第22話 逃 -rejection-
「あら、その子が彼女~?」
母がパタパタとスリッパで小走りになって近づいてきた。
背丈はあたしより少し高い。
軽くウェーブのかかったダークブラウンの髪は肩まで伸びていて、陵とそっくりな整った顔立ちは、間違いなく親子なんだと納得してしまう。
「まあ、まあまあまあ~!」
「
母を止めに入る
「彩ちゃんというのね~。やるじゃない陵~。こんなかわいい彼女を連れてくるなんて~!」
「何?陵が彼女を連れてきただって?」
奥から野太そうな声が響く。
「彩、とっとと部屋入るぞ」
手を引っ張られて、すぐ近くにあったドアの奥へ放り込まれる。
陵はドアのところであたしに背を向けて
「言っておくけど夏休みの宿題やるだけだからな。邪魔すんなよ」
ジト目でそう牽制するも
「なんだ、ワシにも一目くらい見せんか。減るもんじゃあるまいし」
トン、と陵はひと押しされて部屋の中に下がる。
諦めたのか、陵はあたしが見えるように横へよける。
「初めまして。陵くんと(偽の)お付き合いをさせていただいています。
「おう蝶名林嬢、ワシは陵の父…」
バタン、と陵は問答無用にドアを閉めた。
「いいの…?」
「どうせ好奇心全開の野次馬根性丸出しにしてるだけだからいいんだよ」
床に出してあるローテーブルに腰を下ろす陵。
「どうぞ」
促されるままに腰を下ろそうとした時
「向かいじゃなくて脇に座って」
と指定される。
「…うん」
部屋を見渡すと、かなり広い。
壁面収納の本棚。
白系の机…というより頑丈そうなテーブルにはモニタアームつきのディスプレイ。
セミダブルだろうか。一人用には大きめのベッド。
観音開きのクローゼット。
あと二つくらいはダブルベッドが置けそうなくらい広い。
これが陵の部屋なんだ。
「彩はどれくらい宿題進んでる?」
「それぞれの教科で半分くらいかな。陵は?」
「俺はそれよりもう少し進んでる。お互い20ページをノルマにしようか」
20ページくらいなら二~三時間ってところかな。
「そうね、いつもそれくらいのペースで進めてるから」
今のペースなら、夏休みのラスト二週間くらいで宿題が終わるから、遊んで過ごしても問題ない。
あたしの立ち位置がとても気になるけど、ヤブヘビになっても嫌だから宿題に集中する。
時々足が痺れそうになっては座り直す。
しばらくカリカリとペンの音だけが響く無言の時間が過ぎる。
「ねえ陵、これ分かる?」
「ああ、これはこうして…こう」
「なるほど」
ある意味、今日会うのが勉強会でよかった。
陵と会話しなくても不自然さがないから。
再び沈黙が訪れる。
区切りがいいところまで来たから、別の教科に変えようとして陵のすぐ後ろあたりにあるバッグへ手を伸ばしたけどわずかに届かない。
足を崩して、傾けた体を手で支えて、空いた手でバッグに手を伸ばす。
「あっ!」
体を支える手の下には紙があったことに気づかず、重心がずれたことで紙が滑って支える手がすくわれる。
「危ない!」
ドシン
陵はとっさに頭を手で支えてくれるも、荷重がかかったため、あたしに覆いかぶさるような体勢になった。
ガチャッ
「陵~。そろそろコーヒーブレイク…」
陵の母がドアを開けて、固まる。
ドアを開けた時と同じ柔らかな笑顔のままで、ドアを静かに閉めた。
デジャヴュ…。
なんか試験前にもこんなことあったような気がする。
「誤解を解いてくる」
陵は即座に立ち上がり、ドアの向こうに消えた。
自分でも分かるくらい顔が真っ赤になっている。
「またも変なとこ見られちゃった…」
手で顔を覆ってしまう。
いっそ死にたい…。
「誤解を正してきた」
ガチャッとドアを開けて入ってきた陵は、さっき陵の母が手に持っていたトレーとアイスコーヒーを持っていた。
「そう」
教科を切り替えて宿題を進めるあたしの斜め前に座る陵。
「どうぞ」
コトン、と氷が踊るグラスのアイスコーヒーが目の前に置かれた。
「あとこれお茶菓子ね」
小皿に乗せられた涼し気なミニカップのゼリーが目に飛び込んでくる。
「ありがと」
ポットに入ったミルクを入れてからストローでかき回すと、涼しい気分になれそうなカラカラ音が響く。
ストローで吸い上げたコーヒーが口に入ってきて、苦味と甘みにミルクのコクが混ざった味は舌を刺激する。
「ねえ、陵…」
「どうした?コーヒーは嫌いだったか?」
「ううん、そうじゃなくて」
聞きたい。
あたしの立ち位置。
でも、聞いてしまったらこの関係も終わってしまいそうで、聞けない。
「…あとどれくらいのページが残ってる?」
「ああ、ノルマはあと3ページってところだ。彩はどうだ?」
「あと4ページちょっと」
「どっちもあと少しだな」
「そうね」
聞きたかったことを聞けず、別に知りたくもないことに話題を振り向けるしかなかった。
「ごちそうさま」
もどかしさから、さっさと飲み干してゼリーも食べ終えて、宿題に戻る。
多分陵は、告白の件を無かったことにしてるんだ。
今のあたしは偽カノ。今の陵は偽カレ。
それで決定ね。
あたしは陵の女子除け役に徹する。
本気になんて、なってくれるはずがない。
だったら徹底して偽カノを演じきってみせる!
「よし、今日のノルマ終わり。彩は?」
「もう少し…」
「手伝…」
「余計なことしないで」
どうせ、あたしは偽カノなんだから。恋人同士でやるような、勘違いすることはしないでほしい。
「終わったよ」
「お疲れ様。それじゃこの後一緒に出かけようか」
「ええっ?」
「何か予定でもあるのかい?」
「別に…ないけど…」
勘違いしたくない。勘違いさせてほしくない。
でも一緒にいられるなら、一緒にいたい。
「だったらいいだろ?」
「…うん」
「やった」
陵は屈託のない笑顔を向けてきて、その顔にあたしの胸はキュンと高鳴ってしまう。
ダメ…勘違いしちゃ…ダメ。
「それじゃ早速行こうか」
「ええ」
高鳴る胸の鼓動を抑えようと深呼吸する。
持ってきた宿題をバッグに詰めて立ち上がる。
「行ってきます。夕飯どきには戻る」
玄関へ向かいつつ、部屋の奥へ聞こえるように声をかける。
「あら陵~。お昼できてるよ~?」
「外で済ませるから、いい」
「彼女の彩ちゃんにも食べていってほしいんだけど~」
「彼女が両親を前にしたら緊張で萎縮してしまうから、外に連れ出したいん…」
「それじゃご飯が二人分も余っちゃうわね~」
母が姿を見せないまま嫌味を飛ばす。
「夜食べるからいい」
「お前はよくても、もう一人分は誰が食べることになるんだ?二食同じものを食べる気などないぞ」
今度は父の声が飛び込んできた。
「ぐっ!」
「いただきます」
結局言い負かされて、あたしはそのままお昼までごちそうになってしまった。
「そうか、付き合い始めて二ヶ月ちょっとか」
「くそう…」
「陵」
「なんだ?」
「お前は意外とメンクイのようだな。彼女はいかにもモテるだろう?」
お褒めありがとう。けど中身が残念だから、宝の持ち腐れなんだけどね。
声に出さないで反論する。
「たまたま好きになった人が彩だったというだけだ。ルックスでなんて選んでない」
よく言うわね。あたしがあなたを嫌っているという理由で選んだくせに。
でも嘘をついてないのはさすが。辻褄は合う。
「彩ちゃんは陵のどこが気に入ったのかしら~?」
げっ!こっちに火が飛んできた!
あたしは陵の舌先三寸と手の早さで外堀埋められて、仕方なく偽カノしてるだけなんだから、好きになったところを聞かれても困る!
「さりげない優しさに心が惹かれました」
自分で少し引きつってるのがわかる笑顔を浮かべて答える。
そもそもの出会いは、たい焼き屋で所持金が足りなかったところを横から入ってきて助けてくれたことから始まった。
あたしも嘘は吐きたくない。
偽カレを演じてる時点で騙しまくってるけど、それもあと二年ほどで終わる。
そこまで演じきれば別れる。騙し続けてるのは後ろめたいけど、それで辻褄は合わせられる。
「どんな優しさがあったのかしら~?」
「陵くんを見ず知らずの時でした。あたしが家族にたい焼きを買って帰ろうとした時に手持ちが足りない事に気づいて困っていたところで、陵くんが横からさりげなくお金を貸してくれました。お金は日を改めてすぐに返しました」
「ほう、そんなことをしたのか」
「あったな、そんなこと」
思えば、その時に目をつけられて、今に至っている。
あの頃は本当に嫌いだったな。
優しさ以上にかなり腹黒いところがあるし。
「それで陵はどこまで進んだんだ?」
「付き合い始めて日が浅いからな、まだ手をつなぐくらいだ」
「二ヶ月で日が浅い、か」
「実はキスくらいしちゃったんじゃないの~?」
フッ!
口に何も入ってなくてよかった。吹いてしまうところだった。
キスなんて…するわけないわよ!
「まあそれはおいおいだよ」
何がおいおいよ!そんな気なんて全く無いくせして!
そもそも偽カノなんだから、手をつなぐ以上のことは許さないわよ!
「そういえば、前に身内が来たんですよね?」
「先月のことかしら~?」
試験勉強の時だから、確かに先月だ。
「三週間くらい前だったと思います」
「確かに来たわね~」
「小さいお子様が一緒だったそうですね」
「陵の姉にあたる夫婦家族だ」
陵父が答える。
「お姉さんはおいくつなんですか?」
「24よ~」
ということは、仮に高校卒業と同時に結婚したとして最大でも6歳くらいか。
確かに賑やかな年頃かもしれない。
また一つ、陵について知ることができたけど、偽カノでいる限りは知ったところでどうにもならない。
陵の親がそこにいる手前、偽カノということをバラして恥をかかせる訳にもいかない。
本気で付き合ってる心構えになりきって乗り切ろう。
「それで蝶名林嬢」
…はい?
蝶名林嬢って…。
「なんでしょうか?」
「このタワーマンションをどう思うかね?」
どういう意図の質問だろうか…。
「こんなに見晴らしのいいところ、初めてです」
「ここへ住むのにどれくらいの費用がかかっていると思う?」
未だに意図が掴めない。
「相当お高いんでしょうね。何をしているとこんなところに住めるのか、想像もつきません」
陵の父は少し呆気にとられたような顔をしたと思ったら、陵に振り向く。
「陵、彼女はウチことを…」
「少なくとも直接の話はしてない。噂を聞きつけた可能性はあるけど」
なんだろう?
さっきから何か違和感がする。
今の質問はどう答えてほしかったんだろう。
グイグイと迫ってくるような圧迫感に圧倒されてしまい、昼食の味なんてわからなかった。
「悪かったな、彩。両親はあのとおりかなり強引なんだ」
昼食という名の月都美家による吊し上げからやっと開放されて、タワーマンションから出る。
「いいわよ別に。それにしてもかなりの圧だったわね」
「初めての彼女ということで、二人とも品定めしたがってるのはわかっていた」
でも偽のカップル、だけどね。
と心の中で付け加えた。
「それで彩は行きたいところあるか?」
「映画観にいこ」
「映画か。いいなそれ」
あたしが映画を選んだのは理由がある。
会話しなくていいから。むしろ会話してはならないから。
どう接していいかわからないながらも、あたしは今のところ偽カノを演じきることに決めた。
でも今は時間がほしい。
気持ちを整える時間が。
今日のところはできるだけ陵と会話したくない。気持ちの整理をしたいから。
駅に近づいてくると次第に賑わいの音が大きくなる。
その賑わう街並みの一角に映画館があった。
「彩は何が観たい?」
「そうね…」
何も考えていなかった。
会話せずに過ごしたかったから。
告知ポスターをチラッと見て、戦いものやホラー要素がありそうなのは外すとして、ほのぼのしていそうな作品を選んだ。
あれから、二つ立て続けに映画を観終わったところで夕方になる。
家族の夕食を用意する必要があるから、今日はこれで帰ることになった。
並んで歩く時は、変わらず恋人つなぎをしている。
今になっても告白の返事について触れる様子はない。
あの告白は無かった。無かったことにされたんだ。
そう自分に言い聞かせて、つなぐ手の感触を噛みしめる。
やっぱりこのまま期限まで現状維持するつもりのようね。
「彩、また明日な」
陵はガバっと両腕を広げて、正面から抱きしめてきた。
「ちょ!陵っ!」
「それじゃ、おやす…」
抱きしめてきた彼を力いっぱい押し返した。
「そこまで許した覚え、ないわよ」
呆然と佇む陵に背を向けて、足早にドアの向こうへ飛び込んだ。
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