第24話 止 -hug-
夏休みは半分が過ぎたところで、宿題はもうほぼ終わりに近い。
今日もアルバイト。
「しかし毎日毎日、隣はうるさいわね」
老朽化を理由に取り壊されている隣の建物は、一階が丼もの屋。二階には美容室、三階は空き階という状態だった。
先月にお店は完全撤退していて、今は白い防音シートに囲まれて毎日少しずつ削るように取り壊しが進んでいる。
もっと大きな音を立ててもいいなら早く終わるらしいけど、店長が声を大にして反対したこともあって、取り壊しは最短の四倍近い工期が示された。
「三日で終わる予定にすると、オーダーを聞くだけでも耳が遠いおばあちゃんみたいに何度も聞き返すことになるくらいの騒音がこのレストランスペースへ頻繁に入ってくるらしいからな」
「それは勘弁してほしいわ。客足も遠のきそうだし」
「毎日結構忙しいから、少し遠のいても…」
「それで戻らなかったらどうするのよ?一度離れたら戻ってくる可能性は低いわよ」
「ごもっとも」
ピンポーン
「呼びベルね。行ってくるわ」
呼び出し元は人の良さそうな主婦同士の集まりだった。
「なあ彩、明日はシフト入ってなかったよな」
夜まで入っていたシフトで、いつものまかないを食べている時に陵が聞いてきた。
「そうよ。それが何?というか、陵とあたしはシフト同じじゃない」
「明日デートしよう」
今、あたしはどんな顔になっているだろうか。
偽カノ(?)にして、本気の告白は返事を貰えずに宙ぶらりん。
その割にはこうして誘ってくるし、プレゼントしてくる。
あたしは一体どの位置にいるんだろうか。
最近の陵はわからなさが加速している。
このお誘いは、喜んでいいのかわからない。
かといって、あたしがどういう立場にいるのか聞く勇気はもう残ってない。
必然的に現状維持となってしまう。
「悪いけど、宿題に集中したいから、やめておくわ」
「彩のペースならもう終わりに近いはずだが、どれくらい残ってる?」
まずい。
ここで三~四割残ってるなんて言おうものなら、また勉強会の流れに持ち込まれてしまう。
前の勉強会では半分ちょっと進んでると言ったし、あの日にまた進めたから、残り量を多めに盛ったら、また勉強会の流れへ押し切られてしまう。
それと嘘は吐きたくない。
「わかったわよ。午前中だけならいいわ」
「なら午後は勉強会だな。どれだけ残ってるかわからないけど」
うっ…そう来たか。
押しかけられても、押しかけるのもイヤ。
「何でそんなにデートしたがるのよ?」
「付き合ってる仲だからな」
よく言うわよ。偽カップルのくせに。
「もう…夕飯は家族と食べたいから、早めの夕方までよ。夕飯の料理しなきゃだし」
「そういえば彩の両親に挨拶してなかったな。それどころか顔すら見てなかった」
両親の紹介をすると、かなりのところまで踏み込まれてしまう。
記憶喪失の事はこれ以上誰にも知られたくない。
たとえ陵が相手であっても。
「夕食くらい家族水入らずにさせてよ」
「そうか。残念だけどその前に彩と二人きりで一緒にいられるんだから、これ以上はわがままが過ぎるか」
きゅう…
思わず、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
これが本当の彼氏だったらいいのに…。
本当の彼氏だったら、思いっきり甘えたい。
こうしてツンツンしてるのが辛い。
あたしを嫌ってほしくない。
一緒にいることができるのは、ある意味で瑠帆のおかげでもある。
邪魔をしてくれたから、返事が先送りになって偽カノを続けていられる。
でも分かってる。
どれだけ遅くても二年後には部活とアルバイトの両方を辞めて、偽カノの役割は終わる。
そうなれば、あたしたちは表面上のカップルをやめて他人同士になる。
多分、あたしだけが泣きぬれる日々を送るんだろうな。
それからの陵は、元のとおり女の子に囲まれる状態に戻るんだろうけど、受験シーズンに突入することで、予想よりは落ち着くはず。
「ごちそうさまでした」
食べ終えたまかないが盛られていたお皿を下げて、お店を出る。
キュッと恋人つなぎをされて、二人で帰り道を歩いていく。
「しかし暑いな」
「そうね。夜になってもムシムシと不快な暑さね」
つないだ手にじんわりと汗が滲み出る。
「お互い手汗がすごいわね」
「この暑さだから仕方ない」
そう言って、手を離してくれる様子はない。
この汗を不快に思わせたくない。
「ねえ、手拭かせて」
「拭いてもすぐ元どおりになるだろう?」
「…だったら手をつなぐのやめようよ」
「やだ」
一言で一蹴されてしまった。
「陵、最近どうしたの?」
「何がだ?」
あたしがここ数日抱えてる疑問をぶつけてみるけど、当の陵は心当たりが無いらしい。
なんというか、前より馴れ馴れしい感じがする。
告白してしまった以上、あたしが圧倒的に不利な立場にいる。
返事もせずに今に至っているのは、陵が何かを企んでいるに違いない。
最悪のパターンとしては、遊ばれて終わり。
もしかすると、偽カノを提案してきた時点で企みが始まっているのかもしれない。
陵はとてもモテる。
けどあたしは彼を嫌いに思っていた。
彼はそれが許せなくて、あたしをゲーム感覚で落とすことを目的にしてあたしを偽カノに仕立てたと考えれば、あたしの告白に返事をしないことも辻褄は合う。
冗談じゃないわ!
誰がその手に乗るものですか!
そういうことなら、あたしにだって考えはある。
これ以上手を出してくるなら、ささやきアプリのWhisperで、彼のささやきにあたしがコメントを書いて偽カノをやらされた全容をバラす。
陵が気づいて消しても、早い人はコメントを見て広めるはず。それで炎上させる。
その上で偽カノをやめてしまえば、陵に仕返しできる。
もちろん、あたしも無事では済まないことはわかってる。
けどあたしの気持ちを弄ぶ陵に、何もせず泣き寝入りだけはしたくない。
「彩?」
ぐるぐると考えていたあたしを不審に思ったのか、かけられた声で我に返る。
「ううん、なんでもない」
「何か悩んでるなら、抱え込まないで言ってくれ。一緒に解決していこう」
どの口が言うのよ、と言いかけて思いとどまる。
「そうね、ありがとう」
必死に笑顔を作って返した。
今日帰ったらやることができたわね。
まずは陵のWhisperアカウントを見つけること。
それとあたしが偽カノをやらされることになった経緯を全部書く。
いつでもコピー・アンド・ペーストできるようにしておかなきゃ。
なんて書こうかしら。
長文は投稿できないから、細切れに何度も書かなきゃならないわね。
『今日限りで陵の偽カノをやめます。最初はあたしが一目惚れしてしまったけど、いざ会ってみたらチャラ男だったから嫌いになりました。けど陵はあたしを落とすために偽カノから始めようとしたみたい。口先三寸でハメられてしまい、それで一緒に過ごしていたら好きになっちゃって告白したけど返事を貰えず生殺しにされてます。告白したことで落ちたと判断されたのか、急にベタベタしてきてる。やっぱりチャラ男だったみたい。陵と恋仲になるのはやっぱり無理なんだろうな。陵を好きな人はこの事実を受け止めた上で考えてみて』
という感じかな。
「あれ?どっち行くの?」
「寄り道」
また?と思いつつも、一緒にいる時間が長くなるのは嬉しいけど、甘く見られていると感じているから、心境は複雑。
寄り道といっても、夜は遅くなっているから開いてるお店は少ない。
「どこ行くの?」
「近くの公園へ」
たしか近くの公園は植え込みが結構多くて、昼でも木陰で覆われていて死角が多い。
まさか…キス…してくるつもりじゃ…ないわよね?
いや、もしかするとそれ以上…?
ドキドキと心臓が高鳴ってしまう。
もし手を出してきたら、絶対に許さない!
ほどなく公園に到着する。
ここまでの道は足元は見にくかったものの街灯が多く、段差や柵で転んでしまうようなことはない。
けど目の前に広がる公園は照明があるけど、主に出入り口ばかりへ配置されていて、他に配置されている照明は生い茂る木の葉に遮られているものが多い。
陵はつないでる手を離して、向かう先はブランコだった。
板に乗ってキィ、キィと軽く漕いでいる。
「何してるのよ」
「風がほぼないからな。こうしてると生温いけど風があって気持ちいいぞ」
何よ、この距離感。これじゃまるで本物の恋人同士みたいじゃない。
あたしもブランコに乗って漕いでみる。
「ほんと、風ができるわね」
こうして警戒心を解こうというつもりかしら。
陵の前では立場として弱いからこそ、警戒を緩めるわけにはいかない。
心から楽しめていない自分に苛立ちを感じつつ、そう感じ取られないようできるだけ明るく振る舞う。
言葉を交わさずに時間が過ぎていく。
ット
陵がブランコから降りたのにつられて、あたしもブランコから降りた。
っ!?
一気に警戒心が高まった。
いつもは手をつなぐけど、今は腰に手を回されている。
振り払おうと思ったものの、嫌ではないのと陵がどう出るかを見極めるため、そのままにした。
手を回された腰の感触がこそばゆい。
歩いて向かう先はベンチだった。
「明日のデート、楽しみだな」
「うん」
「どこか行きたいところはあるか?」
何を考えてるのかわからない。
こうしていても、陵の狙いが全く読めない。
もっとも、あたしが彼を出し抜けた例はほとんど無いけど。
何を企んでいるのか、それを見極めないとまた手のひらで転がされてしまう。
陵の本心を確かめるため、ちょっと大胆なところにしてみようかな。
それで食いついてきたらアウト判定。イチかバチか…。
「…ホテル」
「泊まりかぁ。そう言っても明後日は朝からシフト入ってるし、難しくないか?」
ん?
どの予想とも違う返事が来た。
「行きたいのは海か?山か?」
あれ?
もうひと押し必要なの?それじゃ
「そうじゃなくて…ご休憩の…」
目を逸らして言った。
……………。
沈黙が訪れた。
もしかすると、今すぐ行こう。という流れになるかもしれないけど、それならそれで返しの展開も織り込み済み。
「何を焦ってるんだ?」
あれ?あれ?
この展開は全く予想してなかった。
「彩の目には、俺ってそう映ってたのか」
あれれれ?
何か話が変な方向に流れ始めちゃった!
これじゃまるで陵が本気で付き合ってるつもりみたいじゃない。
というか、あたしがとんでもなくカルい女に見えちゃう!
あたしって陵にとっては攻略済みの遊び相手でしょ!?
せっかく火遊びの話を振ったのに、水を掛けられちゃった。
「とはいえ、女に恥をかかせるわけにはいかない。どうしてもと言うなら…」
片手で顔を覆うようにして本気で悩んでるような仕草を見せる。
「いっ…今のナシッ!やっぱりナシッ!!」
必死に手をブンブン振って取り消す。
何よ。調子狂うじゃない。あたしが空振りばかりしてる。
陵を出し抜こうとして、自分で転んでしまった。
これも狙いどおりってこと?
そうだとすると、目的がさっぱり見えてこない。
もしかすると明日のデート中、昼下がりあたりにさっきの話を蒸し返してご休憩のホテルに連れ込むつもりじゃ…?
「そういえばさっきから何か、声が聞こえない?息が切れてるような…荒いような」
「後ろの茂みだ。俺たちに気づいてないか、気づいていても構わないで続けてるかのどちらかだ」
「続けてる…」
カアッ!
顔が真っ赤になってしまうけど、ここまで暗いと気づかれることはない。
「そろそろ帰るか」
スッと立ち上がるのにつられて、あたしも立ち上がる。
すぐに恋人つなぎをされて足を進めた。
まさか、後ろで仲良くしてる人たちがいて、あたしたちが気まずくなってしまうから連れ出してくれたの…?
しばらくお互い無言のまま歩いている。
「明日のデートは、全部俺に任せるということでいいか?」
「うん。任せる」
そういえば、前は抱きしめられたっけ。
偽カノとして線を引いてたけど、振り払ってから落ち着いて見ると、もったいないことをしたと後悔した。
家が近くなってくる。
見慣れた玄関の明かりに、あたしたち二人の姿が映し出される。
「彩」
恋人つなぎをやめた陵があたしの名を呼びながら背中に回り、キュッと軽く抱きしめてきた。
これ…偽カノとして許すべきじゃないと思いつつも、どうしても振り払う気になれなくて、やっとの思いで少しだけ身を
陵の吐息がすぐ上から聞こえてくる。
ダメ…偽カノとして…これはアウト。
一線を超えさせちゃダメ。
そう思っていても、体は動かなかった。
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