第15話 宣 -monopoly-

 女というやつはとても面倒だ。

 りょうは自室に着いてベッドに身を投げ出し、物思いにふける。

 あやと一日中一緒にいて、家へ送り届けてから帰ってきた。

 中学に上がった頃から、女の方が接し方を変えてきた。

 友達感覚は無くなり、男と女という面倒な接し方に。


 中学の頃…

月都美つづみくん、一緒に帰ろう?」

「ずるい!わたしも!」

 クラスの中で、こうして近づいてくる人が後を絶たない。

 最初の頃こそ愛想よく振る舞っていたが、いい加減うんざりしてきた俺は

「悪い。一人にしてくれ」

 と塩対応を始めた。

 ちょっとしたことで怒り出したり、色めきだったりされて、その忙しい感情遷移が俺にはどうにも受け入れがたい。

 しかしそんな塩対応についてもやはり意見がつきまとってきた。

 まるで敵地に潜入して正体がバレた時のような疎外感が肌に突き刺さる。

 明らかに居心地が悪くなったとを感じて、塩対応はほどなくやめた。


 そこからの毎日は、頭を抱えたくなるほどだった。

 目の前にいる女はどんな言葉をかけてほしいのか。どうしてほしいのか。

 休まる暇のない慌ただしい気持ちの移り変わりに巻き込まれる。

 対応を間違えると、またあの疎外感を味わうことになる。


 三年に上がると、今度は受験シーズンに入る。

 二年近く耐えてきた気持ちの酌み交わしから逃げる口実を得た俺は、勉強に没頭することで周りと距離を置き始めた。

 まるで小学校時代の再来だ。

 あの頃は親に認められたい。ただそれだけのために遊ぶ時間すらほとんどを放り投げて勉強漬けの毎日だった。


 受験シーズンが終わると、まるで堰を切ったように女が寄ってきた。

 こんな不毛なやりとりをどれだけ続けなければならないのか。

 そう思いながらも機嫌を損ねないようかわしながら時間を稼いだ。

 卒業式当日は耐久マラソンかと思えるほど、女子から呼び出された。

 もちろん全部断った。


 そして高校に上がったものの、中学よりも状況は悪化した。

 考えた結果、伊達メガネを掛けている間は構わないでくれ、と頼んでみたらそのとおりにしてくれたのは唯一の救いだ。多用しすぎないよう気をつける必要はあるが。

 女子の色眼鏡攻撃に疲弊した俺は、連休前に何とか切り抜け、帰り道を急いだ。

 そんな時に見かけた同じ学校の制服を着た女が、たいやき屋の前で困ってる様子が目に留まった。

 これまで頭を悩ませてきたことである程度鍛えられた、瞬時に状況を察する思考が作用して、考える前に体が動いた。

「これで払います」

 通りすがりでかすかに聞こえたお代の金額をカバーできるお金を取り出して、横から割り込んだ。

 考える前に体が動いたものの、お釣りを受け取る段階で『また面倒なつきまといの憂き目に遭うんだろうな』と後悔する。

 その場は愛想よく乗り切った。失敗はしてないはずだ。

 帰り道を急ぎながら、今後どう躱そうかと考える。


 連休明け。

「おっ、来たな。蝶名林ちょうなばやしさん」

 お金を返しにきた彼女に呼びかける。


 っ!?


 俺は驚いた。

 ほんの一瞬だけど、彼女はとても嫌な顔をした。

 中学校以来、女子にこんな顔を向けられたのは初めてだった。

 実に興味深い。

 そう思った俺は、彼女のことを気にかけ始める。

 それは予想したとおりだった。

 色めきだつでもなく、色眼鏡を使ってくるでもない。

 それどころか俺のことをほとんど知らない。接するほどに、程よい距離感があって心地よさを感じた。

 蝶名林さんとなら、一緒にいても疲れそうにない。

 ズバッと切り捨ててくる竹を割ったような性格も嫌いじゃない。下手に抱え込まれてある日突然爆発されるよりはずっといい。


 この人だ。


 自分から女に興味を持ったことに、自分が一番驚いた。

 その後は、少しでも彩のことを知りたくて入部届を出し、彩の親友である薮崎やぶさきさんの、どこか含みがあった声がけに乗った。

 苛立ちを隠さない彩に偽カップルの提案をしたのも、一緒にいれば他の女子は近寄ってこないと見越してのこと。

 楽に高校生活を送ることができるであろう手段を見つけた俺は、一気に引き返せないところまで話を進めて囲い込んだ。

 狙いどおり、他の女子たちはむやみに近づいてこなくなった。

 おまけに彩はかなりの強気だから、ちょっとしたことで折れたり曲がったりしないのも都合がよい。

 俺にとって偽カップルの話は毎日を快適に過ごすための手段に過ぎない…はずだった。

 けど今は…。


 寝転がっている内にウトウトして軽く寝入ってしまう。


「ほんとっ!?」

「ああ、もう家庭教師はやめにする。一日の終わりにやってる小テストもだ」

 できすぎた話だから何か裏があるのではないか、と疑いの気持ちが芽生える。

「…その代わり、なんて言い出すんじゃ?」

「いや、中学に上がった後は期ごとの試験がある。その試験結果が一つでも80点を下回っていたら次の試験まで休みの日はカンヅメにするが、それをクリアしていれば何も干渉するつもりはない」

 やはり厳しい方針であることに変わりはないらしい。

「それと、来週からの春休みは何も予定を入れてないだろ?パパとママは仕事で二週間ほどアメリカに行くが、お前さえよければ一緒に行こう。これは小学校卒業記念として一切陵の行動を制限しない無条件だ」

「もちろん行くよっ!」


 パチ


「はあ、またあの夢か」

 陵は今見た夢をぼんやりと覚えていた。

「もしあいつがいなかったら、俺は今頃どうなっていたんだろうか…」

 身を預けたベッドから起き上がり、時計を見ると18時だった。

「30分ほど寝てしまったな」

 そろそろ夕飯の時間になる。

「そういえばアメリカに行った時、偶然だけど明先みょうせん麗白ましろさんも訪米していたんだっけ。今も元気でいるかな、麗白さん」


 日が変わり、朝がきた。

「おはよう、陵」

「ああおはよう。彩」

 あたしはいつものとおり、陵と手をつないで歩き出す。

 やっぱり落ち着く。手をつないでいると。

 誰とでもいいのではない。落ち着くのは陵とだけ。

 もし陵が今回の電気系統故障を機にアルバイトを辞めて、ついでに部活を辞めてしまったら、偽カップルは解消する。

 そうなったら、こうして手をつないで歩くこともなくなる…!?


 嫌…


 どうして、嫌いなのに…離れていくのがこんな悲しいことに思えるの…?

「ねえ陵」

「何だ?」

「アルバイトと部活、辞めたりしないよね?」

「どうしたんだ急に?」

「答えて」

 目を合わせられず、まっすぐ向いたまま言い放つ。

「いずれは辞めることになるだろうな」


 ズキッ!


「どう…して…?」

「物事には始まりがあれば終わりがある。二年後の受験シーズンになったらどっちも続けるのは難しくなるだろうな」

 淡々と続ける陵。

「…そうだよね」

 言われてみれば正論だ。あたしにとっても同じこと。

「らしくないな。彩がそんなことを聞いてくるなんて」

 こうして陵と一緒にいられるのは、あと二年。

 急に襲ってくる喪失感。

 陵のことは嫌い。それは今も変わらない。

 けど離れたくもない。

 あたしが結論を出さなくても、二年も経てば確実にこの関係は解消へ向かう。


 やだ…


 やだって、どうしてそんなことを思うんだろう…。

 認めない…認めたくない…。

 あたしが、陵を好きだなんて、認められない!

 だって…認めたら…認めても…陵が離れていってしまう。

 陵を嫌っているからこそ、あたしは陵に利用されている。

 彼と一緒にいることができる。

 好きになってしまったら、他の女子と同じになってしまう。

 だから、絶対好きになっちゃダメ!嫌い続けなければ、この関係は終わる。

 けど、二年も経つ頃には、偽カップルを演じる役目も終わる…。


 終わりのイメージが具体的に浮かんできてしまい、自分の気持ちに気付かされた。

 とうとう気づいてしまった。でも、自分をごまかし続けられない。


 そっか…あたし、陵が好きなんだ…。


 気づきたくなかった。認めたくなかった。

 でも、これ以上自分をあざむき続けられない。

 この気持ち、誰一人たりとも絶対に気づかれてはならない。

 部活やアルバイトに勤しんでいて気づく暇すら無かったけど、アルバイトを一時的でも離れたことで、気づくきっかけになってしまった。


 この気持ち、棺桶まで持っていく!


 気づいてしまった自分の気持ちと決意を新たに、陵とつなぐ手を握り直す。

「彩?」

「何よ。ちょっと指の座りが悪かったからつなぎなおしただけ」

 大丈夫。気づかれてない。

 この先ずっと、気づかれてないかドキドキしながら過ごすのか…。 

 先が思いやられる気持ちを抱えながら、放課後に部室へ向かう。

「彩、部室へ?」

「うん。今日はアルバイト無いからゆっくりできそうね」

「そうだな」

 アルバイト先からは、電気設備が回復してシフトが決まり次第連絡をもらうことになっている。

「あーちゃんにりょーたん、こんにちわ!」

 突然、かおるちゃんがあたしと陵の間に割り込んできた。

「今日も部活がんばりましょう!それと嫌って言ってもバイト先にお邪魔するのでよろしくね!」

「アルバイト先は…」

「仕事の邪魔するなよ」

「…ちょ、陵!?」

「どうせ止めても無駄だろ。邪魔さえしてこなければ構わん」

 読み取りにくい表情で言い放った陵と手をつなごうとした瞬間

「二人とも見せつけてくれますね~」

 間に入り込んできて冷やかす薫ちゃん。

「ちょっと薫ちゃん、もうあたしたちに構わないでよ!陵はあたしの彼氏なんだから、誰が来ても何があっても絶対に渡さないわよ!?」

 思わず感情的になって牽制するけど、当の薫ちゃんはキョトンとして首を傾げる。

 これ大丈夫だよね?こう言ってもバレないよね?

「りょーたんをくれるって言われても要らないけど?」

「へ?」

 目をぱちくりして見つめてくる。

「それじゃ、何が目的なんだ?この際はっきりさせておこうか」

 しびれを切らしたのか、陵が苛立ちを隠さず詰め寄った。

「わたし、男だけど?」


 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。


「はい?」

 しばらくの間、思考が停止してしまい、やっと出てきた言葉だった。

「わたしは女の子だって紹介した覚えないよ?」

 ………………………………………………………………………。

 言われてみれば、確かにない。

 格好や仕草で勝手に女の子と判断していた自分に気づく。

「これが証拠」

 言うが早いか、スカートを自分で捲り上げた。


 っ!!!?


 ほんの一瞬だったけど、見えた証拠は確かにそのとおりだった。

「あの………なんでそんなかっこしてるの…?」

 軽い頭痛を覚えつつ、問いただすのがやっと。

「昔から小さい上に細くて色白で女の子っぽいと言われ続けて、すごく嫌だったけど、気がついたらこれが自然な姿だって気づいたの」

「あのね、学校には校則ってものがあって、服装についても書かれているのよ。そんなの学校側が許すわけないじゃない」

「校則では『学校指定の制服着用』としか書かれてないでしょ?」

 だめだこの女…じゃなくて男。

「確かにそう書かれているな。男女の制服指定まではされていない」

 隣で陵が生徒手帳と口を開いた。

「だからってねぇ…」

「先生にもその部分を指摘したら黙ったよ。わたしのことをとやかく言う前に校則を直したら?って追い打ちしたら引き下がったからおとがめなしなんだ」

 ザル記述すぎるでしょその校則。先生も常識というものを加味して対応しないの?

 心の中でツッコミを入れるけど、いずれにせよ薫ちゃんの服装については学校側で何かするつもりはないらしい。

「それじゃ、その声は…?」

 薫ちゃん…じゃなくて薫くんの明らかに声変わりしてなさそうな中性的な声を疑問に思っていた。

「医者に診てもらったけど、声帯のつくりが少し特殊らしくて一生声変わりしないかもって言われてるよ」

 今度は医者のお墨付きときたか。

「それで、あたしたちに絡んできてるのは…」

 ある程度の疑問を紐解いてきたところで、根本的な疑問をぶつける。

「あーちゃんに決まってるよ」

 目の前が一瞬真っ暗になったのを確かに感じた。

「だからりょーたんと別れてわたしと付き合ってよ」

 きゃるん、と音が聞こえてきそうな女子力高い仕草であたしに抱きついてくる。

「ちょ…!離れてよ!」

 ベリッと間に入ってきた陵が引き剥がす。

「そういうことだったのか。どうも最初から色々と違和感が拭えないと思っていたが…これで矛盾なく納得できた」

 薄々気づいてたんだ?

「彩は俺の彼女だ。誰にも渡すつもりはない」

 陵はあたしを抱きしめながら言い放つ。





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