第10話:笑 -pallarel-

 ほんとに変わったみたい。

 部活が終わってアルバイト先に出ていったけど、顔見知りの客足がパタリと止まった。

 りょうの噂を聞きつけた学校関係者以外の女性客は、相変わらずお店に来てはあたしが対応すると少しがっかりした顔を見せる。

 後でまた注文する、と言って受けた注文だけを淡々と処理していれば済むから、かなり気が楽になった。

 その代わりと言うか、あたしへのナンパ目的で来る男性客が目につき始める。


 ピンポン


「オーダーだ。俺が出る。あやは出来上がってる料理を運んでくれ」

 呼び出し音が鳴り、すぐ反応した陵があたしを制してきた。

「わかったわ」

 オーダーを取りに行った先に座っていたのはチャラそうな男性客だった。

 あくまでもさりげなく陵はこうして助け舟を出してくれる。

「お待たせ致しました。こちらミックスグリルと半ライスでございます。ご注文はお揃いでしょうか?」

 あたしが料理を運んだ先は家族連れのテーブルだった。

「はい、これで全部です」

「それではごゆっくりどうぞ」

 頭を下げてテーブルを後にする。

「そこのおねーさん!」

 呼び出しベルではなく手を挙げて呼び出してきた。

「はい、今行き…」

「彩は5番テーブルのオーダーを受けて。その後は10番テーブルに料理を運んで」

「でも…」

「任せた」

 一方的に決めて、陵はあたしを呼んだテーブルへ向かった。

 そのテーブルには別のいかにもチャラそうな男性客が座っている。


 ♪♪♪


 ドアセンサーのチャイムが鳴った。

「彩はできあがってる料理運んで」

 すれ違いざまに陵が行動を指定してきた。

「わかったわ」

 出入り口を見ると、いかにもチャラそうなガラ悪めの二人客がいる。

 そこへ陵が向かう。

「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」

「ああ、見てのとおりだ」

 二人客が陵に応えるものの、視線は陵に向いてない。

 ちらりと確認してみるけど、その視線はあたしへ注がれていた。

 さらにその二人客がオーダーを決めて呼び出しベルを押した時も…

「彩は空いたテーブルの片付けをしてくれ」

 と、また行動を指示してくる。

 これは間違いないわね。


「ふう、今日も無事に終わったわね」

「お疲れ様だ」

 帰り前のまかないを二人で食べながら一息つく。

「陵、あたしをチャラそうな男性客から遠ざけたでしょ?」

「効率よく仕事が進むようにしただけだ」

「そう。ならそういうことにしておいてあげるわ」

 気づいてる、と遠回しに意思表示したものの、陵が動じる様子はない。

「食べ終わったか。皿を洗ってから帰ろう」

「うん」


「お先に失礼します」

 今度はうっかり手を繋がないよう自分に言い聞かせながらお店を出る。

 店長にはもうバレてるから、どちらかというとお店に来る陵を目当てにしてるお客さんに見られることを心配してのこと。

 過度に警戒する必要は無いとしても、余計なトラブルの種を撒くことは避けたい。

 ウソとはいえ陵と付き合ってることが知られたら、一部の女性客から反感を買うかもしれない。

 さすがに暗い道で後ろから刺されるなんてことは無いと思うけど。

 お店が見えなくなる頃、どちらからともなく手を繋ぐ。

 ちょっと…何ドキドキしてるのよ、あたし。

 陵なんて嫌いなんだから。

 嫌い…なんだから…。

 それに、あたしは陵を嫌っているからこそ必要とされているわけで、もし好きなんて感情を持ったら、その時点で用済みにされてしまう。

 もし今、用済みと判断されてしまったら、美術部は再び陵目当ての女子で溢れかえってしまうし、アルバイト先に陵目当ての女子が押しかけてきて陵の指名要求が押し寄せて、あたしのストレスは再びエベレスト山よりも高く積み上がってしまう。

 だからあたしは陵を嫌っていなければならない。

 絶対、陵を好きになんてならない!

 むしろ嫌いよ!

「彩?」

「え?」

「どうしたんだ。黙り込んで」

「ううん、何でもない。ちょっと考え事をね」

「何を考えていたんだ?」

 そこ、ツッコんでくるの?

「やっと美術部とアルバイト先が落ち着きそうだなって」

「そうだな。俺もやっとメガネなしでも女子に付き纏われることが無くなったし、お互いに納得できるところに落とし込めた心地だ」

 あたしは納得なんてしてないんだけど。できれば陵と金輪際関わらないで今を維持したい。

 そうすれば…。

 そう…すれば…。

 だから何でこうして陵がそばに居なくなる光景を思い浮かべて傷ついてるのよ!?それがあたしの望みじゃない!

 このつないでる手だって、あたしが自分の居場所を守るため仕方なく…。

 なのに、何で離したくないの…。


 家の前に着いて、陵がつないだ手の力を抜く。

 あたしはその手を離したくなくて、キュッと力を入れる。

「彩?」

「…そ、そうよね。このままじゃあたし、家に帰られないわよね」

 意を決して、つないだ手の力を抜いて陵に背を向ける。

「それじゃ、また明日」

「ああ、おやすみ」

 振り向きもせずに背中越しに挨拶して家に入った。


 バタン


 ドアが閉まると、その場で立ち尽くしてしまう。

 違う。手を離したくなかったのは、自分の居場所を守ろうとする防衛本能がそうさせてるんだ!

 絶対に陵を好きだからなんかじゃない!

 まだ手に残る陵のぬくもりを振り切るように、ギュッと拳を握りしめる。


 ぼふっ


 ベッドに仰向けに倒れ込んで、つないでた手を見る。

 まだ陵の手がそこにあるかのような感覚が残っている。

 その手を洗ってしまいたいけど、惜しい気がしてその気になれない。

 陵なんて嫌い。それは今も変わらない。

 でも…それなのに何で…この手を振り払うどころか、自分から手をつなぎたいなんて思っちゃうんだろう…。

 もう陵と関わりたくないのに、離れていくことを考えると、寂しくなる。

 自分で自分が分からなくなっている。

 この相反する自分の気持ちが説明できない。

「あたし…陵と…どうなりたいんだろう…?」

 気持ちがごちゃごちゃして答えが出ない。

 いっそのこと、離れてみればわかるのかな…。

 でもそれは無理だろうな。夏休みになってもアルバイトがあるから。


「交流会?」

 翌朝、陵と手をつないで登校している時に出てきた催しの名称。

「そう。年間行事予定表見てないのか?」

 言われてみればそんなのもあった気がする。

 あたしにとって重要なのは期ごとの試験ばかりだから、そっちに気を取られていて気づいてなかった。

「試験と休み予定くらいしか見てなかったわ」

「そりゃ彩らしいや」

「どういう意味よ」

「自分のことでいっぱいになっているところがね」

 そのとおりだった。

 基本的に他人への興味はあまりない。だから他人と関わる行事は熱を入れて取り組む気がしない。その意識があたしの記憶保持に影響している。

「彩がいなかったらどうしようと思ったけど、居てくれて助かるよ」

「…休もっかなそれ」

「休んだらバツとして俺の唇にキ…」

「這ってでも行くわ」

 皆まで言わせず被せて答えた。

 そんな話をした日のロングホームルームは、議題が交流会の班決めだった。

「ねぇ彩、彼氏はどぉするの?」

「どうもしないわよ。そもそもクラスが違うんだから、とやかく言われる筋合いはないわ」

 四人一組とされているから、あと二人必要ね。

 陵があたしと(ウソの)交際を始めてすぐに言い放った牽制によって、同じクラスの女子から明らかな無視をされたり、ちょっかいを出されることは無くなった。

 けれど周りを見ると、明らかに「声かけられたくない」の空気を出している。

「ごめん留穂、人集めは任せる。あたしはできる限り別行動する」

「ぇ~、なんで?」

 と言うものの、すぐにニヤッとして

「そっかぁ。そぉだよねぇ」

「留穂が考えてることは絶対に違うから」

 この恋愛バカが考えてることは聞くまでもなく明らかだったから、相応しいツッコミを入れた。

「あたしと関わりたくなさそうな人…女子ばかりだから、班行動とはいえ顔を合わせないほうがいいでしょ」

「とぃぃつつ…」

「無いから」

 どうしても時間を持て余しそうだったら、あの日とでも言ってどこか休む場所を探してやり過ごすつもりでいる。

 不満そうな顔をしつつ、後二人を探しに出る留穂。

「一緒の班になってぃぃだって」

 程なくして戻ってきた留穂は、女子二人を連れて戻ってきた。

「お疲れ様。二人とも、留穂から聞いてると思うけど、班での決め事から当日に至るまで、あまり関わる気は無いから安心してね。その辺はわきまえてるつもりよ」

「どうして?」

 二人の内一人が問いかけてくる。

「どうしてって、あたしを無視したりキツく当たったりしたら、陵が黙ってないって牽制してきたことで反感を買ってるからよ」

「陵くんって誰?」

 もう一人が聞いてくる。

「あの人を知らないならいいわ。ごめん、さっきのは取り消すね。しっかり班行動に関わらせてもらうわ」

 どうやら留穂は陵の件と関わりが薄い人を連れてきたらしい。偶然か狙ったのかは知らないけど。

「改めて自己紹介するけど、あたしは蝶名林ちょうなばやしあや。小学校の卒業と同時に引っ越してきて今はここ。それで…」

「蝶名林…あっ、月都美くんと付き合ってるって人!?」

 さすが校内の有名人。あたしは彼のオマケということを思い知る。

「そうよ。かなりの女子から目をつけられてるわ」

「そっかぁ。あの蝶名林さんかぁ」

 どの蝶名林で、何だと思ったのよ。と思ったものの、話がこじれても嫌だから飲み込んだ。それよりもあたしはこの二人から見て、ほぼ空気みたいな存在で認識されていたらしい。

 この後、特に波風が立つでもなく順調に班行動の内容が決まった。


「しかし、なんでわざわざ都市部になんか行かなきゃならないのよ」

 日帰り企画のため、行動計画を立てた数日後が当日だった。

 あっという間に当日となって、班ごとに分かれるため、真っ先に瑠帆るほを捕まえた。

「まぁまぁ彩、ぅちらの地域は結構栄ぇてるとは言っても、少し離れるとすぐ自然の多ぃ場所なんだから、社会見学で大都市を見よぅって話なんじゃなぃの」

「そうだけどさ、都市部って休まる場所が無くてちょっと疲れると思う。何で疲れに行かなきゃならないのって思うわ」

「愚痴なら彼氏相手にやって欲しぃんだけど」

「その陵は別のバスに乗るわけで」

 校庭に並んで停車してる観光バスの一角で少し騒がしい感じがするざわめきがあった。

「それに、あたしが確実に居ないって分かってるからか、多少はチヤホヤされてるみたいよ?」

「そりゃ妬けますなぁ」

 ニシシと嫌味を含んだ笑いを浮かべる瑠帆の額にデコピンをお見舞いした。


「で、なんで都市部に来てまで工場見学なわけ?」

 朝早く出て、バスに揺られること二時間ほど。

 到着したのは食品工場の見学コースだった。

「午前は団体行動って書ぃてぁったでしょ?」

 瑠帆がしおりを取り出して指さしたところを見ると、確かに書いてある。

「…見てなかったわ」

 自由行動の欄ばかりに目が行って、それ以外は目に入ってこなかった。

 だから時間が余りそうなくらいにゆるいスケジュールを組んでたのか。

 午前がこれだと、むしろ詰め込みすぎなくらい自由行動で回る場所を挙げてしまったかもしれない。

 3コースある工場見学の順路は、それぞれ1つだけ割り振られて他は見ることができないらしい。

 何と中途半端な…。

 とはいえ、3コース全部回る場合は、それだけで一日が終わってしまいそう。

「それにここ、見学コースができぁがったばかりで人気だから見学希望者が殺到してるんだよ?」

「あたしはレアリティや人気なんて興味ないわよ」

「ぁそっか、どぅせ来るなら彼氏と来たぃよね!でもぁぃにく彼氏は別コースだね」

 再びニシシと口を抑えて嫌味を込めた笑いを浮かべた。

「瑠帆、そろそろ本気ではっ倒していい?」

「笑顔なのが逆に怖ぃよ」


 あたしたちに割り当てられたコースは、業務販売向けの食品加工ラインだった。

 そこで見たのは、アルバイト先で見かけたことのあるものによく似ている食品を加工、包装、梱包している様子がよくわかった。

 こうして作られて手元に来てるんだ。

 アルバイト先で役立つ知識ではないとしても、作られている過程を見ることができたのは、どこかスッキリした気分になれた。

 陵は何のコースだったんだろう?

 って、あいつのことなんて別にどうでもいいんだからっ!

「彩どぅしたの?」

「なんでもないわよ。他のコースも見たかったなと思っただけ」

「彼氏にどんなだったか聞けばぃぃじゃなぃ」

「どうやら瑠帆もあの高温殺菌処理機に入りたいようね?」

「ぁははっ!」

 ちょうど加熱殺菌の機械が見えていたから、襟首掴んでふざけてみたものの、瑠帆は笑ってごまかすだけだった。

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