第12話:虚 -sad-
「
「ごめん、風でしおりが飛ばされちゃった」
「そうか。姿が見えないから心配したよ。ナンパされて着いていくタイプでもないだろうし」
「まさか」
アルバイト先でもよくナンパされるけど、あたしの素を見せたら幻滅してナンパしてきた相手から願い下げされるだろう。
中学校以前のあたしを知っているらしい、しおりを拾ってくれた女子とはあれからロクに話もできなかった。記憶がないことは聞かなかったことにして、さらに記憶がない弱みにつけ込む意思が無いことを証明する手段として、あたしとの接点を切ると言い切られてしまった。
そう言われてしまっては、あたしとしても引き下がらざるを得ない。
実際にありもしないことを言われて何かを要求されたとしても、あたしはそれを否定することができない。
何も憶えていないから、間違いを指摘することができない。
友達として最後の優しさと言えるけど、それがあたしにはとても辛かった。
初めて、あたしから記憶を奪ったあの事故を
記憶と共に、絆が失われてしまったのだから。
少なくとも記憶を失った間にできた友達の一人は、とても誠実な人だとわかった。
だから縁を切ると言い切られた。
あたしは過去を振り返らない。
記憶を失ってからそう決めて今日まで来たけど、その過去がどうしようもないほどまでに取り戻したくなった。
よく考えてみれば、自分で取り戻さなきゃ意味がない。
他人から聞いた自分と、自分で思う自分はきっとイコールではない。
「彩?」
「え?」
「どうしたんだ?黙り込んで難しい顔をしてるが」
「別に。ちょっと考え事をね」
「彩が頭を使うなんて珍しい」
ゲシッ!
「痛っ!」
頭にきたあたしは、陵のスネに軽く蹴りを入れた。
「それでこそ彩だ」
過去に執着しないと決めたあたしだけど、こうなってくるとどうしても気になってしまう。名前すら聞き忘れてしまい、思いやりからくる絶交宣言を受けて、それでも平気でいられるほどあたしはできた人間じゃない。
急に過去のことが気になり始めた。
でも思い出そうとしたところで、手がかりすらない。
記憶を無くしてすぐに卒業アルバムを開いてみたけど、どうしてそこにいるのかが分からなくて、まるで他人の卒業アルバムを見ている気分になってしまったくらい。
もちろん陵には記憶がないことを内緒にしている。陵どころか、記憶喪失のことを知っているのはさっき教えた女の子と、祖父母と姉に
知ったところでどうにもならない。
記憶を取り戻せるわけでも、無くした記憶の内容を知っているわけでもない。
お互い毒にも薬にもならない。美味しくも不味くもない。全くもって無駄で不毛極まる話だから。
もう一人、あたしが記憶喪失と知った人が増えてしまったけど、それを知るのはもっと後のこと。
「あ、あれ見ていこうよ」
アーケード付きの賑わいある商店街が目に入って、立ち寄ってみたい気分になる。
交差点を通り過ぎて、アーケードに入った。
「学生っぽい人も多いね。私服だからわからないけど」
「さっき見てきた学園が休みだからだろう。昨日や明日来たら違うはずだ」
「そっか。そうかもね」
色々なお店が軒を連ねている様子を見て、二人で何気ない会話に花を咲かせる。
アーケードを練り歩いてる途中で、淡く明るい基調のお店が目に入ってくる。
「ねえ陵、ちょっと別行動しようか」
「彩が見たいなら着いていくつもりだが?」
「そう。なら来て」
そう言い切った陵へちょっとした
「すまん、前言撤回だ。ちょっとぶらついてくる。見終わったら連絡してくれ」
あたしが入った先は…コンビニ二つ分の広さはあろうかというかなり大きめのランジェリーショップ。
店先の見えやすい場所には白や淡い黄色など、パッと見で清潔感のある華やかな色味が特徴の商品がズラッと並んでいた。
さすがの陵も、これは居た
「そう、一緒に入ってもいいのよ?」
あたしは笑いをこらえた澄まし顔で数歩後ろの陵に捨てセリフを吐く。
ランジェリーショップに入った彩を見送り
「彩、やってくれたな。今回の件はどうやり返そうかな」
とつぶやいて、微笑みと悪巧みが微妙に入り混じった顔をする。
「うわぁ、これ可愛い」
明るい基調のランジェリーショップに入ったあたしは、溢れんばかりの下着に囲まれて目移りしてしまう。
「やっぱり清潔感あふれる定番の白かな」
地元にはこれほど大きなショップは無いから、ここぞとばかりにあれこれと見回しながら目を輝かせている。
「でも陵はクールだから、ちょっぴり大胆だけどこのワインレッドなんて…」
って!何で陵に見せることを考えてるのよ!?
カシャン、と手に取った派手な色の下着上下セットをハンガーに戻す。
陵…なんて…。
お互いに嫌い合ってるからこそ成り立つこの関係を崩したら、部活は再び混乱を招くし、アルバイト先じゃ陵にチェンジの声を聞かされることになる。
せっかく落ち着いてきたというのに、また逆戻りなんて真っ平御免よ。
スカッ!
陵と手を繋ごうとした手が空を切る。
…そうだった。陵は別行動してるんだ。
空振りした手をギュッと握りしめて、脳裏に浮かんでくる陵の顔を必死に追い出す。
陵にこれ以上あたしのペースを乱させない!
らしくない色にすれば、見た時に調子が狂うはず。
例えばこの紫なんていいかも。
頭の中で言葉にして、紫でもかなりゴッテリしたデザインの下着を手に取る。
意表をついて黒にすれば…って!
カシャン!
何で陵に下着を見せる前提で選んでるのよあたし!
頭の中で叫びながらハンガーに戻す。
そんな関係になるわけがない。
もし見せるとしたら事故よ事故。
着替えの途中でノックもせずに部屋へ…家へ招くつもりなんてもちろんないけど、学校の更衣室や着替えでこっそり使ってる空き教室なんかで…。
「はあ、今日のあたしはどうかしてるわ」
何度も陵の顔が浮かんではむしゃくしゃしたから、嫌になりランジェリーショップを後にする。
『今どこにいるの?』
メッセンジャーアプリ Direct で確認するけど
『もう帰りのバスに集合する時間だ。そろそろ向かわないと。駅前のショッピングモール入り口の前で落ち合おう』
と返事が来た。そうか、もうそろそろ帰りの時間か。
ショッピングモールとやらを探してキョロキョロあたりを見回す。
「…あの…何かお探し…ですか…?」
不意に声をかけられる。
「ん?地元の人?この辺で駅近くに大きなショッピングモールがあるはずだけど、知ってるかしら?」
「…はい…それなら…あっちです…」
少し間のある喋り方をする同い年くらいの女の子が指差す方を見ると、多くの建物に囲まれた一角にそれらしい看板が見えた。
「ああ、あれね。わかったわ、ありがとう。あたしは蝶名林 彩。あなたは?」
「…
「鐘ヶ江さんね。あたしは今日このあたりに社会見学へ来ただけで、もうちょっとしたら帰るけど、またどこかで会えるといいわね」
「…はい…」
あたしは集合場所を教えてくれた女の子と別れて、ショッピングモールに向かう。
「明梨、おまたせ…ってどうしたの?」
見送る明梨の後ろから、別の女子が声をかけてきた。
「…他校の女子に道を…聞かれて…」
「そうなんだ。それにしても…プププ」
「…もう…いつまでも彼氏の写真で…笑わないでよ…」
「これ何ヶ月か前に撮ってから何度も見てるけど、何度見ても…アハハハハ!」
手にしたスマートフォンの写真プレビューモードで表示されているのは、整った顔の男子が大勢の生徒がいる教室でポカーンと口を開けている顔が際立つものだった。
「…
うずくまるようにして笑う優愛に、むくれ顔をする明梨だった。
どこか、不思議な子だったな。
帰りのバスで、さっき会った女の子を思い浮かべた。
多分、とても辛い過去を持っていて、でも自分が自分である何かを手に入れることができたんだろうな。
例えばとても素敵な彼氏…。
ふと
違う違う!絶対に陵だけはありえないって!
あんなヤツ…あたしの運命にはもう関わらせない!
そう思って、陵が隣にいないあたしの姿を思い描いてみた。
ズキン…
だから、あたしに傷つく資格なんて無いっての!
むしろ側から居なくなってくれたほうが清々する…はず。
隣に座っている瑠帆は、そんなあたしを見て黙ってニヤニヤしていた。
「着いたー!」
「すっかり真っ暗だね」
「そりゃそうよ。向こうを出たのは五時を過ぎてたもの」
「で、彼氏はぃぃの?」
にんまりしながら瑠帆が聞いてくる。
「いいのよ。今日はアルバイトも無いし…」
「家まで送る」
「えー…?」
いつの間にか後ろへ来ていた陵の声に、あたしは残念そうな声を上げてしまう。
クラスごとに担任が行う終了合図はバスの中で済ませていたから、バスを降りたらすぐ解散となっている。引き止めずに少しでも早く帰そうという図らいだろう。
「今日くらい別にいいじゃない。もう帰るだけだし」
「よくない。
「ぉ熱いですなぁ、お二人さん。じゃ後はごゆっくり。何なら陵くん、今日は彩をぉ持ち帰っちゃってぃぃですよ?」
ニヒヒ、と意地悪な笑顔を浮かべて
「ちょ…瑠帆!」
「冗談でもそういうことを言うのはやめてくれ!俺は周りに
ドキッ!
今のは思わず心を揺さぶられたんじゃない!珍しく陵が大声を上げたから、驚いてしまっただけ!
何よ。善人ぶっちゃって。
言ったことは絶対に本心じゃない。どうせあたしのことなんて利害関係が一致しただけの利用しやすい女ってだけでしょうに。
偽の関係だから、関係を進ませたくないってのが本心なんだろうな。そういう意味では安心できる。
『お互いにその段階ではない』と言い張ってしまえば、手をつなぐだけでそれ以上の進展がないことにも周りへ説明がつく。
といっても、それがいつまでも通用するかは疑問が残るか…。
陵は「お互いが納得できる最善の策」みたいなこと言ってたけど、先行きは不安ばかりが残ってるじゃない。
「それで、そっちは合流前までどうだったんだ?」
「何がよ?主語なしで会話できるほど親密じゃないでしょ」
ウダウダしていても帰りが遅くなるだけだから、結局一緒に帰る流れとなってしまった。
正確には、いつまでも校庭に停めてあるバスが出られないので、先生の号令でバスから降りた生徒全員が校庭から追い出された形になっていた。
一緒に歩いている最中、手持ち無沙汰を感じて、あたしから手をつないだ。
「付き合い始めてから、多分だけど初のグループ行動だったはずだ。そのグループからはそれほど険悪さを感じなかった。彩のことだから形だけグループを作って、現地で単独行動でもするつもりだったんだろ?」
鋭い…それをやろうとして、結局そうならなかっただけ。
「それについては瑠帆に助けられたわ。あたしと陵のことをよく知らない女子二人を引っ張ってきてくれて、グループを組むことはできたけど、ほぼ陵と一緒の行動になったわけよ」
「そうか」
「陵と合流しようとして場所がわからなくなってたところを、少し影のある女の子が声をかけてくれて、目的地の方向を教えてくれたのは助かったな」
「影のある、か」
「心配しなくても危害の気配は皆無だったわ。多分だけど、辛い過去があってそれでも強く生きてるって感じよ」
「…前から思ってたが、彩はどうなんだ?」
「だから主語を」
「こうして会話をしていても、どこか不透明さが抜けないんだ。何でも竹を割るような心地いい話し方をする割に、特定の条件ではとたんに口を濁す。特に過去のことを聞くと決まってはぐらかす」
うっ…必死に隠してるつもりだけど、見抜かれてる。
「あたしは過去に興味がないの。それが自分のことであってもね」
「そう。まさにそれだ。過去のことを聞くと急に打っても響いてこない話し方に変わるんだが、理由はそれだけじゃないだろ?」
今日に限ってどうしたんだろう?ずいぶん切り込んでくる。
「どうせあたしたちの関係はうわべだけ。深く知る必要はないでしょ」
「うわべでなけばいいんだな?」
「悪いけどはあたしはごめんだからね」
そうとっさに返しつつ、密かに胸の痛みを抱えていた。
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