してしまう。
崩壊することがわかっていて、それでも我慢しきれず告白してしまったのはあたし。
解消するはずの偽カップルは、アルバイト先の行き違いから解消されなかった。
そうとは知らずに、最後のチャンスと先走ったあたしは気持ちを伝えてしまった。
陵はそこにつけこんで、これまでにないスキンシップをしてきている。
甘く見られないよう、もっと警戒しなければならないのに、段々と警戒が緩んでしまっているのはとてもまずい状況。
どうすれば…いいの…?
明日はアルバイトが休み。
さらに陵とデートまである。
絶対に気を許しちゃいけない。
「おまたせ」
「おう彩、早かったな」
午後二時。駅に近い広場で待ち合わせになっていて、陵はすでに待っていた。
「かわいい服だな。似合ってるよ」
かあっ!
突然の不意打ちに思わず赤面してしまう。
ふわっとした笑顔に、心臓が跳ね上がる。
「そ、そりゃ(偽カップルとはいえ)デートだし、オシャレくらいしてくるわよ」
ジリジリと照りつける日差しと連日の暑さを考えて、風通しのいいワンピースと陽よけにツバ広の帽子を被ってきた。
陵は紺のスラックスに、セットアップとして紺のジレとほんのりピンク色したシャツだった。
「ほら、そのままではパンダ焼けしちゃうよ」
あたしは手にしていた日傘を陵にも差しかける。
「ありがとう」
当然のようにピッタリとくっついてきて、日傘を持っていない空いてる右手をつないできた。
「彩は宿題、どこまで進んだ?」
「あれからまだ10ページほどよ」
「もっと進んでるかと思ったけど、意外だな」
集中して進めたかったけど、陵の態度が気になってあまり進まなかった。
このペースで進めば8月中旬くらいには片付くだろう。
本当はもっと早く片付けたいけど、アルバイトもあるから難しいところはある。
「しかし暑いな。適度に涼みながらじゃないと倒れそうだ」
「ほんと、暑すぎるわ」
風はほとんどなくて、じっとりまとわりつくような熱を持った空気は、不快指数が限りなく100に近い。
扇いでくれたとしても、むわっとした空気が流れるだけ。
油断してると熱中症で倒れてしまっても不思議はない。
「とりあえずお店入るか」
「そうね」
入ったお店はオシャレめなカフェだった。
二人席に案内され、メニューを広げる。
「彩は何にする?」
「そうね」
ページをめくりながら言葉を濁す。
最初のページはお店の売りとしているであろう大きなパフェがドーンと贅沢なページ使いをしている。
続いてシンプルなパフェやジェラートが続く。
そしてトーストやサラダなど軽食が控えめに載っている。
最後にドリンクがほぼ写真なしでリストされていた。
「そういえばこういうところに来るの、初めてかも」
「そうなのか?」
「うん、だって中学はお小遣い少なくて袋に入ってるものばかりだったし、高校は入ってずっとアルバイト漬けだったもの」
「親に連れられて小学校の頃に行ったことはないのか」
「小学校の頃はき…」
あぶなっ!
言いかけて、危うく「記憶がないわ」と口走ってしまうところだった。
そこを追求されたら誤魔化すのが難しい。
「き?」
「来たことがないわ」
「そうか」
ふー、危なかった。なんとかつっこまれずに済みそう。
「これ、二人で食べるか」
陵が指さしたのはグランドメニューではなく、ラミネート加工された一枚のスペシャルサマーパフェ。
お財布的には結構厳しいけど、口を合わせておいたほうがよさそうね。
「それじゃ、あたしもそれにするわ」
「いや、二人でシェアしよう」
「なんでよ?それぞれ各自持ちで注文を…」
「だってあれだぞ?」
陵が指さした先にあったのは…
「でかっ」
ちょうどテーブルに運ばれてきたパフェを見てびっくりした。
2リットルペットボトルにパフェの中身を全部入れたら、ちょうど収まりそうなほどの大きさ。
「陵なら全部食べられるでしょ。あたしは別のにするわ」
「無理だよ。あれ二人以上で食べる前提で作ってるようにしか見えない」
再びグランドメニューに視線を移す。
「お待たせ致しました。スペシャルサマーパフェおひとつでございます」
結局自分で陵とシェアすることを選んでしまった。
他のメニューを見ていてもピンとこなくて、スペシャルサマーパフェにどうしても意識が引っ張られてしまい、かといって一人で食べきる自信もない。
当然のようにパフェスプーンが2つ用意された。
「温まらないうちに食べようか」
「うん」
一つの巨大なパフェを二人で両側からスプーンですくう。
これじゃまるで本当のカップルみたいじゃないの。
勘違いしちゃダメ。あたしは偽カノ。演じきるんだ。
夏らしくマンゴーの果実が頂上を飾り、ホイップクリームのソースはオレンジ色のマンゴーソースがかかっている。
「美味しい」
「こういうのは女子と一緒じゃなきゃなかなか気後れするというか、周りを見るといたたまれなくなるからな」
「そういうものなの?」
「単なる自意識過剰かもしれないがな」
「思ってるほど周りは気にしてないものよ」
「そうか。はい、あーん」
思わず身を引いてしまう。
目の前に差し出されたスプーンに乗っているクリームとマンゴーシャーベット。
「何よ、自分で食べればいいじゃない」
「こういうのも醍醐味だろ。ほら」
そう言って、ズイッと差し出されるスプーン。
これは、偽カノとしてアウト。
いくら間接キスとはいえ、偽の関係ですることじゃない。
「ほら、口開けて」
ダメ…これは、譲れない…。
「早くしないと垂れちゃうよ?」
…ええい、今回だけよ!
パクっと思い切ってスプーンを口に含む。
満面の笑みでスイっとスプーンを引く陵。
「今度は…はい」
視線を上げると、陵が口を開けている。
えええっ!!あたしが食べさせるのっ!?
「それだけはダメ!」
「どうして?」
「それは…」
今の関係が偽だから。
言いたかったけど、その言葉が口から出なかった。
この関係を崩したくない。
「彩に食べさせてほしいな」
反則よ。その甘え方。
今日限り、今日限りということで。
パフェを一匙すくって、陵の口元に近づけると、その口へ吸い込まれるようにして消えた。
「食べさせてもらうのって新鮮だな」
あたしは手にしたスプーンを見る。
これを口にした瞬間、何か取り返しのつかないことになりそうで、手が止まる。
「どうしたんだ彩?」
スイっと一匙すくい上げて、今度はメロンの層に到達していた。
「また食べさせようか?」
イタズラな笑みを浮かべつつ、スプーンを差し出してくる。
「いらないわよ。自分で食べるから」
あたしの口に入ったスプーンはもう陵の口に含まれてしまっている。
手にしたスプーンでお互いにまた間接キス成立になってしまうけど、もう今更だ。
余計なことは考えずに、メロンの味を噛み締めていた。
もう、ほんと調子狂うわね。
そして、さらに食べ進んでパインの層へ。
「暑い…」
「さっきまで涼んでいた分、余計に堪えるわね…」
シェアしたパフェのお代は、あたしがキリのいい4割程度を出して、陵が残りを支払った。
恋人つなぎする手がじんわりと汗ばんでいる。
「食べたばかりだから、またカフェに入るのは違うよな」
「そうね」
「ちょっと体動かすか」
そう言って、足を動かした先はボウリング場だった。
パカーン!
「すごっ、ストライク!」
陵は一投目からストライクを出した。
「次、彩だよ」
「わかってるわ」
ボールを手にしてボールを投げる。
自分でもわかるくらいへっぴり腰のフォームだった。
ノロノロとレーンを進んでいき、右へそれていく。
カコカコン
「あー、7本も残っちゃった」
ゲートがピンを持ち上げてクリンナップする。
ボールが手元に戻ってくるのを待つ。
「彩、こっちを使って」
陵が別のボールを持ってきて、ボールプールに置いた。
「どうして?」
「すぐにわかる」
あっ、軽い。
あたしが使っていた一投目のボールは陵が片付けに行く。
よし、やってみよう。
「えいっ」
ゴルゴルゴルとさっきより球威が強く転がっている。
パコーン!
ピンが横を向いたり、上下逆になって跳ねたり、ボールに押し出されるようにして奥へ消えていく。
コロコロと転がるピンは、左奥でまだ立っているピンをかすめていく。
左奥のピンは、止まって倒れかけるコマのようにグラグラするけど、やがて動きが小さくなって直立の姿勢に戻った。
「あー、惜しい!一本残った!」
「でもさっきよりずっといい線だったよ」
「せめてスペアを取りたかった」
「次は俺か」
パコーン!
陵は再びストライクを出した。
「すごっ!またストライク!」
「勢いで倒してるだけなんだが。パワー足りないと両端にピンが残るスプリットになってしまう。ほら、左隣りを見てみな」
そう言って、左隣りのボウラーが球を投げる。
ゴルゴルゴルと音を立てるところは同じだが、やたらとボールが進行方向と垂直に回転していた。
明らかにガーターのコースだけど、ガーターを避けるようにしてクイッと曲がる。
「えっ?」
パコーン!
気持ちいいくらいピンが全部倒れた。
「1つ目のピンと2つ目のピンに5度の角度で入ってくと確実にストライクを取れるんだ」
「…そうなんだ」
あたしはボールを構えた瞬間
「ギリギリ端から投げても1番ピンと2番ピンへ入っていく角度は1度にもならない」
と陵が声をかけてきた。
「そうなの?」
あたしは中央に立ち直してボールを構える。
「投げてからピンの手前でぐいっと曲がるように回転をかけるのがポイントだ」
言うは易く行うは難し。
あたしにはとてもできそうにない。
けどあっさり諦めたくもない。
意を決して、ボールを内側に回転させるように手首を外向きに捻って後ろへ振りかぶり、投げようとした瞬間
スッテーン!
慣れないフォームに、バランスを崩して転んでしまう。
「あっ!」
声を上げた陵の視線を追うと、あたしが投げるレーンにボールがない。
代わりに隣のレーンにお邪魔していた。
もちろんガーターをノロノロと進んでいる。
……………………………。
「ごっ、ごめんなさい!」
呆然としている隣のレーンに居た人に慌てて謝る。
「…ああ…気にしないでくれ」
隣のレーンで待っている他の人たちは爆笑していた。
「そろそろ帰るか」
隣のレーンと気まずい空気に戸惑いつつ、ゲームを終えて帰り支度する。
ボウリング場を後にして帰路につく。
ずっと、陵と一緒にいたいけど、やっぱりこのまま曖昧にはしておきたくない。
ちょっと試してみよう。
「ふう、ちょっと疲れちゃった。ねえ陵」
「なんだ?」
「ここで、少し休んでいかない?」
あたしが視線を送ったのは、お城のような門構えをしている宿泊・休憩施設。
もし乗ってきたら、あたしはその場で陵を見限る。
乗るか、反るか…。
「疲れたんだったら、家に帰って休めばいい。わざわざいかにも落ち着かなさそうなところで休むこともないだろう」
蹴った!?
ということは、陵はチャラ男なんかじゃない。
そして、偽カップルの一線を守っている。
そういうことなら、あたしは偽カノの立場を崩さない!
受験シーズンに突入するまでずっと、全うしなきゃ。
「おおかた昨夜はよく眠れなかったんだろ?今日はもうこの辺にしよう。家まで送るよ」
「ありがとう。頼むわ」
じっとり汗がにじむ中でも、恋人つなぎはやめない。
歩き続けているうちに、家が近づいてきた。
「もうここまででいいわ。またね」
「彩」
つないだ手を離さず、肩を抱いてくる。
「…え?」
突然、陵の顔が吐息を感じるほどに近づいてきた。
「んむっ!」
唇に柔らかく温かい感触が襲ってきた。
パンッ!
陵を振り払って、頬に一発お見舞いする。
「最低っ…!」
「…は…?」
意外と言いたげな呆然とした顔で、頬を抑える陵。
振り返らず、背を向けて走って家の玄関に急いだ。
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