第19話 離 -knottering-
「店長…今…何て言ったんですか…?」
「だから廃業する、と」
試験明けのアルバイト初日に、店長の口からとんでもない言葉が飛び出した。
昼前のこと。
「さあて、試験終わったし、今日からまたアルバイトに行くか。部活も今日は休みだから半日いっぱい入っていける」
さすがに試験期間に入ると部活は休止するし、アルバイトは店長の側から自粛を促される。
いつものとおり手強さのない退屈気味な試験を終えて、んーっ!と試験疲れが溜まった体に活をいれるような伸びをする
「その前に
試験の全日程が終わって、教室中で緊張の糸が切れて一気にざわめく。
「ねぇ彩、どぅだった?」
「まあ成績が落ちることは無いと思う。試験前に陵と一緒に勉強したし」
「つぃでにあっちのぉ勉強もしちゃってたりして」
パチン!
ニヤニヤした顔でふざける
「いったーい」
「瑠帆ならわかってるでしょ。そうならないことくらい。それより瑠帆はどうだったのよ?」
「ちょっとピンチかも知れなぃ」
デコピンした額を抑えながら返す。
「赤点あったら夏休み中はガッツリ補習だもんね。彼氏と逢う時間も無くなっちゃうでしょ」
「そんなのやだぁ」
「とはいえ、もうあがいても結果は変わらないから、赤点にならないよう祈るしかないわね」
瑠帆があたしの背後にある何かを見つけたような顔をする。
「ほら、彼氏が来たよ。ぃっしょにかぇったら?」
後ろを見ると廊下に陵が待っていた。
「ほんとだ。それじゃ瑠帆、またね」
陵の作戦により、あたしに表立った嫌がらせはない。
とはいえ風当たりの強さは肌で感じている。
だからあたしは少しでも嫌な風当たりを感じたら、その人とは距離を置くようにしている。
最初は本当に嫌だったけど、もう引き返せないところまで話が進んでしまっていて、ニセ彼女を演じきるしかなくなっている。
今のところは落ち着いているけど、問題はまだ山積している。
まずあたしが本気で付き合いたくても、見込みは全く無い。
そして進路を固める三年になれば部活を引退し、アルバイトを辞めた時点で偽カップルも解消する。
それまでに…いや、それからであってもこの偽カップルが何かしらの形で漏れた時、あたしは確実に干される。
干されるだけで済むならまだめっけもんかもしれない。
陵という後ろ盾が無くなって、執拗なイジメが始まっても不思議はないし、文句も言えた立場じゃない。
陵が総スカンされてしまうのを見てるのも嫌。
いや、陵ならうまくかわして、また女子を侍らせる毎日に戻るだけかもしれない。
…もしかして、あたしたち…じゃなくてあたしだけが…とんでもない茨の道を進んでいるんじゃ…?
「彩、どうした?」
「え?」
「黙り込んで、何を考えてるんだ?」
「別に何も」
怖い展開が具体的に浮かんできてしまったあたしの思考を、陵が止めた。
「おはようございます」
「おお、二人ともすぐにフロアに入ってくれ」
アルバイト先に着いて、店長に促されるまま急いでフロアへ入る。
外が暑くて休憩場所にしたいためか、かなり店内は賑わっていた。
ピンポーン
早速コールが店内に鳴り響き
「彩は入店対応に行って。コールは俺が行く」
「わかったわ」
「いらっしゃいませ。三名様でしょうか?」
「はい、三名です」
あたしはテーブルの状態を見ると、ほぼ満席になっていて空いてるテーブルが見当たらない。空いてると思ったテーブルは、今案内すると相席になってしまう。
スタッフの一人がテーブルに布巾をかけている姿を見て
「少々お待ち下さいませ。まもなくご案内致します」
テーブルを拭いているスタッフの後ろへ移動して
「三名お待ちです。配膳入ります」
端的に伝えて案内を任せる。あたしは詰まっている配膳を対応するためキッチンカウンターへ向かった。
「二人ともお疲れ様」
半日近いアルバイトを終えて夜のまかないを食べている最中に、珍しく店長が席へやってきた。
閉店近い時間なので、他にお客様はいない。
「他のみんなにはもう伝えたが、まずは落ち着いて聞いてほしい」
何やら改まった様子でテーブル脇の通路に立つ。
「このお店は今月いっぱいで廃業とします」
頭が真っ白になった。
言われたことが理解できなかった。
「…え…?店長…今、何て言ったんですか…?」
「だから廃業する、と」
「どうしてですか?ずいぶん急な話のようですが」
陵は意外に冷静な返しをする。
「この建物を取り壊すらしくてね、昨日地主さんが直々にお店へ伝えに来たんだ」
「では他でリニューアルオープンしないんですか?」
「そうしたいのは山々なんだが、今月いっぱいというリミットでは移転先を見つけて契約するだけでもそれくらいの時間がかかってしまう。そこからさらに店舗設備を整えるとなると明らかに時間が足りない。一ヶ月以上も仕事なしで居続けてもらうなんて都合の良いことはとてもできない。今日ざっと調べてみたけど、移転先にできそうな物件も見当たらなくて、リニューアルオープンするにしてもいつそれができるかすら見通しが立っていないんだ」
「そんな…」
これじゃ、陵と偽カップルを続ける理由が一つ消えちゃう…。
「俺はリニューアルまで待てますが」
「いや、ありがたい申し出だけど、もう決めたことだから。短い間だったけど二人共ありがとう。そしてご苦労さま。君たちならどこに行っても通用するだろう」
あたしと陵は、店長のお辞儀を見て言葉を失った。
「………」
「………」
二人並んで手をつないだまま、無言で帰り道を進む。
もしこれで陵が部活を辞めてしまったら、偽カップルは解消してしまう。
「い、意外だったわね。アルバイトがこんな形で終わっちゃうなんて」
「土地オーナーの意向では仕方ないよな」
再び訪れる沈黙。
会話が続かない。
「ちょうどいいから、アルバイトの最終日をもって部活を辞めることにする」
「えっ!?」
「嬉しくないのか?」
嬉しいわけなんてない!
つい声を張り上げてしまいそうになった。
自分の気持ちに気づいてしまった今、せめて偽カップルであっても陵と一緒に居続けたい。こうして手をつないで、何気ない会話をして、恋人気分を味わっていたい。
でも、急に態度を変えると不審に思われてしまう。
ぐっとこらえて
「つまりこれで偽カップル解消ということね。やっとせいせいするわ」
心にも思ってない強がりを口にした。
「彩には、これまで迷惑をかけたな」
目を細めてふわっとした笑顔を見せる陵。
嫌…このまま終わりなんて…嫌だよ…。
自分のことでいっぱいいっぱいだったあたしは、目をそらした瞬間に陵の顔が曇ったことなど気づけるはずもなかった。
ぼすっ
ベッドに倒れ込んで、今日あったことを思い返す。
やだ…陵と別れるなんて…やだ…。
偽カップルを始めた当初は、どれだけ別れることを望んでいたか。
けど今は別れるなんて考えたくもない。
ニセでも構わないから、陵と一緒にいたい。
もう離れたくない。
こんなに早く別れる日が来るなんて…。
どうせなら付き合い始めてすぐの早い段階か、せめて3年に上がるまで待ってほしかった。
陵には振り回されっぱなしで悔しい。
確かに陵が機転を利かせたおかげで助かった場面は多い。
けど、そもそも付き合い始めたきっかけからして、あたしの立場は完全に無視された形で始まった。
付き合い始めた、と嘘をwhisperアプリで広めて引き返せなくさせて。
部活で迷惑をかけられて、さらに瑠帆のせいでアルバイト先まで引っ掻き回されてきた。
迷惑をかけた分の責任を取ると言いつつ、とてもあたしのことを考えているとは思えない。
陵自身が損をしないために応急処置をしているだけじゃないのか。
取り留めのないことを考えている内に、眠気があたしを睡眠という闇に引きずり込まれた。
「それではテストの答案返すぞ。全教科まとめておいた」
うわー、という悲鳴があちこちから聞こえてるものの、あたしはそれほど動じていない。
「彩よゆぅだね」
「結構いい手応えがあったからね」
瑠帆とあたしはそれぞれ点数を見ないで答案を受け取り、お互いに交換する。
「それじゃ」
「ォープン!」
教科数分の答案をひっくり返して、見るのは数字だけ。
「ふむ…」
「どぅ…?わたしの…」
おずおずと聞いてくる瑠帆。
あえてポーカーフェイスでペラペラとめくる。
「ねぇ…どぅなの?」
机でトントンと答案の束を揃える。
「聞きたい?」
「まさか…」
「全教科で赤点…」
さあっと瑠帆の顔から血の気が引く。
「をギリギリ回避」
一転して、ぱあっと顔が花咲く。
「喜んでる場合じゃないわよ。本当にギリギリだったんだから、もっと安心できる点数を取らないと、次は補習の嵐かもしれないわよ」
重ねた答案用紙に書かれていた点数はどれも赤点を1~3点の範囲で回避していた。
「慎重に慎重を期して狙い澄ましたんじゃないかというくらいギリギリの赤点回避ね。それであたしは?」
「どれも平均以上はぁる点数だったよ」
手応えどおりの結果だった。少なくとも平均を超えていればアルバイトは辞めさせられないでいける。
「まあそれくらいよね。これでアルバイトを辞めさせられないで済むわ」
「そっか、バィト継続の条件だったよね」
けど今のアルバイトはお店が終わっちゃうから、夏休みの途中で終了してしまうけど、心配させたくなくて黙っていた。
早く次のアルバイト先を見つけなきゃ。
「やっぱり今の時期だと求人が少ないわね」
試験が無事に終わり、お店側の都合で二人共シフトが入ってない今日は、求人フリーペーパーを家に持ち帰ってパラパラとめくってみたものの、夏休みに入るこの時期では、同じくアルバイトを探してる人はもうほとんど決まっているのだろう。
交通費をかければいろいろあるけど、交通機関を使わない条件では求人が無いも等しい有様になっている。
そういえば陵はどうするんだろう…。
もし陵が行くアルバイト先にあたしも行けば、部活を辞めるのも止めてくれるかな…。
明日は終業式とアルバイトのシフトが入っている。
その時にでも聞いてみようかな。
退屈な終業式が終わり、部室に足を向けた時
♪♪♪
着信を告げる携帯の画面には、アルバイト先の電話番号が表示されている。
緊急性のある事態が何かあったんだろうな。
「はい、もしもし」
「店長だけど、
「はいそうですが」
「急で済まないが、今日は夕方からじゃなくて今すぐにシフト入られるかい?」
「本当に急ですね。終業式は終わりましたので、急いでも20分くらいはかかると思います」
「それで構わない!急病で副店長ともう一人が休みと開店前に連絡が入ってしまって、お店が回りきらない恐れがあるんだ!」
「わかりました。二人欠員ということなら陵くんも行けるか確認を…」
ぽん、と肩を叩かれる。
「俺がどうした?」
「お店で二人欠員が出たそうよ。あたしはお店に行くけど…」
「なら俺も行く」
こくんと頷いて
「陵くんも行けるそうです。今から向かいます」
「助かるよ!」
通話を切って、念のため部室には顔を出してアルバイトへ行くことを伝えた。
「二人が急病か」
「詳しくは聞いてないけどね。ところで陵は来月からまたアルバイトするの?」
手をつなぎながらお店に足を運んでいる最中、さりげなく探りを入れてみる。
「いや、しばらくバイトはいいかな。接客のない倉庫番やポスティングなんかだったらやってみてもいいけど、そんな求人は無かったしな」
ということは、同じアルバイトに入って偽カップルを続けるのは無理か…。
だったら
「だからといって部活まで辞めることないんじゃない?」
「どうしたんだ?あれだけ追い出したがってたのに」
「別に。せっかく落ち着いて部活できるようになったんだから、中途半端にして投げ出すことも無いと思っただけよ」
うん、多分不自然さはない…はず。
「まあバイトを二人同時に辞めるこの状況は、俺にとってちょうどいい区切りになったと思っただけだ」
何がちょうどいい区切りよ!?そんな簡単に放り出すわけっ!?
と、喉元まで出かかって、危ういところで飲み込んだ。
ここで引き止めるのはあまりに不自然。
今までのあたしは、どうやって陵を追い出そうかということばかり考えていたのだから。
陵を何が何でも引き止めるためには、あたしが素直にならなければならない。
好きと伝えて、偽カップルから本カップルへ変わらきゃ…。
けどそれは無理な話。
悔しい…引き止める手段がない。
あたしと一緒にいることを続ける理由づけも…ない。
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