第6話:嘘 -lovers-

「これはちょっとマズいな」

 月都美つづみはバイト先の店内を見て、事態の深刻さを噛み締めている。


「もう嗅ぎつけられてしまったのか」

 昨日、部活が終わってから入ったバイトで、追いかけるようにして同じ学校の制服姿でファミレスに大勢が入ってきている。主に女子が。


 ♫♫♫


 呼び出しボタンが押されて、オーダーを聞きに行くため端末を手に呼び出された席へ向かう。

「あ、蝶名林さん。悪いけど月都美さんに代わってくれますか?」


 カッチーン!


「お客様、恐れ入りますが当店はクラブやキャバレーではございませんので、スタッフのご指名はお請け致しかねます」

 顔こそ笑顔だけど、額に青筋が浮かんでいるのを自分でもわかる。

「えー、いいじゃん。ケチケチしないで代わってよ」

 負けるものか、と言い返すことにした。

「当店ではスタッフ個人のサービスよりも、快適にお食事を楽しんでいただくためにお席とお料理を提供しているフードサービスのレストランでございます。グランドメニューにございます内容からご注文をどうぞ」

「どうしても代わってくれないの?」

「注文を受けるスタッフはお店全体の責任として、各スタッフに一任されていますので、今回はがご注文をお請けします」

 笑顔でいるけど、さらに一つ青筋が増えてしまった。

「それじゃドリンクバーをひとつ」

「ドリンクバーをおひとつですね。もうお一方はいかがなさいますか?」

「うーん、もうちょっと考えるから、後でまた呼びます」

 まさか…月都美くんが来るまで何回も呼び直すつもりじゃ…?

 とはいえ、あくまでも自発的な注文に対する提供が原則だから、ここは引かざるをえない。

「かしこまりました。それではドリンクバーとグラスはあちらにございますので、セルフサービスとしてご利用ください。ご来店者様は1名につき1注文以上をいただいておりますので、ご了承下さい」

「はいお疲れ様、蝶名林さん」


 と、こんなことが10回以上続いてきて、もはや額に青筋が絶えない。

「月都美くん、ちょっと来て!」

 客室で発生しているマズい状況を壁の影から覗いていた彼の袖を引っ張り、バックヤードの休憩室に引っ張り込んだ。

「もう我慢ならないわ!今日、一時間だけでもう10回よ!あなたにチェンジ要望が来たの!」

「ああ、とても看過できない状況ということはわかってる。だがよほどのことが無い限り入店を拒否もできない」

「これ以上お店に迷惑をかけるなら、店長にかけあって辞めてもらうように訴えるからね!混雑して忙しいからこれで話は終わりにするけど、なんとかしてよね!」

「なら、帰りに提案がある。いつもどおり一緒に帰るぞ」

「一片たりとも疑いの余地なく嫌な予感しかしないんだけど…」


 結局今日は2時間のシフトだけで18回も月都美くんへのチェンジ要望が来た。

 チェンジ要望を出すのは、あたしがわずかでも面識があるお客…同じ学校の女子だけだった。一般客でそのような要望を口にされることはないのが救いか。

とはいえ、明らかにがっかりした顔をされると心穏かではいられない。

 もう勘弁して。

「それでは、お先に失礼します」

 レストランのドアから出ると、もう月都美くんが外で待っていた。

「帰ろうか」

「君の提案とやら、正直聞きたくないんだけど」

「まあそれは道すがらな」

 いつものバイト帰りと同じく二人で歩きだす。

「背景はどうあれ、蝶名林さんに迷惑をかけてしまったな。すまん」

「ほんとよ。何度額に浮かんだ血管から血が吹き出しそうになったかわからないわ」

「色々と考えたんだが、現実的な対策は一つだけだった」

「辞めるってこと?」

「いや、それは最初から考えていない」

 信号待ちでふたりとも足を止める。

「俺と付き合ってくれ」

「……はぁあ!?今なんて言った!?付き合ってくれって言わなかった!?」

 思わず心臓が跳ね上がりすぎて止まりそうになりながら、自分で聞いた言葉が信じられず、声を荒らげて聞き返す。

「フリだ。フリ」

「なんだフリか…って、それも問題ありまくりでしょうが!」

 信号が青になって、再び歩き始める。

「心配事があるなら聞こうか」

「心配事以前の問題よ!あたしはあなたが嫌いって言ってるでしょ!鳥頭なの!?」

 ドキドキと鼓動がうるさく感じているのに、口からは真逆のことが飛び出す。

「だからこそ都合がいいんだ。表面上だけ付き合ってることにしておいて、でも気持ちは離れている。仮に俺が今のバイトを辞めたとして、そこで関係は解消。それで後腐れなしだ」

「それでもまだ問題があるわ」

「具体的には?」

「確かに付き合うことにしたら、あなたに付きまとってくる女子たちは遠ざかるでしょうけど、今度はあたしに怨嗟えんさの眼差しが注がれることになる。せっかく平穏な学生生活を送ってるというのに、それを根底から崩そうって言うの?」

「ほう、仮とはいえ付き合うこと自体は拒否しないのか」

「茶化さないで」

 ドキンと痛いくらい胸が跳ね上がるも、平静を装っている。

「それについては考えがある。絶対に手を出そうとすら思い立たないほどの牽制をするつもりだ。そして前に言われた部活がメチャクチャになっている状況も同時にひっくり返せる。拒否する理由はないだろ?」

「なんであたしなのよ?月都美くんならよりどりでしょ」

「さっきも言ったが、いつでも手を切れるように俺を嫌ってくれていることが必要なんだ」

「その仲悪さを見て、本当に付き合ってるのかと疑われるでしょうが」

「俺は煽り罵られて快感を得るドMってことで」

 ブッ!

 思わず吹き出してしまう。

「それでいいの?周囲からのイメージ崩れるわよ」

「別に構わない。というわけで明日からということでいいな?」

「よくないわよ!まだ了承した覚えはないんだけど!?」

「蝶名林さんが口裏を合わせてくれるだけで部活は落ち着くし、バイト先にも迷惑がかからない。お互い少し我慢すればすべて丸く収まる。中途半端に放り出すのは君の信条に反するんじゃなかったの?俺が今のバイトを続けてる間だけの関係だ」

「ぐっ…」

「はい、言い返しできなかったね。決まり」

 悔しい…!とっさに言い返せなかった。

 おまけにあたしの行動パターンも把握されている。

 思わず地団駄を踏みたくなっている自分がいた。

「それで…いつ周囲にバラすのよ?」

 思わず赤くなっている自分の顔を隠すようにそっぽを向いて問いかける。

「知らせることに意味があるからな。明日朝イチ…いや、今すぐやろう」

「えっ?ちょっ…!」

「終わり」

 早すぎる!一体何を…?

 そう思った瞬間、月都美くんはスマートフォンの画面を見せてきた。

「Whisper(ウィスパー)ってアプリでささやいておいた。俺に絡んでくる女子の殆どが俺のアカウントを知ってるから、早い人はもうこれを見てるかもな」

 投稿内容は『今日から彩さんと付き合い始めました。超幸せ!』だった。

 微塵たりとも心にないことを、こうも堂々と書けるその神経は舌を巻く。

 無意識のうちに、あたしはそのささやきを投稿したスマートフォンを奪おうと手が伸びていたけど、ヒョイッとかわされた。

「もう画面ロックしちゃったから、これですぐには投稿を削除できなくなった。蝶名林さんにこれを取られて削除しようとしても、その間に十分な人数がこのささやきを確認できるだろう」

 意地悪な顔を向けて、彼はスマートフォンをポケットにしまった。

「~~~~~っ!」

 もはや言葉にならない抗議。

「はぁ、まあいいか。これで部活が落ち着いて、バイト先であの頭にくる不毛な対応がこれで無くなると思えば…けど、それと引き換えに何かとんでもなく大きなものを失った気がするわ」

 次第に頭痛を覚えて頭を抑える。

「まあそういうわけだ。今からよろしくな。俺の彼女」


 かあっ!


 改めて言われるとものすごくテレる。

 顔が火照って真っ赤になったのがわかったけど、周りは自分の手もよく見えないほどの暗さで助かった。


「最っ低っ!」

 部屋に戻って、ベッドに身を投げ出す。

 なんだかんだ流されてしまったけど、何か取り返しのつかない失敗をした気分にしかなってない。

 ♪♪♪

 スマートフォンに着信が来た。

 画面を見ると瑠穂だった。

 …まさか…

「彩~、ぉめでと~!」

 電話に出るなり、やけにハイ・テンションで能天気な筋違いのお祝いを始めた恋愛バカの瑠穂。

「違うから!まずは事情を聞きなさい!」

 今日起きた取り返しのつかない判断ミスを事細かに説明した。

「ぇ~?そんなのつまんなぃ~。このままマジで付き合っちゃぇばぃぃのに~。そぅすればダブルデートできるんだよ!」

「あのね、瑠穂を楽しませるためにこんな判断ミスしたわけじゃないのよ。明日から憂鬱だわほんと…」

「でもしっかり演じなぃと結局また逆戻りになるだけじゃなぃの?」

「それなのよね。正直やりきれる自信が無いのよ。単に流されちゃっただけだし」

「だったらそのまま本気のぉ付き合ぃしちゃぇばぃぃよ!」

「ごめん無理絶対無理今すぐ別れたい誰か代わりを紹介してお願い」

 乾いた口調で早口にまくし立てる。

「ぇ~、ぃぃと思ぅんだけどな。それこそ全校女子憧れの的だよ?」

「悪いけどあたしは憧れないから全校じゃないわね。あんたも彼氏一筋でしょうに」

「そっか、もう手に入っちゃったから、憧れる必要なんてなぃか」

「ち!が!!う!!!」

 ほんとこの恋愛バカを相手にするのは疲れるわ。

「何にせよ、一度引き受けちゃった以上は中途半端にしたくないわね。引き返せないところまで話を進められちゃったし。これで部活とバイト先でストレスマックスになるのは回避…って、あいつと恋人ごっこするストレスがぶっちぎりで勝ちそうな気がしてきたわ…」

「わたしは応援してるからね。このまま彼のハートを射止めちゃって!」

「うるさいわね!そんなつもりなんて無いわよ!」


 PI


 終話ボタンを押して、大きなため息をつく。

「ほんと…失敗したなぁ…」

 起こしていた体を後ろに倒してベッドに身を預けて、ぼんやりと天井を眺めていた。


「おはよう彩」

 朝になって、できたての朝食を並べている最中に寝間着のまま降りてきた姉が食卓につく。

「そういえば、おめでとう」

 ?

 そう言ってメッセージアプリDirectの画像を拡大していた。

 写っていたのは瑠穂からのメッセージで、月都美くんのアカウントでささやいたWhisperの投稿。

 …そういえば瑠穂は姉と連絡先を交換していたんだった。

 事情を全部知っているはずなのに、外堀埋めてきやがったかあの恋愛バカ。

 今日にでもシメてやる!

「これはちょっと事情があってね、その交際は本気じゃないわ」

「そうなの?でも一緒にいると情が移ってその気になっちゃうかもよ」

「ないない。彼の言い分では、彼のことを本気で嫌っているからこそあたしを選んだだけだし」

 朝食に手を付け始める姉。

「まあ、その事情とやらは無理に聞かないけど、本気になったら家へ連れてくるなり出先でもいいから紹介してね」

「悪いけどそんな日は間違いなく来ないわ」

 あたしも席について朝食を口に運び始めた。

 そういえば月都美くんは、あたしに危害が及ばないよう何か策が考えてくれたみたいだけど…一体どんなことをしてくれるんだろうか。


「…で、なんで朝っぱらからあんたの顔を見せられなきゃならないわけ?」

 ジト目で彼氏…ううん、ウソ彼に視線を送る。

「彼氏なんだから当然だろう」

「ああもうなんであたしの周りはこんな恋愛バカばっかなのよ…」

 頭痛の種が増えてしまい、痛む頭を押さえる。

「しっかり恋人を演じてくれよ。まあ失敗して困るのは蝶名林さんの方だけど」

「わかってるわよ。けど、だからこそ素を出すわ。しおらしくなってたら肩が凝って化けの皮が剥がれるから」

「期待している」

「って、何しれっと手を繋いでるのよ」

 突然、右手に骨ばっている別の手で包まれる。

「それに…これっ…!」

 指と指の間に別の指がスルスルと入ってきて、これ何かすごくいやらしい感じがする。

「恋人なんだから当然だろ?」

「…覚えてなさいよ!」


 学校が近づいてくるに従って

「ウソっ!ホントに付き合い始めたのっ!?」

「あの人は確か美術部のツンツン部員じゃなかった!?」

 この姿を見た女子たちは勝手なことを言って、あたしたちを遠巻きにしている。

「わたしたちの月都美さんを独り占めしたらどうなるかどうなるか…!」

 あっという間に全校へ広まってしまったらしい。

「あんた、本当に大丈夫なんでしょうね?今にも殺されそうな空気なんだけど」

「任せろ」

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