第23話 百 -uniformity-
やだ…まだドキドキしてる…。
部屋に戻って、閉めたドアによりかかりながら胸を抑える。
びっくりした。
まさかいきなり抱きしめられるなんて。偽カノなのに…。
周りへの牽制以外で抱きしめてくるのは流石にNGよ。
拒否するように慌てて家に飛び込んだ
「焦りすぎたか」
何をしても余計なことだと判断して、家から遠ざかる。
「いまいち距離感が掴めないな、じっくりいくしかないようだな」
「聞いてよ瑠帆!陵がいきなり抱きしめてきたんだよ?信じられない」
今日もwhisperアプリの通話機能で
「もしかすると彼は本気で付き合ってるつもりなのかもよ」
「ない!絶対にない!ただあたしをからかって遊んでるだけよ!あいつはそういうやつよ!」
「だからモヤモヤするなら本人に聞ぃちゃぇばぃぃんだよ。本気で付き合ってるのか偽カップルなのかをね」
「無理。フラれることがわかってるのに、わざわざ玉砕したくない。その時点で偽カノですらいられなくなるんだから」
「何で偽カップル解消になっちゃぅの?」
「だって陵は自分に好意を寄せてくる女の子が嫌いなんだよ。返事を聞いちゃったら前提が崩れちゃうじゃない」
「でも気持ちはもぅ伝ぇたんでしょ?」
「勘違いの余地なく、ね」
「だったらもぅ彩も好意を伝ぇた女の子になっちゃったわけでしょ?」
「そう…なるわね」
「それでも彼が一緒にぃるってこと自体が既に答ぇなんじゃなぃの?」
あたしはハッとなる。
けど
「他の人がどうか知らないけど、多分返事されてはっきり拒絶をお互いが意識して、距離を置いてるんだと思う。でもあたしは返事がない。だから利用価値がある内は利用しようって考えてるんだと思う」
これがあたしの考え。陵ならそれくらいの計算はしてそう。
返事をしそうになったあの瞬間だって『今のは聞かなかったことにする』と言いかけただけかもしれない。
二人の関係を確定する材料はなにもない。
「それじゃわたしはぃつまでもこぅして彩の愚痴に付き合わされなきゃならなぃの?」
「ハッキリしない陵のせいよ!」
「かと言ってハッキリさせちゃダメなんでしょ?」
「そうしたら絶対フラれるもん!」
「じゃぁ別れちゃぇばぃぃじゃん」
「それでも好きなんだから、仕方ないのよ!?偽カノでもいいって割り切ろうと決めたんだけど、まだ気持ちがグチャグチャなの!」
「彩、すっごぃめんどくさぃ」
「どうせめんどくさいよ、あたしは。瑠帆はいいよね。しっかり両想いで大切にされてるみたいだし」
「そぅでもなぃよ。しょっちゅぅ喧嘩するし」
「そういえば瑠帆の彼氏ってどんな人なの?」
「ぅーんとね、出会ぃは中学で同級生だったから。ぉ互ぃ気になってたんだけど、卒業の日に告白されて付き合ぅことになったんだ。性格は結構月都美くんと被るところがあると思ぅよ」
「それじゃ、もし瑠帆が月都美くんと同級生だったら…」
「なぃなぃ。わたしじゃ持て余すもん」
「持て余すってどういうこと?」
「彼、超優良部件で有名じゃなぃ。家柄極上だし」
そうか。だから陵はそれが嫌で、好意を寄せてくる女の子が嫌いなんだ。
「悪いけど、あたしは家柄なんて興味ないわよ。確かにあたしの一目惚れだったし、偽でもカップルやるきっかけになったのは彼にとって都合がいいだけだったけど、好きになったのは彼の家柄なんかじゃなくて、彼自身だから」
あたしは家柄なんて今もなお知らないけど、それを陵に証明する手段がない。
やっぱり陵に振り向いてもらうなんて無理なんだ。
「それ月都美くん本人に言ってぁげなって。きっと泣ぃて喜ぶよ」
「だから陵はあたしなんて…というか女子に興味なんて無いんだって」
「じゃぁ賭けてみよぅか?」
「何を?」
「月都美くんが彩のこと本気だったら学食一年分、と言ぃたぃところだけど、彩の負けは分かりきってるから、学校帰りにでも一度だけ駅前のァィス屋さんかケーキ屋さんで一品奢ってもらうってのはどぅ?月都美くんが彩を遊びの関係だったらわたしの負けで、彩に奢るわよ」
「ずいぶんと自信満々ね。あたしが勝つと思うけど、それでいきましょう」
「やった。これでァィスかケーキゲット!」
「だから、陵はあたしに本気じゃないっての」
「それはどぅかな?」
「あたしだけじゃないわ。陵は女子の誰にも心を開くつもりはないのよ」
「彩へはとっくに心開いてると思ぅけどね。見てればわかるよ」
「ないない。絶対ない」
こうして禅問答のようなやり取りが小一時間続いた。
朝はいつも料理から始まる。
五時頃起きて、朝食の準備。
昼にあたしが居ない時はお昼。夜もそれは同じ。
最大で四人前三食分を用意するけど、最初はかなりキツかった。
半年経たない内に慣れて、今は毎朝のルーチンになっている。
姉は大学生だからあたしよりは時間があるけど、料理させるわけにはいかない。
あたしが帰ってきたら祖父母が病院に運ばれてた、なんて事態はさすがに勘弁してほしい。
「彩、今日は何時から?」
料理が終わってから姉が起きてきた。
「11時からよ。お姉ちゃんは?」
「今日は休み」
「どこか出かけるの?」
朝食をテーブルに並べつつ話をする。
祖父母はもう少し遅く起きてくるから、いつも姉と朝ごはんにしている。
「近くでもちょっとブラブラしてくる。ところで彼氏とはどうなったの?関係は順調に進展してる?」
うっ…言えない。
もしかすると、今頃は偽カップルすら解消してたかもしれない状態だったなんて。
「特に変わりはないわ」
「それは楽しみね。いずれはひとつ屋根の下で彼氏と過ごすことになるんでしょ」
ズキッ
この恋に明るい未来はない。
終わるのが明日か再来年か。ただそれだけの関係。
「どうなるのかはまだ分からないわよ」
いつ終わったことを言い出せばいいのだろうか。
あまり早くても変に思われるかもしれない。
「しっかりとつなぎ止めておかなきゃダメよ。せっかくあれだけのイケメンを捕まえたんだから」
「イケメンだからって選んだわけじゃないわよ。名乗りもせずにさりげなく助けてくれたことに心を打たれたんだから」
「だったらなおのことじゃない」
「その話はいいから早く食べちゃって。片付かないから」
「片付けはわたしがするからいいわよ」
姉は料理だけが壊滅的で、それ以外の家事はしっかりできる。
「宿題もやらなきゃだから恋だけに意識持っていかれるわけにはいかないの。成績下がったらアルバイトも辞める約束だし」
「ほんと、マジメねぇ。彩は」
「褒めてないでしょ。それ」
「少しは肩の力抜いて過ごしてもバチは当たらないでしょ」
「一度緩めるともう引き締められないと思うからよ」
お姉ちゃんと朝食を終えて、祖父母の分はラップをかけて冷蔵庫にメモと共にしまう。
机に向かい、カリカリと宿題を進める。
小休止を挟んだ時、スケッチブックが目に入ってきた。
思い起こすとアルバイト漬けで部活には全然出てないな。
ずっとデッサンをやってきたけど、夏休みに入ってからは全くやれてない。
「たまにはやらないとカンが鈍るよね」
宿題の自己ノルマをこなしたらやってみよう。
陵は…やる必要が無かったわね。
<完璧超人>と呼ばれる彼のことだから、しばらくやらなくても衰え知らずに違いない。
実際にあたしが一ヶ月以上熱心に取り組んできたデッサンの上達具合を、入部してすぐの陵に完膚なきまでのクオリティで差をつけられちゃったし。
目に飛び込んできた出しっぱなしのスケッチブックはすでに四冊目。
一冊目は落書きされてしまったから、テープで本の口を留めて封印している。
二冊目は陵が買ってくれたもの。
三冊目と四冊目はあたしがアルバイトで稼いだお金で買った。
宿題の自己ノルマ分を終えて、スケッチブックを手にする。
二冊目。
陵が買ってくれた、あたしにとっての宝物。
一冊目や三冊目、四冊目と何ら変わらない普通のスケッチブックだけど、二冊目だけは特別なもの。
あの頃は本気で嫌っていたっけ。
いや、初めから好きだったけど、それ以上にチャラ男という印象が強くて、どうしても受け入れられなかった。
けれども偽とはいえ彼女になってみて、いろいろなことがわかってきた。
陵はきっと、チャラ男なんかじゃない。
何か嫌なことがあって、女の子と向き合えなくなってるんだ。
だから陵を嫌いと言い続けてるあたしには、ある意味で心を許せている。
真剣に向き合う必要がないから。
シャッ
四冊目の空いてるページを開いて、部屋にあるクッションのデッサンを始める。
何かをしていないと、陵のことばかりが頭に浮かんできてしまう。
陵はアルバイトと共に部活を続けることになったけど、それで余計に陵の気持ちや考えが分からなくなってしまったのは誤算だった。
こんなことなら、告白したあの日に聞いておけばよかった。
とはいえ、そうしたら偽カノもお役御免になっていたわけだけど。
「お疲れ様でした」
翌日のアルバイトが終わり、レストランを後にする。
「彩、ちょっと寄り道しないか?」
まっすぐ帰って宿題をやろうと思ったけど、自宅とアルバイト先の往復が続いていて、気分転換をするのもいいかなと思い至った。
「いいわよ。どこへ行くの?」
「風が生ぬるいわね」
「生ぬるいというより、暑いな」
着いた先はショッピングビルの屋上だった。
じんわりとまとわりつくような湿気と、夜になっても下がりにくい気温がタッグを組んで二人の体に飛び込んでくる。
つないだ手の触れる部分が汗ばんでいる。
ここに来るまでの道でも汗ばんでしまったので拭こうとしたけど、お互い様ということでそのまま手をつないでいた。
そよ、と風が頬を撫でる。
長い髪はその風に煽られてサラリと揺れる。
「いい眺めだろ」
百万ドルの夜景、とはいかないけど、星空のように散らばる光に目が奪われる。
流れ星のように動く車のライトは、さながら地面を進む流星というところだろうか。
「そうね」
肩くらいまである柵に手を添えると、陵がつないだ手を離す。
空いた手も柵に手を添える。
夜景を眺めていると、あたしが手を添えてる柵の両脇に別の手が添えられた。
その手はどちらも陵の手だった。
前は柵、後ろは陵の体、両脇は腕で囲まれている。
逃げ場を失ったあたしは、なぜだか追い詰められた気分になった。
もちろん言えば開放してくれるだろうけど、心地よさを感じていたから、何も言わずに夜景を眺め続ける。
しばらく夜景を眺め続けていると、両脇にあった陵の手が消えていることに気づいた。
「え?」
そのすぐ後、後ろ髪がゾワゾワとする。
「ちょ…陵、何するのよ」
「ずっと思ってたけど、彩ってキレイな髪だよな」
手ぐしで後ろ髪を撫でられ続ける。
まるで頭から背中まで、素肌に直接触れられているような気分になってしまう。
耳元の髪をたくし上げて後ろに流される。
指が耳を掠めた瞬間、体中にゾクゾクする感覚が駆け抜けた。
髪の根本がわずかでも動くと、髪が触覚にでもなってるんじゃないかというくらい敏感になっている。
陵、何のつもりでこんなことをするんだろう…?
両手で髪をまとめ始めた。
パチン
え?
陵にまとめられた髪が後ろで、首筋あたりに固定された。
「何…?」
「ささやかなプレゼントだ」
いつもは耳を隠すように流れている髪が、背中の一箇所で尻尾のように集まっている。
外すのがもったいなくて、自分の手で何がついているのか確認した。
それはハエトリソウのような形をした大きめのバンスクリップだった。
「…どうして?」
「アルバイトの最中は帽子の中に髪を丸めているだろ?これを使えば髪を確実にまとめられる」
わからない。
最近の陵がわからない。
こんな…まるで恋人同士がするようなことをしてくるなんて。
「これ、いくらだったの?プレゼントされる理由がないから、払うわ」
背を向けて俯いたまま聞く。
「俺が勝手にプレゼントしたんだ。代金なんて受け取らないよ。返品したいなら捨ててくれ」
ダメ…期待しちゃ…ダメ。
陵はあたしを利用しているだけ。
告白の返事もしてくれず、生殺しにしたまま、あたしの反応を楽しんでいる。
イジワルされてるだけなんだから。
「それじゃ、貰うね」
「ああ」
後ろにいる陵は、まとまった髪の流れを確かめるように、大きな手であたしの頭を頭頂部から後頭部にかけて優しく撫でていたけど、撫でられていることを嬉しく思う気持ちが大きすぎて、振り払おうとは思えなかった。
蛇足だけど、後日全く同じバンスクリップをワンコインショップで発見することになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます