第14話:痒 -oscillation-
「それじゃおやすみ。また明日な」
それにしても…。
「あれー、あーちゃんはどこ行ったんだろ?」
「後ろからつけてきて、何の用だ?」
暗い物陰に身を隠していた陵は道の真ん中に立って問いかける。
「っ!?」
一体何をしたかったんだろう?
まさか、邪魔なあたしを闇討ち!?
でも陵がいたから、予定が狂って逃げた。
いや、後ろからつけてきていたなら、陵がいることはわかっていたはず。
それにしてもあんな暗い場所で一人歩きは危ないのに、陵は深追いしなかった。
薫ちゃん、無事に帰れたのかな?
湯船に浸かりながら、色々と思いを巡らす。
あたしのスケッチブックにいたずらしたあの三人、本当は辞めたかったんだろうけど、あえて残ることを選んだ。
一人は『針の
陵やあたしにちょっかいをかけられることも無くなって、真面目に部活動へ参加してきていた。あれは三人なりに罪滅ぼしをしてるつもりなんだろう。
あたしとしてはスケッチブックの面で軽く叩いて全部終わりにしたつもりだったけど、本人たちはそれだけじゃ終われないでいるのかもしれない。
それは当人たちの問題だから、これで終わったと気持ちの区切りがつけば辞めていくだろう。
アルバイト先のレストランでは、陵目当ての女性客はちらほらいるけど、弁えているのかチェンジを言い出す人はいない。
陵の狙いどおり部活動が落ち着いてできると思った矢先に薫ちゃんが出てきた。
女のあたしから見ても可愛いと思うけど、どうにも掴みどころが無くて、どう接していいのか分からないでいる。
部室に押し寄せてくる女子津波やストレスマックスなチェンジ要望こそないものの、何が目的なのかが見えてこなくて、かなりやりにくい。
自分の部屋に戻り、カバンを開ける。
パサッと封筒が舞い落ちた。
そういえば今日アルバイト先で…
「はい、お疲れ様でした。
「お疲れ様でした。
店長から封筒を渡された。
アルバイトの初給料が支給された。
「ありがとうございます。これって銀行振込でしたっけ?」
「そうだよ。今日振り込まれてるから確認しておいてね」
「わかりました」
封筒を開けると、明細書が入っていた。
広げて中身を見ると、ほぼ計算どおりの額が記載されている。
月途中から入った分だけ少ないけど、自分の小遣いには十分と思えた。
何に遣おうかな?
祖父母に感謝の意を込めて何か贈ろうかな。
コンコン
不意にドアが叩かれる。
「彩、明日は休みだっけ?」
「うん。でもアルバイトがあるから、昼前にはでかけて帰りは夜になるよ。昼と夜は用意しておく」
「わかった。お願いね」
翌朝。
家族の昼食と夕食を用意して冷蔵庫に入れる。
テーブルに書き置きをして出発の準備を終えてから玄関を出る。
アルバイト先へ着いたあたしたちを待っていたのは…。
『電気設備故障のため臨時休業します』
の張り紙だった。
「…陵、どうするこれ?」
「まあ仕方ないだろう」
レストランの中にいる店長があたしたちに気づいて、裏口から出てきた。
「おはよう。二人共。その張り紙に書いてあるとおりだ。悪いがしばらく休みだ。せっかくここまで来たんだ。そのままデートしているといい」
「デッ…」
「わかりました。お店が再開できる見込みが立ったら連絡ください」
そう言って、陵は手をつないできてあたしをお店から遠ざける。
「ちょっと陵、店長の言葉を本気にしてるの?」
「今の俺たちは何だっけ?」
「…カップル…偽だけど」
「安心するといい。お互いが本気でない限りキスやそれ以上はなしだ」
もや…
安心した反面、残念に…なんで残念に思わなきゃならないのよっ!
「…それならいいわ。ちょうどお買い物したかったところだし」
「買い物か。何をだ?」
「お世話になってる祖父母へ気持ちを、ね」
「そういえば彩の家族ってどうなってるんだ?」
「教えたくないわ。いくら陵でも踏み込まれたくないことはあるのよ」
「そうか」
あたしは陵の手を引いて、商店街に差し掛かる。
「あら、彩?」
聞き覚えのある声で後ろから呼び止められた。って、この声は…。
間違いなく姉だ。紹介するとますます外堀が埋まってしまうので、できれば見つかりたくなかったけど、見つかってしまった以上は紹介せざるを得ない。
「お姉ちゃん。もう出かけてたんだ?」
逃げたり隠れても不自然だから、開き直って向かい合う。
「ええ。その人が彩の彼氏?」
「初めまして。
「ご丁寧にどうも。姉の
「いや、アルバイトのはずだったけど、電気の故障でお店が開けられなくてシフトが無くなっちゃったのよ。だから買い物に付き合ってもらってるだけ」
「まあ、そうだったの。でも彩はここ最近ずっと働き詰めだったから、たまには休んだほうがいいわね。もしかすると神様が彩に休めって言ってるのかもね。それにしても…」
姉は陵を舐め回すように見ている。
「彩にピッタリ釣り合うくらいのイケメンボーイね」
あたし自身はあまり容姿に自信があるほうではないけど、お店でもよくナンパされてしまうくらいには、男好みの容姿らしい。
もちろん中身が残念なのは自覚していて、それが原因でこれまで彼氏はいなかった。だから偽とはいえ陵が初めての彼氏ということになる。
「イケメンだなんて、そんなことは…」
「あるわよ。陵が行く所行く所で女子津波が起きていたくらいには」
謙遜しかけた陵に、あたしがフォローを入れる。
「女子津波…何か想像できるわね。とてもお似合いよ、二人とも。それじゃ楽しんできてね」
軽くウインクをしながら立ち去っていく姉。
「あれが彩の姉か。物腰柔らかな人だったな」
「どうせあたしとは真逆のしおらしくてできた姉ですよ」
「そういう意味じゃないんだが、彩にそう取られたということは言い方について反省の余地ありだな」
夕は振り返って二人の背中を見送る。
「ほんとに、お似合いの二人ね。けど、何だろう…この喉奥にひっかかるような感じは…思い出さなきゃならない大事なことがあるような気がする…月都美…陵…」
視線を陵に合わせて、頭を巡らす。
「だめね。それが3年以上前の事だったら思い出せるわけがない」
3年前春の事故で失った記憶はまだ戻らない。そもそも戻るかすらわからない。
「彩にできた初めての彼氏だもんね。素直に祝ってあげなくちゃ」
だいぶ小さくなった二人の背中を見るのはやめて、反対方向に歩き出す。
「それで、何を買うんだ?」
「入ったアルバイト代はそれほど多くないから、あまり高価なものはまだ無理ね」
アルバイト代は自分で使う分もある。ドカンと気前よく使ったら来月までもたない。
「料理はあたしの役目だから、洗い物なんかしてる時で気になったのは、箸がだいぶくたびれてることかしら。だからセットの箸でも贈ることにするわ」
「そうか。よく見てるんだな、彩は」
陵が褒めてくれて少しだけ口元が緩むけど、すぐ真顔に戻した。
好きになんて、絶対なってあげないんだから!
表面上は付き合ってることになってるけど、決して心を開かないし許さない。
その状態を維持する。陵がアルバイトと部活を辞めるまでの間だけは。
「陵だったらどんな箸を選ぶ?」
和小物店に入り、箸コーナーの前に立ってから聞いてみる。
「その祖父母を知ってるわけではないからな。そうなると完全に俺の趣味にはなってしまうが…」
手に取ったのはどちらも持ち手部分以外は肌色に近い軸の箸だった。
「どうしてそれを?」
「この色以外は、ほとんどの商品で着色してるだろうからな。自然な色の方は時間をかけて料理の色が着いてしまうけど、それだけに安心感がある」
「なるほど…」
それは考えなかった。
確かに黒い箸なんて、どんな着色料が使われているか分かったものではない。
「あと俺としては水っぽいくらいツヤツヤと光沢のあるものは避けている。コーティング剤の正体がわからないからな。優しい光沢は仕上げの削りで出せることがある」
「陵ってそういうの気にするんだ」
それを聞くと急に不安な気持ちが芽生えてくる。
「それじゃ口に当たらない、持ち手の部分で色違いのこれにしようかな」
手にした箸は、肌目の細かい上品な光沢感がある肌色のような軸に、手が触れる部分あたりが
「良さそうだなそれ。落ち着いた色で嫌味がないから、親世代の人に合う」
「あまり迷わずに済んだのは陵のおかげよ」
「それはなにより」
選んだ箸を持ってレジカウンターに行く。
「簡単でいいので包んでもらえますか?」
「はいよ」
レジに居た店主と思われる人は、引き出しから包み紙を手にとって瞬く間に包み終えた。
「バンクウォレットで支払います」
キャッシュレス決済に対応したキャッシュカードを取り出して、カードリーダーにカードをかざす。
♫♫
軽快な音がカードリーダーから出た。
「まいど」
入ったアルバイト代の額は分かってるから、その額を超えさえしなければ現金を持ち歩かなくても買い物ができる環境がある。
かつてはかなりの決済システムが乱立したけど、乱立しすぎた結果としてユーザーが広く薄くなってしまい採算が取れず急激に淘汰されていき、結局銀行やクレジットカード各社が決済システムに限って連合化を進めていった。おかげで乱立した非接触決済システムは片手で数えられるくらいまで統合された。
贈答用の包み紙を
無意識のうちに陵と手をつなぐ。
「それで、他に用事はあるのか?」
急なオフシフトだったから、特に考えつくことはない。
でも用事が無いと言ったらこのまま帰る流れになるかもしれなくて、ぐるぐると頭を巡らせる。
って、なんで一緒にいる理由を考えてるのよっ!
「無いわ」
「そうか。なら…」
帰ろう、と言われる流れの返事をしてしまい、しまった!と内心後悔する。
「今度は俺の用事に付き合ってもらおうか」
ホッと胸をなでおろす。
…それで、どうして安心してるのよ。
「そう。仕方ないから付き合ってあげるわ」
自分でも強がりに見える返事が口を飛び出していた。
もう、自分で自分がわからないわ。
陵と離れたら近くに来て欲しくなって、陵が近くにいると離れたくなる。
どうしてこんなに心がかき乱されるのよ。
あたしは陵が嫌い。それでも付き合ってるのは、部活やアルバイト先を引っ掻き回してくれた陵が責任を感じて、解決するための手段として偽のカップルを演じているからに過ぎない。
なのに陵が隣にいることを前提とした行動が目立つ。
人目があるのに陵と手をつないで店長に見咎められたり、隣にいないことを忘れて無意識のうちに手をつなごうとして空振りもした。
いっそ、陵としばらく離れてみたら…
想像しただけでどうしようもないほどの寂しさがこみ上げてくる。
違う!違う!!
あたしが陵を好きなんて、絶対にあり得ない!
「よー、お前さんがたー。バイトはどーしたんだー?サボりかー?」
ぐるぐる考えているところに声がかけられる。この声は…。
ふと我に帰ると、目の前には怒金髪天のどうみてもヤンキーな人がいた。
「店の電気トラブルでシフトが無くなったんだ」
「そんで時間を持て余してデートと洒落込んでるわけかー」
「そんなところだ」
チラッと視線がこっちに来た。
「そろそろ本気で付き合う気になったかー?」
言われて気になったことがある。
「ねえ陵、彼はどこまで知ってるの?」
偽カップルの話を知ってる人がどれだけいるか、あたしは知らないから疑問をぶつけてみた。
「
あたしがバラしたのは
「そう」
怒金髪天に目線を移す。
「あいにくだけど、単に利害関係が一致しただけだから、本気になんてならないわ」
「まー、どうなるか見守らせてもらうぜー」
言われて、胸の奥に
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