第17話 昼 -study-
「やっと戻ってこられたわね」
「ああ、ほんの数日なのにずいぶん懐かしい感じがするな」
電気系統の故障が復旧して、アルバイトに戻ってきた。
「
「
天井を見上げると、照明器具がどれもキレイになっていた。
「もしかして照明を全交換したのかも」
「マジか。思い切ったな」
「ふたりとも早くフロアに入ってくれ。再オープンで混雑しているから、てんやわんやだ」
ドッと賑わっている店内を駆け回る店長の声で我に返った。
「あ、はい。急ぎます」
あれから
その代わり、陵といない時は今まで以上にベッタベタされている。
ほんと脳がバグるから彼女…じゃなくて彼には関わりたくない。
どうやらお店に来ているわけでもなさそう。
「いらっしゃいませ。3名様ですか?」
お店の外にまで並んでしまっているお客さんを待たせていることに焦りを感じつつも、丁寧に席まで案内する。
「ふー、慌ただしかったな」
「客層は主に若い女性だったから、主に陵目当てでしょ」
仕事上がりに二人でテーブルを囲んで夕食にしていた。
「さすがに面識がないからチェンジの注文はされなかったけど、明らかにガッカリされるのはイラッとするわね」
ドキドキとうるさい胸の鼓動を悟られまい、と平然を装う。
「それはそうと、試験勉強はどうなってる?」
話を逸らされて真意を測りかねてしまう。
「順調よ。試験の結果が悪くなったら姉にアルバイトを止められちゃうもの。必死にやってるわ」
「そいつは一大事だな。彩がバイトをやめさせられてしまわないよう、しっかり見なきゃな」
「…何よ、まさか」
カチャとフォークを置く。
「お互いに効果測定しようか。二人きりの勉強会という形でね」
「い…」
いいわね、と言いかけて思いとどまった。
少しでも一緒にいられる理由ができて心が弾んだものの、前のあたしなら絶対に嫌がって断っているはず。
「いやよ」
ふいっと横向いて答えた。
「どうして?一瞬嬉しそうな顔をしたけど」
「こういう時のお約束は、全然集中できなくて無駄な時間を過ごすパターンよ」
必死にジト目の形を作って続ける。
「何で集中できないんだ?」
「勉強って一人で黙々とやるものでしょ。それが二人になった時点で集中なんてできるわけないわ」
「彩はバイトを続けたいんだろ?だったら成績を下げるわけにはいかない。お互いに小テストを出しながらやれば復習にもなる。悪い話じゃないと思うが」
「そこに人がいると思うだけで気が散って仕方ないのよ。だから嫌なの」
これで合ってるよね…?嫌っていた頃のあたしが取る態度は…。
好きと悟られてはならない。
それにしても、この態度は自分がキツい。ずっとこんな態度を取っていた自分が恐ろしく感じてしまう。
本当に嫌われてしまうんじゃないかと、ハラハラする。
陵は、どう出てくる?
「そうか。残念だ」
あれ?あっさり引き下がるつもりなんだ。
「あまりの残念さに我を忘れて今日の帰りにうっかり彩と事故チューしてしま…」
「やるわ」
みなまで言わせず、あたしが折れる番だった。
「それでこそ彩だ」
内心嬉しくて綻んでしまいそうな顔を必死に隠して、嫌悪の表情を作るのがやっとだった。
「え?ダメ?」
陵と勉強会をしようという話になり、陵の家でやることになっていた。
試験が近くなったから、試験終了までシフトを入れてないある日曜日昼前のこと。
「突然親戚が押しかけてきてしまってね」
「陵の部屋は問題ないでしょ?」
「部屋はいいんだが、問題はイトコなんだ。まだ分別のない幼さだから、入ってくるなと言っても構わず入ってきてしまって、更にウザ絡みしてくるから勉強どころじゃなくなってしまうんだ」
「…そう」
「そこで彩の家に変えたいんだが、どうだ?」
確か今日は祖父母がいて姉はいないはず。
「いいわよ」
冷やかされるのはイヤだから、姉はいないほうがいい。
「それでは、お邪魔します」
家に着いて陵が入ってくる。
「スリッパどうぞ」
「ありがとう」
靴を確認したけど、やはり姉はいない。
時間を見ると昼が近い。
「さっそく始めたいけど、お昼を先に済ませたほうが良さそうね。リビングで待ってて。簡単だけどお昼作るから」
「そうか、ごちそうになるよ」
二人でリビングに入って、あたしは更に奥のキッチンに立つ。
ペペロンチーノでも作ろうとして材料を出していたら、唐辛子が無いことに気づいた。
他のスパゲティ料理を作ろうにも、一つ二つの材料が足りない。
「ごめん陵、ちょっと買い出しに行ってくるから待ってて」
「わかった」
あたしはすぐ近くのスーパーに行くため、財布とマイバッグを持って外に出る。
「あれ?」
姉の
彩が男を連れ込んでいるとしたら、彩の靴が無いのは不自然。
「まさか…」
夕は玄関に置いてあった箒を手にして、足音を殺しながら家に入っていく。
「あっ」
ゴトン
手持ち無沙汰な陵は、スマートフォンをいじっていた。しかし手が滑って床に落としてしまう。
椅子から立ち上がって、屈んで落としたスマートフォンを拾う。
「やあっ!」
突如リビングと廊下をつなぐドアが開くと同時に人影が躍り出て
バシッ!!
陵の頭に衝撃が走る。
「痛っ!」
わけもわからず叩かれた頭を抱えつつ、床にお尻をつく。
「あっ、彩の彼氏!?」
箒を構えた夕は、驚いた顔で口を開いた。
「いたた…何だ?」
「ごめんなさい!てっきり空き巣か強盗と思っちゃった!」
箒を放り出して陵に駆け寄る。
「痛い?見せて」
知らなかったとはいえ、思いっきり叩いたからコブくらいはできちゃってるかもしれないと思った夕は、慌てて陵の頭を見る。
「痛いのはどのあたり?」
「いや、もういい。大したことはない」
「そんなわけには…それより、彩はどこ行ったの?」
「昼食を作ろうとしてたけど材料が足りないから、と買い出しに行ってる」
「そうだったんだ。だから彩の靴がなかったのね」
「…そうか。だから俺を空き巣か強盗と勘違いしたわけだ」
状況を理解して腑に落ちた陵はリビングの椅子に腰をかけ直す。
「ほんとに、ごめんなさい!でもなんでここにいるの?夕方まで帰ってこないって聞いてたけど…」
「うちで勉強をしようとしたけど、急に都合が悪くなったからここで勉強することになったんだ」
「なるほど、そういうことだったのね」
夕はキッチンを見る。
「お詫びにわたしがお昼作るわ」
「彩を待ってもいいんじゃないか?」
「いいから任せて!」
自信満々な顔で夕はキッチンに立った。
「彩、ぉはよぅ」
近所のスーパーに着いたあたしは、
「おはよう瑠帆。あなたも買い出し?」
「試験勉強してるんだけど、どぅも眠気が残っちゃってるから、コーヒー買ぃに来たんだよ。彩もコーヒー…じゃなぃみたぃね」
手にした調味料を見て勝手に納得している。
「今日は陵と勉強会しようってことになって、今はうちにいるわ」
「へ~…」
「言っとくけどガチの勉強だからね」
ニヤニヤしてる瑠帆の顔に、何やらあらぬ想像を働かせていると書いてあった。
「二人きりの部屋で目が合っちゃって、目をそらせず思わず気持ちが盛りぁがって、二人で大人の階段を…」
「登らないから」
「ぉや?」
思わず目をそらして顔が赤くなってしまったのを見られた。
「ぉやぉやおゃぁ?」
意味深に顔を覗き込んでくる瑠帆。
完全にバレた。棺桶まで持っていくつもりだった気持ちが、こんなにも早くバレちゃうなんて思わなかった。
「そっかぁ、やっとその気になったんだね」
一番知られたくない人に知られてしまった。
「瑠帆、余計なことしないでよ?あたしがその気になっちゃったことを知られたら、あたしも陵にフラれちゃうんだから」
誤魔化したり隠し通すのは無理と判断したあたしは、釘を差すことにした。
「どぅして?」
「陵はあたしが彼を嫌っているからこそ、あたしを利用して他の女子を遠ざけてるだけだから、気持ちを知られたら他の女子と同じになっちゃうのよ」
「彩はそれでぃぃの?」
ズキッ!
「仕方ないでしょ。少しでも一緒にいる時間を増やすためには、現状維持しか無いのよ。自分から
あたしは会計を済ませて、瑠帆と話し込んでしまう。
気持ちがバレちゃった以上は今の関係を崩さないようにしなければならない。
「ところで彼氏が待ってるんじゃなぃの?」
「あっ!そうだった!」
♪♪♪
メールの着信を知らせる音に気づいた。
「誰から来たの?」
「姉からみたい」
メールを開いてみると、驚きの内容が書かれていた。
「どぅしたの?彩、顔青ぃよ?」
「ごめん瑠帆、急いで帰らないと!!」
焦りを感じつつ、家へ向かってダッシュを始める。
お願い、間に合って!
「陵!生きてる!?」
急いで家に戻り、リビングになだれ込んだ。
「…遅かった…」
ガックリと膝をついて後悔の言葉を吐き出す。
さっき姉から来たメールは、陵に料理した食事を出すという内容だった。
見ると、陵はテーブルに突っ伏している。
「お姉ちゃん!今日は夕方帰りじゃなかったの!?」
「遊びに行く友達が急病で来られなくなっちゃったのよ」
「それでなぜ料理してるのよ!?お姉ちゃん、料理のマズさがタダでさえ殺人的なのに!」
「帰ってきたら、彩の靴がなくて知らない男物の靴があったから、不法侵入者かと思って彼を思いっきり叩いちゃって、そのお詫びに…」
「お詫びに追い打ちでトドメ刺してどうするのよ!?物理攻撃で撃退されるよりお姉ちゃんの料理を食べる方がよほどダメージでかいわよ!」
そう。ずっと姉に料理をさせなかったのは、単純に殺人的なマズさであたしも死にかけたことがあったから。
「………なんて個性的で野性味に溢れる味だ…」
やっと起き上がった陵は、感想を口にした。
マズい、とはさすがに言えないのだろう。
「どれ…」
あたしはほんの一欠けだけ味見することにした。
「………はっきり言って食材に対する侮辱よね、これ」
見た目こそスッキリとキレイに整えているのだけど、それだけに予想した味とかけ離れたカオスさと落差に、ドン底へ真っ逆さまに突き落とされる。
筆舌に尽くしがたい、マズいなんて表現ですら足りない味だった。
「ちょうどいいわ。お姉ちゃんもお昼まだでしょ?すぐ作るからちょっと待ってて」
「この料理はどうするんだ?」
「悪いけど、殺戮兵器レベルのマズさで味の軌道修正はもはや無理だから、もったいないけど捨てるしかないわね。そこによけといて」
手早く料理を始めるあたしをよそに、姉は陵とテーブルを挟んで会話をしていた。
「陵くん…だっけ?彩と付き合ってるんでしょ?」
「はい」
「どうして彩にしたの?」
「実は俺が学校で女子に絡まれまくって困っていてね、偽装カップルにしておけば女子除けになると思ったんだ。彩は俺を嫌いみたいだから都合がニセ彼女として良かったので」
姉の顔が固まった。
って、何いきなりバラしてるのよ!
「って言ったらどうしますか?」
「なんだ。冗談だったのね」
おどけて見せる陵に、姉はホッと旨を撫で下ろした。
「何でもズバズバと歯に
料理を進める手が止まる。
ごめん。あたし、陵にズバッと言えてないことがある。
言ったら、この関係は終わってしまう。
言わなくても長くて二年半後には終わってしまう。
だからせめて、一緒に居られる間だけでも、夢を見ていたい。
「彩?どうしたの?小休止でもしてるの?」
「ううん、何でもない」
手が止まったことで音も止まり、心配した姉に応える。
再び料理する手を動かし始めた。
「うわっ美味しい!」
パパっと作ったペペロンチーノを口に含んだ陵が声を上げる。
「やっぱり料理は彩に任せないとダメね」
「前にお姉ちゃんが作った料理で三途の川が見えたものね。あたしはレシピどおりに作ってるだけよ」
「もしかしてお姉さんはカップ麺すら異次元の仕上がりにするタイプ?」
「わかる?」
陵の疑問にあたしが答える。
「そうなのよ。前にアレンジしたくて隠し味に生クリームを…」
「お姉ちゃんの隠し味は主役になりすぎるのよ。それもエグいレベルでね」
「なるほど、納得だ」
「ところで陵くん、前に彩から紹介してもらった時より前に会ったことあったかしら?」
「いえ、無いはずです」
あたしはこのやりとりを気にしないでいた。
「お昼ごはん終わったし、勉強始めましょうか」
「ああ」
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