第13話:追 -ambush-
「で、ゆぅべはぉ楽しみだった?」
「趣味の悪い冗談を言わないでよ」
翌日、登校して
「そろそろ素直になったらどぅ?」
「何がよ」
「昨日バスの中で一人百面相してたじゃなぃ。どぅせ彼氏のこと考ぇてたんでしょ?」
あたしは瑠帆の襟をつまんで引き寄せる。
「これは偽の関係なんだから、お互いに進展させる気は無いのよ」
耳元で小声にして釘を刺す。
「それは昨日の帰り際に陵も言ってたじゃない。偽の関係は伏せたままだけど」
「ぁんなの強がりに決まってるよ。実際には彩と親密になりたくてゥズゥズしてるんじゃないかな」
「ないない。それより昨日、中学にあがる前のあたしを知ってる人があっちに住んでいて、あたしのことを聞こうとしたんだけど、結局教えてくれなかったわ」
「どぅして?」
「あたしに不利な状況だから、そんなあたしにつけ込む意思が無いことを証明するため、もう関わらないことを選んだって言ってた」
「確かに彩の状況は不利なことに違ぃないわね。よほど仲が良かったんでしょぅ」
「だから悔しいのよ。そんな人に気を遣われて遠ざけられたことが」
「でも彩はまだ記憶が戻らなぃんでしょ?」
「そうよ。昨日ほど記憶喪失を疎ましく思ったことはないわ」
「だよね。もし失くした記憶の中で彼氏と昔に出会ってたらどぅするの?」
「ありえないわ」
「けどそぅ言ぃ切る根拠も無ぃでしょ?」
「………そうね」
確かにそう決めつけても、それを証明する記憶があたしにはない。
「でも当時はこことかなり距離があるから、可能性はほぼゼロね」
小学生が自力で移動できる距離なんて
どれだけ遠くても一つか二つ隣の市区町村くらい。
ここと引っ越し前の場所は、市区町村で数えたら直線距離で軽く十は離れている。
そのうえで
…まさか実は以前にすぐ近くで住んでいて、同じ時期に同じ地域へ転校と引っ越しをするなんてマンガみたいなことはさすがに無いと信じたい。
いや、そもそもそんなことがあるとしたら、あたしのことを知ってる可能性もあるけど、そんな様子はちっとも見せていない。
つまり陵が何も言ってこないということが、昔に出会ってる可能性は無いと言い切れるかもしれない。
「で、彼氏とはぃつスるの?」
あたしはからかい顔で聞いてきた瑠帆に無言でデコピンをお見舞いした。
「それで彩はぁれからずっとィタズラされてなぃんだ?」
放課後になって、部室に移動している最中に瑠帆が尋ねてきた。
「ええ、悔しいけど陵の根回しはさすがとしか言いようがないわね」
「それじゃ惚れ直しちゃった?」
「その話は後にしましょう」
全然、と言いたかったけど、あまり迂闊なことを言うと変な噂が出回る可能性があるから、ひと目のある所では陵を嫌う発言を控えるようにしている。
「こんにちは」
部室に入ると、陵が入部する前からいる部員と、あたしのスケッチブックにイタズラした三人。そしてもう一人見慣れない顔が増えている。
すぐに陵も後を追うように入ってきた。
「ちょうど揃ったわね。紹介します。今日から新しく入る部員よ」
見慣れない一人が部長に紹介されて、前へ出る。
「本日から皆さんと一緒に美術部へ参加させていただきます!よろしくお願いします!」
なんと見慣れない一人は新入部員だった。
陵とあたしが付き合い始めたことで、ごっそり部員が抜けてしまった現象も記憶に新しい今のタイミングで入ってくるということは、本気度が違うのかな。
「よろしくね。お名前は?」
「あ、そうでしたね。
「薫さんね。見てのとおり少人数だけど、活動はしっかりやってるわ」
改めて見ると、とても可愛らしくてどこか懐っこい気がする。
「それで、あなた達がまだ残っているのは意外だったわ」
例の三人組に目線を移す。
「…辞めるのは簡単だけど、逃げるようで何か嫌だし、安易な道を選ぶのは
「正直に言うと針の
なかなか見どころのありそうな決意を口にして、それぞれスケッチブックを手に静物画のデッサンを開始していた。
陵が入部してきてからは、部室がごった返していて、とても部室で静物画デッサンをやっていられるような状況ではなかった。
けど今なら落ち着いて部室で活動ができそう。
あたしは部室として使っている美術室にあるものを机に置いて、新調したスケッチブックを広げてデッサンを始める。
隣には当然のような顔をして陵が座る。
下手な言い合いをしてもマズイから、無視して鉛筆を走らせる。
「ねえ、わたしも一緒にそれ描いていい?」
薫さんが後ろから話かけてきた。
「いいわよ。一緒に描きましょう」
「ありがとう!今用意するわね」
そう言ってピューッと小走りで離れていったと思ったら、すぐに椅子とスケッチブックを持って戻ってきた。
「よっ、と」
あたしは一瞬ギョッとした。
陵は隣に来たと言っても少しだけ離れていたから、椅子を一つ置くくらいのスペースがあった。
薫さんはその間に椅子を置いて座ってきた。
「あの…」
「知ってます。お二人は付き合ってるんですよね。けど活動中はそんなの関係ないじゃないですか」
確かに。
殆どの陵目当てな部員は辞めてしまったけど、あたしにしても部活と恋は別と考えている。
改めて薫ちゃんを見る。
横顔になっているけど、綺麗なサラサラ髪はほんのり茶色がかっていて、光が当たると微かに黄色が混じってるような髪色になっている。
かなり痩せていて線は細め。
体のラインは緩急が乏しく見えるけど、それを明るい空気が補っている。
背はあたしより少し高かったはず。
それにしても、こうして間に割り込んできたってことはやっぱり陵目当てなんだろうな。
「あーちゃんはりょーたんのどこが気に入ったの?」
「あーちゃんって…」
「彩ちゃんだからあーちゃん。陵さんだからりょーたん」
なんともコメントしにくい言葉が飛び出してきた。
彼女は懐っこいというより、通り過ぎて馴れ馴れしい感じすらする。
「…まあ他人行儀にされるよりはいいけど」
陵を狙う前に、彼女のあたしから情報を引き出そうってわけね。
事情を知ってる瑠帆と部長はニヤニヤしながら事の成り行きを見守っている。
さて、何て答えようかな。
偽カップルなんてネタバラシは論外だし、薄っぺらい答えを返したらあっさりとひっくり返されそう。
「人を好きになるって、理屈じゃないでしょ。一緒にいて心地がいいか。それに尽きると思うの。何か条件をつけたら、その条件から外れた先に待つのは終わりだけ。違うかしら?」
「なるほど、あーちゃんはりょーたんと一緒にいるのが心地いいんだね」
どう返してくるかと思ったら、意外にもほぼオウム返ししてきただけだった。
もっと食いついてくるかと思いきや、デッサンを始める薫ちゃん。
一体何が目的なのか、いまいち読めない。
散々勘ぐって、結局独り相撲してるだけだったというのもよくある話だけど、今のところ陵も静かだし、危険な香りは特に漂ってこない。
もう少し動きがあってから手を打っても遅くない気がする。
そう判断したあたしは、陵との間に割り込んできた薫ちゃんも無視してデッサンを開始した。
「それじゃ、お先に失礼します」
アルバイトの時間もあるから、部員がまだ残っているけど部室を後にする。
「あーちゃんとりょーたんはどこ行くの?」
部活動中は静かだった薫ちゃんがまた割り込んできた。
「これからア…」
「もう帰るんだよ。二人にしてくれないか?」
やっと陵が動いた。そろそろイライラしてる頃なのかもしれない。
って、なんでイライラするんだろう?
そうか。自分を嫌っている女一人を相手にしている方が気楽だけど、このままだと自分を好いている女が一人増えるかもしれないからか。
「りょーたんには聞いてません!あーちゃんに聞いてるの!」
何だ…この子…。
「もう帰るのよ。薫ちゃんも真っ直ぐ帰りなさい。また明日ね」
「えー」
そう言って陵と二人並んで帰るのを、後ろからついてくる薫ちゃん。
「彩、撒くぞ」
昇降口を出てすぐに、陵がぼそっと囁くが早いか、あたしの手を引っ張って走り出した。
「ちょ…陵!」
「あー!逃げた!」
薫ちゃんが追いかけてくるけど、陵は走りながら角を曲がり、物陰に隠れる。
走り去ってすぐに物陰から出て逆方向に駆け出す。
「ふー、撒いたか」
「とはいえ、あたしたちのアルバイト先は校内でも有名みたいだから、見つかるのは時間の問題かも」
「そうだね…薫ちゃんの目的って何だろう」
「さあな」
手をつないでアルバイト先に歩いて向かいながら、言葉をかわす。
「せっかく彩と一緒にいても、これじゃ意味がないな」
ズキッ
所詮、あたしは陵にとって他の女除けにすぎないことを思い知る。
「そうね、でもあたしにはマイナス要素が無いからいいけどね」
陵を嫌いなあたしに傷つく資格なんて無い。
無いけど、そう思うだけで…どうしようもなく苦しい…。
「そうだったな。部員は大幅に減って落ち着いてるしバイト先に女子が押しかけてくるでもない。彩にとっては何も困ることがない、か」
「そういうこと」
苦しい胸の内を必死に隠しながら、減らず口で返事する。
「もし薫ちゃんがずっと居座ったら何か対策するの?」
「それはあっちの出方次第だな」
確かに今のところ、どこか危なげな感じはしない。
気のせいか、陵にあまり絡んできていないけど、多分あたしの立ち位置を確認するために、あえて陵と距離を置いているのだろう。
「お疲れ様です」
「いいところに来た。さっそくフロアに入ってくれ」
アルバイト先のレストランに入るなり、オーダーを取りに行く途中の店長が急かしてきた。
「ずいぶん混んでますね」
「いつもより早く波が来てるんだ。手が足りないから早く」
「わかりました」
手早く着替えてフロアに飛び出す。
ピンポーン
呼び出しベルが鳴り、オーダーパネルを手に取って席へ向かう。
えっと、呼び出しは13番テーブルね。
「やっほーあーちゃん」
ずべしゃ!
13番テーブルに座ってる人を見て、盛大に頭から転んでしまった。
「あんたかぁ!」
ガバッと起き上がり、ツッコミを入れる。
「お客として来たんだよ。このストロベリーパフェ一つとドリバーを一つずつね」
「繰り返します。ストロベリーパフェをお一つ、ドリンクバーをお一つ。以上でよろしいですか?」
「うん、ドリバーはあのコーナーからコップを取っていいんだよね?」
「どうぞ。ごゆっくりと」
陵と交代を頼まれたわけでもなく、すんなりオーダーが終わったから、特に波風を立てることもなく薫ちゃんの座っている席を後にする。
って、薫ちゃんにはまっすぐ帰ると伝えたのに、まったく気を悪くするような様子もなく普通にオーダーしてきた。
つくづく一体どういうつもりなんだろう?
それからバタバタと注文請けと注文品の配膳に追われる。
少し落ち着いてきた頃…。
「彩、薫ちゃんが来ていたな」
「そうなのよ。驚いて思わず転んじゃったわよ」
バックヤードで陵に呼び止められて、少し立ち話をする。
「何もされなかったか?」
「何もどころか、まっすぐ帰ると伝えていたことにすら何も触れてこなかったわ。帰りがけのやりとりすら無かったような様子で普通にオーダーしてきただけ」
「ますますあいつの狙いがわからんな。もう帰ったみたいだし」
「そうなのよ。掴みどころがないというか、雲をつかむような感じというか、何を考えてるのか全然わからないのよ」
「いずれにせよ警戒しておいたほうがいいな」
「そうね、そろそろ仕事に戻ろ?」
あと30分もしないうちに上がりの時間になる。
「脅されたり迫られたら迷わず相談しろよ」
「わかってるわ」
そして時間が過ぎ
「お先に失礼します」
二人でレストランを後にする。
後にしたレストランが見えなくなる頃、手持ち無沙汰に感じたあたしは自分から手をつなぎにいった。
悔しいけど、こうしてると落ち着く。
ふと、陵が歩く向きを変えた。
「え?陵…?」
「黙って」
何か考えがあるような口調に、口をつぐむ。
いつも曲がらない所で曲がって、暗い物陰に身を潜めた。
「むっ…」
陵の手があたしの口を塞ぎ、体を固定する。
まさか陵…ここであたしを…?
と思ったけど、陵の意識は明らかにあたしへ向いていない。
「あーちゃん、確かこっちに」
この声は…。
暗くてよく見えないけど、声の主が誰なのかは明らかだった。
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