第8話:手 -hide-
「おいおい、ずいぶんと力が入…いや、情熱的な手つなぎだな」
「うふふ…あたしたち付き合いたてでラブラブだものね」
あたしは額に青筋を立てながら隣を歩くウソ彼の手を握りつぶす気で、ギリギリと握力最大で力いっぱい爪を立ててつないでいる。
スケッチブックを台無しにされて、買いに行こうとしたら
表面上は付き合ってることになっている二人だから、と彼は部室を出てすぐに指の間に指を挟み込む恋人つなぎをしてくる。
その手を払い除けてもいいけど、どこで誰が見ているかわからない以上、思いとどまった。
代わりにその手に爪を立てて、力の限り握りしめる。
「それで、いつまでこの茶番を続けるつもりよ?」
「少なくともバイト先からシフトを打ち切られるまでだな」
はぁ
「いっそ店長に掛け合ってみようかしら…」
ため息交じりに愚痴をこぼす。
「真剣に追い出そうとしてるんじゃない!」
お互いパッと手を離す。
昇降口まで来たため、つないだままだと都合が悪いから。
これは演技、これは演技、これは演技よ!あたしの居場所を確保するために必要な処世術の一つ!
心の中で反芻して気持ちを落ち着ける。
未だに手をつながれるだけで心臓が早鐘のように鳴り始める。
息も切れそうになることがある。
動悸や息切れがするってことで病院でも行ってみようかしら。
お互いに靴を履いて外に出ると、月都美くんからまた手をつないできた。
「もう情熱的に手をつながないのか?爪跡がまだヒリヒリする」
「手が疲れたわ」
このウソカップルを続けるにあたって一つ懸念がある。
一体どこまで関係を進めてくるのか。
けど、期待してると勘違いされそうだから何も言わないでおく。
ウソカップルの関係を踏み越えそうになったら全力で止める。
期待なんかしてないのにこの胸が高鳴るのは、あたしが異性に不慣れなせい。
それ以上でもそれ以下でもない。
顔を近づけられて思わず顔が赤くなっちゃうのも同じ理由。
絶対に、こいつを好きだからなんかじゃない!むしろ嫌いよ!
「りょ…陵って、休みの日はどうしてるの?」
仮にも恋人役なんだから、呼び捨てくらいできるようにしておかないと周りから不自然に思われてしまう。
決してあたしが距離を縮めたいわけじゃないんだからね!
ましてやあたしが陵の事を聞いてるのは、誰かに陵の事を聞かれた時に答えられないと、本当に付き合ってるのか疑われるからっ!
これは義務!そう、義務よ!あたしが自分の居場所を守るための!
「これといって決まったことをしてるわけじゃない。昨日の日曜はバイトだったし」
そうだった。昨日の日曜は二人でバイトしてたんだった。
かあっ!
お姫様抱っこを思い出して、顔が赤くなってしまう。
「そ、そうよね。昨日は二人で同じ時間バイトしてたんだっけ」
そっぽ向いて続ける。
「先々週の日曜は女子3人に誘われてあちこち連れ回されたな」
「そっ、そう…」
何で思わず妬いてるのよあたし!
こんなやつ好きなんかじゃなくて、むしろ嫌いなんだから!
どちらかがバイトを辞めるまでの関係であって、そうしたらすっぱり別れて以後は赤の他人同士!
「彩は?」
「えっ!?」
「休みの日、どうしてるの?」
「あっ…あたしは大体留穂や姉と出掛けてるわね」
変わらずそっぽを向いたまま答える。
「何でこっちを向かないの?」
「言ってほしい?」
「ああ、すれ違いは伝え合わないことから始まるものだからな」
「なら言ってあげる。嫌いだからよ」
と口では言いつつ、内心ドキドキが止まらない。
つないだ手から鼓動が伝わってしまわないか心配になってしまう。
こうして手をつないだままそっぽを向いて、ニセ彼女の義務として言葉をかわしながら駅前の画材店に到着する。
別につないだ手を離してもいいのだけど、それだと傍から見て彼女として見られなくなる可能性が高まる。それを噂で流されるのだけは避けなくてはならない。
彼の追っかけにバイト先へ押しかけられないよう、部活を元の落ち着いた空気にするためとはいえども、これはやっぱりちょっと割に合わないわね。
でももう引き返せないところまできちゃったし、今更ネタバレすると後が怖い。
このまま演じきるしか無いのか…でもいつまで…?
「あーあ、失敗したな…」
「何がだい?」
思わず心の声が口に出ていて、ハッとなり口を抑える。
「陵と付き合うことにした判断のことよ」
別に嫌ってくれて構わないから、思ったことをそのまま言った。ただし小声で。
「それじゃ別れるのか?」
「そうすると余計に話がこじれそうだからやめておくわ。ただ元に戻るだけじゃなくて、周りを巻き込んで騙してたことがバレたら余計に立場が危うくなるでしょ。今更やめたところでプラマイゼロどころかマイナス要素しか見当たらないわ」
「ならせいぜい本物の恋人らしく振る舞うことだな。あまり外で本音を口に出さないほうがいいぞ」
「わかってるわよ…」
ボソボソとやり取りをしつつも、つないだ手は離さないでいる。
「まあ俺も助かっているがな。寄ってくる女子を相手にするのは結構疲れるんだ」
「へー、意外。むしろ喜んでやってるとばかり思ってたけど」
「その点、
ズキ…。
何を傷ついてるのよ。むしろ望むところじゃない。
「気が合うじゃない。珍しく」
「で、これだろ?」
手を離して、離した手で持ち上げたのは、あたしが愛用していたスケッチブックと同じもの。
「どうして…わかったの?」
少し似ている別のものもあったし、サイズ違いもあるのに、あたしが買おうとしていたスケッチブックを迷いなく手に取っていた。
「彼女の好みくらい把握してないと、彼氏失格だろ」
キュウ…。
胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
何で、そんなことを言うのよ。
嫌われてもいいなんて言っておきながら、しっかりとあたしのことを見ている。
「そう。まさにそれを買おうとしていたわ」
「じゃ、交際記念ということで、俺のおごりだ」
「冗談じゃ…」
言いかけて、さっき言われた事を思い出す。
誰かにニセ恋人とバレたらマズい。
「ないわよね。なら今回は甘えちゃおうかな」
こんなチャラ男に心動かされちゃだめっ!
自分の居場所を守るために演じきるのよ!
それにさっきハッキリ言われてしまった。あたしは嫌われても構わない女だと。
あたしは陵が嫌い。陵はあたしに嫌われても構わない。
利害は一致しているはず!
なのに、なんでこんなに苦しいの…。
買い物を終えて画材店を出る。
「このままバイトに向かうとずいぶん時間が余ってしまうな。少し寄り道していこうか」
時間を見ると、シフトに入るまで1時間以上ある。
「はい、次は陵の番ね」
あまり人目につくのが嫌でカラオケボックスに入った。
選曲端末を渡して、あたしはマイクを手にする。
陵は手際よく端末を操作して次曲が入った。
それって一昨日リリースされたばかりの新曲じゃない!
画面に表示されたテロップの曲名を見て驚いてしまい、少し音を外してしまった。
ま、新曲すぎて練習する時間も取れてないだろうから、音を外しまくることは分かってるけど、そういうところを見るのもいいかな。
「ふう」
歌い終わり、マイクをオフにして陵へ渡す。
「うまいな。結構難しい曲のはずだが」
「練習したもの。今度は陵のお手並拝見ね」
「はは、ハードル上げるなよ」
画面を見ると、イントロ段階で音程表が出ている。
へえ、採点しようっての。せいぜい70点くらいだと思うけどね。
あたしでも得意曲で80点取るのがやっとだもの。
歌い出しから完璧な…って、え~!?
う…うまい…歌手としてやっていけるんじゃないかというくらい正確な音取りができている。
ロクに練習できる時間すら無いはずの新曲なのに、一音たりとも外してない!?
「やっぱり難しいなこれ!」
歌い終わり、マイクをオフにしてからの開口一番がそれだった。
採点を見ると…99点!?
「ウソでしょ…?相当練習…って練習する時間も無いくらいの新曲でこれって、あなた一体何者?」
そういえば彼の通称を思い出した。
<完璧超人>という。
デッサンもあたしより早くてうまかったし、バイトもいち早くキャッシャーを任されて、カラオケでも完璧ぶりを見せつけられてしまい、納得させられてしまう。
「はい次」
「ちょっと!こんなハードル上げられた後であたしの下手な歌を披露するのなんて恥ずかしすぎるって!」
差し出されたマイクを全力でガードに入ってしまう。
「彩の声が聞きたい」
ボッ!
一瞬で顔が真っ赤になってしまう。
そういうことをさらっと平気で言うなんて反則よ!ときめきたくないのに、思わずときめいちゃうじゃない!
「おはようございます」
既に日が傾いていてもこの挨拶をする。
続いて陵も入ってきて同じ挨拶をした。
「ああ、今日もよろしくね」
バイト先のファミレスに正面から入って、バックヤードまで真っ直ぐ進む。
「はあ、働く前からどっと疲れたわ…」
結局あたしはノセられて歌うことになったけど、陵はどれを歌ってもプロ級にうまくて、あたしはその度に落ち込んでいた。
あの時間は何かの罰ゲームとさえ感じてしまう。
あまつさえ…
カラオケボックスで陵が歌い終わった後に入れた曲のイントロが流れている時に
「じゃあバツとして彩が一曲スキップする度に唇へキス一回で…って、それじゃバツどころかご褒美になっちゃうかな」
いたずらな笑顔を浮かべて、とんでもないことを言い出す。
「歌います!歌わせていただきます!」
慌ててマイクを奪って声を出すも、動揺していたから歌い出しがグダグダになって、サビに入ってやっと音を取れて歌いきる。
それから、交互に曲を入れるのが地獄の責め苦にさえ思えた。
けどあんなやつにファーストキスを奪われてなるものか、とほとんどヤケっぱちでレパートリーの曲を入れていた。
あいつに弱点なんてあるのだろうか。
そういえばもうすぐ中間考査だけど、意外に勉強はからっきしだったして…と思ったけど、成績優秀なんだっけ。
天は二物どころか五物、六物も与えてしまうものなんだろうか。
こんなの、女の子が放っておくはずがないと改めて思い知らされた。
演技とはいえ、ニセ恋人とはいえ、あたしなんかじゃ到底釣り合わない。
陵は、本当にこれで良かったのだろうか?
もっと似合う人がいるはずなのに。
タイムカードを押して着替える。
「ふたりとも、急にお客さん増えてきたから早くフロアに入って!」
店長が催促の声を上げてきたから、髪ゴムを咥えて髪を後ろで軽くまとめながら小走りでフロアに出ていく。
「うわっ」
入ってきた時はまだ半分くらいの入店状況だったのに、わずかな時間でさらに空席が半分くらい埋まっていた。
「彩は出来上がってる料理を運んで。今は俺がオーダーを取りに行く。後は状況に応じて手分けしよう」
「わかったわ」
別にどちらでもよかったから、先手を打たれた身として従うことにする。
料理を運び終わって戻ろうとした時にまた入店者が目に入ってきた。
すぐに足を向けて迎える。
「いらっしゃいませ。四名様ですか?」
さらに後ろへ続いて別の来店者が連なる。
夕方6時が近くなると、平日でも来店ラッシュが始まる。
けど今日は何故かラッシュのペースが早い!
多分、次のお客様をご案内したら満席ね。
頭の中で計算しつつ、この後にどう動くかを考えていた。
仕事上がり後のまかないを食べ終えて席を立ち、休憩室から手荷物を持って出る。
「陵は今日も当然のように一緒なわけね」
「ああ。店長に任されているわけだからな」
バックヤードに続くドアから二人で客室フロアに出る。
「それでは、お先に失礼します」
陵と一緒に店長へ帰り際の挨拶を済ませる。
「ああ、今日もお疲れ様でした…って、ふむ」
?
並んで帰ろうとするあたしと陵を、顔ではなく少し下に目線を動かして頷く。
「ほう、そういうことだったのか」
「何がですか?」
「まさかとは思ったが、やはり二人は付き合っていたんだね」
「どういうことですか?」
「彩、手」
わずかひらがな3文字で指摘する陵に言われて初めて気づいた。
「ああっ!ついっ!」
恋人つなぎをしていた手をバッと振り払って、笑顔でごまかしつつ後ろ手に組むも時遅し。
「別に隠すこともないだろう。けど月都美くんは女性客の人気が高い。私情のもつれで辞めてしまわれるとお店としては大損害だ。ずっと仲良くしてくれると助かるよ」
「…あはは…」
嫌な汗があたしの頬を撫でていた。
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